赤いイヤフォン
阿河邦子は、どうしようもなく窓際の席に座っているものだった。そうして、厚い雲に覆われた薄暗い窓の外を見あげながら、いつも、赤いイヤフォンを装着して音楽を聴いている。まるで蛍光灯の光や、それに群がる虫の羽音を避けるように。
湿度の高い季節にもかかわらず、彼女の黒く長い髪は、真っ直ぐに重力にひかれていた。彼女は隔絶された亜空間にでもいるようで、異常な重力が働いていたのかもしれない。
彼女は孤独であった。彼女が他人と親しく接する姿を見たことはない。授業が終われば、いつの間にか教室から消え去っていたものだ。降りしきる雨の中、毅然として独り歩く姿が想像された。いつもの赤いイヤフォンを装着して、赤い傘をさす姿が目に浮かぶ。
やがて交差点に差し掛かる。人通りは少ないが、くぐもった唸りと、飛沫をあげる音が入り乱れ、濡れた路面に次々と光が通過していく。信号はほの赤い光を水溜まりに反射させていた。揺れる水面に映った彼女の目は、どうしようもなく窓際の席に座っているものだった。
彼女の歩みはとどまることなく、横断歩道を進んでいく。ぱっと、身体が眩しい光を受け、赤い傘が宙を舞った。
この季節になると、外を歩く時はいつも無意識に赤い傘を捜してしまう。阿河邦子は、今でも、どこかで、赤いイヤフォンを装着して音楽を聴きながら、赤い傘をさして、平然と歩き続けているような気がしてならないのだ。
彼女の葬式に出席した帰りのことだった。その日はやはり雨が降っていて、参列者は透明なビニール傘や黒い傘をさしていた。その群衆の中、遠くの方に、赤色を垣間見た。そうしたや否や、流れに逆らって人ごみを掻き分け、追いかける、赤い傘から目を離さないように。進めど進めど、赤い傘との距離は縮まらず、いつしか雨は止み、赤い傘も見失った。
雑踏の中をひとり立ち尽くし、垂れ篭める雲の隙間から射し込んでくる、幾本もの光の筋を見あげた。いつしか阿河邦子が見た景色はこのようなものだっただろうか。