ひまわりの恋
・・・ ・・・ ・・・
ガタン、ギシッ、ゴトン
うしろから聞こえる、にぎやかなおと
彼が、おきてきた合図。
ゆっくりと振り向くと、かみのけをくしゃくしゃにして、ほんのすこしゆがんだ眼鏡をかけた彼がいる。シダの木のようにしゅっとしたその人は、支えをなくした朝顔みたいに、今日も、くにゃんと立っている。また、ベッドで寝なかったのね。白衣のままだわ。呆れといとしさをはんぶんはんぶんに、今日もいつものようにあいさつをする。
「おはよう」
ほほえみながらかけた言葉に、彼のあたまが上下に動いた。くしゃくしゃの髪が、ふわりと揺れた。
・・・ ・・・ ・・・
彼のいちにちは、家のそこかしこに溢れ、家をとりかこむ草花へのあいさつからはじまる。
「ごきげんよう。今日はいっそうきれいな姿だね」
「あぁ、君は少し元気がないかな。君が悲しいとぼくまで悲しくなってしまう。」
「いけない! 虫にたべられてしまったようだ。ぼくのせいで、痛い思いをさせてしまったね。」
わたしの目の前では一言もしゃべらなかった彼は、植物の前では、甘い言葉を饒舌に話す。
半分しか開いていなかった目はぱっちりと開いて、陽の光を反射する朝露のようにきらきらと輝いている。
彼は、草花の前では誰よりも雄弁だ。
さながら、愛しい人に尽くす青年のように、情熱的で、懸命で。決して私には見せない姿に、胸が震える。
家の中や、家のまわりの草花へのあいさつを終えると、いましがた見て、嗅いで、触って感じたいろいろなことを、猛烈ないきおいで紙にまとめ始める。
彼が集中している間に、柘の櫛で丁寧に髪を鋤き、椿油でととのえる。彼の今日のスケジュールを確認して、綿で作られた服を用意し、彼が起きるまでに作っておいたスープを温めなおす。
彼がまとめ終わって顔をあげた頃には、丁寧に整えられた自分の姿と、穀物で作られたパン、たくさんの野菜が溶かしこまれた熱々のスープが目の前にある。
その匂いにつられて彼が顔をあげた瞬間、わたしは彼のやわらかい髪に触れて、さっと素早く口づけをする。
植物を見つめていたときとは異なる、無感動な瞳は、ただ光の反射によって私の姿が映りこんでいる。
彼の瞳は、私を映さない。彼の声は、私の名前を紡がない。
… … …
暖かな日差しの中、昼食のための買い物に出かける。市場はいつも明るく活気があり、おかみさんたちが声をかけてくれる。
「あんな偏屈な男と一緒にいなきゃいけないのは、あんたも大変だね」
「気立てがいいんだから、うちの息子の嫁に来てくれればよかったのに」
闊達に悪気なくかけられる言葉には、曖昧にほほ笑む。
「俺だったらもっと大事にするのに」
パン屋少年からむっとしたように掛けられる言葉に、視線を外して控え目に微笑んだ。
最後はみんな、同じ言葉でしめるのだ。
「あんな男があんたの父親じゃなければ」
そんなこと、どうにもならないと知っているだろうに。
よくある話なのだ、本当に。私の母は、美しい人だった。見目の麗しさではなく、愛嬌のある、明るく朗らかな人だった。貴族だった父は街中で母を見初め、強引に自身の屋敷に召し上げた。父は気まぐれに母を抱き、それ以外の女も抱いた。貴族としての振る舞いと、周囲の女たちとの軋轢に、母は生来の朗らかさを失った。なんとか母は私を連れて街へと逃げたが、母が亡くなったときに父は再び現れた。
彼の婚約者とするために。
… … …
買い物から戻ると、屋敷中が泥だらけになっていた。
大方、変わった植物でも見つけ最終に夢中になっていたのだろうと、泥のあとをたどっていくと、ソファに寝転がった彼を発見する。
手早く洋服を剥ぐと、彼を引きずって檸檬をたっぷりと浮かべたお風呂に放り込む。
その間に代わりの洋服を用意し、汚れた洋服を洗濯し、屋敷の掃除をする。
カモミールの紅茶をいれたところで、ようやく彼がお風呂から出てきた。
彼は紅茶をゆっくりと飲み干すと、再びソファの上に横になる。私はこっそりと寝ぼけた彼の髪を触る。
この上ない愛しさを感じながら。
父の屋敷から逃げ出した母は、街に降りたあと体調を崩した。女2人が街中で暮らしていくためには、どうしても男の庇護が必要だった。おそらく私は、父の性質を強く受け継いだのだろう。貴族だった父に似て美しい容姿を利用し、母に似た朗かな人懐っこさを利用した。儚げにうつむき、うるんだ瞳で見上げる。私から声をかけなくとも、多くの男性は恋人がいようとかまわず、すべてを放り出して彼女を支えようと躍起になった。自身が引き起したことといえど、気持ちは冷え込んでいくばかりだった。
永遠に相手を一途に思い続ける人はいないのかと。
そんなとき、母が亡くなり、父から縁談を押し付けられた。
どうせ誰でも一緒だと、引き受けた彼女を迎えいれたのは無感動な瞳。
衝撃だった。
いくら甘い声をかけようと、うるんだ瞳で見上げようと、あなたしかいないとそっと手を添えようと、これ見よがしにため息をつこうと、彼は一向に彼女をかまわない。そっと体を寄せたとしても、彼女よりも草花を優先する。なんなんだこの生き物は。
これまで多くの異性を夢中にしてきた自覚はあった。謎の矜持が刺激され、ありとあらゆる手を使った。献身的に振る舞い彼女なしでは生活できないように試みた。他の異性の存在を匂わせ、嫉妬をあおろうとしたこともあった。政略結婚であるが彼女の意思も尊重されるのだと、脅しかけてみたこともあった。
そのどれもがうまくいかず、彼女はとうとう自分からキスをしてみた。
返ってきたのは、いつも通り無感動な瞳。そして彼女の後ろに希少な茸を見つけると、彼はそれに夢中になった。
茸に負けた、と大きな笑いがこみ上げ、もういつ以来か思い出せないくらいおなかを抱えて大笑いした。
自身が求めていたのはこの人だったと、自覚したのはその時のことだ。
ただ一途に、こんなに一途に、たった一つの事柄に心血を注ぎ、人生をかける人がいるだろうか。
その時初めて、自分が躍起になっていたのが、彼の向ける植物への愛のかけらでも、自分に向けてほしいと願ったからだと自覚した。そして同時に、植物を愛し自身を見向きもしない彼だからこそ、自分が愛しているのだと。
周りになんといわれてもいい、そばにいられるだけで幸せだった。むしろ自分のことを振り向かない彼だからこそ、好意を寄せるのだと今なら胸を張って言える。ほかの人にはわからないだろうこの複雑感情を、説明する気もないけれど
私は自分のやりたいことをやり、大好きな人に尽くし、大好きな人を一番近くで見守って、生活している
植物だけを一途に愛すあなたと一緒にいられるのは私だけ
たっぷりの愛情をこめて、一日に一度だけ、強引にキスをする。
願わくばこの歪んだ、でも最高の幸福が、末長く続きますように