第55話 獣人族の本気は予想外に強い
獣人族の住処は意外と住み心地が良い。マオの提案で少し滞在することになったもののまるで苦を感じなかった。マオのことで質問責めに遭ったのは不幸だったが。
とにかくここ数日の間は何も無い。マオが俺の部屋に侵入してきてルナ達と口論になったりした以外は。全部あいつのせいじゃね?
とまぁ細かな話はどうでも良く、今日は何をするべきだろうかと思いながら部屋を出る。昨日のこともあってか今日はマオもいない。平和だった。寂しい気がするが気のせいだろう。
「と・う・や・ちゃん♡」
「お、おう……ビックリした……」
いきなり後ろから目隠しされてしまう。うん、胸がね? もうちょっと考えて欲しい。もしやわざとか? わざと押し当ててるのか!?
「なっ!? 何をしているんだ貴殿は!」
「お?」
コウハが駆け寄ってきてマオを引き剥がす。相変わらずマオが悠然の笑みを浮かべており、コウハは必死なご様子だ。
「刀夜殿に迷惑を掛けないでくれ!」
「あら、迷惑?」
えー、何この質問。迷惑って言ったらマオが悲しむし迷惑じゃないって言ったらコウハが悲しむだろ。
「…………微妙?」
曖昧な答えしか言えなかった。嬉しいような悲しいような。俺の心情を察して欲しい。
「微妙なのね」
「刀夜殿……?」
いやそんな責めるような目で見られても。
「いや……流石に男として美人に近付かれて嬉しくないとは言えないんだよ……」
「あら、ありがとう♡」
「むぅ……」
お、おう、不満そう。どうしたらマオも受け入れてくれるんだろうか? 多分時間を置かないと駄目なんだろうけど。
「じゃ、じゃあ……」
「え?」
コウハは頬を赤く染めて俺の手を握ってくる。えっと……いきなりなんだろうか?
「私がこうしても嬉しいのか?」
「当然だろ?」
「と、当然……! そ、そうか!」
あ、機嫌治ったな。俺が言うのもなんだけどチョロい。手を握る程度で機嫌が良くなるなら今度からそうするべきか?
「あら、なら私も反対側を」
マオもコウハに習って俺の反対側の手を取った。美女2人に左右を挟まれるというのは優越感があるな。でも今のでちょっとコウハさんが不機嫌に……!
「何故貴殿まで……」
「私だって刀夜ちゃんのことが好きなのよ?」
「信用出来ない! 貴殿のそれは本当に恋なのか!?」
あ、そういうことか。確かに何も知らないのに好きだと言われても俺も信用は出来ないだろう。
しかしその真実を確かめる術がない。心を読めるなら別だがあいにくそんな魔法はなければ残念ながら人の気持ちなど理解出来るはずもない。
好きだという気持ちの証明は難しい。だからコウハの言うことも分からなくはないが指摘はしても無意味なのかもしれない。
「それじゃあどうしたら信じてくれるかしら?」
「刀夜殿のどこが好きなのか言ってみて欲しい」
そんなので分かるの?
「まずは可愛いところね」
「第一がそれなのかよ」
そもそも俺は可愛いとは思わない。捻くれてるのは認めるが、それに可愛げがあると思うか? いや、ないだろ。
「重要なところよ?」
「確かに重要なところだ」
「認めるんかい」
こいつら俺が年下だからって本当に子供扱いしてないか? これでももう成人だぞ俺。まだ間もないから大学生と変わらないけど。
その後も次々にマオは俺の良いところを褒めていく。聞いてるこっちが恥ずかしくなってきた。しかし何でそんなにポンポン出てくるんだよ。俺なんて人の良いところを聞かれても5つくらいが限界だと思うが。
「た、確かに好きなのかもしれないがやはり私達とは違う!」
「そうかしら?」
妙に突っかかるコウハ。それを尻目に遠くを眺める。早く終わらないだろうか。あとコウハが力むので繋いでる手が物凄い痛い。ちょっと加減して欲しい。
「むぅ…………」
「コウハ、そんなに敵対しなくてもいいだろ?」
「駄目だ! ルナ殿が言っていた。刀夜殿は優しいから私達が女性関係に騙されないように見張っていないと駄目なんだ!」
「さらっと俺の悪口言ってないか……?」
誰が騙されそうって? 俺はそういうことに敏感な男だぞ。残念ながらその手の詐欺師に引っ掛けられそうになった経験がある。だからもう引っ掛かりはしない。大人の女は怖かった。
ルナには後できつく言っておくとして別段マオに怪しいところはない。話も筋が通ってるし……。何が気になっているんだ?
「私、別に刀夜ちゃんを騙していないわよ?」
「そんなこと信用出来ないと言っているんだ! いきなり出てきて刀夜殿と……その……き、キスするなんて!」
「あら、もしかしてあなたより先に奪っちゃったのかしら?」
「わ、私はもう初体験も経験済みだ!」
そういうこと大声で言っちゃ駄目。
「草食系かと思ったのだけれど、違ったのね?」
「ハーレムの時点で草食系はないだろ……」
いや、どうなんだろうか? 俺って肉食なのか草食なのか。それともロールキャベツとかいうの? 基準が曖昧過ぎてイマイチ分からん。
「それもそうね。ふふ、可愛い顔してるのに♡」
「その可愛い顔っていうのはやめてくれ」
「もしかして自覚ないの?」
「…………普通よりは童顔寄りだと思ってるけど」
よく年下に思われて実は年上なんてこともあった。いつまで経っても新人扱いだったしな。新人だったけど。はぁ……。
あ、コウハがまた不機嫌に。これはもうとりあえず距離を置いた方が良さそうだな。一緒にいても不機嫌にさせちまうだけみたいだし。
「コウハ、ルナ達呼んできてくれないか? 流石にこう何日も何もないんじゃ身体が鈍る。訓練もしておこう」
「うむ! マオ殿、刀夜殿に迷惑を掛けたら許さないからな!?」
「分かってるわよ。いってらっしゃい」
「むぅ……い、いってくる!」
コウハは忙しない様子で駆けて行った。ふぅ……とりあえずこれで何とかなったか。本当に身体も鈍りそうだしな。
「お前は見事に敵視されてたな……」
「そうね。普通だと思うけれど?」
「それが分かってるなら改善しようとは思わないのか?」
確かにいきなり出てきて恋人ですと言われてもルナ達が納得しないのも分かる。というか俺も納得してないから時間を置くことにしたわけだが……。
「…………私は人と仲良くしないと駄目なのよ」
「……どういう意味だ?」
仲良くしないと、というのは強制的な雰囲気を感じさせる言い方だ。
「お母さんとの約束なのよ。少なくてもいい、人と繋がりを持ってって」
「そうなのか」
確かこいつの両親は人間に殺されて……。それなのにそんなことが言えるのか。優しい母親だったんだろう。
「人間に殺されて人間と仲良く、なんて馬鹿みたいな遺言でしょう?」
「…………てい」
俺は軽くマオの頭をチョップした。
「痛い……何するの?」
「自分の尊敬する母親なんだろ? 馬鹿みたいなんてもので片付けるな」
こいつはその遺言通りのことをしようとしている。母親のことを慕っているからこそ出来ることだろう。
恨みもあるはずだ。殺したい気持ちもあるはずだ。そういうのを押し殺して仲良くなろうとしているのだろう。
「…………」
ああ、だからルナ達が怒るのか。そんな半端な気持ちで俺といるのが許せないのだろう。あいつら俺のこと好き過ぎだろ……。
でもまぁそうと分かれば方法はある。取り繕うだけの人生に価値がないことは日本で散々学んできた。こいつに同じ人生を歩ませるわけにはいかない。
「でも、その母親は確かに馬鹿かもな?」
「…………え?」
「人間に殺されておいて人間を信用しろとか利用されるだけに決まってんだろ。何言ってんだか」
わざと嘲笑するように言ってやる。心が痛いなどといった感情は無視した。俺は俺の守りたいものを守る為に誰かを犠牲にするだけだ。
「そ、そうね……」
「あぁ、本当に馬鹿だな。殺されて当然だ」
「…………」
おおう、怒ってる怒ってる。でも掴み掛かって来るまで怒らせないとな。一度本気で殴ってみてもらいたいものだ。
「お前の母親、本当に獣人族間でも大丈夫だったのかよ? そんなにも馬鹿なら絶対に獣人族からも利用されてただろ」
「そ、そんなことは……」
「あぁ、利用されていた、なんて知能すらないか。獣風情が馬鹿だもんな」
マオが震えている。これは悲しみなどではなく怒りだ。
尊敬している誰かを馬鹿にされて怒らない方がおかしい。だからわざわざこいつの母親に対してボロクソに言っているんだ。
「…………訂正しなさい」
「あ?」
来た。俺の想像通りだな。
「今の言葉、全部訂正しなさい!」
「訂正なんてするわけないだろ? 事実なんだから」
「…………」
強く唇を噛み締めたマオ。その瞳は温厚なものとは違い、そして怒りすらも超越して殺意を抱いているようだった。
「訂正しろ!!」
マオが殴り掛かってくる。あー、うん、痛いの嫌だな……。でも仕方ない。俺がそうなるように仕向けたしそうなるように罵倒もしたのだから。甘んじて受けるべきだ。
頬に入ったその一撃。身体強化魔法も使用されており、更に加えて獣人族は力が強い。
俺はその衝撃で壁を破壊しながら外へと飛ばされる。あ、危ねぇ。俺も身体強化魔法を使ってなけりゃ死んでた。
「訂正しろ……」
「ぷっ……! あ? 獣風情に頭を下げろと?」
口に溜まった血を吐き出しながら立ち上がる。サンドバッグとか嫌だなー……。どこのイジメの現場だよ……。
「萩 刀夜ぁぁ!!」
こうまで人は感情的になれるのか。そう感じるくらいにビンビンと感じる殺気に身震いした。怖っ。怒ったルナより怖っ。
流石に獣人の住処をボロボロにするわけにもいかないのでバックステップしながら後ろへと下がり続ける。
「待てぇ!!」
あり得ないくらいの速度でマオは俺を追い掛けてくる。は、速っ。
マオの打撃の連打をなんとか防いだり避けたりしながら住処の外へと出た。もういいかな。
「死ねぇ!」
マオの強烈な一撃。再び頬を殴られて飛ばされる。木々をへし折りながら飛ばされてしまう。
「ゲホッ! ゲホッ! 痛って……」
あれ、これもしかして俺死ぬくね? 想定より獣人族の拳が重い。いや、この場合は獣人ではなくマオの積年の想いと言うべきなのだろう。
しかし俺が引くわけにはいかない。立ち上がって笑みを浮かべる。
「この程度か?」
「萩 刀夜ぁぁ!!」
迫るマオに俺は嘲笑を繰り返す。これでいい。これがマオの本気であり本音なのだから。俺が、仮でも恋人の俺が受け止めなければならないだろう。




