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2−1 狂気の感染

 翌朝。


「お兄様、起きましたか」


 いつものようにアブリルがベッドの縁に座り、バンの顔を見下ろしていた。


「大丈夫ですか?随分うなされていたようですけれど」

(うなされる?この俺が?)


 バンは左手首に視線を落とした。左手首には黒い天秤が刻まれている。


(こんなものに気後れする男ではないぞ、俺は)


 バンはスクと起き上がると、アブリルを抱き寄せて額に口づけをした。


「大丈夫だ。アブリル。そうだ、今日は市場を見に行こう。朝食はパンにベーコン。あとはジャーマンポテトがいいな」

「良いですね。では早速支度します」


 アブリルはそそくさと身支度を始めた。

 バンも服装を整え、剣を携えて、アブリルの準備ができるのを待ってから城を出た。



 バンの居城であるアウグストゥスは商人に関税をかけない町として有名で、マタリカ大陸中から商魂たくましい人々が集まってくる。


「お兄様、今日も晴天ですね」


 雲ひとつ無い青空。

 バンは前日に起きた出来事など夢だったとしか思えなかった。


 城から城下町にある市場までは歩いて5分。バンとアブリルが並んで歩くと多くの町人が声をかけた。2人はこの町の人々の誇りであった。

 バンとアブリルは城下町の八百屋でジャガイモと玉ねぎ、人参を仕入れた。


「八百屋の女将さんにはいつも世話になる」

「いえいえ、王様には自由にお仕事やらせてもらってますから。感謝しているんです」


 こんなたわいない会話がバンと八百屋の女将の間でかわされた。


「王様が直接自分の商品を買ってくれるなんて、嬉しいですよ」


 女将さんは破裂しそうなほど笑い、ジャガイモをいくつかサービスしてくれた。



 次にバンとアブリルが訪ねたのはパン屋だった。このパン屋は自分のパンをより美味しく食べてほしいという思いから、パンに合うベーコンを一緒に売っている。バンはもともとベーコン嫌いだったが、このパン屋のベーコンは口に合ったのか、食べることがデキた。以来、頻繁にこのパン屋へベーコンを買いに来ている。


「あ、国王!今日も買っていってくだせえ」


 パン屋のオヤジは威勢のいい声を上げた。


「オヤジ、今日も元気だな。パンとベーコンを4つずつもらえるか?」

「はいよ!いつもご愛食いただきありがとうございやす!」


 パン屋のオヤジはパンとベーコンを袋に詰め、バンに手渡す。


「アブリル様もどんどんお綺麗になられて。国王と並んで歩くとお似合いのカップルみたいですな」

「もう、冗談はやめてください」


 アブリルはパン屋のオヤジの冗談を遮るようにしていったが、顔は笑っている。


「まんざらでもなさそうですな。国王にお姫様が見つかったら大変だなこりゃ」

「もう。お兄様、早くここから離れましょう?今日もたくさん冗談を言われましたから、ベーコンをもう1つくらいサービスしてくれないと困りますね?」

「つけますつけます!冗談ですって、アブリル様」


 オヤジはバタバタとパンを詰めていた袋にベーコンをもう1つ詰め込むと、アブリルに押し付けるようにして渡した。


「王様!明日も頼んます」


 オヤジは右手を顔の前に掲げて、ウインクをしながら言った。バンはオヤジに手をふると、アブリルの持っていた袋を持ち、城への帰路についた。



 5分後バンとアブリルは居城の門をくぐる。

 バンは買ってきた食材を若いメイドに手渡すと、朝食をつくって持ってくるようお願いした。このメイドは東側諸国の戦争孤児だった娘で、バンが東側諸国を平定するための戦争へ向かった際、彼女を見つけて連れ帰ってきた。

 バンが助けた時は15歳のわがままな子供だったが、それから3年が経ち、今では立派なメイドとしてバンを助けている。長いつややかな黒髪が白いメイド服に映えていた。


「もちろん君の分も作ってくるといい。私達と一緒に食事を取ろう」


 この言葉が若いメイドには嬉しかったらしく、黒髪を揺らして礼をすると、食材を抱えてキッチンへと駆けていった。


「お兄様はあの娘を可愛がっていますね」

「戦争を起こしてしまったことへの、せめてもの償いさ。スーパーステイトが真に強い国になれば、皆手をとって協調せざるを得なくなる。戦争など世界からなくなるだろう」

「それは体の良い言い訳ではありませんか?」

「というと?」

「格好いいことを言って、本心を隠しているのではないかという疑いです」


 バンは頬を膨らませたアブリルを見て、やっと言っている意味を悟った。


「はっは。俺があのメイドの子を好いている、と疑っているのか?情愛はもちろんある。しかしこれは恋にはならないだろうな」


 バンはアブリルの頭をなでた。



 ほどなくしてメイドがお盆を抱えて入ってき、バン、アブリル、自分の順に食事を食卓へ並べていく。バンは目の前に置かれた朝食に舌鼓をうった。


「ほう、これはいい出来だ。ありがとう」


 バンはメイドの目を見据えて感謝の意を告げた。メイドはお盆で口元を隠し、サッと自分の席に座り込む。


「では、食べるとしようか」


 バンはカリッと焼いたパンにベーコンと目玉焼きがトッピングされた主菜に口をつけた。


「これは食べるのが止まらなくなるな」


 3人はたわいもない会話をしながら、朝食を終えた。



 この日バンは午後から法廷———円形の舞台のあるコロッセオに出かけていき、何人かの罪人を裁いた。いつもの日々が、いつも通り流れていく。



***


「何?オヤジが亡くなった?」


 バンが驚きの声を上げたのは翌朝、再びアブリルと共にパン屋を訪ねたときだった。

 パン屋のオヤジが窯の中に閉じ込められ、焼け死んだというのだ。


「そうか。それは酷い死に方をしたな」


 バンは親父への選別だと言って、パン屋の店員に100万ロメア(パンを1年分買えるほどの金額)を渡した。


「お兄様、残念な話でしたね」


 アブリルもすっかりしょげてしまっている。


「そうだな。オヤジのベーコンを食べ始めてもう5年にもなる。あの味が食べられなくなると思うと悲しいよ」


 2人の会話は自然とパン屋のオヤジとの思い出話になる。最初、パン屋がベーコンを売り始めると聞いてベーコン嫌いのバンは顔をしかめた。

 しかしパン屋のオヤジはその顔が見たかったといい、国王の食べられるベーコンをつくってみたいと熱い思いを語ってくれた。そして何度か試食を繰り返しながらバンの口に合うベーコンが完成し、以来バンはベーコンをこのオヤジからいつも買うようになった。


「オヤジさんがベーコンを初めると言ったときの、お兄様の表情は今でも覚えています。年相応のわがままな子供のようでしたもの」


 アブリルは口元をおさえて上品に笑った。

 バンもその当時抱いていたベーコンに対する嫌悪感を懐かしく思い出していた。



 次の事件が起きたのは、2人が城へ戻ろうと市場を出たときだった。

 八百屋の女将が何者かと口論になり、刺されたというのだ。市場は騒然となり、女将は医者に運ばれたが、複数の箇所をひどく乱雑に突かれており手の施しようがないという。女将はこの日の夕方、日が沈むのと同時に亡くなった。


 バンとアブリルは女将の訃報を城の居間で聞いていた。


「八百屋の女将さんも不幸だったな」

「本当です。まさかパン屋のオヤジさんにあんなことがあった日に。悪いことは続け様に起こるのですね」


 バンもアブリルも八百屋の女将さんの冥福を祈ることしかできない。

 それと同時にバンは、ある不安をいだき始めた。


(まさかこの痕の仕業ではないだろうな)



『俺を殺せば、お前に生涯振り払えぬ災厄が降りかかる』


 狂人の言葉が思い出される。



(バカバカしい。そんなことがあるか。単なる偶然だ)


 バンは目を瞑り、背もたれにもたれかかった。


 それらは確かに偶然の出来事だったかもしれない。

 だがバンがこれらの偶然を必然と捉えてしまう出来事が、その日の夜に起きた。



「私はバン様からなんとも思われていないのよ!」


 前日バンとアブリルに朝食をつくったあの若いメイドが、この夜キッチンに立てこもり、他のメイドを相手に立ち回ったのだ。

 たまたまこの夜バンは法廷に呼ばれており、不在だった。それもあってメイドの誤解を解ける人間がいなかった。結果としてこの若いメイドは同僚のメイドを刺して重症を負わせ、それに罪悪感を感じた彼女も首を切って死んだ。


 バンがこの事件を知ったのは深夜だ。アブリルが目に涙を浮かべてバンに事件を伝えた時、バンは心の中の不安が確信に変わる感覚を得た。


(偶然ではない。これは必然だ)


 左手首の天秤の痕を見下ろすバン。


(悪魔よ。お前は何をしようとしている)


***


 バンの城下町に謎の疫病が流行りだしたのは、この後だった。


 この疫病に冒されたものは7日後には血を吐いて死んだ。

 純朴な人々がこの疫病にかかり、自分の不幸を呪い死んでいく中、人生に絶望して世界に傷痕を残して去ってやろうという狂人たちが何人か出てきた。

 狂人によって罪のない女や子供が殺され、平和だった城下町は危険で近づきがたい世界に変わっていく。

 バンは捕まえた狂人たちを裁く日々を過ごすようになった。


 狂人の処刑から1ヶ月後。

 城の屋上から城下の情景を見、バンは思う。


(俺は悪魔を世界に放ったのか……)



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