4−3 残ったもの
エレナはまた、実家の扉をノックもせずに開けた。
両親はエレナの姿を見て、露骨な嫌悪感を露わにしていた。
「お父さん、お母さん。教会の人が変になっちゃったの。もうすぐ武装した兵隊さんがこの村を襲いに来るから、逃げて」
「ついにそんな嘘をつくようになったか」
「どうせあんたのせいなんじゃないのかい?」
父親も母親もエレナの言葉を聞く耳を持たない。
エレナは僅かに下を向いて、ぐっと右手の拳を握ると、バンの方へ駆け出した。
「バン。村の人たちに伝えよう」
彼女はそれから、村の人達に教会が攻めてくる旨を伝えて回った。
しかし村人は、フォンティーヌ家の頭のおかしい娘がまたなにか言っているぞと声を上げて笑い、あの服子供服じゃない?ご両親にいじめられて頭がおかしくなったのね、かわいそうと憐れみの目を向けた。
両親が村の人々にこの6年間吹聴し続けたエレナの噂が、彼女の行動をまるで信用ならないものにしていた。
「バン、どうしよう」
バンはこの状況は両親の残した呪いであり、罪だと感じながら、冷静に自分たちのとれる手立てを考えていた。
「教王を討つしか無いな」
バンのアイデアはシンプルだった。聖職者の軍を指揮している教王さえ討てば、この侵攻は止まるという見立てだ。そもそも教会の人間がエレナの村を襲う理由など、教王に恥をかかせたといったくだらない理由に違いないのだ。
「エレナ。お前は連銭芦毛に乗って村の外まで駆けろ。大丈夫だ。手綱さえ握っていれば落ちはしない。そしてこの馬は、気が向けば止まってくれる」
「わかった。だけどバンはどうするの?」
「村の入口の先にある大木、あの上に身を潜める。そして教王目掛けて剣を振るうさ」
バンはそれだけを言うと、鞍から飛んで降り、馬の尻を叩いた。
教王の指揮する聖職者兵団が村の入口に差し掛かったのは2時間後だった。バンはこの時すでに大木の上で木々に身を隠し、教王の姿を冷静に探していた。
聖職者兵団が村に入っていく。村の中が阿鼻叫喚の地獄へと化していくことがわかったが、バンにとってはそんな出来事よりも教王の居場所が重要だった。
{いた!}
バンの身を隠す大木へ一直線に向かってくる馬車。その上に教王はふんぞり返っていた。バンは教王の馬車が大木の横を通り過ぎるタイミングで、馬車へ奇襲をかけた。
「なんだ!貴様は!どこからきた!」
教王を守る側近兵が慌てた様子で叫ぶ。
しかしバンは側近兵の質問に答えることなく、スーパーステイトの司法を担っていたときと同様に彼の首を狩った。鮮やかな殺陣に、側近兵はバンが素人ではないことを見抜いた。
「主、どこの刺客だ」
スパンという音がして、この側近兵の首も落ちる。バンは罪人を裁く時、余計な会話はしない性格だった。
教王目掛けて真っ直ぐ突き進むバン。教王は手のひらを掲げて命乞いをした。
「待て。話を聞くのだ!」
教王の顔には恐怖がにじみ出ている。
「ハァハァ」
教王の荒い息遣いが耳に残る。バンは最後の口上を聞いてやろうと剣をおろした。
「そなたには闇が見える」
教王は言う。
(……くだらん)
バンはつばを吐いた。教会のエクソシストはバンに憑いた悪魔を祓うことができなかった。バンにとって彼らは口先だけの聖職者に過ぎない。
「闇は払えるさ」
バンの目が細まる。
自分でも眉唾ものだと感じることを口走っているからだろうか。
「聞け。バン」
教王はバンの名前を覚えていた。
「単なる色欲魔ではないようだな」
バンは蔑みの目で教王を見る。
だが教王は、自分の講釈を止めない。
「覚えておけ。平和な世界で光は希釈され闇は濃縮されるのだ」
(馬鹿が。そんな言葉ひとつで、現状が楽になるとでも思っているのか。そんな言葉は当事者でない人間だから吐ける、薄っぺらで中身のない言葉だ)
バンはもう、教王の首を切り落としていた。
親愛なる教王の死。
それを知った聖職者兵団は、蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。
エレナの村は田畑が踏み荒らされたり、いくつかの家の窓や扉がぶち破られ金品を奪い取られたりしていたが、夜には静寂が再び村を包み始めた。
(やつら、教王の死体をそのままにしていったな)
聖職者兵団の退却を見届けていたバンは、村の入口に倒れている教王の死体を見下ろしていた。
(どのような悪人でも、最後は弔ってやるべきだ)
バンは森に少し入ったところでで、土を掘り始めた。
***
教王の死体を収められる穴ができあがったのは、さらに1時間が経った頃だ。
そのとき連銭芦毛が、エレナを乗せてバンの隣まで戻ってきた。
「なんだ。俺のところに帰ってきたのか。もう少しで仕事が終わる。そこで待て」
バンは掘った穴に教王の死体を収める。
エレナは教王を弔うバンに向けてこんな事を言った。
「教王さまは私をずっと守ってくれたお父さんみたいな存在だったんだ。その教王さまが切られたのに、どうしてホッとしているんだろう」
エレナの言葉にバンは微笑み、立ち上がると、彼女の頭をなでてやった。
「こういう時は喜んでいいのさ」
バンは泥だらけだったが、エレナから爽やかに見えた。
教王の弔いが終わってから、エレナはバンを実家に再び招待した。
しかし今までと違うのは、ノックをせずに実家の扉を開けた先に誰も居なかったことだ。エレナの両親は消息不明になっていた。
エレナの勧めで浴室に入り井戸水を浴び、身体についた土を洗い流したバンは、リビングに戻るとさっぱりとした気持ちでエレナと向き合うことができた。
夜になっても両親は帰ってこない。盗賊がやったのか親がやったのか定かではないが、母親の買いためた宝石もひとつ残らずなくなっていた。
(二人で逃げたな)
バンの思考はさっぱりしている。
客観的に見てエレナの両親は、金目の物を持ち、この家と村を捨てて逃げたと考えるのが正しいだろう。そしてそれをエレナもわかっているように感じる。
だが彼女は、何ら辛そうな顔をすることはなかった。
「家が残ってよかったね」
彼女はそれだけを言って、笑っていた。
バンはこの少女が幸せになることを強く願った。