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その16

9/15 誤字を修正しました。

 ロイとあってからしばらく、二月くらいたっただろうか。ある日、いつものようにロイが話しかけてきた。


「リコ、湖*釣り**」

 最近ではある程度の単語は理解できるようになった。

 肉体も戻ってきたので、普段は内部を空洞でごまかしたラミアモードになっている。


 準備をして外に出ると、不意にロイが倒れた。

 ロイは丸くなってうめきながら、苦しそうに胸をおさえている。


「ロイ! ロイ!」

 肩を押さえて呼びかけるが、答えることもできないようだ。

 ロイは全身から汗が吹き出して震えている。急いでその体を抱えてベッドに寝かせる。


 楽になせるように上着を脱がせると、黒い染みが以前より大きくなって胸の中心まで広がっていた。

 しかし、口から血が出ていないし、呼吸も濁ってないので肺の出血ではない。

 そうなると、まさか心臓?


 肉体操作で心臓の動きを探ってみると、心臓が不規則な鼓動をしているのが感じ取れた。

 それを正常の動きに治そうと必死で操作する。


 初めての試みだったがうまくいったようで、心臓は規則的な動きに戻った。しかし、その鼓動は弱々しい。

 ロイは眠ってしまったようなので、汗を拭いて額に濡れたタオルを置く。


 いつかはこうなると思っていた。

 ロイは初めて会った時に口から血を吐いていたが、その後も咳き込んだり血を吐いたりすることがあった。


 最近は食も細くなったようで、ときどきご飯を残していた。私はそれを見て心配そうな顔をするが、ロイは苦笑いしかしない。

 仕方なくリンゴのすりおろしや、木の実を多めに食べさせるようにした。


 この黒い染みはガン細胞の様に少しずつロイの体を浸食している。血を吐くのはこの染みが肺を侵しているせいだろう。

 この染みはロイの体と一体化しているくせにほとんど機能せず、最悪自損して体を傷つける。


 何とかできないものかとロイが寝ているときに肉体操作を試したが、成果は無かった。

 染みは浸食している肉体ごと取り除かねばならず、すでに肺が浸食されている状態では、無理に処置をするとロイの命が危ない。


 吸収すれば何か分かるかとも思ったが、なぜかこの染みは私の体で再現することもできず、対策も分からなかった。


 ロイも自分の体のことは分かっていたのだろう。

 いままで体調が悪いときはベッドに寝ていたのに、最近は何かにつけて一緒に外に出ようとしていた。

 苦しいだろうに「大丈夫」と笑いかけてくるロイを、私は止めることはできなかった。



 夕方になり雲が出てきて、部屋の中は真っ暗になってしまった。

 明かりをつけて、濡らしたタオルを交換する。


 ロイは目を覚まさない。まさかこのまま……と嫌な想像をしてしまう。

 ロイの手をぎゅっと握るが反応が無い。その時、私の頭に最悪の考えが浮かぶ。


『なら食べてしまえばいい、そうすれば私はロイとずっと一緒』

 ぞっとしてロイの手を離す。私は一体、何を考えた? 違う! そんなのは絶対に違う!


『それはもうすぐただの肉になるわ、あなたが殺すんじゃない、ならいいでしょう?』

 違う! 違う! 違う!

 頭を抱え首を振るが、その言葉は頭から出ていかない。


『肉よ』『肉を食べて』『肉を』『肉を食べて』

 私の体が勝手に虎になる。まさか! また乗っ取られた!?

 最近は肉体が戻ってきていたので、こんな強硬手段に出るとは思わなかった。


 虎はゆっくりとベッドに乗り、ロイの肩を押さえる。爪がくいこんだロイの肩からは血がにじみだす。


 だめ! やめて!

 私は必死に止めようとするが体の自由が利かない。

 虎は大きく口を開き、喉に狙いを定める。

 その時、ロイが目を覚ました。


 ロイ! 逃げて! 叫ぼうとするが私の口は動かない。

 ロイは一瞬目を見開いたようだが、すぐに悟ったように微笑んだ。

 言葉に出さなくても分かる。ロイは「いいよ」と言っているのだ。


 ……ああ、やっぱりこの子はいい子だ。

 こんな時なのに、自分ことより私のことを考えてくれる。


 全身に力が満ちる、こんな声に負けてたまるものか。

 私はロイから全力で離れて、家から飛び出した。



『肉を食べて!』『肉を!』『肉を!』

 分かったよ! 肉を食えばいいんでしょ! だから黙ってろ!


 近くを探ればすぐに獣の匂いがした。そこに向かえば大きな鹿がいたので、音もなく近づき一瞬で首をはねる。


『肉よ』『肉よ』『肉よ』

 私はやけくそのように肉を食べる。

 そうだよ! 肉だよ! これで満足でしょ!

 だから余計なことしないでよ! あんな……あんなこと……。


 最悪だ。私はロイを……ロイを殺そうとしてしまった。

 もうあそこには戻れない。あの子をまた一人ぼっちにしてしまった。


 いつの間にか人間の体に戻っていた。足も戻ったが力が入らずにしゃがみ込む。 

 涙が止まらない。

 やっぱり私みたいな化け物が、人といるのは間違いだったんだ。



 どのくらい泣いていただろうか、雨が降りだしていた。

 涙は出し切った。もう、人に会うのはあらめよう。


 また体を乗っ取られるかもしれない。

 そうなってもいいように、人がいないところに行こう。

 私は立ち上がる。


「リコ!」

 え? 振り返るとそこにはロイが立っていた。

 苦しそうに胸を押さえながらも、ゆっくり私に近づいてくる。


 何で来たの? あんなことをしたのに、何で来てくれるの?


「リコ」

 ロイは優しくこちらに手を伸ばしてくれる。

 嬉しい、その手を取りたい。……でも、だめだ。

 私は虎に変身し、ロイに吠え立てる。


「リコ」

 ロイはそれでも止まらない。あっちに行ってよ、ダメだよ、来ないでよ。

 私は少しずつ後ずさる。


「げほっ! げほっ!」

 突然、ロイが膝をついて咳き込み、地面に倒れそうになる。


「ロイ!」

 私はとっさに人間に戻り、ロイを支えようと手を伸ばす。

 ところが、逆にロイがその手を掴み、私を引き寄せた。


「え?」

 ロイは私の背に手をまわして、ギュッと抱きしめる。

 温かい。それに、ロイの匂いがする。


 ……あぁ、あの時と同じだ。ロイに初めて会ったとき、私がしたことだ。

 ずるいよ、こんなことされたら離れたくないよ。出し切ったと思った涙が、またあふれくる。

 良いんだろうか、一緒にいて。私は君と一緒にいていいんだろうか。


「リコ、家、帰ろう」

 それが全てだった。涙はしばらく止まらなかった。



「げほっ! げほっ!」

 ロイが咳き込み正気に戻る。その顔色はひどく悪く、体も冷えているようだ。


 あわわわわ、まずい、一刻も早く家に戻らないと。自分の体温を上げて、ロイを温めるように抱えると家に急ぐ。


 家についたらロイの体を拭いて、着替えさせてからベッドに寝かせる。

 ロイはさっきから何も話さずに私にされるがままだ。

 ……もう、話す元気もないのかもしれない。


 私のせいだ。私があんなことになったから、ロイに無茶をさせてしまった。

 ロイの手を握りその顔を見る。


 そんな不安が顔に出ていたのだろうか、ロイは微笑んで上半身を起こす。

 あわててロイを寝かせようとするが、ロイは小さな声で話しかけてくる。


 なになに? 聞こえなかったので顔を近づけると、ロイは不意に私の肩を掴んで引き寄せた。


 チュッ


 ?

 ふえ?

 んひゃぁぁぁぁぁぁ!?

 ロイが! キスした! 私の口に!

 ロイは口を離すと、こっちを見てにっこり笑っている。


 私は……だめだ、顔が熱い。真っ赤になっている気がする。

 それが恥ずかしくて頬を手で押さえてしまう。


「ふふふ」

 そんな反応が面白かったのか、ロイは小さく声を上げて笑っている。

 ああもう、何でこんなにいい子なんだろう。私の不安なんか一発で吹き飛んでしまった。


 私が考え無しだった。ロイはこんなに笑っている。これで良かったんだ。

 今なら胸を張って言える。ロイに会えて、いっしょに居てよかった。ロイも私も幸せだった。


 不意にロイが真面目な顔をする。今度はなんだろうか。

 ロイは私の手を握って自分の胸によせた。ロイの鼓動を感じる。もうすでに弱々しく、今にも止まりそうだ。


 ロイは前かがみになり、私の肩に頭を載せる。そして耳元でささやいた。

「リコ、タベテ」


 ……え? ロイは「日本語で」私に言った。いつの間に覚えたんだろう。いやそれよりも。

「ロイ?」

 ロイは無言で私の背中をポンポンと叩く。


 それだけで分かってしまう。

「無理しないで」「リコのためになるなら僕も幸せ」そう言いたいのだろう。でも、私は。


 ロイは私に向き直りにっこりと笑う。そして私の頬をつまんで上に引っ張った。

 ああそうか、笑っていてほしいんだね。私は泣きそうになるのを必死でこらえて笑顔を作る。


 ロイは微笑んだまま満足したように小さくうなずいた。

 そして、目を閉じると力が抜けたように私に倒れこむ。


「え? ……ロイ? ロイ!?」

 反応が無い。ロイは完全に脱力して私にもたれかかっている。そんな、嫌だ。


 ロイの体のベッドに戻して肩を揺さぶる。

「ロイ! ロイ!」

 ロイは動かない。


 治癒をしようとするが、体に傷は無い。

 肉体操作で心臓を動かしても、反応が無い。

 ロイはもう、動かない。


「ロイ……ロイ……」

 涙が止まらない。

 いつかはこうなるのは分かっていた。覚悟もしているはずだった。


 でも、それでも、もう少しでもロイと一緒に居たかった。

 私はただロイの亡骸にすがりついていた。



 窓から陽が差してくる、もう朝になったのか。

 ロイの顔はいつものように微笑んでいる。でも、もう目を覚ましてはくれない。

 ……うん、いつまでもこうしてはいられない。ロイを埋葬……


『タベテ』

 ……違う。ロイは私の体のことを知らないから、そう言っただけだ。


『肉よ』

 違う! これはロイだ!

『ずっと一緒』

 黙れ!


『ずっと一緒』『肉よ』『タベテ』『一緒』『肉』『一緒』『タベテ』『肉』『一緒』『タベテ』『肉』『一緒』『タベテ』『肉』『一緒』『タベテ』『肉』『一緒』『タベテ』

 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ! 黙れ!


 床に頭を打ち付ける。激しい音がして床が砕ける。それでも声は止まらない。

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。


『肉』『一緒』『タベテ』

 うるさい! そんなに肉が食べたいなら、この体から出ていけ!




 ……ん? 私は、今、なんて言った?

 そうか、その手があったか。今、ひらめいた。


 いや、これも、ろくでもないことには変わりはない。ロイの意思を無視しているかもしれない。


 それでも、私は。

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