凶悪殺人鬼
想定外のイムルの大惨敗に、戦いは中断された。
私も驚いていたが、一番驚いていたのは、スーラだ。
聞くところによると、イムルが依頼を失敗したのは、これが初めてらしい。
私は複雑な気持ちで、療養室の扉を開けた。
「失礼しまーす…」
「ああ、アヤネ。」
イムルは私に気が付くと、苦しそうな笑みを浮かべた。
「立場逆転、のん。」
「そう、だね。どう?体調は。」
「まあ、元気のん。」
イムルは元気よく言う。その途端、顔をしかめて包帯でぐるぐるの頭をさすった。
「ちょ、大丈夫なの?」
「こんなの、平気のん。」
イムルはこくこくと頷く。
「そうだ。最強のイムルをこんなにボロボロにするって、何者なの?」
「わからないのん。凶悪殺人鬼、とだけ聞いていたのん。」
「凶悪殺人鬼…」
私はイムルの言葉を繰り返した。
「ただ…。」
「ただ?」
「恐ろしいのん。そいつは女性だったのん。」
「女性!?」
てっきり男性だと思っていた私は、驚いてイムルを見た。
女性が男性の…いや、性別は分からないが、無敗のイムル相手に、こんなにボロボロに?
「自分が情けないのん。はあ…」
「まあまあ。命には別状はなかったんだし、そんなに落ち込まないで。」
「ほっといてくれのん。」
「う、うん。じゃあ、お大事にね。」
私は少しおどおどしながら、療養室を後にした。
「…。」
私は黙って、地下室に入った。
そこには澄香が、手足を拘束されて、宙にぶら下がっていた。
「澄香?」
「……。」
呼びかけても返事がない。どうやら気を失っているようだ。
「……澄香。昨日はごめんなさい。私がしっかりしていなかったばかりに。澄香は、悪くないよ。私が悪いの。」
「…そんなことない…」
「っ!!」
お、起きてた!?私は思わず赤面する。
「す、澄香?」
「うん。この体勢もきついものね。」
澄香はぐいーっと体を反らして、私の方を向いた。
「で、どうしたの?私のこんな姿を見て、笑いに来たの?」
「そ、そんなこと」
「あはは、冗談よ。」
澄香は笑う。こんな状況でも笑えるなんて。澄香さんは、ほんとに強い人だ。
「あーあ、私ったら。自分の間抜けさに笑えてくるわ。あいつの言う通り。なんであんな単純なことに気がつかなかったんだろ。」
「そんなことない。澄香は勇敢だった。かっこよかったよ。」
「ありがとう。でもね、それが効果を示さなかった場合、それはただの悪あがきなの。」
「そんな、でも…」
「もうこれ以上何も言わないで。現に、私はもう何も残っていない。…こんな先輩を、マネしないで。」
「……!」
私は黙って唇を噛んだ。
そして何も言わずに、地下室を出た。
「スーラ様。」
声をかけるが、返事はない。
「入りますよ。」
私はゆっくりと、慎重に部屋に入る。
奥に、近づくなというオーラを放ったスーラがふてくされたように座っていた。
私に気が付くと、黙ってあの椅子を召喚する。
「もうだまされませんよ。」
「…ちぇ。」
舌打ちをして、私を睨み付ける。
「スーラ様に、お尋ねしたいことがあるのですが。」
「…。」
「イムルをあんな姿にした殺人鬼について、詳しいことを教えてほしいのです。」
「…なぜだ。」
「理由などありません。」
「ほお。」
スーラの顔には明らかに「軽蔑」の二文字が。
「教えてください。お願いします。」
「…よし、分かった。」
スーラは私に向き直ると、言った。
「そいつの名前は上原朋子。お前の母親だよ。」