Cafe Prestige boy
「君は誰よりも人に寄り添える素質がある…」
自分を偽って、聞き上手という褒め言葉で喜んでいた。そんな私に期待してくれる人まで現れて、人のためという責任感と、もっと尊敬されたい欲求が冷静な判断を鈍らせた。
「怖がらないでやってみよう。誰だってできるわけじゃない経験は、君のことを価値のある人間にする。それで人が救われて、君に報いてくれる。何もしない奴じゃなくて、君だけに。その時は必ず来るから…」
これが、私のはじまり…
「どうして相談してくれなかったの!?」
初犯で逮捕されると、売ってきた奴はおろか、聞き上手と褒めてくれてた友人達にまで忽ち掌を返された。頼られてたはずなのに、私の頭が悪いからこうなったことにされる。
縁がぶちぶちと切れていく。私に頼れば、頭が悪い私以下になるからかな?
聞き上手?聞いてたんじゃない!嫌われない言葉遣いを選んでただけ!みんなが我慢して私の言葉を待ってくれれば相談できたのに!
ようやく紡いだ言葉も、もう聞いてくれる人がいなくなってから出てきた。
新しい人に出会おう。最初から最後まで聞いてくれなかった人とは違う、私よりも聞き上手な人に。その人こそは、私の痛みに寄り添ってくれるはずだから。
早くプレゼントしたいな。その人にしかできない、私を救う経験を…
「夫と別れたいの。自殺するくらい後悔させて…」
「その手伝いを、無償でやれって言うのか?」
「ああ…そうね…そしたら…どうしようか…」
私が10年ぶりに会った男は、大学でマリファナパーティを催すような社会的にも最悪な存在。
そんな男を頼ったのは、社会的には認められた最低な男を懲らしめるため。その汚い手を借りる他に方法がなかった。
男がどんなものか知っているつもりでもいつまでも慣れない煙を燻らせて、最悪な男が私を諭す。
「俺の知る限りでは別れた女に金を払う男なんか一人もいないよ。あきらさんに捨てられて後悔しない男もいないだろうけど、寂しいからこそ会えない女より会えるパチスロがかわいくなるんだ」
そうでしょうね。事実、私よりギャンブルのほうがあの男を必要としているもの。
でも娘達はそうじゃない。私も愛おしい娘達がいるからこそ、ここにいる。何でもしてやる。
「遺族年金のほうが確実なの?」
「そんなの貰って専業主婦ができるんだったら今頃行列ができてるだろうな。
それでさ、そんなものに頼れると思うの?結局あきらさんは、楽して生きたいの?」
「違う」
「タダで人様に手を汚せって言っといて違う!?」
「ごめんなさい…」
頼った時点で、もう負けていた。だから、どうせ見返りを求められるのであれば、この最悪な男が、櫻井が良かった。ホテルに呼び出されたというのに、断らなかった。
「そもそも俺にとって割に合わない話だし、別れようが消そうが、その後あきらさんが苦労して働くことになる。
どうせなら、仮面夫婦のまま働いたほうが娘さんの精神にもいい」
舐めるような目で見られて、少し嬉しくなる。
「あいつの遊ぶ金のために働くのは絶対に嫌なの」
「それなら夜の仕事をやれば旦那も家に帰らざるを得なくなる」
「夫は消防士なのよ。夜勤もあるのにそんなこと」
「嫌がらせとしてはこの上ない」
櫻井は話を続ける。案じたふりこそしたけど、娘が寂しい思いをすることに全く配慮してくれない。
「まだテニスやってるよね?ソープならあと10年かな。だらけて太ってくおばさんより断然寿命長いほうだよ。
お酒強いならママやってこの先30から40年ってところだろう。寿退社まで営業職だったんでしょ?こっちも向いてる。
それに、他の男の面倒臭さを思い知れば、旦那が可愛く見えるかもな」
「33になったし、そんなに体型の維持できてるとは思えないけど…」
「なら、試していいか?」
櫻井も自分で言った通りの面倒臭い男だった。でも、期待していた私じゃ人をどうこう言えない。
下らない時間を費やしてもらったお詫びとして、ぎらついた男に言われるがままにされてみた。
残ったのは、後悔だった。娘達には決して真似してほしくないし、まだ愛していた時の夫に比べて快楽も及ばなかった。
それでも丁寧にしてもらったから良かったほう。歯を立てて、爪も切らないで、不潔にしたまま貪ってくる男の相手をさせられるとなると、10年なんて長すぎる。
別れ際、櫻井に5万円を握らされて、私はそんな女にされた。
「声も出さないで、眉をしかめるだけの女にこんなに払っていいの?」
「あきらさんがいい女だからだよ」
「あんな態度で男のプライドに泥を塗る女が?」
「そうだな。動画だと俺が下手な男に見えるけど、切り抜いてサイトに張る分には使える絵だからいい」
穏やかな声に脅される。今にも落涙しそうになりながら、どこから何が私を盗撮していたのか部屋中を探る。
「これからは撮られたと思って行動しろよな。どっちにしたって、後で元を取るから構わないが」
これで許してもらおうと思ったのに、働いた分の全てが私のものにならないことを櫻井は仄めかした。相談してはいけない男だったと知った時には、もう遅かった。
夫には娘達のために改心してほしいけど、娘達を任せられないくらいにもっとギャンブル中毒を悪化させてもらうほうが、櫻井のいいように働いて利用されずに済むかもしれない。
でも、盗撮画像が出回ってしまったら…他人には加工だと言い張ったとしも、夫は顔と身体が一致していることを見抜いてしまう。消えてくれないかな。
自分の都合で今後を考えてしまう。娘達のために夫婦で協力しようと考えられなくて、申し訳なくなる。
「ママね、カフェはじめるのよ」
娘達がはしゃぐ。おもちゃみたいな街のかわいいキッチンを実の母親が切り盛りする姿を想像して、もう友達に自慢したがっている様子が、上着どころか下着にも煙草を吸わせて帰ってきた私の肩を縮ませる。
カフェは世間体のようなもので、櫻井の本命はスナックだった。私なら稼げると見てくれたのだろうけど、私はその提案に対して多少の抵抗をした。
「本業は昼のお店にするわ。夜は夫が日勤の日だけにして、カウンター席だけの店を一人で経営するだけじゃ儲からないかしら?それにお客さん多いと、ちょっと疲れそう」
「バーにするか?風営法の範囲外だから接客は制限されるけど、あきらさん相手に本気になる客はそのうち出てくるだろう」
「本気になりたいよ。私も…」
「じゃあ、なれよ」
櫻井から名刺を受け取った。中村橋のあさみママと、サヤラというキャバ嬢のものだった。
「サヤラは接客を辞めてネット通販をはじめるって言ってるんだけどな」
今度は後藤という男の名刺を渡された。サヤラは後藤が主催する企業セミナーに参加するという。
「あいつカツカツらしいから、紹介料やる意味でも協力してもらえないか?」
必ず成功する経営者になれる…受講料は21万6千円。それだけでも高いのに、テキストは大幅値引きと謳いながらも38万4千円で合わせて60万円。無償で頼ろうとした愚かさへの罰にしても、高い出費になる。
「あと11回で実質無料かしら?」
「悪いけど、5万は学生時代の思い出を上乗せしただけだからな。店によっては三人でできる額だし、どうせ一人に5万払うならあきらさんより15歳くらい若い娘を買う。結局店を地道にやるか、だいたい30回、いや手取りを考えると60回抱かれるかだ」
「受講しない選択肢はないの?」
「そうすれば税務署に2、3倍取られることになる。要するに脱税一歩手前の節税を教えるわけだから、安く広くはできないんだよ。旦那を消したいって怖いこと考えられる人だからこそ、受講できるんだ」
この身体を丁寧に扱ってくれた男の甘言が次第に深く刺さってきて、早く解放されることだけを考えてしまう。
「さっき本気になるって言ったよね?」
「そうね。サヤラさんと後藤さんに連絡してみるわ…」
「ありがとね」
果たして何が本気なのか理解できないままだった。夫をこの手で刺したりもしなければ、娘達を思ってこの人脈から逃げることもしない。
神仏を敬虔に祈るのと同じなのかもしれない。最初から他力本願だったから、陥れられた。
実の両親も義両親も、私のカフェ起業とセミナー参加に協力的だった。孫娘に会える機会が増えるのがうれしいのだろうけど、夫の浪費癖を知っていたからでもある。ただ、夜のバーは絶対に反対されるから言い出せなかった。
「ちょっと覚悟してほしいのが、お水の人とも知り合いにならざるを得ないところなのよね。
不動産探しからはじめてたんだけど、これから退去する前の人が夜のお店経営してて、もしかしたら滞納してた受信料とか光熱費で迷惑かけるかもしれないからって名刺もらっちゃったの」
私は悪くないという言い訳があっさり通る。それがそのまま夜に出歩く理由にもなった。
夫に家ですべきことを伝えておいて、どうせ守らないのだからと責める言葉を今から考える。
まずは週2回会うことになるサヤラと対面した。
もう酒焼けした声が学生みたいな軽さで私を褒める。
「33歳か~、パーツもスタイルもコンディションもいいなぁ。結構性欲強いんじゃない?」
「いきなり?」
「世間一般の熟女に対する先入観だよ。みんなこうやって挨拶してくるから慣れておきな」
居酒屋の喧騒がかき消してくれたけど、恥ずかしくて視線が気になる。サヤラにはそれさえも自意識過剰な態度に見えるのかもしれない。ジョッキを空けると、セミナーの日時と場所だけ伝えて切り上げた。
「まぁ、今回の受講者で女は私とあきらさんだけだからよろしく」
あっさりした態度が、参加者がつまらない男達ばかりであることを窺わせた。私もつまらない女かしら?でも、私だってセミナー自体に脈を感じていないから、お互い様よ。
あさみママとは会わなかった。名刺だけでも、相談すれば引き返せなくなるような威厳があったから。
セミナー初日、準備していた言葉で夫を責めて家から出した。
(ごめんなさい…)
そのうち夫を責められない額の受講料を取り立てられることになる。次は夫に謝る言葉を考える。でも、以前夫にやられた態度や言われた言葉が私の過ちを棚上げする。私も面倒な女。
(ごめんね…)
娘達には、心から謝らないといけない。
櫻井やサヤラに褒められた女の誇りを無視して、最低限の化粧でセミナーに顔を出そう。
「幸せになりたいかー!!」
主催者の後藤の白々しい挨拶に、サヤラのようなグルなのか、私のように紹介されて来たのかわからない若者達が乗ってやっている。
事前にサヤラから聞いたのは、小さく私語をしている金髪の小山とピアスの溝口の二人。
「あの二人がグループのスカウトだから覚えておきな。あきらママのお客さんってか見張りになるかもしれないし」
バーをうるさくしたくないから、彼等が常連になるのは今からでも断りたい。
後藤の談話の後に、紙に書いた参加者の目標が映写されていく。
…サヤラのネット通販…小山は投資とは名ばかりのネズミ講の類い…溝口も輸入雑貨だが、サヤラとは競合せず住み分けるらしい。
…賢くなる…
小さく書かれていたけど、躾をされた達筆な字が、このセミナーに似つかわしくなかった。
「誰の夢かな?」
その字の主は後藤の問い掛けに答えなかったが、誰かはすぐに察しが付いた。
「ここ学習塾だっけ?」
小山と溝口に馬鹿にされている、書いた字のように小さな背中をした子で間違いない。
後ろ姿は、女の子にすら見えたけど、女は私とサヤラの二人だけだから男の子のはず。
休憩になって正面からその顔を覗いてみた。持参のノートパソコンを睨んでいたが、私に気付くと挨拶はしてくれた。
顔は少年だけど、声は女性ジャズシンガーのようで、匂いも甘いのに、微かにお茶の渋みもあって大人びている。もっと確かめたくなるような子だった。
昼休憩中に女子トイレでサヤラに会ったのであの子を知らないか聞いてみた。
「あいつね…断るの苦手そうだし、男社会では実際最底辺だろうね。ああいう見た目してると、小山達だけじゃなくて紹介の連中もあいつになら勝てると思って寄ってたかるもんなんだよ。
最底辺の男なんか普通女の眼中にないもんだけど…あきらさんも気になったってことは、やっぱり普通じゃないってこと。
だってあのジャケット、本物なら新品で7万するよ。しかもマニッシュ系…つまり女装。
ゴツゴツした男物のブランドじゃないから、男達は本当の価値を見抜けてないの。滑稽だよね」
「私は甘い匂いがすると思った。香水も女物なのかな」
「あきらさん、ちゃんとした香水は時間で変化するように作られてるのは知ってる?
私は酒とタバコ…のせいで嗅覚鈍ってるから、そのいい匂いは次回もあきらさんが嗅いでみてよ。夜まで続いてたら瓶一つで数万する香水かもね」
「何それ。恥ずかしいし、夜は娘がいるから…」
「どうせそういう仕事するじゃん。あきらさんも山戸田君を客にしちゃえばいいんだって」
あの子の名前は、山戸田兆。サヤラも気になって後藤に確認したそうだけど、弱みに付け入って参加者を集めてきた小山や溝口の紹介でもなく自身の希望で参加したらしい。
「こんなのに自分から応募するってことは、相談する相手がいないってことだよ。
まぁ、そんな奴ほど騙すつもりになれないなら手を引いたほうがいいタイプなんだけどね。変に懐かれた時は私かあさみママがあいつに世間教えてあげるから安心して」
サヤラは山戸田君を貶しながらもその立場に同情しているようで、誰のものでもなく自分のものにすると言っているようだった。
初回の講義が解散した途端に、サヤラは小山達に負けじと山戸田君の背中を追っていった。
彼の夜の匂いを確かめるのかな?
それは待ってほしい…
次の講義は3日後だった。たった4回なのにこの金額はどう考えても高い。
ただ、それよりも不快だったのが、スカウトの二人だった。
「キザッシー!!」
「キザ汁ブシャー!!」
曲がりなりにも自分達のお客さんなのに、相手を立てることもしないでいくつになっても子供のいじめみたいなことをしている。本当に男の子。ガキ。私のバーはそんな奇声を出す場所じゃない。来ないで。
「溝口キザ汁はやめろよ洒落になってねぇから…」
サヤラは半笑いになりながらも山戸田君を庇った。対して私は自分の空間を守るだけ。
「昔からこんなだったから大丈夫ですよ…」
山戸田君は、視線を落として微笑している。抵抗しないことが最善だと刷り込まれていることが理解できたけど、だからこそ、自分の意志でこんなセミナーに参加した意図が読めない。
休憩に入ると、サヤラが言っていたように山戸田君の傍を通る。
私にだって女の勘はある。山戸田君も、私を意識している。私が近付くと頭を上げて、顎に手を当てたり横髪を触ったりしてまたすぐにノートパソコンを見る。恥ずかしがる姿に男のような威張りはなく、代わりにミドルノートと呼ばれる香りが主張してくる。
そして私は、髪に隠れた彼のピアスを見た。白い肌と対比しないシルバーのワンポイントの輝き。サヤラはピアスの話をしていない。だから私が先に見たはず。それが少し嬉しい。
昼もまた山戸田君の隣を通る。彼は昼食をチョコレートバーとビタミンゼリー飲料だけで済ませようとしていた。
「これだけで大丈夫なの?」
「栄養足りるって書いてあるし、大丈夫ですよ」
堂々とした返事が余計に辛い。作業の一環のような食べ物が、食事を楽しめないまま大人になってしまったことを物語っていた。サヤラが不憫そうにしていた理由が痛いほど理解できて、他の参加者が見ている前で弁当を分けてあげた。
「お心遣いはとても有難いのですが…箸やフォークの持ち合わせがありませんので…」
「私の箸使っていいのよ。どう見てもタンパク質が足りないからこれ食べな」
山戸田君は卵焼きを掴むと、箸が自分の口に触れないように慎重に運ぼうとして、最後は左手に落としてから口に含んだ。
「なんか、品がなくて、失礼しました。ごちそうさまです」
わざわざ持ち手をハンカチで拭いてから箸を返してくれた。
触れることを極端に恐れる山戸田君に対して、このやり取りを見ていた小山達が触ってほしくない部分までまさぐってくる。
「やっぱり夜のママ志望は積極的だね」
「お酒は二十歳になってからだッシー」
「おばさん性欲強すぎだろ…」
「お前がいけばこいつ脱ぐんじゃね?」
「いいよ別に…」
遠ざかる会話に対してつい眉間に皺を寄せてしまいそうになる。それを止めたのは、山戸田君の快い匂いだった。
「加計さんって、ママやるんですよね。俺ってこれでも酒が進むほうなんですよ」
「本当に?」
食事の量と比較すると心配で仕方ない話なのに、嬉しさが芽生えてしまう。もっと話ができる。幼稚なようで、狡猾に人の逃げ道を塞いで利用する連中に疲れてきた私にとって、冷静に無駄な争いを避けるだけでなく、柔らかい容姿と仕草で訴えてくる彼がこの場での唯一の逃げ道になりつつある。私も同じように彼にとっての逃げ道になっているのかしら?
「練馬でカフェとバーの二毛作をやるのよ」
「そしたら通いますよ。俺の家池袋線と新宿線の間にありますから」
家庭でも閉塞感に苛まれていたであろう彼を今の卵焼き一つで救ったみたいで、ママとして働く上での最初の成功にすら思える。
彼をもっと知りたくて、実家に娘達を預けられるか確認する。母が喜んで了承してくれたから、その流れで彼を居酒屋に誘おうとするが、見張られているようで踏み出せない。
「ちょっとすいません。パソコンを…」
「何見てるの?」
山戸田君が愛用のノートパソコンで英文と中文のタブを往復する。
「シンガポール華僑がロシアの天然ガス会社が自治体に贈賄したってリークしてきたんですけど、公表の時期というか…隠し通すのか…そもそもフェイクニュースじゃないのかって議論してるんですよ。もし公表されればパイプライン繋がってる国の株価はタダじゃ済まないし、そこの企業と取引してる日本の企業も少なからず怪我するので、とにかく早とちりだけしないように注視してるところです。
速報も全て現地時間で来るから、夜寝れるかもわかんないですね…」
いつもお暇なのかと思ってた。私は彼をまだ知らないし、少し焦っていたのかもしれない。
解散後の身支度が、このセミナーで一番楽しい時間になるはずだった。
普段女子トイレでは化粧しない私が珍しく鏡を入念に見てしまう。精気のなさを娘達に見られないようにするためだけど、帰り際にふと彼に会えることに期待しているからかもしれない。
すると、サヤラが不機嫌そうに横に並んだ。
「おばさんがっつきすぎ…」
怒りも生じたけど、続く言葉で冷静になった。
「ああやって一人でいる男ってね、人との正しい距離感を知らないから一回甘やかすとプライベートもガンガン来るようになるんだよ。
だから夜の店の最初の客にするには荷が重すぎるって言ったの。客にするなら小山あたりにしときな」
「じゃあどうして前回はあなたから声掛けてたの?」
「確認だよ。受講料の支払い済ませてあるって聞いたから、親がどれだけ金持ちなのかをね。意図はバレたけど連絡先は貰っておいたから、あとはじっくり仲良くするつもり」
「騙すんでしょ?」
「それは小山達のほうだよ。私はあくまで仲良くするだけだから」
山戸田君の周辺はこんな人間が多いから率先して孤独になっているだけなのか、サヤラの忠告が正しく本当に性格に難があるのか。
どちらの可能性もある中で、私はサヤラのほうが独占したいだけだと判断した。
「夜までいい匂いがするか確かめてって言ったのはあなたでしょ?」
「好きにしな、がっつきおばさん…」
何を言われようと、山戸田君を知りたい。
会場を出ると、山戸田君が小走りで私の横に並んできた。サヤラの忠告が気になって軽い挨拶だけすると、山戸田君も自分がした行動がどう受け取られたか理解したらしく、急いで先を行った。
その後ろ姿は、小さいのに胸を張っているようで、一人になったのは彼ではなく私のような気がしてくる。幸いにも帰る地下鉄は同じみたいだから、そこまでは一緒にいたい。
先に行ったはずの彼が、ホームにいた。
「結構急いでなかった?さっきのロシアの話、すごい重要みたいだけど」
「あれ、3年前に流れたものでして、もうアジテーターの偽情報だって結論は出てます。つまり小山さんに捕まらないためにアナライズしてるふりしてたんです。捕まると朝までどころかそのまま翌日も遊びに行こうってなって、なんだかんだ俺が支払いすることになるので、今夜はどうにかゆっくりしたかったんです…」
もし山戸田君がセミナーの意図を知っていてあの場で嘘を吐いていたとすれば、小山達に自分を夜遊びで振り回せば自分の能力を探っている後藤の妨害にもなって後々痛い目に遭わされるということを伝えるためだったようにも思える。賢いどころか怖いほどである。
「そうなんだ。私も娘達がいるから捕まらないように帰ってきたところなの。捕まった時のために、娘達にはおばあちゃんのところで夕ご飯食べるようにって伝えてあるんだけどね」
「そうなんですね」
この後空いていることを遠回しに伝えると、あっさりした返事をされた。私の店に通うとは言ってくれたけど、それは店と客の関係にしかなれないという意味かもしれない。きっと自分から言い出せないだけだろうけど、私から誘った途端に甘え出すかもしれない。でも、ここで怯えてたら、自立した経営なんかできないまま、櫻井の道具にされる…
「帰ったら何食べるの?」
「何も考えてませんでした。昼と同じだとカロリーオーバーしちゃうかな」
最初は居酒屋にしようかと思ったけど、お酒が進むという話が心配で仕方ない。
「危ないよ。もっと食べないと私のバーに入れてあげないよ?」
「飲み過ぎなのかな?血圧が身長より高いのは自律神経のせいかと思うんですけど」
彼をよく見ると、香水だけでなく化粧もしていた。容姿も性格も心配させないように装っている。このまま一人にしてしまったら、肌荒れどころの問題じゃ済まない。命の危険も充分にある。
「ファミレスでステーキでも食べようか」
「よろしいのですか?お子様が心配しちゃいますよ」
「平気だから言ってるんだって。気を遣いすぎよ」
夫以上に自分より娘達を優先してくれる。これでサヤラの忠告が取り越し苦労だったことを確信できた。
「この流れだと俺がご馳走していただくみたいで恐縮しちゃいます」
いつも微笑だと思っていた苦笑いが、今ばかりは照れ笑いになっている。ようやくセミナーの息苦しさを山戸田君と二人で癒すことができる。
ラストノート…夜の香りを確かめられる…
「27歳!?」
「驚きました?」
羽を伸ばした彼は、甘えてくるどころかゆとりを持っているようにも見える。
フォークとナイフを握れば、ステーキをゆっくりと音を立てずに切り分けて、一口を人の倍噛む。当然その間は会話もしない。
「お子様がお待ちなのに、食べるのが遅くて申し訳ございません」
畏まる彼を、見た目より大人という簡単な印象で片付けられない。
…昔からこんなだった…
綺麗な字と立った時の背筋でも、彼への躾が厳しかったことは理解できた。それにいじめも重なり、それらが想像よりも長い時間続いている。失敗に学んで大人になる普通の子供と違って、生きるために大人になった。いや、とても上手に大人の演技をしているだけで、人に従順なところは自立できない子供そのもの。私が拒めば、それに従って二度と来なくなるに違いない。
「山戸田君は、どうして起業したいの?」
「カードを作ったり、ローンを組んだりできるようにしたいのですが、個人資産家だと実質無職のようなものでして審査が厳しくなることもあるそうなので法人化するだけです」
「それで賢くなりたいの?」
ステーキを噛む唇が震えて、咄嗟に手で覆う。目元は女の子みたいに照れているのに、とても悲しい表情。
夢がなくて、実用的かそうでないかでしか物事を見れないような教育をされている。
時間をかけてステーキを飲み込んでから話し始める。上品だけど、男性同士の会食だとじれったく思われそう。その意味でもお酒の席のほうが都合が良いのかもしれない。
「なんか、節税しながら法律的にやっちゃいけないラインとかを勉強できるかと思ったんですが、やる気を出そうって話ばっかですね。セミナーの内容をしっかり選べなかったところが賢くなかったですし、そもそも卑怯なことはしないで社会のためにも納税はしろってことですよね」
彼は、失敗を経て成長するどころかまた卑下して、その賢さを社会に役立てる舞台を潰した挙句私利私欲のためだけに独占しようとする人脈に出会ってしまった。
最後にお冷やを二杯呷る。そのスピードは食事の遅さと正反対で、私との食事もどれほど緊張していたかを物語った。それでもハーブごとステーキを平らげたあたり、やはり空腹でもあったらしい。
「これでママのお店に入れますか?」
「どうぞいらっしゃい」
人に頼る時の彼は無邪気な子供を通り越して、官能的な女性のようだった。
「現金一括で…あ、ちょっとおかしかったですね」
「ちょっとかわいかった」
カード払いなんてすぐにできそうなことだけど、彼にも目標があることが見れてほっとする。
それもあって、彼のピアスが目に入り、ラストノートで楽しむ余裕もできた。
「本当はセミナーに来てる人達みんなをお客さんにする努力をしなきゃいけないのにね。やっぱり、冷たい女かな。他の人の突拍子もない夢には靡かないの。
それに比べてあなたは現実を見てる。かわいさって武器を理解してて、かわいく着こなして、いい匂いもする。
教えて。それはなんの香水?」
「ペンハリガンのフクロウのやつです」
山戸田君みたいな青年が言うと漫画とかゲームのキャラクターみたいに聞こえるけど、後に英国貴婦人がモチーフのブランド品であることを知った。
「病気してる母のクローゼットにあったやつを貰ってきたんです」
「だからちょっとお酒みたいな、大人っぽい甘さがしたのね」
「亡き父はムスクがきつかったのと、俺自身母のほうに憧れてたせいでこれを…葬式に行く顔を用意できないくらい仲は悪いんですけどね」
「こんなに利口な子なのに?」
「就職できてませんし、母からしたら失敗した結婚で、失敗した子供なんです。亡き父はそんな母に対して愛してるから見捨てないでって言ってるような情けない人でしたし、父みたいにはならないって決めたのですが、母みたいに権力を掌握して威張る道を進むのも弊害が多すぎますから、この年まで何にもなれなくて…」
ピアスが抵抗するかのように輝いて、いつも微笑していた目と口が夜闇に隠れる。
この後は、何にもなれず、苦笑いもできない彼をとうとう見れなかった。
テレビで独立開業した主婦の特集が組まれて、ご主人の協力のおかげと苦労を幸せで乗り越えたかのように伝えてくる。夫婦の衝突とか、夫の無関心なんてテレビで流すものではないとは理解していても、単なる選ばれた人の美談にしか思えない。
それに喜ぶ娘達に応援されて、頑張ると口で言うものの、こんな店主では他人への不満を吐き出すだけのぎすぎすした雰囲気の店にしてしまいそうで何も誇れない。そうなるなら、夜のバーで孤独な青年を励ましているほうがいい。
「なんだよ、男でもできたか?」
「悪い?」
今更嫉妬なんてしてほしくない。
3回目の受講の日、山戸田君が欠席した。どこかで彼を失望させてしまったのではないかと心配になる。
小山が不機嫌そうに横を通る。
「調子乗んなよババア…」
「はあ!?」
「え、何、更年期?こっわ!」
どんな意図だったのか考えられず、恐怖もあったけど、大学では櫻井のマリファナパーティを全部断ってこれたんだから、私はこんなガキの言いなりになる程度の女じゃない。そう小山に教えてやるには、周囲ごと怖がらせるしかなかった。
「アルコールで脳萎縮してんじゃね?」
「そう言うあんた達は私より身長ないじゃん。本当は禄にスポーツもできないんじゃない?」
「いい加減にしろお前ら!」
これ以上は山戸田君の悪口になるというタイミングで後藤の怒号に止めてもらった。
休憩は教材以外の私物を全て鞄にしまって女子トイレに逃げるが、洗面台でサヤラを待つ。
「やっちゃったね…」
「何が?」
「山戸田とデートして、あきらさんに会えるチャンスまで捨てるくらいのこと教えたってことだよね?そりゃキレるよ。
あきらさん、男ってのは最底辺の存在のおかげで二番目とか三番目の底辺に自信がついて、煽てに騙されたり借金してくれたりするんだよ」
「そこまで計算してあんないじめやってたの?」
「そうだよ。だから山戸田はいなきゃいけない。普通なら受講料全額払ってくれたらおしまいだけど、あの姿形と物腰はこんな汚い世界だとなんだかんだ重宝するんだよ」
「本人の気持ち考えたことある?」
「あいつらにそんなこと期待したって無駄だから。肉体こそが努力した証。いくら勉強できて金を稼げても、体がひょろければ努力してないことにされて尊敬されない。だから女も怠け者。それが男の世界だし、さらに女も加担して強い男に守られたがる。この業界どころか、外国とか、野生動物でも通用する常識だよ」
そうなると、山戸田君は非常識なのだろう。だからこそ、夫や櫻井とは違う彼が目立つ。
サヤラが私の鞄を見る。
「いい判断だね。歯向かうあたり山戸田より上だけど、今日からあきらさんが最底辺だから」
次回の最終日は、もう参加しない。
ただ、サヤラにはまだ聞きたいことがある。
セミナーの内容は投資の社会的意義と貯蓄の害。後藤が参加者に言いたいことは、騙されるほうが悪いのではなく、騙すほうが正しいとでも言うべきか。そのくせ、騙す方法は教えてくれない。
だから山戸田君に見限られたのよ。私のせいにしないで。
「あきらさん、山戸田とデートするために夜空けてたりしてない?」
サヤラの察しの良さに救われる。
山戸田君に会おうとしても、私に対しても警戒してくるはず。迫って避けられるなら、それをサヤラにやってもらいたい。
「いいわよ」
「いいにしても場所がね…目を腫らして帰ることになるから、個室にしてあげたいんだけど」
「え?」
「大丈夫だよ。あきらさんを殴るわけじゃないから」
場所は、サヤラのアパートにした。
「初日の終わりに山戸田と遊び行った話って聞いた?」
「お金出させたらしいね」
「山戸田は楽しそうだったけど?」
サヤラは自慢げにその時の写真を見せてきた。
サヤラと山戸田君が、ウインクして写っている。山戸田君がこんな扇情的な表情もできることに驚いたけど、私しか見ていないと思ったピアスもはっきり見える。私だけ特別だと思っていたことが、サヤラにとっては言うまでもないことだった。
「山戸田ノリいいでしょ?いつもそうしてればって言ったら、写真なんか下手したら5年に一度しか撮らないからどれが遺影になってもいいように写り良くしておくんだって」
山戸田君らしい言い回しではあるけど、確かに大人の写真なんか免許更新くらいになる。
交際をはじめた直後の恋人とか、赤ちゃんとか、飼ったばかりのペットの写真は多いけど、それが珍しくなくなると残そうとは思わなくなる。別れ際なんて、写真を処分したくもなって、そのまま記憶からいなくなる。
サヤラはスワイプして次の写真を出した。山戸田君が誰かのサングラスをかけて、一万円札を巻いてタバコのように持っていた。サヤラとのツーショットは悔しかったけど、この写真には怒りが生じる。
「なんてことさせてるの?」
してるんじゃない…させられてる…サヤラには私が山戸田君をどう思っているのかを理解してほしい。
「こんな写真を撒いといて山戸田の印象悪くしておくと、裁判の時強盗殺人じゃなくて恐喝と傷害致死だって言い張れば通ったりするからね」
悪びれもせずに怒りを煽る言葉を吐く。サヤラは単なる例えだと言うけど、全くそうは聞こえない。
「だから、金出させて遊ぶくらいで最悪だと思ってたらやってられないよ。スカウトが考えた山戸田の使い道の中では一番軽い部類なんだから」
軽いと言って、サヤラは発泡酒で錠剤を飲もうとする。やりそうな女だとは思っていたけど、咄嗟に止める。
「軽いって、あっちのより」
「ちょっと、どんな薬よ!」
無意識に掴んだサヤラの細い腕。その袖を捲ってどのような薬かを確かめることができた。櫻井の知り合いだからおかしい話ではないのに、山戸田君の知り合いでもあると思うと、信じられなくて耐え難かった。
「ねぇ、山戸田君の使い道ってさ…」
「気付いてると思うけど、私がコピーブランドで、小山が融資で、溝口が…薬局やるのよ。
最初は小山が客にしようとしたんだけど、あいつの話がノリしかないのと山戸田が自分が証券売るならもっと上手い話にできるって言われて搾れなくてさ。
山戸田が思い付いたいい話を訊いてみても、口頭で説明できないからスウェーデンの経済学者が算出した英語の論文とグラフを見てほしいって言われて…要するにそこまで勉強してない小山に教える気がなかった。小山達も見下してた奴より頭悪いって突き付けられて相当頭に来て、だから溝口が薬で山戸田を懲らしめようとしてるわけ。
それがさあ、金持ってるくせに心閉ざして苦しんでるから、滅茶苦茶薬と相性良いんだよ。
でも一人で薬やらせたら、数日で致死量までやっちゃうから、私が一緒にやってあげるの」
「やらないって選択肢はないの!?」
「逆にさ、あきらさんは自分が薬やらない選択肢になれると思ってるの?
旦那捨てようとしてるじゃん?そんなんじゃ山戸田なんかもっと手に負えなくなって、絶望させて首吊らせることになるよ。
前から言ってる話まだ理解できないの?どうせ悲しい思いするんだから、そうなる前に手を引けよ。
その程度の愛しかない女が薬に勝てるわけねぇんだからさ!」
「いい加減にしてよ!」
「何がだよ!末期癌患者にモルヒネ打つだけだろ!?それと同じだよ!こっちだって優しさなんだよ!」
私はサヤラに決め付けられたような人間じゃない。
「もし私が一緒に薬やるって言ったらどうする?」
「つまんないね。山戸田みたいに金ないし、あきらさんなら私達を置いて更生するだろうから」
山戸田君に自分が薬を買うお金を出させようとしている。その上で優しさを騙る。絶対に許せないのに、サヤラ自身も置き去りにされている寂しさも含んでいて、その首を絞めることができない。
「覚えておきな。あきらさんの印象は最初から悪かった。
こういう業界のドラマって見たことある?女の主人公なんて強くて自立したふりしてるけど、所詮男らしいご主人様が大好きな男に都合良い女でしかないからね。
あいつら全員プライドが全て。だから強いはずの男に歯向うあきらさんは許されざる存在なんだよ」
夫もそうだけど、自分は女に裏切られないと信じている男はいる。そして、そんな男が見下してきた山戸田君のせいで女に裏切られて、プライドをへし折られいる。いい気味。
…私が一緒にやってあげるの…
やっぱり、サヤラも利用するはずの山戸田君に頼りたいんだね。
「今日はいっぱい教えてくれてありがとう」
でも、許せない。薬に負けると言われた悔しさは、忘れない。
帰宅すると、夫がピザを注文していて、娘達も普段食べない味を堪能して上機嫌で迎えてくれた。
「ママのピザもあるよ!」
「ありがとね。杏樹、ピザおいしかった?」
どこにそんなお金あったの?…できないなりにやって娘達を満足させてくれた夫に、水を差す言葉が出そうになる。
…葬式に行く顔も用意できない…
山戸田君が吐き捨てた実の母への想いが不和を生む言葉を止めてくれた。
負けてしまえば、山戸田君が薬物に冒されてしまうどころか、櫻井は娘達まで不幸にするに違いない。元からそれが狙いだったと考えると、最初にされた忠告の通り、夫が可愛く、頼もしく見えてくる。
「ありがとね、パパ…」
「ああ…」
後ろめたさから来る優しさでも構わない。櫻井が理想とするような男に守られる女になったわけではないから。でも、今夜くらいは頼もしい消防士さんの身体に寄りかかってみたい気持ちもある。
翌日、ふと教材を捲ってみると、法律の説明はコピーで済むだけなのか手抜きせずに書かれているようだった。
「悪戯されないで良かった」
高すぎる教材にも使い道がある。
「もしもし…山戸田君?急にびっくりさせちゃったね」
「あきらさん?いかがなさいました?」
「なんか、教材に法人での不動産購入の説明があるんだけど、山戸田君なら先に勉強してるかなって思って…」
「すいません。頭にはあっても人に説明するのは、苦手というか、責任を負えるか不安でして…」
私がサヤラから聞いた、山戸田君と小山とのやり取りを思い出す。私も信頼されていないのか、不動産は責任を果たせないくらいに不得意なのか。まだ答えを教えてもらえないけど、次の手はある。
「良かったら不動産探し手伝ってくれる?…どうせなら山戸田君が徒歩で来れる場所にするよ。
どうせ私の家も近いし、今のところ山戸田君しかお客さんいないからさ」
「よろしいのですか?いつにしましょうか…」
「今日は株価の変動とか大丈夫なの?」
「すいません。本日はサヤラさんといまして…」
「誰?おばさん?」
サヤラの声が、私が負けていることを突き付ける。彼の細い腕に凶刃とも呼べる針を刺されてしまう悔しさと焦りが、次に出す声を殺す。
サヤラを置いて部屋を移動するような音が聞こえると、二人になれたと錯覚してようやく声が出る。
「ねぇ…セミナー最終日はどう?」
「それって休むってことですよね…」
前回休んだくせに戸惑っている。でもきっと、私と二人きりになれることを嫌がりはしないはず。彼の返事を待つ間、私まで緊張してしまう。
「他にないようでしたら…」
嬉しい返事のはずなのに、サヤラがこの約束を知ったら今にでも山戸田君に針を刺してしまいそうで、焦りは全く治まらない。
「それじゃ、絶対だよ…」
この時には、彼の淡い慕情が奪われてしまうことは絶対に許されないことになっていた。
山戸田君がサヤラと過ごしている…そう考えるだけでその時間は甚大なストレスとなった。
投函された夫宛のパチンコ屋の葉書に目が留まる。どうせ勝てないのにどうしてやるのか。頭がおかしいのか。人を責めたくなる。どんどん歪む。
そしてまた、株式で儲けている山戸田君を思い出してしまう。彼は勝てない勝負を避けるけど、自分の舞台では勝つ努力をしている。
私はスポーツをやっているけど、勝負の前から優劣を分析して引き際も見定めるのは女のほうが得意で、男、それも夫や櫻井のようにスポーツや上下関係で優位な男ほど負けたら次の勝負でやり返せばいいと思っている。
賢いのはどっち?一緒にいて安らぐのはどっち?
夫の葉書のパチンコ屋に足を運ぶ。多少は娘達の面倒を看る気があることを示してくれたお礼に、私も夫を理解してあげようと思ったから。勝ったら受講料の返済に使って、負けたらこれは無駄なことだと教えればいい。
パチンコ屋の前では同じ年代の女性が家族でも待っているのかやかましい店の外で立っていた。急に恥ずかしくなって足が止まると、女性は私を凝視してきたので、私も目を合わせた。
「あきら!?」
高校の先輩のみさとさんだった。入店する前だったから、みさとさんで合っているのか気になって見てしまっただけと言って、私がパチンコをやりに来たことは伏せた。
「どなたか待ってるんですか?」
「そうなの。区役所の生活相談員やっててさ。休憩がてら今日が面談日だったのに来なかったおばちゃんがここに来ると思って来てたわけ。監視するなって言われるけど依存症治療のためだから。嫌われるのも仕事なのよ…」
ふと、夫やサヤラも同じなのかと考えさせられる。櫻井も孤立するほどにギャンブルに傾倒してしまうと言っていたことを思い出す。
「みさとさん、なんで負けるのにやるのか理解できます?買い物前にポスト確認したら夫のこれが入ってて、そのまま持ってきちゃったんですけど…」
「入り口が全てかな。いきなり吐いたらお酒嫌いになるし、最初に大損したらギャンブルを嫌悪するようになる。依存する人達はその逆だった。気持ち良くなったり、楽してお金を手にできたわけ。
つまり甘やかしてもらうのが好きで、きついことされるのが嫌いってこと。子供みたいな人達よ」
次こそ勝てると考えてやるのかと思っていたけど、本当に危ないのはそれ以外がなくなって負け続けても止められないパターンだ。見限られても甘えてしまう心理を理解してあげたいけど、それを切り離して独歩している山戸田君を思うとやはり甘えだと思ってしまう。
「夫は楽して稼ぎたいのかな?」
「普通そう思うけどそこを責めても解決しないよ。っていうか解決したら相談員の仕事なくなるし」
笑ってこの場を繕うけど、内心は山戸田君が違法薬物に汚染されてしまう焦りで震えている。
寂しがっているかもしれない夫のことを考えてやれない。彼がどんどん大きくなるせいで…
あきらが帰ると、どうしようもない寂しさで死にたくなってきた。
シャワーを浴びても、この水もどうせ汚水を濾しただけなんじゃないかと猜疑してしまい、途端に全身が痒くなる。
MDMAなんかキメるんじゃなかったと後悔するのは、今一人きりだから。薬物は誰かと一緒にやる時に効能が現れる。
その誰かの目星は付いたけど、そいつはあきらに甘えたがっている。あきらまで色気付いて、ババアのくせにメス臭くなってやがる。嗅覚鈍るくせに、嫌な臭いだけ過敏に反応するのが薬の副作用みたい。
二人が憎たらしい。頭が痛くなるくらいに。酒じゃな い水分を探すけど、汚水を濾した水道水くらいしかない。嫌だから缶のコークハイをコーラだと思って飲むけど、無理があった。
あまりにも寂しくて、口も濯げないまま電話してみた。どうせ無視されるかと思ったけど、そいつも寂しかったのか応答してくれた。吐いたのがバレるわけないのに、今になって口臭が気になって切りたくなる。
「サヤラさん?どうぞ、お話を…」
なんだ。聞いてくれるんだ。安心すると、MDMAが効いてくる。もっと安心するために囲い込んでおこう。
「お前ステュディオス着てただろ。そんなら明日渋谷にでも行かない?」
「え?」
「秋葉原のほうが良かった?お前の趣味わかんねぇからよ」
「首都高か峠でも攻めましょうか?」
「ごめん、車は酔うの」
意見が通らないことに困惑しているようで返事がなくなる。不快感を相手に理解させない八方美人らしい防衛手段に苛立つ。
「今からそっち行く。小山達はいないから平気だよ」
この前逃げ帰ってたアパートはどこだっけ?頭に入ってないし、歯磨きも忘れてたけど、山戸田が欲しくて家を出てしまう。寒いのにコンビニでスポーツドリンクを買って、ついでにミントタブレットもオーバードーズみたいに口に流し込む。
「ごめん迷子」
当たってた最寄り駅で助けを求めると、間もなくしておっさん臭いクラウンが来た。
「覆面じゃねぇよな?」
「山戸田です。大丈夫ですか?こんな寒いのに」
「車は酔うって言ったんだけど」
「急な動作はしませんし、曲がる時は事前に方向を言います。5分で着きますがよろしいですか?」
「まぁ5分なら。ってかそんな距離で車かよ」
ムカつくくらいいい男みたいな行動をしてくる。
でもクラウンは温かいどころか熱いくらいに腹立たしかった。
「誰だよこいつ…元カノ?」
後部座席で横になろうとすると、山戸田を真似た女と山戸田のプリクラが運転席の後ろの網に挟まっていた。こんな女のこと知らなかったし、別れたとしても車に置いておくなんて未練がましい。心は今もこいつにあるの?勝手に裏切られた気がして不安になる。写りの良さが余計に憎い。
「なゆたもサヤラさんに同じ態度取るかも。ちょっとネジ飛んでる従妹でして…」
「完全に彼女面してんじゃん」
「俺のこと痣できるまで殴ってくるけど?」
従妹の扱いに慣れてる様子が垣間見えた途端に、余裕を浮かべてきた。
「何殴られて平然としてんだよ。キザシもネジ飛んだの?」
「ネジなんてなゆたが生まれる前からないですよ」
声の色気などは、甘やかす側の女そのもの。
夜は山戸田のアパートに招かれて、そのまま眠った。
次の日、あきらの電話とその焦りが私を癒した。
結局外出する体力はなかったからヘッドフォンで外国語を聞いている山戸田のベッドで横になって過ごした。
ベッドは無臭。いや、無難。男らしく尖ったような匂いじゃないから印象に残らない。
「キザシ、ゴムないのか?病気になるぞ」
「買っても干からびてお金の無駄になるだけだから」
声が裏返るくらいに笑ってやりたかったが、鼻だけにしてやった。
「干からびさせたことあるのかよ」
「まぁ。厳密には、もう相手どころか俺がいない。やろうとすると、女の私が男の俺を生理的に受け付けなくなる…」
聞き上手なんて言葉は嫌いだけど、山戸田に限れば隠していることを暴いているような気がしてくるから、もっと聞いてみたい。
「モテそうだけどなぁ」
「どうせ血縁が切れない従妹には多少のサービスはするけど、そうでない女性に、どうせ飽きられるのに求められるのは負担にしかならないですよ」
「ドライだな。キザシは運命とか、永遠って信じないの?」
うお座のくせにと言われるらしい。気にしているあたりはロマンチストだ。
「運命とか永遠なんて嫌われない努力と忍耐ができない奴の言い訳です。別れから逆算しておいて、惜しいなら利害を一致させておく。それができなくて苦しむくらいなら相場見る時間に充てます」
女という負う必要のない責任を避けているようだけど、そうするとこの親切心が理解できない。そして、どうしてそうなったのかはとうとう言ってくれなかった。
でも、推測しかできないけど、これで合ってるはず。こいつは幸せ恐怖症だ。
言ってしまえば、愛する故に加害者になることを恐れている。だから俺から私へ…つまり被害者になるほうが楽だし得。つくづく女みたいな考え方をしている。
「ああ、忘れ物した」
「なんか重要なの?」
「薬。だるいから帰る時も送って」
被害者になりたいなら、してやるよ。じゃなくて、被害者になってよ。一緒に。
帰り際、ソフトドリンクを買っておく。
そこで抜いたクラウンの鍵を借りる。
「鍵あげる。私も前の住民も失くしまくったせいで7本もあるんだよね」
まさしく有無を言わせずに私の鍵を山戸田のホルダーに加えておく。別れを逆算された時、私に会わなければいけない状況を作って、人に迷惑をかけられない性格のせいで勝手にいなくなることができないようにする。
「おいで…」
こんな部屋に山戸田を招くのは女として恥ずかしくもなるけど、女に期待していない山戸田は落胆なんかしない。
それでも注射器を見て言葉を失っていた。
「人はお金貸したら返してくれる?女は愛したらセックスしてくれる?…なわけないこと、理解してるよね?これは、あんな薄情な連中とは違うんだよ。恩返ししてくれる。謝ってくれる。寄り添ってくれる…」
私は待ってあげた。罪を犯すには、プライドを捨てて泣いてすがるには準備が必要だから。
山戸田の答えは、思ったほど待たなかった。
「5年前なら、二つ返事だった。今は、答えられない。5年後になれば、結論が出るかもしれない」
「まさかまだ他人のこと信じるつもりなの?」
「家も学校も会社も信じてないよ。ところで、ディーラーは信用できる人?」
「ほぼほぼ結論出たじゃねえかよ」
私以上の聞き上手は旨く反論ができた。山戸田は薬を売るような信用できない人間に関わりたくないからやらないのだ。
しかし、それは一人でできるなら確実にやっていたことも意味する。つまり、私と二人きりでもダメということ。
やっぱり一人になると薬は死ぬほどまずい。買っておいたスポーツドリンクで血流を安定させようとするけど、それで間に合う摂取量はとうに超えている。積み重なったものは、吐くしかない。
トイレから出たくても、気持ち悪さが治まらない。ドアを開けて、山戸田がベッドメイキングしてくれてる様子を虚ろな目で眺める。
「介護用品のシートとアダルトショップのマットってどっちのほうが防水すんのかな?」
「は?」
「失礼、独り言」
空き缶や弁当の容器、細かいプラゴミの他に、吐瀉物を拭いてるタオルまで袋に詰めはじめた。
「ちょっと出かけてまた戻ります」
「救急車でも呼ぶつもり?」
「呼ぶなら出かけないですよ」
こんな姿を見れば薬は裏切らないなんて嘘に腹を立ててもおかしくないけど、その呆れた表情は最も慣れた行動をしている時の落ち着いたものだった。
何故か汚れたタオルを持ってどこかへ行ってしまった。
鍵を返されていないか、ドアポストと集合ポストを何度も確認してしまう。
結局、最初にクラウンを停めたコインパーキングで待ちぼうける。ヘッドライトが照っては、落胆する。サイレンが見えて部屋に引き下がっても、また出てきてしまう。
それを数十回やると、クラウンが停車しようとした。言葉通り戻ってきた。
「本来ドラッグストアってこういうのを買うんですよ」
洗濯されたタオルと一緒に水周りの洗剤やウェットティッシュが積んであった。
驚いたのは、池袋のアダルトショップに寄って防水マットまで買ってきていたことだ。
「客引きってなんで毎回ピンポイントで俺のとこ来るんだろう?」
「それは理解できる」
「まあね。補導しない警察のほうが疑問」
「確かにな」
ジョークを言う余裕はあるくせに、結局避妊具は買ってきてなかった。
タオルの染みとか、シーツの汚れとか、普通の親でも感情的になることを本当に怒りもしないで、頼んでもいないのに洗濯までしてもらって、高いはずのものまで買ってきてくれた。
欲望に任せて吹き出る体液を吸うはずのマットの上で、汚しても許してもらえる安心感を覚える。
「色々掃除しようと思ったけど、今から騒がしくしたらお隣に迷惑かかるし、ニューヨークダウの現地時間での推移も気になってきたから、そろそろ帰ります」
「まーた面倒臭いこと言って…ありがと…」
心を開いてないくせに、追う必要もないくらい寄り添ってくれた。だから、帰る山戸田を追わなかった。
翌朝、山戸田はゴミを袋に詰めただけで帰ったはずなのに、それ以上に部屋が綺麗になったような気がする。鏡を見てみると顔色も良い。よく眠れたのはいつ以来だろうか?
軽いお礼に山戸田には及ばないポーズをキメて送信する。
やっぱりあんな薬よりも人のほうが効くんだね…
セミナー最終日。山戸田とあきらと、他の数人が逃げていた。自分が最底辺になることを嫌がった連中なんかどうでもいいけど、孤独な資産家の一人息子と夜の店をやらせる美人妻、今後も搾り取っていく二人に逃げられたのは痛い。
「あいつ速攻ブロックしてきたな」
山戸田は対等に接すればその実力と優しさを発揮してくれるけど、自分まで下に思われるのが嫌だから男達は対等に接することができない。
「サヤラが脱いで写真送ったら釣れるんじゃね?」
「私もブロックされた」
「使えねぇな」
ブロックされた自分を棚に上げてどこまでも他人を見下す姿勢に私も嫌気が差す。ただ、ブロックこそ山戸田を想っての嘘ではあるけど、実際に薬とセックスは拒まれたことが、私を弱気にさせる。
「お前達があきらに喧嘩腰だったのがいけないんだろ。あいつら今日の予定空けてるはずだから、今頃ホテルでやってるかもね」
警戒心が強い二人のことだからそんなことはないと思うけど、小山と溝口には山戸田に負けたことを自覚してほしい。
こいつらには真似できないあの優しさを、あきらにもやってるんだろうな…
セミナー最終日に駅前で待っていると、渋いクラウンが23区のコインパーキングに躊躇なく停車した。それが山戸田君の車だった。
「わざわざ車まで?」
「パンプスでそこそこ歩き回るのは疲れると思いましたので」
「ありがとう。でも長距離を歩くわけじゃないし、いちいち駐車してたら料金嵩むでしょ?」
「そしたら家の近くの物件に行ったタイミングで戻します」
疲れるのは私よりも山戸田君のほうじゃないかしら。お節介だとしても、今日は少し食べ歩いて楽しませてあげられるかも。
あまりないと思っていた飲食店の居抜きを探すと、不動産屋は意外と喜んでくれた。それだけ潰れていた空き店舗があったということ。あっさりと昼のお店とバーカウンターのお店を紹介されて、山戸田君のクラウンに乗る。
車種と年代の割には甘い匂いが、彼と同じ空間にいる私を焦らせる。
他に女がいるのか訊きたい。家庭がある身の上で何を考えているのかと言い返されそうだけど、もし言われたら私みたいな女を弄ぶことの危なさを教えてあげないと。
そうなるのは嫌だから余計なことを言わないようにして、女の気配を隠しもしない彼に訊ねてみる。
「私からはじめた話だけどさ、正直ここまでしてくれるなんて思ってなかったから、どうしてなのか気になるのよね…」
「えっと…説明するのは苦手でして…」
そう言って露骨に紅潮した彼の若さに一度は安堵するけど、そんな人の良さのせいで女ばかりか詐欺師まで寄せてしまうことを理解してほしい。
「どうして?」
助手席から頭を撫でる。私も魔性のふりをしてみる。
「ほら、外側のケアはしててもやっぱり栄養が行き届いてない。髪のごわつきはタンパク質で改善するよ…」
どうしても、騙すほうの女になりきれない。
そう、こうして初めて彼に触れた。
貸物件に到着したので、他の物件と比較するためにも撮影していく。どうせ家族には見せないから、彼が写るように。でもサヤラ達みたいに正面からは撮れなくて、見上げたり屈んだりする背中ばかりが増えていく。
「今度は山戸田君が撮影して」
「え?昔写真かじって、ブレるしカメラワークも下手だったから辞めたんですけど…」
「ちょっと引いて撮れば、これは補正あるしそんなことにはならないはずよ」
廃墟同然のバーのカウンターの向こうで、癒されたいあなたを迎え入れるように立ってみる。
「こうですか?」
「そこから私ごと写して」
撮影してスマホを返そうとする彼を止める。
「あなたのスマホでも撮ってよ」
棚からボトルを取る背中、カウンターから乗り出して谷間が見える胸、努力する時間をもらう前に否定されたあなたの夢を認めて、こうやって叶える私…私もあなたのアルバムに入りたいことを理解してほしい。
「今度はお客さんやって。あなたが写ってるほうが私のモチベーションも上がるから」
彼は理屈っぽいから、先に理由を言って断らせなくする。そっと撮ったナチュラルな背中とは違う計算されたポーズが写って、彼の表裏が比較できる。
「わざわざウインクしたりしなくていいからね…」
カウンター席から靴を浮かせながらアンニュイな視線を泳がせる姿がお気に入りの一枚になった。
「CDのジャケットみたい!」
「大人のふりした子供って感じがすごいですね…」
「いいじゃない。そのおかげであなたのママやれるわけだし」
写真でイメージが完成しすぎてしまい、他の物件が目に入らなくなりそうになる。
対して山戸田君は、席数は最大でいくつか、洋式トイレか、使えるなら二階の間取りはどうなっているのかを考えてくれる。
「あきらさんのお店なのに居心地悪いと思われたくないじゃないですか」
二人の空間だと思っていた私と違って、これから出会う他のお客さんのことまで考えてくれていた。
次の物件の鍵を貸してくれたのは、思いもよらぬ人物だった。
「ミヨママ引退しちゃって今は透析までやってるけど、引き継ぐのがこんな綺麗な方なら満足してくれると思うわ」
受け取った名刺は、既に持っていた。あさみママだった。
「あきらさんね!こちらの方は?」
「えっと…出資者です」
「すいません。彼はまだ個人投資家で、お互いに法人を設立するために勉強をしているところですので、お名刺のお返しができなくて…」
「ああ、知り合いもそんな勉強してたわね。出店する時はサクラ使って繁盛してるように見せるのも大事なのよ。同じ勉強してるならこの子とも会ってサクラにするといいわ」
複数の名刺の中に、サヤラの名刺もあった。山戸田君は丁寧にケースにしまったと思うと、少し饒舌になった。
「キャバ辞めるからだと思ってたけど、会っても名刺くれなかったのは脈無しだと思われてたのかな?」
「あら!?」
「その、私達とサヤラさん、同じところで知り合いまして…」
山戸田君は櫻井の知り合いの前で無用心に出資者と自己紹介してしまった。それだけでも不安なのに、山戸田君に私と櫻井の接点を明かしたら逃げられてしまいそうで、それが一番怖い。
撮影が楽しくなったのか貸物件に入っていく山戸田君を追ったあさみママの腕を引いた。
「すいません…櫻井のこと、彼には言わないで下さい…」
伝った涙を握られて好きなように使われたとしても仕方ないと思っていた。
「櫻井にいじめられたの?次ウチ来たら飲み干したボトルで殴ってあげるわ」
今では暴対法が浸透して一つの組織に肩入れができなくなった分、ママ達もあらゆる組織と対等に渡り合う力が必要になったとあさみママから教えてもらった。
「それにしても、いきなり守り甲斐あるお客さん捕まえちゃったね。
泣くほど好きだってんなら櫻井と思いっきり喧嘩しな。私も櫻井にあきらちゃんにはもう関わるなって電話しておいてあげるからさ」
物件を覗いてみると、山戸田君はカウンター席で考え事をしている様子だった。聞こえてはいないはずだけど、女の子みたいな子だから勘付かれたとしてもおかしくない。
不動産屋に戻ろうとしたから、私は山戸田君に提案した。
「車しまって歩いて帰ろうよ」
私より先に疲れちゃうだろうけど、そのまま何か食べさせてあげたかった。
そして車を降りた時には、彼の月極駐車場を記憶しておいた。
「お互いに知り合いに出くわしたらどうしましょう?」
「出資者って言い張ればいいのよ」
そう言いながら指を絡めた。私より狭い歩幅を早足で合わせる彼が傍目にどう映るかはわからない。けれど、私の目には彼がとても…
「あきらさん、ちょっと待って下さい」
不動産屋の手前で山戸田君は銀行に立ち寄り、封筒を持って戻ってきた。
「出資者って言いましたからね。後程確認して下さい」
確認するまでもなく、それが現金であることは理解できた。彼の気持ちを無下にしたくなくて断ろうにも断れなかったけど、疑念が芽生えてしまう。
出会って間もない女性にこんなことをすれば、下心だと拒絶されるかもしれないことや、下心と承知した上で利用されるかもしれないことを、慎重な山戸田君なら理解しているはず。
嫌われたいの?それとも私を試しているの?疑念は次第に不安になった。
その時、山戸田君のスマホが鳴った。その相手はサヤラで、奇しくも数日前の朝に私から電話した時と真逆の立場になっていた。
「出ないで!女といる時に別の女からの電話に出るのは失礼だからやめな」
理解はしている。あなたは嫉妬させるのではなく、求められている自覚を持てないから私のような女をこんな気持ちにさせるだけ。
私が電話を受けてやりたかったけど、まず山戸田君に対してその態度が憎悪を招くことを…少なくとも私は憎悪してしまうほどの想いがあることを伝えるほうが先だった。
でも伝わったのは失礼という言葉のようで、やはり信用を損なう行為への怯えが優先されている様子だった。
(違う…ずっと出ないで…あんな女に二度と関わらないで…)
それを言えなかった。どうして知っているのかと訊かれることが怖かった。私こそ人に言えるような出会いじゃない。それを知られて絶望させてしまうことが。
「そう、訊きたかったんだけど、法人立ち上げてから不動産購入したほうがいいのよね」
「利益が出てない今でしたら個人のほうが安いですけど、今後を見通せば法人名義で契約しないと変更手続きとかが面倒になりますから」
「またその時相談させて。それじゃ、気をつけて…」
結局、山戸田君と別れてからも法人立ち上げのことは頭に浮かばず、空白の期間、どうやれば山戸田君が私の下から離れられなくなるかを考えていた。
帰宅してから受け取った封筒を確認すると、60万円が入っていた。もしこの半分なら、会社設立の費用だと考えれば納得できるし、90万円だとしても気遣い上手な彼らしさとして受け入れられる。
でもぴったりこの金額では、セミナーの費用を払ったところで終わってしまう。私に逃げろと言っているようで、その後もう会う機会がなくなるようにさえ思えた。
電話が繋がらない。お礼も言えないし、意図も聞けない。
思い出した。私は私の前ではサヤラの電話に出るなとしか言っていなかった。今頃サヤラと通話しているのかもしれない。
奪われてなるものか…
私は外の物置に向かっていた。
「こんな所に置いたままで本当に危ないんだから」
夫が趣味のアウトドアで使っていたサバイバルナイフを手に取って、スプレーで錆を落としておく。
櫻井に求められたこの身体に依存させてしまえばここまでしなくて済む話だけど、そんな下卑た真似をしてしまえば、彼が無意識に恋慕している母親の姿から遠ざかって、愛想を尽かされるかもしれない。
過呼吸を抑えて、サバイバルナイフをコートの内ポケットに隠した。薬物なんかに負けない力となると、やはりこれしかなかった。
22時になって、登録していなかった番号から着信があった。きっとメインの端末で折り返せない事情でもあるのだろうと、何も疑わずに出る。
「あきらさん、セミナーどうだった?」
櫻井の声に、伝わる大きさの溜め息で返事した。あさみさんの忠告や、山戸田君と通話したであろうサヤラの告げ口で、怒っている様子だった。
「いい物件見つけたよ。蒲田か八丁堀どっちにする?」
「そこじゃ必ず朝帰りになるじゃない!」
「こっちのママ達もあきらさんに期待してるよ」
こいつに聞く耳なんてありはしない。私を家族のことを蔑ろにする女に仕立て上げて、信頼と評判を損なわせる魂胆だ。
ボールペンか何かをカチカチと鳴らしてくる。あの過ちを録画しているんだと脅すように。
「さっきからうるさいんだけど」
「は?」
「私さ、サヤラとかに性欲強そうとか言われて頭に来てたんだけど、強ち間違いじゃないみたい」
「いいじゃん。ソープやる?」
「そういう話じゃない。カラスよりツバメのほうが口に合うことを知ったのよ。だからもう好きにさせて」
「なんの話だよ」
「大学同じなのに教養ないわね。若い男の子に開店資金出してもらったからあなたとはここでお別れってこと」
「どうやったの?俺も騙してみてよ」
また長い話をされる前に電話を切った。
「ママ、電話の人、誰?」
「えっと…カフェ作り手伝ってくれる人だよ…」
自分で思っている以上に自分が激情型の女だと思い知らせてくれたのは、杏樹だった。母親が夜中に電話で言い争うところを見せて、とても不安にさせてしまったことを謝りたい。
それにしても、こんなに愛おしい子に刃を向けることなんてできるわけがないのに、どうして彼に対しては乱暴な手段まで頭に浮かんでしまうのかしら?
私は将来に悲観した母親?独占欲が強い女?
どっちも当たってるのよね…
翌日、山戸田君にお礼の電話をした。
「出資ありがとね。今日から司法書士と税理士探して会社登記はじめるけど、物件は決められそう?あと、社名も考えないと」
「住所の登記が必要でしたら、二番目に見学したカフェにしたいですね。まだ足りないようでしたら30万くらい出しますよ」
多少金額がアバウトにはなったけれど、受講料の支払いで私が困らないようにしたい山戸田君の意図は確信できた。
「助かるわ。次はいつ会える?今度こそちゃんとしたお礼しないと」
会えることには喜ぶけれど、彼一人に背負わせてしまう後ろめたさで声が浮かない。それに、コートの内側に隠したサバイバルナイフもそのままだ。
「年度末は各社ばたつきますからね…次の休場日は従妹の専門の卒業旅行って名目で熱海までのドライバーやらされますし、新聞雑誌の分析に費やす時間も足りなくなりそうです」
「私が言うのもおかしいけど、背負いすぎないでね」
軽くあしらう様子の山戸田君以上に、彼の従妹を邪険に思ってしまう。
その次の休場日にしてくれたけど、そこも様子がおかしい。
「もしかしたら夕方とかになるかもしれません」
はっきり理由を言った熱海旅行と違って誰と何をするのかをはぐらかされた。思い詰めてほしくないから訊けないけど、悪い方向に進んでいることは確かだ。
「ご予定急かすようでごめんね。14時でいいかしら?」
そんなつもりはない。もう山戸田君の駐車場は把握している。そして、行ってしまいそうな場所も。
「今度の土曜日司法書士さんと会うんだけど、予約取れたのが朝早い時間になったからパン焼いて食べておいてね」
あっさり通る嘘が夫の関心のなさを物語り、応援してくれる娘達の痩せ我慢も浮き彫りにする。
9時には駐車場に着いて、クラウンが出発していないのを確認する。彼の朝は早いから、もう疑いが生じてしまうけど、タイミングを合わせて見せつけるかのように、山戸田君が鍵を開けて、従妹がトランクを開けた。
「キザシ~、まずキャンディ買ってこ~」
「俺そん時ニュース読んでるからコーヒーとミント買ってきて」
「おう」
山戸田君が従妹に現金2000円を渡す。
「ドア丁寧に閉めろよ。ここ苦情言う奴いるから」
年上としての彼の頼もしさに恍惚としていると、彼が電話を取り出した。驚いて確認した時には、私の電話が振動していた。
「あの、すいません。気のせいでしょうか?」
マスクはしていたけど、背の高い女が寒い中一人でうろついていたら怪しまれても仕方ない。
「あ…ごめん。幻滅しちゃった?」
「いえ、わざわざお見送りまでしていただいて恐縮です」
「疑うような真似しちゃってごめんね。なんかよくないグループに連れてかれたりしたらどうしようかと思って、つい…」
「あの、なんか変かもしれませんが、ご心配までしていただいて、ちょっと嬉しいです…」
その言葉は私のほうが嬉しかった。こんな怖がられて当然なことをしたというのに許してもらえた。彼のためにもっと踏み込んでも平気なんだと。
「いってらっしゃい」
電話を気にした従妹の頭を撫でてから彼は旅に出た。
週明けから、会社登記の合間には山戸田君に会えそうな場所でジョギングするようにした。喜ばれていることが前提にあるおかげで堂々とできる。
体型の維持をやましいことのように言われた時にはいっそ崩してしまおうとも思ったけど、じっとしながら山戸田君と彼を狙う悪意を睨んでいるよりは、やはりこうやって動いているほうが楽しい。
この習慣が、そのまま私の勢いになる。後ろめる必要のない司法書士を得て、会社の設立を進めていく。
「法人名はどうしましょうか」
「プレスティージュボーイでお願いします」
「カフェにぴったりですね」
「出資してくれたり、物件探しにも協力してもらった方に肖りました。今は他の仕事があるみたいですが、次回は彼も呼びますね」
「素敵な出会いに恵まれたみたいですね」
ビジネスとしての意味のはずなのに、つい紅潮してしまう。しかし、彼と出会った場所は最悪だった。
「それと、もう一つご相談がありまして。クーリングオフの相談ができる弁護士も紹介していただきたいのですが…」
セミナーの契約書を見せて、被害に遭ったことを明かす。
「私よりも彼のほうが危ないの。さっさと支払いを済ませて泣き寝入りする気でいるから」
ぱっと見でいけないセミナーだと理解したのか、すぐに記載された事業所を検索して、そこがダミー会社だと確認してもらった。
「パンフレットと内容の違いを確かめるためにも、他の受講者からもお話を伺いたいですね」
「連絡先を把握しているのが彼とサクラの連中くらいなんです。もう受講日程終了してるから、頼れるのが彼しかいなくて…」
勢い任せだし、お節介と言われるだろうけど、私だって彼に報いたいからやれることはやる。
「もしもし、山戸田君?忙しい中ごめんね」
山戸田君に会社登記の進捗と、セミナーをクーリングオフする旨を伝える。
「弁護士さんとの相談費用を鑑みても数十万円戻ってくるんだよ」
「相談費用はおいくらですか?」
「あのさ、出してほしいんじゃないの。あなたにもセミナーの内容を証言してほしいし、できればあなたが契約しちゃった分も取り戻したいの」
山戸田君は私の争う姿勢に困惑している。今まで対立した時は負けて解決するしかなかったのだろう。だから、明白な不当行為に勝てるチャンスにも怯えてしまうようだ。
じれったい。身に付けた勢いが、山戸田への怒りまで生じさせる。
「私一人でやれって言うなら、そうするけど…」
「協力します。ただ、時間を下さい」
「ありがとう。でも弁護士費用は私が出すから。証言だけがほしいの」
「あの…週末の14時の予定ですが、出資にお困りでないようでしたらお電話になるかもしれません」
「弁護士さんがあなたを連れて来てって言ってるから。無理があるようなら弁護士さんとも相談しないと」
「えっと…どうなんでしょう…」
決断しないのか、会う相手が悪くてできないのか。言えるのは、その予定をキャンセルするほどの価値が私にはないということ。
「せめてさ…誰に会うのかだけ教えてくれる?」
「サヤラさんです。熱海に行った土日に会えるか訊かれたんですけど、断って今週末にするって言ってから連絡が取れなくなって…」
「それが急ぎの用事?」
「連絡できればいいのですが…金曜の夜までに安否が確認できなければ行ってきます…」
「本当に優しい子なんだね…」
だからこそ、優先されないことが許せない。
それに、もし山戸田君がサヤラにもクーリングオフのための証言を依頼するようなことがあれば、セミナーを主催した側に話が伝わってしまい、弁護士に保護される前に嫌がらせじゃ済まない危ない目に遭うかもしれない。私どころか、娘達まで。
とうとう、彼に会いたいがために、娘達を口実に母親ぶるようになってしまった。
これはもう勢いなんかじゃない。焦りだ…
「会えるといいね…」
「日程が遅れても必ず協力しますから、そこだけはご安心下さい」
安心させてくれないのはあなたのほうじゃない。
とうとう、前日の夜までサヤラからの連絡はなかった。これで彼が予定通り行ってしまうことが決まってしまった…
「コートでジョギング?」
「だから何?」
コートはナイフを隠せるし、フォーマルな服装は山戸田君への最後の礼儀でもある。浮気の疑いがどうしたものか。今は嘘を隠す余裕もない。
サヤラのアパートに着くと、鍵は施錠されていた。山戸田君が言ってた通り、インターホンにも応答しない。つまり、まだ山戸田君がいないということ。
あとは、山戸田君が来る時を待つだけ。胸ポケットに手を入れながら…
長く感じたけど、彼が現れたのはたった10分後だった。
「ここ知ってたんですね」
「お互い様でしょ。サヤラいないみたいだから、さっさと行こう。弁護士さんに会うまでどこで時間潰そうか」
このまま二人になれるはずだった。それなのに、彼の手には鍵があった。彼は部屋の中を、そして何があるかを知っていることが理解できた。それがショックで、涙が溢れてしまう。
「なんでそんなの持ってるのよ」
「無理矢理渡されたから、返さないといけないと思って…」
「それだけが私に会えない用事?」
「あきらさんには…関わってほしくないことです…」
「どうしてよ!?」
「尿検査なんかされたくないだろ!」
やっぱり知ってた。もう、手遅れみたい。
「ねえ、鍵だけポストに入れて後で連絡すればいいのよ。ねえ!」
「返金のお話は必ず協力しますから、また後日にしましょう」
私をどかして鍵を開けてようとした彼に向けて、とうとうナイフを抜いてしまった。
「サヤラと薬やっちゃったの?私じゃ止められなかったの?あなたがあなたじゃなくなるんだったら…死んでよ…」
しかし、首に刃を当てたところで手が止まってしまう。
…昔からこんなだった…
彼に会って間もない時に見た姿が、私まで暴力や束縛に頼って人を自分のものにしようとしていることを教えてくれた。
そればかりか、彼の表情は混乱こそあれど、まるで従妹の頭を撫でていた時の目を正面から見たかのような穏やかさも帯びていた。もう少し待てば私も従妹のように安心させてくれるはず。それを、自ら壊そうとしていた。
「なゆたの思い出も作ってあげたし…私がここで終わる分には構いません。ただ、私のせいであなたとご家族を引き離すことになるなら心残りになるでしょう。もし手を下すのであれば、早くご家族の元へ帰るためにも、衝動的な犯行で片付くように手で首を絞めて下さい。こんな首ですから目的は遂行されますよ…」
「あなたってさ…どうしていつも私の家族を盾にするの?」
「客観的事実ですよ。俺はあなたのお腹を痛めて産まれたわけじゃない…」
山戸田君は、客観的には自分がいなくなってもいいと言っている。それが理由なら、そんな事実こそなくしてあげなきゃ。私は彼の首にナイフを当てて逃げられなくした状態で、私の主観を教えてあげた。彼の手を握りながら、キスをした。
「家族のためならあなたさえも踏み台にする女に期待してたなら、大外れだったわね」
彼が落とした鍵を拾う。きっと、私が抑圧すればするほど彼はサヤラに縛られてしまう。
それに、裁判を見越した発言を先に言っていたのはサヤラだ。山戸田君も同じように発言したことは、サヤラも山戸田君の身を案じてあの写真の意味を教えていたことの証左となる。
私は、山戸田君とサヤラを会わせてあげることにした。
「お願いだから、サヤラに会うなら私に見えるところで会って…」
「ありがとうございます」
鍵を開けると、元々不衛生だった部屋から酸っぱい臭いが漂ってきた。
「ちゃんと防水マットの上で寝てくれたかな…」
考えてみれば、あんな大声で騒いだから、いるなら出てくるはずだった。いないと言っても強引に室内を確認しようとした山戸田君の言動も、ここでようやく理解できた。
足が止まった私を置いて、山戸田君が中に入っていく。そしてすぐに、頬に涙を伝わせて帰ってきた。
「あきらさん、警察に手荷物を見られたらおしまいです。今日は帰って下さい」
「嫌、また戻る。一人で解決しようとしないで!」
「でも、まずはこの場を離れて下さい。本当に、あきらさんに会えなくなっちゃうから」
山戸田君の言葉が主観になった時に、私は私を客観視できた。彼の言う通り、警察に会わないようにサヤラのアパートを離れた。
まずは自宅の物置にサバイバルナイフを戻して、それからあさみさんに電話した。
「あの、サヤラが!」
「どうしたの落ち着いて!」
「部屋に行ったけど、怖くて入れなくて、山戸田君が一人で行って…どうしよう?櫻井にも連絡したほうがいいのかな?」
「死んだの!?」
言い切ることがとても怖かったけど、はっきりと言われて、いよいよ受け止めなければいけなくなった。
「よく聞いて。確かに先週あたり仄めかしてたんだよ。死にたいなんて毎度のことだったけど、もう限界だったのかな…」
結局、セミナーが解散すると私も小山と溝口と一緒に後藤に呼び出されて、車で拠点に連れていかれた。
「小山、おにいちゃんに百回土下座な」
「すいませんでした!」
「うるせーよ俺はおにいちゃんにしろって言ったんだよ。
サヤラはとりあえず着くまで吐くなよ」
「ごめん、気持ち悪い…」
「吐くんだったらよ、溝口ジャンパー貸してやれ。車汚したら許さねえからな」
より詳しい稼ぎ方に興味を持った受講者を裏セミナーに参加させる予定だったのに、あきらが空気を悪くしたせいで今日で解散になってしまった。
いや、他の受講者にとっては、山戸田一人が大きかったのかもしれない。
あいつが逃げられたのに自分が逃げられないのはプライドが許さない…
あいつが騙されるなら自分が騙されても致し方ない…
話すらしてもらえなかった分際で、見下した相手に支配される残念な男達だった。
まぁ、ここにいる私達もお前を支配することに支配されてるけどね。
「櫻井、お前のお客のおばさん黙らせておいてくんない?」
「ああ、俺も言いたいことがあるからな」
櫻井は電話したが、あまり長く話してもらえなかったのかすぐに戻ってきた。
「あきらさん、若い男とできたって本当?」
「いましたよ。金持ちの息子の中学生みたいな奴」
「どんな奴よ。サヤラはそいつをどう扱った?」
櫻井は私の視点から山戸田がどう見えたか訊いてきた。
「あいつ本当にいじめたくなる風貌でしたし、それ以上に寂しそうでした。回りくどい話し方するけど、ちゃんと話を聞いてやれば懐いてくれたと思います」
「それをあきらさんにされちゃったの?馬鹿だなぁ」
小山と溝口のせいで逃げたのは確かなのに、私が悪いことにされる。ババアとか、やる価値ないって言ってたくせにあきらを拾ってきた櫻井の前でそれを言うのは怖がって、同調して私に魅力がなかったせいにしてくる。
山戸田にブロックされたって嘘は、ここでは何の役にも立たない。だから意味がある。こんな連中と山戸田を切り離してやれるから。
「山戸田…」
「いかがなさいました?」
「また部屋のゴミ増えたからさ、片付け手伝ってくんない?」
「ちょっと待って下さいね」
予定は2週間も先にされた。しかも、来週末はあのプリクラを撮ってた従妹と二人で熱海に行くという。
「シスコンかよ。気持ち悪いな」
「すいません。あいつヒステリー起こすから予定変更できなくて…」
まあ従妹のほうがブラコンなのは理解できる。でもシスコンと言われて否定しない山戸田も大概だ。
そんな男なのに、引くことができない。
「本当にキモいからな」
黙りながら怒りを募らせているはず。それでもきついことを言っていれば思い通りの行動をしてくれるのではないかと期待してしまい、嫌われていく言葉を止められない。ヒステリーで痣だらけにする従妹と同じくらいタチの悪い甘え方だな。
「まあいいよ再来週で。その分ゴミ増やしとくから」
山戸田は最後には相槌も言わなくなっていた。
しつこく言えば折れてくれるかと思ったけど、人脈そのものを折られたような気がしてくる。
そのくせ、櫻井は私を馬鹿にしたことを忘れたのか何食わぬ声で電話をしてくる。あきらとあさみママに抵抗されているらしく、二人が何を企んでいるのか聞いてくるようにと命令される。
企んでるのは私も同じなんだけどね…
土曜の朝は、妙にリアルな夢を見た。
コンビニで立ち読みしてると、山戸田と従妹が菓子とかコーヒーを買っている場面に出くわした。夢らしかったのは、山戸田が人には絶対に見せないであろう過去の孤独を目に湛えて、クラウンに乗ると丁寧に運転するはずの山戸田らしくない急発進であっという間に見えなくなってしまったところだ。
「事故れ!死ね!」
目が覚めても、悔しさと孤独が晴れない。神経がピリピリする。薬が切れたけど、櫻井には頼りたくない。
そこで電話したのは、ふと会いたくなった奴だった。
「ユウヤ、最近どうだった?」
「は?」
「お前から買いたいんだよ。ハードなやつ」
ユウヤは半年前に売り上げの取り分でおにいちゃんに難癖つけていなくなった。その穴埋めで小山と溝口をスカウトしたわけだけど、この二人以上の仕事をこなす力量を持っているから惜しい存在でもある。
そして虐待のせいで発育不良だったせいか、こいつも低身長の童顔だ。健康を害する生活で窶れてはいるし、あいつとは比べ物にならないくらい気性も荒いけど、なんか思い出したのだ。
「ハード払える金なんかないだろ」
「それがさ、あるんだよ。後藤のセミナーに世間知らずのボンボンが来て連絡先もらったの」
「後藤の客ぶん取っていいってことか?」
「ってか私の客だから。どうせユウヤに金入るから気にすんなよ」
「で、いつだよ」
「会ってくれるんだ」
ユウヤとは水曜日に会うことになった。
駅近くの路地の防犯カメラの死角でユウヤの車に乗ると、酔っているうちにどこかの道の駅まで来ていた。
峠を攻めると言っていた山戸田を思い出してしまう。あいつに払ってもらうし、ユウヤの腕なら必ず回収できるというのに、もう会えない気がする。
「悪いけどハードは調達に時間かかるからMDMAしか用意できなかった。お前のお客くれればこれくらいお裾分けするけどどうする?」
「こいつだよ…キザシっていう、かわいいやつ…」
急に山戸田に申し訳なくなって、あの時のツーショットしか見せられなかった。
「は?番号くれって言ってんだよ。ナメてんのか?」
私を放って熱海に行った奴なのに、ユウヤに売ることができない。
「土曜日にアパートに来る約束してるから…約束は必ず守る性格だから…」
どうにか搾り出した言葉は、まるでユウヤが怖くて山戸田に助けを求めているようだった。
「ムカついたから飛ばして帰るな。薬は全部持って帰っていいぞ。職質されたら全部サヤラのって言うから」
結局、薬を買うという目的は果たした。あとはユウヤと山戸田がいつ出会うかだった…
不安を解消するには、中途半端な量では逆効果になる。いいのか悪いのか、それを払拭できる量を確保できたから、ケチらずに使っていく。
間もなくして眠気が現れた。やっぱ効いたみたい…
女性の変死と、発見者の男性の聴取。テレビでも報じられ、アリバイを証明できない山戸田君を疑う声は大きくなるばかりだった。
抑留こそされなかったので月極駐車場の周辺でジョギングしていた時に彼に会えたけど、見張られているのか目を合わせないで掌だけ前に出して、接触しないようにと合図を出してきた。
私も疑われないように、辛抱するしかなかった。
「あきらさん。ちょっと面倒なことになったよ」
こんな状況では櫻井の声さえも頼もしい。
「金曜の夜に小柄の男が目撃されたって報道されてるけどよ」
「そんな時間あったらわざわざ土曜に会う約束なんかしないはずよ!私と会ってくれたはずなの!」
「落ち着け。そいつに心当たりがあるんだよ。俺達と袂を分かったサヤラの元カレかもしれない」
「そいつが犯人でしょ!?」
「まあ、そうだな」
その男は用心深く、匿名性の高い掲示板でサヤラと接触していたため捜査が及んでいないという。
「でさ、なんでユウヤが金欠のサヤラに薬売って、山戸田君が呼び出されたと思う?」
腰が抜けて、少しするとサヤラへの怒りで切歯扼腕する。
「これさ、無実証明されても山戸田君が無事じゃ済まないパターンだよ。
まあ、あきらさんからすれば借りるのが山戸田君から俺になるだけだから関係ない話か?」
「いくらでそいつを消せる?」
つい口走った言葉に、櫻井は喜ぶ。
「警察以上に働く探偵は高いよ。俺も山戸田君をユウヤの財布にしたくないから負担するけど、もしもの時の探偵の香典も添えて240万でいいよ」
「お安いこと…」
この流れで、櫻井にセミナーのクーリングオフの計画を明かした。
「表向きには反社会的勢力との決別を証明しておけば、カフェの評判も悪くならないし、他の勢力が私を通じて山戸田君に接近することもなくなるはず」
「まぁまだ後藤に入金してないならあきらさんの勝ちだな。だが決別なんて甘い考えだぞ。ヤバい連中と喧嘩できる意志表示にはなっても裏の顔がバレないわけがない。既に一生物になってることを肝に命じとけ」
「そうね…」
私は山戸田君のママになるために、カラスも舌で転がせる女になるしかなかった。
数日すると次第に証言が出てきた。
その中には、深夜から朝までうろついていた若い男の目撃情報や、通報直前に女同士で言い争う声を聞いたというものまであった。
もし私が先に到着していなかったら、山戸田君はユウヤに会ってしまっていた。しかし、山戸田君は深夜や早朝ではなく通報直前に来たから、目撃された人物とは別人だと証言するとなると、私がその場を一度離れて、ずっと姿を隠していた理由を説明しなければならない。
口裏合わせには、あさみママと櫻井が協力してくれた。
「彼と会っていたことが夫に発覚するのが怖かったんです…」
たったそれだけで、山戸田君への疑いは晴れた。それに迷っていたせいで、彼を孤立させていたことをお詫びしないと。
山戸田君が自由になった直後には、警察署近くの喫茶店で落ち合うことにした。
そこには従妹も同席していて、彼女の席にだけカプチーノが注文してあった。
山戸田君は忙しなくスマホを睨み、調査のために提出していた数日間の株価の推移を分析していた。
「なゆ、今度はこちらの方と滞ってた仕事の話しなきゃいけないからさ」
「そんなに畏まらなくていいよ」
「いや、帰ります」
「そしたらさ、ちゃんと真っ直ぐ帰るのよ」
「え?」
「二人とも、もう一人の男が怪しいって聞いてるでしょ?そいつが捕まるまでは用心して」
今の状況ではユウヤに山戸田君との接点を見られるだけでも危ない。彼女がカプチーノを飲み干すと、駅まで見届けてあげた。
「なゆちゃんはこの後どうやって帰るの?」
「最寄りからバスのはずです」
駅名を伏せた山戸田君には緊張感が漂っていた。
「私達もバスにしましょう」
「どちらで弁護士さんと話をするんですか?」
「今日はいないわよ。弁護士さんってば、土曜日慌ててキャンセルしたから後藤さんに何かされたのかってすごい心配しちゃってるけどね」
「その様子だと、本当に何もなかったようですね」
少し綻んだものの、この後本当に何も起こらないように、互いに警戒しながら移動した。
「今日はさ、あなたに融資してもらった分の借用書をちゃんと交わしたいの…」
目的地は、山戸田君のマンション。妨害も、これ以上の危険な移動もしなくて済むように。
「聞きたくない話だったらごめんね。なんかさ…高校の時、こうやって家族とか同級生の目を盗んで、当時の男 の家に行ったり、家に呼んでたこと思い出しちゃう…」
「そうなんですね」
そっけない。山戸田君は目を合わせてくれず、背筋を伸ばして前に進むだけだった。
彼の部屋に着けば、緊張が解けるはずだったのに、胸騒ぎがはじまる。
積まれた経済雑誌と、デスクトップの画像を設定していないパソコンが彼の商売道具。今朝読めなかった新聞を真剣に読んでいる間に、室内を見回す。
飲んでいるはずのお酒の匂いがしない。冷蔵庫の中はどうなっているの?
クローゼットは?引き出しは?衣類や香水は種類が豊富なはずだけど、彼が言うには趣味ではなく、憎んでいるはずの母親に追随してしまう習性の一環だという。
「あら、かわいいのあるね」
「なゆたが勝手に持ってきちゃうんですよ」
キャラクターグッズに温かみを感じた直後に否定されてしまう。
そう、彼の血の通った物がない。思い出のミニカーが一台くらいあってもいいのに、それすらもない。
ようやく新聞を読み終えたと思ったら、今度はパソコンで英語と中国語のサイトを調べはじめる。
数回は溜め息を吐いて、最後には舌打ちした。
「お見苦しいところを見せてしまい申し訳ございません」
そんなことはない。私からすれば、私に接するために血の流れを止めたようにしか見えない。
「ねぇ、あの時さ、産まれたわけじゃないって言ってたけど…誰?最初に産んだわけじゃないって言った女は…」
「いえ…あれは自ら学んだことです」
母親か、別れた女かはわからないけど、産まれるなんて言葉はプライドがある男が好んで使う言葉ではない。
女からの否定を、私が解いてあげる。
その整った背筋が、綺麗な字が、食事の作法が、途方もない努力が、否定への怯えから、正しい道を歩むための力になるように。
「それならさ、もう一つ勉強しよう。今は私の赤ちゃんになって昔話を聞いて…」
正面を向かせて胸元へ抱き寄せる。私の肩までしかなくても、本当に産んだ娘達よりは大きく成長している。殺して産み直せるならそうしたいけど、私がしなきゃいけないことは、そんなことではない。
「鶴はね、恩返しできないと幸せになれないんだよ…」
そう、これは決して昔の話なんかじゃない。今だって鶴はいることを知ってほしい。
ただ、人の優しさを単なる知識として見ていないかしら?もしそうなら、明日にでも、新しい命を歩んでほしい…
「あの、一般的には母親に利子付きでお金貸さないですよね?」
「もう、いつもそうやって!」
ようやく息子のふりをしたと思ったら、これだと私が甘えることになる。
キザシ君の子供らしくない狡さで、こうして私はママになった。
「ママに甘えてみようかな?サヤラの喪に服してる時だから言うに言えない状況だけど、明日が誕生日なんだよね」
「おめでとう…」
「この先はずっと本当におめでたいのかなって思っていくことになるかも…」
「冷たいようだけど、それは別の話。
本当はね、今だってあなたを殺して私のものにしたいくらい不安なんだよ。蔑ろにしてる家族に申し訳なく思ってるんだよ。
でも、それも別のこと。今あなたがいてくれることが、幸せで幸せでたまらない…」
彼が抱き返してくれた。これからは、甘えてくれるはずだった。
でも、28歳になったキザシ君は、より大人になっていった。
「あきらさん。探偵が頑張ってるんだけどユウヤがまだ見つからないんだよ」
櫻井も狙っているキザシ君の財産をユウヤに強奪されないように躍起になっているはずだが、利害が一致していると言うには程遠い関係になっていた。
サヤラと直前まで関わっていたセミナー関係者もサヤラの死後は表を歩けなくなった。そのタイミングで私にクーリングオフされたことが資金繰りに響いたようで、取れるものはないかと連絡してくるのだ。
「お店はどうなってるの?」
「あのさ…銀行の融資の審査で落とされたんだけど、どうしてかな?」
「それは心当たりあるでしょ?クーリングオフしたところで最初からクリーンな企業として見られてなかったんだよ」
身を潜めているはずの櫻井が探偵の費用を私と折半したことを行政側に明かしたとは考えられない。
この後も櫻井との関係はずるずると続いてしまった。キザシ君がユウヤに狙われないように、そして私が櫻井から金を借りることがないように、裏の探偵を雇ってキザシ君とユウヤの接触を警戒するという、実質的なみかじめ料を払うことになった。
それもキザシ君の出資からであって、櫻井にキザシ君の財産を継続して得る経路を与えてしまったことになる。
時折求めてくる櫻井を許しては、全く求めてこないキザシ君を抱き寄せては泣く夜もあった。
信用がないという話も事実のようで、女性誌の取材やフランチャイズオーナーの依頼を相手側の都合で断られることが続いた。
娘達がテレビが来るからとおめかしして意気込んでいたのに、取材を断られてクラスの友達から嘘吐き呼ばわりされてしまった時には私まで悔し泣きしたこともある。
そうした中で取材を断るようになっても、訳あり美人妻の店の噂は広まる一方だった。
そこで開き直り、食品営業職だった腕を生かして嗜好飲料の種類を豊富にしたことで、売り上げは維持費を確保できるまでにはなった。
「お若いのにご苦労なさってるんでしょ?応援するわ!」
夫への嫌がらせから始まった店なのに、常連になるご夫人も現れて、やり甲斐も得た。
結局そうなれたのは、さらに数名の裏の探偵を雇ったことと、その資金もキザシ君に払ってもらったおかげである。
「200万は…パパのパチスロの分ですか?」
「ごめんね。あんまいい噂ないから、どうしたら解決するのか弁護士さんと相談してさ。ミヤちゃんのお給料足りなくなっちゃった…」
「それなら共同経営者として出しますよ」
いつからかキザシ君も出資者から共同経営者と名乗るようになり、返ってこないお金に目を閉じるようになっていた。
どこまで知っているのか。私を失いたくないって思ってるからなのか。私を守ってくれてるのか。それを一言も言ってくれない。
でも、数ヶ月するとキザシ君はカフェには近寄らなくなった。彼こそが私を借金漬けにした黒幕だと噂されるようになってしまったからだ。応援してくれたご夫人が広めたらしい。
そこで役に立ったのが、看板を出さない夜の店だった。夫の日勤時しか開店せず、あさみママの紹介がないと場所も教えないバー。フランクな話を楽しむあさみママのスナックと違ってしっとりした話をしたい時に、密会したい男女で寄るような場所になった。
「ヤマちゃんこんばんは」
「こんばんは。今夜もナスダックが荒れてますね」
彼も交流ができるようになり、いつしかチーパパのヤマちゃんとして親しまれるようになった。
そんなバーで、閉店間際に二人の時を作っては、キザシ君を胸元へ抱き寄せて、抱き返してもらった。
「こんなんじゃ、借りたお金に及ばないのにね。本当にごめんね…」
「いいんだよ。ママだから…」
ママとは呼ばれるようにはなったけど、私は彼に甘えられる幸せな雛であり、恩返しができず、幸せになれない鶴だった。
カフェにはみさとさんも来てくれるようになった。彼女も私やキザシ君と似たような立場だからか、努力や学歴の割には釣り合った人脈がないことを愚痴りはじめた。
そこで、夜のバーの紹介がてら、あの時のキザシ君のベストショットを見せる。
「誰?隠し子?」
「中学生ってよく言われるけど、28歳の共同経営者さんよ」
「これが!?」
噂好きなお客さん達がこぞって写真を見ていく。開店間もない時に手伝っていた学生だと思っていた人もいたけど、その見た目が頼りないせいか、親の金で遊んでいるに違いないとか、彼に騙されないようにといった言葉を投げかけてくる。
そんなお客さん達に、彼がどんな人物か、ここがどんなお店かを説明する…
「彼はお母さんと仲が悪いの。今のあなた達みたいに、どんな努力をしても褒めてくれない人だから。
でも、どこかのタイミングで抵抗は無駄だって勉強したみたい。それでも、認められない努力を続けるし、人に尽くすし、自分は我慢しちゃう子なの。誰かと食事してても、相手の注文だけして調べものしてたんだよ。
優しさのゴールは、報われるか、見限るかのどっちかだと思ってた。
でも、そうじゃない人がいる。
幸せな人達は人を見限ってもどうせ次の人がいるけど、その次の人がいない人の、見限ってるはずなのに孤独が怖くてやってしまう優しさは、拒まれて終わるか、求められるままに本当に死ぬまで続くことを知ったわ。
それどころか、疲れて、休みたくて、早く死にたいから優しくしてるきらいさえある。偽善って言われないためにも死ぬしかないって思ってるのかもね。
とても偉大なのに、自分の価値だけは勉強できていない人がいる。そんな人の優しさを認めてゴールテープを張って、疲れ果てる前にテープを切ってもらって、次の努力と優しさのために休息してもらうのが私の店の役割。
だから、カフェの名前をPrestigeにしたの…」
いろんな人に分け隔てなく休息してほしいから、少年のところは隠したけど、キザシ君の誕生日に設立した法人としての名前は、Prestige boyなのよ…