2−2 瞳の中の悪魔
バンの異変を最初に見抜いたのは、いつも側にいるアブリルでも、ゼイムスやホールデンといった兄弟でもなかった。
「剣に迷いがありますな」
言ったのはバンの剣の師匠であるクンダッパ・アハーディブ・ライガンである。
この男はサイナピアスという地域で処刑執行人をしていた刀剣士で、その腕を見込んでバンがスカウトした。
クンダッパはこのようなことをよく言った。
『サイナピアスで処刑人をしていたとき、多くの断末魔を聞いてきました。
一流の処刑人の手にかかれば罪人も苦しまずに死ねましたが、素人に毛が生えたような処刑人も中にはおり、そのような人物が手を下した場合仕損じて余計な苦しみを与えることも多かったのです。一流の処刑人になるには多くの人間の首を切って鍛錬せねばならず、その分多くの人間の苦しみが必要となります。処刑人の腕前は多くの人々の犠牲の上にあることを感謝しなければなりません』
また、彼は一流の処刑人は一流の研ぎ師だという話も良くした。
『人間の首の骨はかなり頑丈に出来ており、切れ味するどい剣でも、一人の首を切り落とすと刃こぼれをおこします。そのため複数人の処刑を行う場合は、いくつも剣や斧を準備するか、都度刃を研ぐ必要がありました。資源の乏しいサイナピアスでは、何本も剣は用意できませんでしたから、私は刃を研ぐ鍛錬を重ねました』
こういってクンダッパはバンに人の切り方と剣の研ぎ方を教えた。
今ではバンが法廷で処刑執行人をしているが、バンの腕が未熟だった頃は一時クンダッパが処刑執行人を行っていたこともある。
「さすがは俺の師匠だな」
バンはクンダッパの心眼を褒めた。
「何を仰る。国王らしくもない」
クンダッパは迷いなど無いとバンに強がってほしかったのだろう。背中をまるめたバンを慈愛の目で見つめながら、この背の低い元処刑人はつぶやく。
「自分の歩いてきた人生と照らし合わせて、正しいと心から思えねば人の首は切れませぬ」
クンダッパは哀しそうに言う。
「国王。しばらく仕事をお休みくだされ。私がその間処刑人として司法の仕事を果たしましょう」
翌日からバンは法廷の仕事を休み、城に籠もることが多くなった。
***
「お兄様、おはようございます」
バンが法廷の仕事を休むようになってから1週間が経った。
アブリルはこれまでと同じようにバンを起こしにきてくれる。もちろん心配はしているだろうが、顔には出さない。
「ああ。おはよう」
バンは立ち上がるとアブリルの横を通り過ぎ、服を着替えた。左手首の天秤が日に日に濃くなっているように感じられた。
(俺の近づいた人間に不幸が訪れる呪いか)
バンはこの天秤の意味合いをそのように捉えていた。彼が城に籠もるようになってから疫病の流行はおさまっていったし、奇妙な死の報告も受けなくなった。それは偶然だったかもしれないが、バンにとっては必然と捉えるしかできぬ変化だった。
(こんな状態では国を治めることなどできぬ)
バンは悪魔の采配を苦々しく思う。
(ゼイムス兄さんとホールデンと力を合わせ、これからスーパーステイトが繁栄を迎えようという時に、情けないことだ)
「お兄様。今日はどうしましょうか」
アブリルが着替えを終えたバンに話しかけた。
バンは窓の外を見ながら言う。
「アブリル、今日もこの部屋には誰も入れぬようにしてくれ。今日は独りで過ごす」
「はい、わかりました……」
アブリルは静かに頭を下げ、部屋を出た。こんな日が7日間続いている。
バンが人と会うのは、部屋に運ばれてくる3食を受け取るときだけだ。
その役割は概ねアブリルが担っていた。食事を手渡し、バンと会話することがアブリルの楽しみであった。アブリルが朝食を持ってバンの部屋をノックした。
「お兄様、朝食です」
「いつもありがとう、アブリル。君にも仕事があるだろうに、申し訳ないことだ」
バンはアブリルから朝食を受け取りながら、そう言った。
「メイドたちは気味が悪くてこの部屋に寄り付かんか?」
「いえ。私が来たいから来ているだけですので、お気になさらず」
アブリルは力なく笑った。
昼食時もアブリルがバンのもとを訪れ、僅かな会話を交わす。バンはアブリルの献身を本当に申し訳なく感じ、「明日からは他の人間と交代で来たほうが良い」と彼女を気遣った。
事件が起きたのはこの日の夜だった。
夕食時。バンの部屋をノックしたのはアブリルではなかった。メイドの1人が、慌てふためいた様子でバンの部屋を数度ノックし、飛び込むようにしてドアを開けた。
「王様!アブリル様がご乱心です」
メイドは舌が回らぬほどの速さで言った。
「ロマリアに嫁ぐのは嫌だ、といってお部屋にこもってしまいました」
「わかった。行こう」
冷静を保つようにしていたが、バンの心には一抹の不安が浮かんでいた。
(俺は馬鹿だ、誰よりも近くにいたアブリルを忘れるなど)
悪魔の力がアブリルの命すら奪おうとしているのではないか……。バンは急ぎ足でアブリルの部屋に向かい、扉を開けた。
アブリルは部屋の奥の、窓の縁に腰掛け、バンの方を見た。
「よかった。お兄様が来てくれました」
「アブリル。ロマリアに行くのが嫌になったか?」
アブリルは口元に手を当てていつものように上品に笑った。
「ああ騒げば、お兄様と話せる機会ができると思って一芝居打たせていただきました」
「そういうことだったか。心配したぞ」
「お兄様。心配しないでください。私がロマリアに行っても大丈夫なよう、冷たくしてくださったんですよね?」
「……違う。アブリル、これは」
「いいえ。いいんです。わかっているんです。でも、私はダメなんです。お兄様に冷たくされたらこんなにも心がグラつくのだと初めて知りました」
アブリルの様子がおかしくなった。
目が据わり、バンの額だけを揺らぐことなく見つめてくる。彼女の瞳は、悪魔に魅入られたように美しかった。
「ねえお兄様。どうか今日の出来事を胸に留めて、今後も生きてください」
アブリルは手元にショートソードを用意していた。
「アブリル!」
バンが飛び込むのと、アブリルが自分の胸を貫くのは同時だった。
ブスリと胸を貫いたショートソードが、彼女の手の動きに沿って地面へ落ちる。
剣を抜いた部分から赤い血が噴水のように噴き出した。
アブリルに向かって走り寄るバンの顔を、彼女の血が濡らしていく。
その場に倒れ込むアブリルを、バンは柔らかく受け止め、自分もその場に座った。
「あれ?どうして私、自分を刺しているんだろう」
アブリルは瞳にいっぱい涙を浮かべていた。
「お兄様、逃げて。何者かがお兄様を、不幸に貶めようとしています。ここにいてはいけません……」
「アブリル!アブリル!!」
バンは医療スタッフを呼ぶのも忘れ、アブリルの名を呼び続けた。
彼女が完全に反応しなくなるまで、そう時間はかからなかった。
バンは冷たくなっていくアブリルを抱え、震え始めた。
体の内側から湧き上がる震えが、どうにも止まらなくなっている。
彼は窓の外、暗い星空を睨みつけて叫んだ。
「目に見えない悪魔よ!お前は俺に何をさせようとしている!何のためにこんなことをする!」
バンの見開いた瞳から、水が溢れて止まらない。
(悪魔を殺す……その方法を俺は探す)
激しい衝動がバンの脈拍数を上げていく。
それが怒りなのか悲しみなのか、彼にもわからない。
(何があっても!)
拳の震えは一晩中止まらなかった。
彼は自分の運命を呪う。
ただ、彼はこの日決断をした。
『国を出て、悪魔を殺す』
この日の誓いが、バンとスーパーステイトの未来を大きく変えていく。
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