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その18 ロイの記憶2

 あれから一月ほどたった。黒い染みは左手の先まで広がり、普段は手袋と布で隠すようにした。

 それに、最近は外出を控えてほとんど誰にも合わないようにしている。


 しかし、村長の家という都合上、どうしても人の出入りがある。

 僕はなるべく人に会わないようにしていたが、誰かが見てしまったのか、それともいつも家にいるからそう思ったのだろうか。

 いつの間にか村の人も、僕が呪われているのでないかと噂をするようになった。


 ある日、兄さんと父さんが言い争っているのが聞こえた。

 兄さんは酔っているようで、かなり強い口調で「あの野郎、好き勝手言いやがって!」とか、「ロイのおかげで俺たちが助かったんだろうが!」とか、そんなことを言っていた。


 その内容で、兄さんが何を言われたのか分かってしまった。

 兄さんが僕のために怒ってくれているのは分かったが、僕のせいでそんなことを言われていることが心苦しかった。


 その日の夜、喉が渇いて目を覚ました。

 水を飲もうと部屋を出ると、父さんと母さんが話し合っているのが聞こえた、内容はよく聞き取れなかったが、母さんが泣いているのだけは分かった。

 二人に気付かれないようにベッドに戻ると、途端に涙が止まらなくなった。


「なんで僕がこんな目に合うんだろう」「なんでみんなを助けたのに責められるんだろう」「なんで僕は死ななきゃならないのだろう」

 布団をかぶっても答えは出ず、ただ涙が流れるだけだった。


 数日後、婆やが僕の様子を見に来た。傷自体はすでに治っているので、いつもは2、3言話して終わるのだが、その日は違った。


「お前に言いたいことがある。黙ってお聞き」

 そうい言って僕の目をじっと見る。


「私はね、長く生きているからお前のように呪いにかかった人を見たことがある。たいていはね、死ぬまで納屋や馬小屋に閉じ込められていたよ」


 僕もそうしたほうがいいのだろうか。しかし、婆やの話はそこで終わりではなかった。


「10年ほど前かな、ここから少し離れた山のふもとにある湖の近くに、小さな集落があったんだ。そこにも呪いにかかった子供がいたんだけどね、集落の奴らはかわいそうだからと普段通りに生活させていたんだよ」

 つらい思い出なのか、婆やの顔は苦しそうだ。


「前にも言ったがこの呪いは人から人に伝染する。だから気をつけろとそいつらには言ったんだよ。この呪いはたいてい血を吐く、伝染を防ぐのは難しいんだ、てね。そして3年くらいしてからかな、その集落に行ったんだ」

 そこで婆やの顔がいっそうゆがむ。


「みんな死んでいたよ、最後の一人はベッドの中だった。そいつには呪いの印があったよ」

 僕は愕然とする。このままでは僕の家族もそうなってしまうかもしれない。


「村の奴らもお前の話を聞きに来る。今のところはごまかしているが、そろそろ無理があるよ。悪魔の呪いを知ってる奴もいるからね。……お前の父親にも同じようなことを言った。本当ならあいつが判断するべきことだからね。お前なら理解できると思ったから、あえて言わせてもらった」

 ……婆やが何を言いたいのかは分かる。


「お前がどうするかは自由だ。でもね、いつまでも先送りにしていると、もっと大変なことになるかもしれないよ」

 そう言って婆やは帰って行った。

 

 僕は、どうすればいいんだろう。

 人に会わないように閉じこもる?

 それとも……?


 そんな時にふと視界の端にある本が目に入った。昔よく読んだ絵本。何度も読んだせいで表紙がボロボロになっている。

 ああ、そうだ。良いことを思いついた。


 きっと父さんはずっと悩んでいる。でも、父さんは優しいから、父親として判断するべきか、村長として判断するべきか結論が出せていない。


 結局、どんな判断をしても誰かが不幸になるんだ。僕か、家族か、村の皆か、どれかを選ばないといけない。どれかを選んで不幸にしないといけない。

 まさにこれは「呪い」だ。


 なら、僕が決めてしまおう。あと数か月もすれば呪いは胸まで広がり、体が弱まると婆やが言っていた。やるなら早い方がいい。



 僕は数日かけて準備を整えた。明日、みんなに言おう。そう決めて布団に入る。

 朝起きたら顔を洗い、台所に行き朝食を食べる。最近はあまり話をしなくなってしまった。僕のせいでそんな空気になっていることに罪悪感がある。


 しかし、それよりもつらいことを切り出さなければならない。


「みんな、話があるんだ」

 みんなが食べ終えたところで話を始める。父さんは何かを察したかのような顔をした。


「なんだ、ロイ」

「僕、この家を出ようと思う」

 そう言えば、母さんと兄さんは驚いて否定する。


「何を言っているの!」

「そうだ、何を考えている、ロイ!」

 その中で父さんは僕の顔を睨みつけて話す。


「婆さんに何を言われた?」

「関係ない、僕がそう決めたんだ」

「だったら馬鹿なことを考えるな。部屋に戻れ」

「そうやって死ぬまで僕を閉じ込める?」


「……!?」

 その言葉は父さんに刺さったようだ。何も言えないでいる。


「小さいころ言ったよね、僕は旅に出たいんだ。だったら、最後くらい夢をかなえてもいいだろ?」

「馬鹿なことを言うな! お前の体でそんなことができるわけがないだろ!」


「もう決めたんだ! このままじゃみんなで不幸になる! ならこれしかないだろ!」

「お前がそんなことを気にする必要はない!」


「父さんは村長だろ! このままじゃ村全体が不幸になる! もっと村のことを考えろよ!」

「なら村長として言う! 村の者なら俺の命令に従え!」

 父さんは立ち上がって僕に怒鳴りつける。


「なら村民として言う! 村の為に僕を追放するべきだ!」

 僕も立ち上がって父さんを睨みつける。


「ロイ……」

 母さんも兄さんも僕を心配そうに見つめている。

「村長の命令に従えないというのか?」

「村のことを考えない村長になんて従えないね」


「ならお前は追放だ。この村から出ていけ」

「あなた!?」「親父!?」

「……ありがとう。父さん」

 僕はそのまま部屋から出て行った。台所ではみんなが色々と言っていたが、それは父さんに任してしまおう。


 部屋に戻り、準備していた荷物を持って家から出ようとする。そこで母さんが僕を呼び止めた。

「ロイ! 本当に行くの!?」

 母さんは今にも泣きそうだ。そんな顔は見ていられない。


「今までありがとう。行ってきます」

 なるべく明るい声を作ってそう言った。そして、振り返らずに僕は村を出る。

 涙は誰にも見られなかったと思う。



 僕だって本気で旅ができるとは思っていない。

 婆やに集落の話を詳しく聞いたら、歩いて2週間ほどの距離だった。だから、事前にそこで暮らそうと決めていた。

 

 家にいてみんなに呪をうつすかもと心配するより、その方がずっといい。

 左手は少し動かしづらいが、まだ体力は落ちていない。


 野宿の仕方は猟をするときに父さんに教えてもらった。家から食料も少しは持ってきたので、それくらいの行程は大丈夫だろう。


 夕方になる前には今日寝るところを決めた。釣りができるように川に近い所だ。


 その辺の枝と持ってきた糸で釣竿を作り、捕まえた虫を餌にすれば魚は簡単に釣れた。

 火打石で火を起こし、塩を振った魚を焼く。川の水を沸かしてお湯も飲めた。


 体も拭いたのであとは寝るだけだ。月の光を浴びないように、大きな枝と布で天幕を張ってその下で横になる。

 月の光は生き物を悪魔にすると言われている。僕みたいなのは特に浴びてはいけない。


 意外と何とかなるものだな。そう思って横になる。

 しかし、しばらくすると僕の心に恐怖が湧き出してきた。


 闇の中に何かがいるとか、何か物音がするとか、「何か」が怖いわけではない。なぜか「一人でいる」ことが急に恐ろしくなった。


 まだ一日目だ。寂しいわけではないと思う。

 でもなぜだろう、もうずいぶんと遠くにきてしまったような気分だ。よく分からない、漠然とした不安が襲ってくる。


 焚き火に薪を増やすが、明るくなっても不安は消えない。

 頭まで布団代わりの布をかぶって、無理やりにでも寝ることにした。


 やっと日が出てきた。あまりよく眠れなかったが仕方がない。先を急ぐことにする。


 その日以降も寝るときになると恐怖が襲ってきた。少しずつその原因もわかってくる。

 それは孤独であることの恐怖もあるが、肝心なのは「その恐怖は決して無くなることは無い」という恐怖だ。


 僕はもう人に会えない。いや、会ってはいけない。

 僕はこれから死ぬまで、ずっと一人で生きなければいけないんだ。

 もう、孤独から逃れることはできない。


 心が重くなる。僕はもう一人で生きると決めたはずだ。けれどそれは、孤独を感じる前に決めたものだった。

 僕は今、本当の孤独を感じて、その恐怖に怯えているんだ。

 もう、この恐怖から逃れることはできない。


 よく眠れないこともあり、集落の到着には予定より日数がかかってしまった。

 集落には5件の小屋があったが、数年放棄されていたため、どれもかなり傷んでいる。

 そのため、一番状態が良さそうなものを選んで修繕することにした。

 

 小屋は簡単なつくりであるし、奇跡的に屋根や壁は無事だったため、天井や壁の隙間を埋めれば問題無いくらいになった。

 どうせ長く住む家ではない。


 集落には井戸もあったが、残念ながら枯れていた。しかし、川や湖に近いため水は問題ないし、釣りをすれば魚も捕れるだろう。

 あとは少しずつ周りを調べて、木の実や山菜を採ったり、猟をすることにしよう。



 集落に来て一月もすれば一日の生活のサイクルが確立された。

 水汲み、猟、山菜採り、釣り。意外と周囲の食料が豊富だったので、生活自体は緩やかなものだ。

 呪いは肩にまでかかってきたが、まだ体調に大きな影響はない。

 

 しかし、寝るときには恐怖が襲ってくる。でも、処理の仕方は覚えてしまった。頭まで布を被って無理やり眠ってしまえばいい。

 涙の跡なんて誰にも見られないから問題ない。



 またしばらくすると、毎日はほぼ同じことの繰り返しになった。そうなると余計なことも考えなくなり、かえって楽になった。


 ふと「魔術師が使うゴーレムみたいだな」と思った。

 感情も無く、何も考えずに命令されたことだけを行う存在。なんだが自分がそんな存在になったようだ。

 ここでは笑う必要もないし、怒る必要もない。たまに痛みと寂しさに泣くくらいだ。



 呪いは胸にまで広がってきた。最近は咳をすることも多い。

 左腕はほとんど動かせなくなり、弓が使えないので罠で猟をするようになった。

 けれど、そんなことは些細なことだ。僕は何も考えずに動けばいい。


 最近では痛みや寂しさも考えないようになった。

「余計なことは考えるな。先のことなんて考えるな」

 そう自分に言い聞かせることによって。

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