第58話 友人の死を悲しむほどに関係性は深くはなかったけれど
浅野は何かに焦っていた。それを感じた頃にはその時は既に近付いていたのだ。
「ね、ねぇ萩くん」
「…………」
「名前で呼んでもいいかな?」
いきなりグッと距離を詰めてくる。何が浅野をそこまで駆り立てていたのか、俺はこの時無視し続けていたのが浅野を追い詰めていたのだと知るのは翌日のことだった。
変わらない日常。1人が構ってくれとすり寄ってきて俺が全てを拒絶する。本当にいつもの光景だ。
しかし無視をするというその点では俺はいじめをしていた側と何も変わらない対応だったのだろう。
その対応はどんどんと浅野を追い詰めていたのに気付いた時には既に遅かった。
翌日、いつものように屋上へ行くとフェンスの向こう側に浅野が立っていた。初めて会った時と同じだ。
「あ、萩くん」
「…………自殺でもするのか?」
「っ! 今日は反応してくれるんだね」
反応を見せたところ浅野は嬉しそうに微笑んだ。とてもじゃないが死ぬ間際の人間がする表情じゃない。
「自殺するならそっちじゃなくて向こう側の方が死ねると思うぞ」
「どうして自殺しようとした時に限ってそんなに話し掛けてくるのさ!? しかも言ってること前と変わらないよ!?」
浅野の怒涛のツッコミに面倒くさくなって無視してやろうかと思い始めた頃、浅野は悲しげに微笑んだ。
「……やっぱり距離は縮まってなかったんだね」
「あ……?」
距離? 恐らく物理的なものではなく心情的なものなのだろうが……。俺は元より浅野と親しくなった覚えはない。
「僕ね、明日には引越ししちゃうんだよ」
「ふーん……」
感想としては『あぁ、そう』くらいしか出なかった。興味がないと言っても差し支えはないたろう。
浅野は苦笑いを浮かべると自分のことを告げる。
「僕は中身は女だから。両親にもあまり良くは思われてなくてね」
「…………」
良くは思われていない、というのは俺自身も感じていることだ。俺の場合は血の繋がりがないからだとか施設育ちだとかだろう。それに俺が拒絶しているから、上手く取り繕っているからと言ってもいい。
浅野の場合は性同一性障害が弊害となっているのだろう。噂にもなっていれば近所から蔑まれても仕方がない。
「だから誰も僕を知らない所に引っ越そうってなってるんだよ。でも僕は知らない土地で自分のことを隠して過ごすのは難しいと思ってる」
「…………」
そんなものはやってみなきゃ分からないことだろう。だからと言ってもしそうなってしまったら、という不安は感じてもおかしくはない。
俺みたく一人暮らしでもすればまだ楽なのかもしれない。だが浅野はそういう環境に生きてはいないのかもしれない。
俺には浅野のことなど何一つ分からない。こいつに似た部分はあろうとも共通したことは何一つないのだから。
ここで否定も肯定もしないのは分からないからだ。何も言えなくなってしまっているからこそ何も出来ない。
何を言っても無駄だ。俺はこいつを拒絶し、こいつはこの世界を拒絶した。今更どうにかなるものでもない。
そこでようやく気が付いた。無視しながら、どうでもいいと感じながらも俺はこいつに少なからず同情していることに。
こんな感情はとうに捨てたと思っていた。同情など無意味だ。優しさなど一時の気まぐれに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもないと。
「…………」
醜い。醜い自分に吐き気がする。綺麗事なんて嫌いだ。くだらない戯言だ。だからこれは一時の勘違い……そのはずだ。
「萩くんはこんな僕でも普通に接してくれたよね」
「…………言ったろ。等しく興味がないだけだ」
そう、興味がない。俺は浅野が何をして、何をされて、どう感じたのか。そんなことに興味はないのだ。
だから多分これは似たような境遇で、浅野がまともだと思えた唯一の人間だったからだろう。
「そうだね。ふふ……でもだからこそ僕みたいな普通じゃない人を普通に扱えるのは凄いと思うよ」
自分が普通のそれとはかけ離れた存在だと理解しているからこその台詞だ。それもそうだろう、そういう面でこいつはいじめを受けていたのだから。
未だに学生というくだらない社会にしか生きていない俺でも分かる。人間というのはロクでもないもので、純真だったものからどんどんと荒んでいく。
子供が無邪気にはしゃいでいることも年を取るにつれて出来なくなっていく。現実を思い知って、自分の醜さに気付いていくからだ。その喜びが喜びで無くなってしまっているからだ。
学生という中途半端な時期では特にそれが顕著に出てくる。大人なら取り繕って浅野と接するはずだ。今よりももっと楽な生活になっていたことだろう。
浅野が望む未来がどういったものなのかは分からないが今となってはその未来すらも放棄してしまっている。
「俺個人としては…………お前はもっと報われるべきだと思うけどな」
「え……?」
心底驚いたように目を見開かれる。浅野のことはよく知らない。知らないが多分優しい人間なのだと思う。
優しさは自己満足だ。しかし環境を考えると俺が浅野の立場ならばその自己満足の優しさすら出てこない。
「俺なんかに関わらずもっと違う未来も目指せたんじゃねぇのかってことだ」
俺は怖いのだ。誰かに裏切られるのが。そして何よりも自分が傷付きたくない。
臆病だと言われればその通りなのかもしれない。しかし人間という醜いものを前にして平然としていられる方が俺にとっては異常だ。
だから浅野のことも無視をした。何もなかったのだと言い聞かせた。俺と浅野は似ているところもあるがやはり全くの別物だ。
「…………そんなことないよ。萩くんがいたから僕は色々な幸せをもらったよ?」
「それも違う。お前は世間一般的な普通を幸せと勘違いしているだけだ」
これも境遇のせいだろう。むしろ俺と関わったことそのものが不幸というほかないだろう。
「おい、あそこに人が!」
「やべーって!」
浅野の姿が下から見えたのだろう。騒ぎになっていく声が聞こえてくる。
「そろそろ落ちないといけないね」
「…………そうだな」
浅野は死ぬことを決心した。それを止めようとは思わなかった。言葉にしても何も伝わらないから。
「…………お前は俺が殺したようなもんだな」
「それも違うよ。僕は好きで萩くんと関わろうとしたんだから」
浅野は最後に満面の笑みを浮かべる。
「萩くん、僕は1人の女の子としてキミのことが大好きです。僕…………私と付き合ってください」
結果が分かっているのだろう告白程虚しいものもないだろう。しかし向けてくれた気持ちに俺は真っ直ぐに答えたかったから視線を逸らさなかった。
「…………友達には良いが恋人にはなれない。それが俺の答えだ」
「……うん。ふふ……それじゃあ僕と萩くんは友達だね」
その些細な幸せが嬉しそうに……浅野はゆっくりと手を振った。
「来世は幸せになりたいね」
「…………そうだな」
それは自分に向けてなのか俺も含めての言葉なのか。俺も幸せかと言われれば恐らく不幸だと答えるような人種だろうから。
「萩くんがこれから幸せになれるように祈ってるよ」
ゆっくりと後ろに浅野の身体が倒れる。確かにそっちは花壇だが頭からこの高さで落ちれば間違いなく死ぬだろう。
「…………友達になった瞬間死ぬとかな」
本当に俺は不幸だと思う。ゆっくりとフェンスに近付く。下は見えない。見なくても分かる。騒ぐ声で。
「きゃぁぁぁぁ!!!!」
「あた、頭潰れ!?」
浅野はもうこの世にはいない。その事実が胸に浸透してくる。不思議と悲しさはなかった。
悲しさはなくともなんとも言えない虚無感だけがあった。やる気にならなければ何かをしたいとも思わない。
屋上を離れて階段をゆっくりと降りる。あいつの見ていた景色はどんなのだったのだろう。それを理解することは俺には出来ない。
騒ぐ生徒達は興味本位なのかどんどんと走ってくる。俺はその反対を歩く。
世間一般的なただの好奇心。そんなものは分かっているが浅野の死を侮辱しているみたいで反吐が出る。
誰もいない教室に行くと鞄に荷物を詰め込んで肩に掛ける。こんなものでは授業も何もあったものじゃないだろう。
「…………お前が望まない未来をお前が作ったんだろうな」
廊下に出て窓から生徒達を見る。好奇心だけでなく絶望や恐怖といった様々な感情が見て取れる。ただそれは見れるというだけで本心では何を考えているのか分からない。
浅野はこんな世界で俺に幸せになって欲しいと願っているのだ。俺には土台無理な話だと思うがな。
やはり俺と浅野の意見は合わない。あいつはいじめを受けてもそれを自分の体質のせいだと、そして公に問題にはしなかった。多分俺は正反対の道を選ぶだろう。
あいつの取った行動でいじめは問題となるだろう。当然あの女子達も罰せられることになる。
隠蔽していた問題は妙な形で世間に知られることとなったわけだ。あいつはここまで考えてやっていたのかは分からないが俺の予想では多分考えていない。考える余裕なんてなかったはずだ。
浅野の死を前にしてようやく俺と浅野の関係は進んだ。俺がもっと普通で、それであいつがもっと普通であればこんな結末にはなっていなかっただろう。もっと違う世界で生きていれば変わったはずだ。境遇なんて人は選べないからこそこの結末になり得たのだ。
「浅野 ユキ、か」
名前とは対照的に温かい奴だろう。優しいそんな人間だったように思う。報われることなく死んでいった浅野と関わってしまったからだろうか。
もっと社交的に生きてみようと思ったのは。俺の選択で1人の男子が死んだ。だから今度は失敗しない。
「俺は俺なりの幸せを、か」
俺の人生が幸せなものであることを祈ってくれる唯一の友人の為にも俺も一歩踏み出す決意をした。




