その20 ロイの記憶4+α
そんなわけで二人の共同生活が始まった。
最初のうち、リコは僕の後をついてきて、僕のやることを何でも手伝ってくれた。
食事や掃除などの家事から猟や釣りの時まで。
もちろん僕は、彼女が呪いにかからないように細心の注意を払って行動した。
しかし、女の子にこう言っては悪いんだけど、彼女はとても力が強く猟の獲物を運ぶときや、水汲みの時は頼りになった。
そのため、お互いにできることが分かってくると、肉体作業は彼女が、細かい作業は僕がやるようになった。
少し気になったのは、リコの知識や行動は何というかちぐはぐなのだ。
血を見るのが苦手なのか、捕まえた動物に止めを刺すときや血抜きの間は目をそらしている。
それに、経験がないのか、魚の内臓を取ったり三枚に下ろすことができない。
でも、料理ができないわけではなく、彼女は一人でも肉団子でスープを作ってくれた。
料理は趣味で、用意された材料を仕上げるだけ。
そんな上流階級のお嬢様だったらこうなるだろうか?
だけど、リコは僕の看病もしてくれるし、僕があまり熱心じゃなかった床の水拭きや、洗濯だって進んでやってくれる。
仮にお嬢様ならこんなことをしたことは無いだろう。
いったいリコは今までどういった生活をしていたのだろうか。彼女の能力も謎だが、その生い立ちよくわからなかった。
でも、そんなことは些細なことだ。間違いなく言える。彼女はすごくいい人だ。
ちょっとおっちょこちょいな所や、ムキになりやすい所や、暴走しがちな所はあるけど。
リコといる日々は楽しかった。
言葉が分からないせいもあるが、彼女は良く笑った。
朝起きた時も、ご飯を食べる時も、大きい果物が取れた時も、僕が魚を釣った時も。
彼女が失敗した時も、慰めようと頭を撫でてあげたら、すぐに笑顔になってくれた。
その笑顔を見るだけで、僕はなんだか幸せな気持ちになれた。
一人でいたころは、こんなことで幸せになれるなんてすっかり忘れていた。
しばらくしからだろうか、リコの笑顔を見ていると、なんだかドキドキするようになった。
もしかして、これが恋なんだろうか。
村の友達から「あの子が好き」みたいな話を聞くことはあったが、自分がこんなふうに感じるのは初めてだった。
最近は僕もよく笑うようになった。体はともかく、心が元気になっているのが実感できた。
今は夜に泣くことも無い。
いままでは寝ているときに恐怖を感じたら、無意識に布団をかぶっていたが、最近はそんなこともしなくなった。
今はいい夢を見ることも多いし、起きた時に涙の跡を洗う必要もない。
リコと二人で生きている。だだ、そんな幸せ噛みしめていた。
でも、呪いは確実に僕の体を蝕んでいた。
自覚はあった。
咳の回数が増えた。湖まで行くのに休憩が必要になった。食事が喉を通らない時が増えた。
間違いなく僕の呪いは悪化している。
でも、僕はリコと一緒にいたかった。
彼女も僕の体調は分かっていたようだが、この気持ちを察してくれたのか、僕の自由にしてくれた。
ある日、釣りに行こうとリコを誘って小屋の入り口で待っていると、急に胸に強烈な痛みを感じた。
こんな痛みは初めてだ、声も出せずに倒れてしまう。リコの声が遠くに聞こえる、意識も薄れ始めた。
死ぬのは怖い。でも今は、彼女を一人にしてしまうのがそれよりつらい。
そう思って意識を留めようとするが、その願いもむなしく僕の意識は闇に沈んだ。
◆
肩に痛みを感じて目を覚ました。目の前に虎の姿のリコがいる。
いったい何がどうしたのか? その瞳は正気のようには思えない。僕をベッド押さえつけ、大きく口を開けている。
僕を食べるつもりだろうか?
一瞬驚いたが、彼女が望むならそれでもいいかな。そんな風に思って僕は微笑み、彼女の目を見つめる。
次の瞬間、彼女の瞳に光が戻る。いや、普段以上の強い力と優しさを感じた。
そして、彼女は僕から離れると、ものすごい速さで小屋から飛び出してしまった。
いったいリコはどうしたんだろう。なぜ僕を食べようとした?
元々僕を食べようとしていた? ならばなぜ今? 今までチャンスはいくらでもあった。
さっきの彼女の目は普通ではなかった。
正気を失っていた? もしかして『リコ』ではなかった?
『リコ』は僕を食べたくない。でもリコの中にいる何かが僕を食べようとする。
そして、僕が微笑んだ時『リコ』に戻って、僕を助けるために逃げた。
突拍子もない考えだとも思った。でも、それなら説明がつく。
……リコを追いかけよう。
小屋を出ていく時の彼女は、思いつめたような感じがした。
彼女のことだから「僕に迷惑をかけた」とか思っているかもしれない。
最悪「僕に嫌われた」とか思って、帰ってこないかもしれない。
そんなことを僕が思うわけ無いじゃないか。
幸いリコの匂いを追うことができそうだ。早くリコのところに行こう。
◆
体に力が入らない。
少し歩いただけで息が上がる。
僕の残り時間が少なくなっているのが分かる。
雨まで降ってきた。
でも、リコのところに行かないと。
リコの匂いをたどっていくと、血の匂いが混ざってきた。いったい何があったのだろう。
やっと森の中でしゃがみ込む彼女を見つけた。彼女はいま人の姿だが、周りには血の跡がある。
何か動物を食べたのだろうか。僕を食べる代わりに?
「リコ!」
叫べばリコはこちらを見て驚いていた。
僕は来るとは思わなかったのだろうか。まったく、ひどいな。
「リコ」
彼女に近づいて手を差し伸べる。しかし、彼女は虎の姿になり僕に吠えてきた。
でも、彼女の体は震えている。その目は悲しみに染まっている。
「リコ」
僕が進むと、それだけリコが離れていく。
やっぱりさっきのことを気にしているのだろう、僕は気にしてないというのに。
でもリコなら……
「げほっ! げほっ!」
わざと咳をして倒れるふりをする。
……ほら、やっぱりリコは来てくれた。
その手を掴んで引き寄せ、抱きしめる。初めて会ったとき彼女がやったことのお返しだ。
リコは泣いている。彼女にも色々な事情があるのだろう。
でも、そんなことは関係ない。僕がしたいことを言わせてもらおう。
「リコ、家、帰ろう」
彼女が泣き止むまで、僕はそのまま抱きしめていようと思った。
◆
「げほっ! げほっ!」
だけど、僕の時間切れのほうが早かったようだ。咳を止めることもできず、全身から力が抜けてしまう。
リコは僕を抱き上げると、急いで小屋に戻った。そして、僕を着替えさせるとベッドに寝かしつける。
もう声を出すのもつらい。頭もぼんやりしている。
でも、僕を見るリコの表情が不安だけでないことに気が付いた。自責の念だろうか?
まったく、また余計なことを考えているみたいだ。
ふと、彼女にぴったりの治療法が思いついた。
いつもの僕ならやるわけがないが、今の僕は自分の想いを止めることができなかった。
上半身を起こして、リコにわざと小さな声で話しかける。
聞き取れなかった彼女が近づいてきた隙に肩を掴んで、その口にキスをする。
彼女の唇の柔らかさを感じる。キスっていいものだな、僕はのんきにもそんな風に思った。
口を離してにっこりと笑いかける。
リコはしばらく呆然としていたが、そのあとの反応は劇的だった。
顔が真っ赤になり、自分の頬を押さえている。
「ふふふ」
その反応が面白くて、つい声が出てしまった。リコも治療の効果があったのか、僕に微笑んでくれる。
そうだ、この際もう一つ伝えておこう。
リコの手をとって僕の胸によせる。彼女も、もう分かっているだろう。僕の鼓動はもうすぐ止まる。
声が出しづらいので、リコの肩に寄りかかり耳元で話しかける。
「リコ、タベテ」
これも初めて会ったときにリコが言った言葉だ。
その後にも何回か聞いたので、意味は間違っていないだろう。
……もし、僕を食べることで君の苦しみが和らぐのなら、僕はそうして欲しい。
灰になったり、土の中に埋められてしまうくらいなら、君の役に立ちたい。
それに、君の一部になれるならそれもいいかな。
そんな想いと、少しの呪いを込めてリコに言った。我ながら屈折していると思う。
でも、最後くらいは自分に正直になりたかった。
そんな気持ちが伝わるようにリコの背中を軽く叩く。
あ、まずい、リコの顔がまた暗くなってしまった。頬をつまんで無理やり笑うようにさせる。
彼女は涙を流しながらも僕に微笑んでくれた。
ああ良かった。最後もその顔が見れた。
ありがとう、僕は幸せだ。……できれば……もっと……君と一緒に……
◆
「んんん……」
眩しい、顔に光が当たっているようだ。おかげで目が覚めた。
かかっている毛布をどかして上半身を起こす。
ん? え? あれ?
「おはよう! はいお水!」
右からリコの声がする。そちらを向けば、彼女はいつもの笑顔で水を差し出している。
あれ? 僕は、死んだはずでは?
ここは天国? それとも夢?
ためしに自分の頬をつねってみるが、やっぱり痛くはない。
「あ、ロイ。あんまり強くつねると……」
ぐにゃ。
……変な感触がした。つねった人差し指と親指が閉じている。その間には何かもちもちしたものがある。恐る恐るそれを見てみると、肌色の何かがプルプルしていた。
「えーと、ロイ、ちょっとごめんね」
リコがそのプルプルを掴むと僕の頬に押し付けた。しかし、プルプルは僕の頬にはくっつかない。
「あ、そうか。あの子がいないとだめか。どうしよう」
リコは誰かを探しているのか、入り口のほうを向いたが、そこには誰もいない。
いま、僕の頬がちぎれた気がしたが、痛くなかった。
いや、それよりも何でリコが僕たちの言葉で話してる?
それに、リコが言った「あの子」って誰のこと?
あれ? 息が苦しくない。左腕を見れば呪いの印が無い。
「ロイ、色々と混乱していると思うから説明するね」
リコはベッドの横に座る。その時、入り口から誰かが入ってきた。
「理子。イタチが採れたけど、どこに置く?」
それは人間だった。よく見ればリコにそっくりだが少し幼い……リコの妹?
聞きたいことがまた増えた。
「あ、ごめん。ちょっと待って、ロイが目を覚ましたから」
「食べちゃっていい?」
「あーうん、食べちゃっていいや。そしたらこっちに来て」
リコの妹らしき少女はイタチを抱きしめる。すると、イタチはその体に沈み込むように消えていった。
「えーと、ごめんね。かなり面倒な話になるけど聞いてくれるかな?」
リコがこちらに向き直る。
彼女の能力については驚き慣れたつもりでいたけど、この時ばかりは僕も疑問の数が多すぎて、頷くしかなかった。




