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6−1 タトゥー

 スーパーステイトがアルテリアに宣戦布告したことを受け、ヴェルサウルの街も騒がしくなっていた。戦争を避けるためにどこへ逃げようと話す人々もいれば、スーパーステイトを倒すために我々も立ち上がろうと奮起する人々もいた。


 そんな中、バンはスーパーステイトに戻ることを決意していた。


「エレナ。俺はスーパーステイトに戻る。君は北へ逃げるんだ。首都パレスを越えてさらに北、アルテリアの北の果てリットラルまで」


「嫌だ」


 エレナはこの日に限って、ひどく聞き分けが悪かった。


「私、バンと一緒に行く」


「頼む、エレナ。アルテリアで幸せになってくれ」


「嫌だ!」


 エレナはバンの半分ほどしかない小さな拳を強く握りしめていた。


「……5月になったらまたシャルトルに行くって、音楽祭を見るって約束した!」


「状況が変わったんだ」


 バンはエレナをなだめようとした。しかしエレナはひかなかった。


「バン。私たちは人生の一時期同じ方向を向く友人」


 エレナは胸を張り、バンがかつてくれた言葉を繰り返した。

 自分を曲げないバンには、自分の言葉を否定することはできなかった。


「……わかった。だがここからは戦いになる」


 彼は上着の内ポケットから、護身用に持っていたナイフを取り出した。鞘には金の装飾がなされており、持っているだけで華やかだ。


「もしもの時はこれで身を守れ」


 それはクンダッパの研いだ最高傑作のナイフだった。エレナは震える手でバンの差し出したナイフを握り、胸に押し付けると、小さくコクリとうなずいた。




 バンはありったけの路銀をつかい、ヴェルサウルの馬屋で乗り心地の良い馬を買い、エレナを後ろに乗せてスーパーステイトへ走った。ヴェルサウルからジェロームへ入り、サラスヴァティ川に沿ってスーパーステイトを目指す。

 二人は黒い森を抜け、ミスルガ山脈にそった山道を走っていた。


「ねえ、バン。バンはスーパーステイトの王様なの?」


 エレナは先日読んだ新聞から、かつてスーパーステイトにゼイムス、バン、ホールデンの3人の国王がおりそれぞれが立法、司法、行政を担っていたことを学んでいた。


「今は根無し草だ」


 バンにとって過去など何の意味もなかった。


「過去の栄光にすがれば、人は立ち止まることになる。エレナもそう思わないか」


 エレナもその気持ちを察したのだろう。それ以上彼の過去を詮索するのをやめた。

 二人の乗った馬は山道を駆ける。道が次第に狭くなり、馬一頭がなんとか走れる細さになった。バンの馬術がなければ二人は簡単に崖の下まで転落していただろう。最難関とも言うべき細道を過ぎ、山道がしだいに太く整備された道になってきた時。




 ボキ

 という音がして、これまで軽快に飛ばしてきた馬の左脚が折れた。馬は雪崩のようにバランスを崩し、崖へ横腹からぶつかっていく。乗馬していたバンは、空に打ち上げられるようにして飛びあがった。


 エレナ自身はバンと逆方向に引っ張られ、地面におちそうになったが、空中に放り出されたバンにいち早く気づいた彼女は、馬の鞍を蹴って彼の胸に抱きついた。バンは自分に飛びついてきたエレナを空中で抱きかかえ、エレナを守りながら崖にそって滑り落ちた。


 崖は15メートルもあっただろうか。そこを滑り落ちたバンとエレナが無事だったのは奇跡というほかなかった。

 短い草の生える地上まで滑り落ちた時、バンはエレナの無事を確かめてホッとすると、その場へ大の字になって寝転んだ。


(悪魔が俺を殺そうとした)


 バンは背中に冷たいものが流れるのを感じた。

 これまで悪魔がバンの周囲の人間を不幸に貶めることは何度もあった。しかし彼自身を悪魔が殺そうとしたことはなかった。それは悪魔がバンを絶望させたいと願っていたからかもしれない。だがそれは同時に、バンが自分自身は死なないのではないか?という安堵の念を抱くきっかけにもなった。


(俺は彼女に救われた)


 エレナはバンの心をこれまで何度も救ってくれたように思う。そして今、バンは彼女に命を救われた。彼は自覚するしかない。彼にとってエレナは特別な存在になっていた。




「よかった。本当に良かった」


 バンの無事を知ったエレナは涙を流していた。バンは彼女の涙を指先で拭いてやる。


「私、バンと離れたくないよ」


 ポロポロとエレナの目から溢れる涙。

 バンは何度も彼女の涙をすくい上げる。


「エレナ。そんなに泣くな。この3ヶ月、君は一度も泣かなかったじゃないか」


 それを言ってバンはある違和感を抱いた。


(今までどんなに辛いときもエレナは泣かなかった。なぜ今彼女が泣いている?)


 バンの頭にはある懸念が浮かんでいた。




 そしてバンはエレナの左手首を見る。そこにはバンの懸念するものがあった。

 いつのまにか、エレナの手首にくっきりと刻まれている天秤。バンはガクリと全身が崩れ落ちる気がした。そしてふつふつと怒りが湧き、押さえきれない熱情が、目からポロポロと溢れた。


「なぜ君が背負わなきゃならない……!」


 バンは地面を思い切り叩いた。


「俺の!俺のせいだ。俺だけが死ねばよかった!」


 バンは唇を噛み、なんとかエレナを優しく抱きしめた。


「俺は!君だけは幸せになってほしかった。本当だ」


 エレナにもバンの動揺が伝わったのだろう。彼女は自分の左手首を見て、バンと同じ天秤が刻まれていることに気づいた。


「大丈夫だよ」


 エレナは最初に出会ったときのように、微量の息漏れがあるウィスパーボイスで、甘く優しく言った。


「まだ私達は死んでない。バンも希望は捨ててないでしょう?だとしたら、私は精一杯足掻きたい。それに、光が闇を封じ込めることだってできるかもしれないよ」


 彼女はどこまでも希望を抱いて進む。その強さがバンに生き抜く勇気をくれるのだ。




***


 バンがエレナを抱きしめて離さないでいると、ガサガサと草の根をかき分ける音がして女性が姿を表した。褐色の肌が木漏れ日に照らされて黄金のように光る。少し縮れた黒髪を後ろで結び、耳には錨をモチーフにしたイヤリングをつけている。くっきりとしたアイラインが眼を大きく魅せ、彼女自身に力を与えているように見えた。



「あなたはスーパーステイトのスーパーマン。バン・シュバイツァーでは?」


 黒髪の女性は随分低い声で言った。まるで男のようにも聞こえる声が、聞くものに強い印象を与える。


「そうだ」


 バンは何も偽ることなく答えた。周囲に人の気配はなく、この女性がひとりで自分たちをどうこうできるとは思えなかったからだ。そして実際に女性はバンを殺すために身元を聞いたわけではなかった。


「やはり。私はアルテリアのレジスタンスのリーダーをしているカミーユといいます」


 カミーユと名乗った女性はバンに右手を差し出した。羽の生えた錨のタトゥーが右肩に入っている。


「よければ私達と一緒にスーパーステイトを目指しませんか」


 カミーユの提案はバンとエレナにとっても悪い話ではなかった。馬を失い、土地勘のない森に投げ出されたのだ。二人きりでこの森を抜けられる保証もない。二人が僅かな相談ののちカミーユに同行することを決めると、カミーユは二人に水とパンを渡し、ついてくるように言った。




「君はアルテリア人なのか?」


 森の中を歩きながらバンは尋ねた。バンは、アルテリア人がスーパーステイトの侵略を阻止するために戦っているのだと理解していた。だがカミーユの回答は意外なものだった。


「いえ。私はスーパーステイトの市民でした。レジスタンスのメンバーも多くはスーパーステイトから来ています」


「そうなのか」


「驚くのも無理はありません。この数ヶ月でスーパーステイトは大きく変わってしまいました。ホールデン国王は身内で周辺を固め、一部の人々が利益を享受する体制をつくりあげました。市民は過酷な労働を課され、酷い搾取をされるようになりました。私達は翌日の食事にも困っていたのです。それでいて国を批判すれば、すぐに武力が行使され、市民に弾圧が加えられました。国が駄目になっていくのは誰にもわかりました。そんな中、軍備を拡大する国に対し、私達は声を上げたのです」


 カミーユに導かれるまま森の中を進むと、少し開けた窪地に木造りの小屋が所狭しと並んでおり、集落を形成していた。カミーユによればレジスタンスのメンバーは全部で200名ほどだという。




「ここがレジスタンスのアジトになっています。材木を確保し、次の休憩地の目処が立ったらスーパーステイトに向けて出発する予定です」


 カミーユは集落の一番奥、入り口を赤い布で覆われた小屋に入りながら言った。


「この小屋は私と側近だけしか住んでいません。まだスペースがあるので、好きなところでくつろいでいてください」


 バンとエレナはカミーユの提案に甘え、黒ずんだ机の置かれたスペースの側に座った。周囲にはよく磨かれた剣や槍が置かれている。


「面白いところに座りますね。そこは彫師の作業スペースです。私はタトゥーも彫れるんですよ」


「肩のタトゥーも自分で掘ったのか?」


「いえ、さすがに自分では。これは父が彫ってくれたものです。「自由」「解放」「向上」「飛躍」、「幸運」「安定」「ぶれない意思」「希望」「誠実」「忠誠」を示しています。盛り沢山でしょう」


 カミーユははっはと笑った。


「バンも何か彫ってみませんか」


 促されたバンは、覚悟を決めたように左手首をカミーユに向けた。


「これは、天秤ですね」


 カミーユが顔をしかめた。


「俺は悪魔に憑かれている」


「悪魔に?」


 カミーユは天井にかけていたランプを取り、明かりを消した。怪しい雰囲気を醸し出したかったのだろうか。



「見せてもらってもいいですか」


 カミーユはバンの左手を抱きかかえると、天秤の周囲を指で触った。


「天秤は「調停」を意味します。悪魔がバランスを取ろうとしているのかもしれない」


 カミーユは隣の小箱から虫眼鏡を取り出し、バンのタトゥーを詳細まで見ていった。


「元来タトゥーは魔除けとして発展してきました。光の支配する世界で闇は育つ。闇の支配する世界で光は育つ。そのバランスに抗うためのタトゥーなのです」


 カミーユの言葉はバンにひとつの疑問を抱かせた。

 いま世界は、闇に傾いているのか光に傾いているのか。悪魔はどちらにバランスを取ろうとしているのか。




 そこへカミーユの側近が地図を抱えて入ってきた。


「カミーユ様。次の休憩地の目処が立ちました。スーパーステイトの砦まで攻め込める位置にあります」


「わかりました。行動は早いほどいいでしょう。明日我々はここを発ち、次の休憩地へ向かいます」


 カミーユは男勝りの通る声で指示すると、身を翻して壁に貼られた男性の写真を見据えた。彼女にもその面影がある。


「これは君の父親か?」


「ええ。父はスーパーステイトの圧政に声を上げた人でした。3ヶ月前、ホールデンの軍勢に奇襲され、命を失いましたが。レジスタンスの誇りとして、いつまでも語り継がれていくでしょう」




「カミーユさん、女の人なのに凄いなあ」


 エレナはカミーユの凛としたふるまいに魅せられていた。彼女の指示は的確で、間違うことはないのだろう、そう考えているふしがあった。しかしバンは違う。


(スーパーステイトまで攻め込める位置にあるということは、スーパーステイトからも攻め込める位置にあるということだ)


 バンの頭は回転を始めていた。


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