その5 とあるドラゴンの記憶
我は龍を統べる王だった。
我の体はどの龍よりも大きく美しかった。
我の翼はどの龍よりも高く速く飛べた。
我のブレスは山を貫き海を割った。
ある時は群れを率いて侵略者と戦った。
戦いの中で友を失ったこともあった。
勝利の時は皆でその喜びを分かち合った。
やがて我に美しく優しい伴侶が出来た。
我に子が生まれ空の飛び方を教えた。
我の子がついに我と肩を並べ飛べるようになった。
空から見えるすべては我のものとなった。
我が空を飛べばすべての龍が付き従った。
我の子は次代の王にふさわしい龍となった。
最近では以前ほどの力は出せなくなった。
これが老いと言う物だろうか。ブレスの威力は落ち、飛ぶ速度も遅くなった。
次第に我の周りにいたものは、我の子の周りに移っていった。
だがこれで良い。あとは我の子に任せればよい。
我は幸せだった。
だが、何故。
何故、我がこのような地の底に封じられている?
過去に我を召喚魔法で呼び寄せた人の国があった。奴らは我を使役しようとしたため、我は奴らを国ごと灰に変えてやった。
このたびの召喚はなんだ?
我の抵抗を許さないほど高度なものであったのは間違いない。
それほどの者がなぜ我を地の底に呼び寄せる?
ここには我の力の源である太陽の光が無い。
周りには我の肉体と精神を蝕む魔光石があふれている。さらには複数の結界まで張られているようだ。
まさか、我を滅ぼすためにこのようなものを用意したのか?
忌々しい。
忌々しい。
ならば魔光石すら利用してこの場を破壊しつくしてくれる。若き頃ほどの力は無けれども我は龍の王。この程度の戒めで我を縛ることはできぬと思い知らせてくれる。
魔光石とは何らかの原因で「汚れた」魔力が凝縮したものであり、たいていは高度な魔力実験の失敗や、巨大な魔法が飛び交う戦場跡で発生するものである。
簡単に言えば行き場のない魔力が固まり、でたらめに魔法を発動しているようなものだ。
見た目は青く光る美しい水晶であるが、その光は魔光と呼ばれ、何も対策をしなければその身を焼き、精神を狂わせる効果がある。
つまり、魔光は正確には光ではない。しかし、我ならばそこから力を取り出し利用することが可能だ。
だが、それは燃え盛るマグマに手を入れ、熱だけを取り出すようなものである。それでも我はやらなければならぬ。
我はこの戒めを破壊して、あの地へ帰らねばならぬ。
我はブレスを放つため光を集中させる。それだけで全身をすさまじい痛みが襲い、精神が引きちぎられそうになる。
耐えられる限界近くまで光を溜めブレスを放つが、それでも元の我の力からすれば情けないほどの威力しかない。
忌々しい、忌々しい、忌々しい。
いかん、心が乱れている。この程度のことで正気をなくしてはならん。我はまた光を集中させる。
◆
忌々しい、すでに何発ものブレスを放つが結界を貫くことができぬ。
忌々しい、我をこのような地に閉じ込めた者が。
忌々しい、この程度の力しか出せぬ我が。
心が闇に閉ざされそうになる。
正気を無くせば楽になると魔光石がささやく。
すべてが無駄であると結界が我をあざ笑う。
黙れ! 今に貴様らを破壊しつくしてくれる。
既に何発目か忘れたブレスを放ったとき、結界の一枚を破壊することに成功する。喜びにより我の心に少しの光が差すが、それはすぐに闇に覆われることとなった。
忌々しい、人ごときが我が上を羽ばたくなど。
◆
それは不思議な人間であった。
まず羽を持ちながら獣のような手足をしている。
鳥のように自在に飛びながら、我の攻撃を虎のような柔軟さで回避する。
そして蛇のような狡猾さで我の目や口を狙い、炎・氷・風とさまざまな攻撃を仕掛けてくる。
久々に血のたぎりを感じる、そのおかげか我の心にも光が戻ってきた。
相手にとって不足はない。この体でできる全力をもって相手をしよう。
そしてこれほどの力を持つ者であれば、喰らうことにより我の力を少しでも取り戻すことができるかもしれぬ。
◆
どれほど戦っていただろうか、この人間には何度も驚かされる。我の操作したブレスを避けたときも驚いたが、切り飛ばした羽を一瞬で修復した時はさらに驚かされた。
まさか不死身でないかと思ったが、よく見れば足が片方無くなっている。先ほど切り飛ばした左腕も修復されていない、ならば我の攻撃は無駄ではない、このまま決着をつけてくれよう。
だがそれは我の早計であった。奴の目を見れば何か考えがあることは明白であったのに、我はそのことに気付かずに奴の策にはまったのだ。
我は足を取られ、顔を水に覆われることとなった。本来の我ならばこの程度のことで冷静さを失うことはない。だが今の我は、怒りに身を任せて短絡的な方法をとってしまった。
我のブレスと奴の水がぶつかり爆発を起こす。どうやら奴は戦闘だけではなく頭も回るらしい。
そして気がつけば奴の姿が無い。
まさか逃げ出したわけもなかろうと周りを探ると、我の腹から冷気が襲ってきた。そして続く激痛。見れば牙のような何かが我の胸から飛び出していた。
これには我もたまらず、情けなく声をあげ身をよじってしまう。しかし、そんなことには構わずまた激痛が襲ってくる。我は血を吐き、ついに膝が地についてしまった。
奴が我の腹の中の中にいるのは間違いない、敵ながら恐ろしい手を思いつくものだ。我も腹の中に攻撃を届かせる手段はない。
……ならば手段は一つしかない。
立ち上がり一呼吸する。
これからすることには我でさえ恐怖で身がすくむ。それに助かる保証もない。
だが……友の、妻の、子の顔が目に浮かぶ。我は帰らねばならない。
このままでは確実に我は奴に殺される。ならば少しでも可能性がある方に賭けるしかない。
「ガアアアアアア!」
心を決めて、我は自らの爪を胸に突き立てる。すさまじい激痛が我を襲う。
しかし、我はさらに爪を進め、手を胸に突き入れる。そして凍った我の臓腑を掴み、全力で引きちぎり地面に叩き付ける。
おぞましいほどの血が我の胸からほとばしる。血を失いすぎたせいか意識が遠くなるが、全力で持ちこたえる。
我の臓腑を見れば、そこから片腕と頭しかない奴が這い出してきた。
……はは、そうか、奴は我以上の化け物であったか。
だが、まだ終わりではない、我はまだ生きている、ならば奴に向かい勝利せねばならん。
体が重い。先ほどまで痛痒を感じなかった攻撃すら我の足を鈍らせる。
だが止まれん、我は帰らなければならない。
あの地に。あの空に。あの者たちの中に。
……我は帰りたい。