その1
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ポタッ……
「……ん?」
なにか、冷たいものが右の頬に当たり目が覚めた。薄く開いた目から見える景色は薄暗い。
あちゃ、仮眠のつもりが夜まで寝ちゃったか……と思ったが、次の違和感が左の頬からやってきた。やけに冷たくて硬い。仕方なく体を起こすと、布団がかかってないことに気付く。
「んんん? ん?」
はっきりしてきた目に映るのは、岩と闇だけだった。
ポタッ……
「んひゃっ!」
今度は脳天に冷たいものが当たる。それはそのまま額を伝ってきた。
「水……?」
とっさに額に当てた手が濡れた。どうやら天井から水滴が落ちていたようだ。
今ので完全に目が覚めた。
「えっ!? ここ何処!?」
その声は反響して闇に消えていった。
ポタッ……
冷た! とりあえず水滴に当たらないように少し位置変える。
いったいここは何処だろう? まずは寝る前の記憶をたどってみる。
確か今日は学校の後、友達とドーナツを食べてから家に帰った。そして、自分の部屋で勉強をしていると眠気を感じたので、まずいとも思ったが着替えもせずベッドにもぐりこんだはず。
しかし、ここはベッドの上でもなければ、自分の部屋でもない。
周りを見るとごつごつした岩ばかり、そのなかには立派な水晶が混ざっている。天井までの高さは5メートルほどで、たくさんの鍾乳石が垂れ下がっていた。家の近くにこんな洞窟があるなんて聞いたことはない。
「誘拐か!?」と思ったが、洞窟の中というのは不自然だ。せめて小屋なり部屋の中というのが普通だろう。
「うん、これは夢だな」
先ほどの目が覚めた感覚とは矛盾するが、それしか考えられない。試しに自分の頬をつねってみるが、やっぱり痛くはない。念のためもうちょっと力を込めて……
ぐにゃ。
……変な感触がした。つねった人差し指と親指が閉じている。その間には何かもちもちしたものがある。恐る恐るそれを見てみると、肌色の何かがプルプルしていた。
反対の手で頬を触れば、穴が開いているのがはっきり分かった。
よかった、やっぱり夢だ。
「あわわわわ!」
残念ながら、頬がちぎれたくらいの驚きでは目は覚めてくれないようだ。そうなると、このつまんでいるプルプルをどうにかしないといけない。それに、夢の中とはいえ頬に穴が開いているのはあまり良くない気がする。
まずはプルプルを頬の穴に戻してみる。まぁ、こんなことで元に戻るなら苦労はいらないのだが……と思っていると、プルプルがなんとも言えない感覚とともに、頬にピタッとくっついた。
「ひゃっ!」
思わず変な声がでてしまった。しかしこれならばと、そのまま指でこすりならしてゆく。指を何往復かすると違和感は完全に無くなった。
鏡がないので確証がないが、傷跡もあるようには思えない。どうやら夢の中とはいえ、ずいぶんと便利な体になっているようだ。
さて、次は周囲の確認だ。
改めて周りを見回すと意外と明るいことに気づく。どうやらそこかしこにある水晶が青く発光しているようだ。
これは燐光というやつであろうか。本当なら洞窟の中なんて真っ暗のはずだし、明るいのはありがたい。
私がいるのは洞窟の突き当りのようで、壁が無い方の先はよく見えない。
服は寝たときのワイシャツのままだ。下着にスカートも変わりはない。
立ち上がって体を動かしてみるが、特に異常は感じられない。ただ、お腹が減っているような、疲れているような感覚がある。
石を踏んづけてしまって気が付いたが、足は靴下だけだ。しかし、痛みは感じない。地面の冷たさは感じるというのに、便利な体だ。
「すみませーん! だれかいませんかー!」
大声で叫んでみたが、やはり反応はない。
状況を理解するにしたがって、私の心に恐怖が湧き出してくる。
ここはいったどこ?
これは夢じゃないの?
私はなんでここにいるの?
どうやったら帰れるの?
……ポタッ
「――!?」
なんのことはない、ただの水音だった。
しかし、薄暗い洞窟の中ではそんな音でも「何かいるのではないか」という恐怖に変わる。
「今にも闇の中から何かが出てくるのではないか」と考えてしまう。もしかしたらすでに大きな口を開けて私の近くに……
『落ち着いて』
……?
何か聞こえた気がしたが、周りには誰もいない。ただ、私の心は切り替わったように平穏になった。
とりあえず、ここにいてもしょうがないので歩いてみるとしよう。幸い光る水晶はそこかしこにあり、歩くのに支障はない。
特に代わり映えのない中を歩いていると、道が狭くなり右に折れていた。そこを通ろうとしたが、どうも違和感がある。少し周りを見渡し考えてみたが、その正体は分からなかった。仕方なく違和感は置いといて先に進むことにする。
また少し歩くと先に明るい光が見えた。「出口かな?」とも思ったが、そんな明るさではない。どうやらこの先に小部屋のような空間が広がっているようだ。
その明るさが何か良いことであるように祈りながら、恐る恐る中を覗き込む。
しかし、そこにいたのは私の背よりも大きい蛇であった。
「っっっきゃ『騒がないの』
出かけた悲鳴が止まる。また心が平静になる。そして、普段なら道端にいる小さな蛇を見ただけで悲鳴を上げる私が、なぜかその姿を冷静に観察していた。
蛇とは言ったけど、これは本当に蛇なんだろうか。
テレビでアマゾンとかにいる大きな蛇を見たことがある。しかし、これはそれよりもはるかに大きい。目の前にいる蛇の胴体は私の体よりも太い。長さも半端ではなく、頭部を少し起こしているだけなのに、私の背よりも高い。
そんなことを考えていると、その蛇とばっちり目が合ってしまった。
やばっ! 私はとっさに小部屋から離れる。しかし、蛇は舌をチロチロと出しながら、少しずつ部屋から這い出してきた。
これは完全にロックオンされている。私がじりじりと後ろに下がると、蛇も同じだけ距離を詰めてくる。そして次の瞬間、口を大きく広げ私に向かって突っ込んできた。
「んひゃっ!」
何とか横に跳びそれを避けることができたが、衝撃で蛇が通り過ぎたとは思えないほどの風が吹き付ける。そして、蛇はすぐに頭を戻して私を睨みつけてきた。
これは逃げるしかない。
全力で元来た道を戻る……が、その先に壁が待ち受けているのは分かっている。かといって蛇の横を抜けていくのは無理だ。
何も良い考えが浮かばないまま走り続け、私は壁と蛇に挟まれる形になってしまった。
背中を壁にくっつけて蛇と向きあう。
蛇は追いつめられた私を逃がさないように、体を大きく広げ通路を塞いでいる。そして、窮地におちいった私を煽っているのか、口を広げ舌を揺らしていた。
「いや……やだ……やめて」
怖い。手足が震えて力が入らない。涙目になりながら必死に壁へ身を寄せる。しかし、震える足が濡れた岩で滑り、体勢を崩してしまった。
「きゃっ!」
私は尻餅をついてしまう。すると、蛇はその口を大きく広げ私に喰らいついてきた。
『今よ』
「いやぁっ!」
意味がないのは分かっているが、とっさに振り払うように腕を振るう。
鈍い音を立ててつぶれたのは、蛇の頭だった。
鱗は何の抵抗もなく割れた。
皮と肉はスイカのようにはじけた。
骨はガラスのように砕けた。
蛇の頭が半分の大きさになった。
血と肉片がシャワーのように私に降り注いだ。
蛇の体が音を立てて倒れた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
状況が飲みこめず頭が混乱している。
私の手が、蛇の頭を、つぶした?
なんで? どうして? いったい何が起きたの?
『落ち着いて』
……?
何とか頭が落ち着いた。状況を少しずつ確認しよう。とりあえず体にかかった血が気持ち悪……あれっ? 気持ち悪くない。
自分の体をよく見れば、あれだけかかっていた血も肉片もない。
血に濡れたはずの服もきれいに乾いている。しかし、地面にはまだ血が乾かず残っている。
なぜ? この血は本物? 幻覚?
試しに指に血を付けてじっと見る。すると、血は砂にしみ込むように指から消えてしまった。そして少し苦い……苦い?
ひょっとして……恐る恐る肉片を拾って手のひらに載せてみる。肉片は沈むように私の手の中に消えていった。この味はなんだろう。鶏肉? いやそれよりもまさか。
食べてる……間違いない。私は体にかかった蛇の血を飲んで、肉片を食べたのだ。待てよ、なんで服もきれいになった?
今度はワイシャツの袖に血につけてみる。血を吸いこんだ袖は、すぐに先ほどの指と同じようきれいになってしまった。そして、確かに苦みを感じている。
まさかと思い、シャツの袖をつまんで思いっきり引っ張ってみる。袖は音を立てて簡単にちぎれた。
ちぎれた袖は、しばらくするとプルプルした肌色の何かに変わる。それを恐る恐る袖に戻すと、切り口にくっつき布に戻った。切った跡も見当たらず、色も元通りだ。
さっきの頬と同じだ。まさか、この服も私の体の一部なのか?
寒気がする。私の体はどうなってるんだ? これじゃまるで化け物じゃないか。
蛇に目を向ければ無残につぶれた頭が見える。あの力はなんだ? 私はいったい何になったんだ?
私はまだ血を流している蛇を見つめている。すると、ある欲求が浮かんできた。いや、そんなはずはない。しかし、私は「ゴクリ」と唾を飲み込んだ。
……お腹がすいた。
『食べなさい』
違う。これは食べ物なんかじゃない。
そう思っているはずなのに、私の体は意思に反してフラフラと立ち上がると、蛇の近くにしゃがんで鱗に手を載せる。
指が触れた鱗はひんやりして固い。そこに力を込めると、鱗は氷の幕のように簡単に割れた。ゴムのような皮にはまるで粘土のように指が沈み、そのまま肉を引きちぎる。
蛇の血が私の手を汚す。手につかまれた肉は沈むように手の中に消えていく。血に汚れた手も見る見るうちにきれいになる。
不味い、吐き気がする。なんで私は蛇なんか食べているんだ?
今度は蛇に顔を近づけて口を開ける。いや、やだ、待って、こんなの嫌だ。しかし、私の口は止まらず蛇にかぶりつく。
おぞましい感触と共に血と肉が口の中に流れ込み、鼻の奥まで血の臭いが駆け巡る。気持ち悪い、吐き出したい。でも、その前に肉は口の中で消える。
左手で肉をちぎる。肉は手の中に消える。口でかじる、右手でちぎる、左手でちぎる、口で、右手で、左手で、口、右、左、口……
まどろっこしい。そうだ、私は体全体で食べられるんだ。
ぬいぐるみを抱きしめるように、蛇の頭を抱きしめる。触れたところから私の体に沈んでいく。
頭をすべて飲み込んだ時に変化が起きた。
苦い、これは不安だ。甘い、これは喜びだ。辛い、これは怒りだ。
そうか、「こいつ」も気づけば知らない場所にいた不安を感じていたのか。
そうだ、そしてやっと見つけた獲物を、「私は」食べられなかったんだ。
その怒りでまたお腹が空いてきた。幸いまだ食料は十分にある。この体を作った時も肉が足りなくて不安定だったんだ。私は蛇の胴体に抱きつき、その体を喰らっていった。
血も、肉も、鱗も、骨も、何もかも飲み込んで、ついに蛇はその姿を消した。