お母さん
「よっ……と。」
地上にやってきた私は、懐かしい体で慣れなかったこともあってか着地に失敗し、その場でこけた。
「大丈夫のん?」
「うん、平気。大丈夫。」
「じゃ、行くのん。どうやら母親はこの先の路地裏に…」
「知ってる。前と変わってないみたいだから。行こう。」
私の体はさっさと動き、二人は慌てて私についてくる。
不法投棄されたゴミ袋。ペタペタと貼られた大人向け映画のポスター。
何一つ変わっていない。
そして突き当りを曲がると…
「あ…。」
見慣れた光景が目に飛び込んできた。
隙間から町の様子がよく見える、薄暗い裏路地。
住居であるブルーシートも、しきりとしておかれた段ボールも、一年前と何一つ変わっていない。
そして、その真ん中にどっかりと座り込む、女の影。
イムルと澄香はさっと物陰に隠れ、その場に私一人が残される。
「…あ、あの。」
「…!!」
私の声を聞いた瞬間、女はバッとこちらを向いた。
「彩音?もしかして、彩音なの?」
「そうだよ。そうだよ、お母さん!」
「う、嘘…」
私はたまらず、お母さんに抱きついた。お母さんはそっと優しく、私の頭を撫ででくれる。
懐かしい感覚。
「いままでどこにいたのよ。探したのよ?」
「ごめんなさい、ごめんなさい…」
私は涙をこぼし、お母さんのボロボロの衣服にシミができる。
「お母さんは、今まで何してたの。」
「決まってるじゃない。あなたを探してたのよ。食べる暇も、寝る暇も惜しんで。」
「ありがとう…」
私はさらに涙をこぼす。
すると、
(惑わされちゃだめのん!)
「!」
最初のカフェでの出来事を私は思い出す。
この声は私以外聞こえていないのだろう。私は黙って耳を傾ける。
(いいのん?今と昔とでは事情は変わっているのん。今彩音を優しく抱きしめているのは、数々の人を死に追いやった、凶悪殺人鬼だということを忘れちゃだめのん。)
そうだった。
今回の目的はただ一つ。お母さんに罪を認めてもらい、警察に出頭してもらう事。
「お母さん。」
「どうしたの?」
優しい声で、お母さんは私に尋ねる。惑わされてはいけないと自分で自分に言い聞かせ、私は言う。
「私が6歳くらいの時に、私お母さんに黙って後をついてきちゃったことがあったの。」
「…それで?」
「その時、お母さんが男の人たちとあってるのが見えちゃったの。あれは、いったい誰なの?」
「…ふうん。見ちゃったの。」
お母さんはそのままの声色で私に語り掛ける。私は警戒し、その場で身構える。
お母さんはゆっくりと私の方を向き、ゆっくりと笑顔になる。
「あなたが知るようなことじゃないわ。」
「え?でも私、知りたい。」
「駄目。」
あっけなくかわされてしまった。私はお母さんを見上げると、こてりと首を傾げて見せる。
「でも、お母さん。話してるってことは、その人たちお母さんの知り合いだよね。どうしてその人たちはホームレスのお母さんを助けてくれないの?」
「…!」
お母さんの表情が、わずかに強張る。
「ねえ、どうして?」
「…彩音。あなた本当は、全てを知っているのね?」
「!!」
お母さんの雰囲気が、がらりと変わったような気がした。私は自然と背筋が伸びる。
「な、何言ってるの、お母さん」
「もうとぼけるのはやめましょうね、あ・や・ね。」
次の瞬間、腕を素早くつかまれて私は身動きが取れなくなる。
お母さんは私の顔を覗き込むと、にやりと笑って言った。
「また、犠牲者が増えちゃうわね。」