第3章
完結しました。
ボートはまた小さな水路に戻り、走った。
「ここから、もっと先へ行きます。それと友永さんにぜひ見せたいものがある」
「見せたいもの、いいけど、そりゃそうと、恋、この船はどう動いているんだ」思わず名で呼んだ。
「ポイント入力、行き先をあらかじめ入力してあるの」恋は手馴れた手つきで、数値を入力した。
「なるほど、GPSでね」
ボートは大きな水路をひた走った。唸りを上げて、速度を上げて走った。爽快だった。
友永はおかしな気分だった、でも悪くないと感じた。歳の離れた無口な女と小さなボートで泥の中を走っている。たったそれだけのこと、それなのに結構楽しい気分だ。いつの間にかこの女との間に不思議な空気が存在しているように感じる。なんだかずっと若いころにもどった気分だった。それだけでも、今日は良い日だと感じた。歳をとると毎日が同じことの繰り返しにしか感じられないのだ。
***
ボートは中心地区を抜けて、小汚い大小の船舶やいかだの間をゆっくりと潜り抜けていった。様々な臭いがしている。料理、し尿の臭い、タバコの臭いや友永の知らない色んな臭いがしていた。それらを抜けると、目の前に視界が広がった。
そこには突如として巨大な島が見えた。いや、島ではない。建造物のようにも感じたがそれでもなかった。茶色の巨大な柱、直径二、三キロメートルはあるだろうか、それが天に向かって直立で伸びていた。友永はボートから見上げると、灰色の空の合間から、緑が見えた。
「あれは?」
「行ってみればわかる」
ボートはそれからしばらく走ってそのたもとに着いた。大きな船着場があり、そこから二人は降りた。
周りには雨の花の巨木が茂っていて、猛烈な匂いが立ち込めていた。それと大きな椰子の木やガジュマル、マンゴー、パパイアがあった。ハイビスカスなどの地球で言う熱帯性の花木があり、それらはよく手入れされていた。
そして、近づくとそれは、木のようなものだった。
「これは木か、なんて大きいんだ」友永は感嘆した。巨大すぎて大きな幹回りは壁のようでもあり、見上げても先がどこにあるのか判らない。
「こっち」
恋が袖を引っ張った。二人は少し走って、巨木の真下へ来た。恋は両手を木に向かって着いた。そして、友永を見た。どうやら、自分と同じ事をやれということらしい。友永は肩をすくめると、恋にならって手を着いた。
するとどうだろう。不思議と身体が温かくなった。それとものすごい勢いで幹の内側を水が上に向かって供給されているのを感じる。そうか、熱水が供給されているのだ。
「これは、木が吸い上げているのか」
「そう、生きている」
「なんて凄いんだ」
「惑星循環システム、美泥が池の水を吸い上げて、上空5千メートルから上で葉から熱と水を蒸散させている。この木がなければここは不毛の星なの」
「なるほど、こいつが美泥が池の環境を維持しているのか」
「そう、大樹システムと言われている。千年前に作られたテラフォーミングシステム、この地に雨が降り続けるのもこの木がそうさせているからなのよ」
「こんな途方もないものがあるのか」
友永はしばし、触りながら、巨大な木に父親のよう感覚をもった。恋は友永が驚いているのが、素直にうれしいといった表情していた。友永にここを見せたかったようだ。
「私はここを調べているの」と弾んだ声で恋が言った。
「この木を調べているの?」友永は意外なことを言い出した恋をみた。
「ええ、友永さんは物知りそうだから意見を聞きたいのよ」
「おいおい、私には専門的な知識はないよ。専門学校の土木科を働きながら出ただけだ」
「一般的な意見で良いの、聞いてほしいの。こっちへ来て」
恋は木陰の石を示した。そこには様々な模様が掘り込まれた石があった。
「ここは大昔の祭祀場なのよ」
「へえ、本当か?根拠は」
「あれが祭壇なの」と恋は指で示した。確かにそのようなものがあった。友永は考えた、確かにそれのような気もした。ならと友永は思った。
「まずそこらにある石の共通点を調査してみたら良い。それをマップに落として考えてみれば良いかもね。後はこういう遺跡には報告書があるはずだ。ないなら類似のものを参考に考えるとか」
「はい、それはもうはじめている。ありがとう、友永さんは何かを言ってくれると思った。また、今度見せるから」
今度があるのかと友永は思った。恋は大人しいように見えて中々に強引なところもあるようだ。
「こっちへきて、まだある」恋は友永を引っ張った。
一段池のほうへ下りた所、そこには大きなレリーフがあった。横二十メートル、縦八メートルくらいの玄武岩の大きな一枚岩に、巨大な木、この大樹システムの抽象化された形象図が刻み付けられていた。一部は苔に覆われていたが、図を追うと、この木の役割やメンテナンスが書かれているようだった。書いてある文字はアルファベットだったが、文法や単語がよく判らず内容が読めなかった。ただ、友永も技術者の端くれだったのでなんとなくそれがわかったのだった。
「私はこの木の花を咲かす方法を探しているのよ」
「花を咲かせる。そんな方法があるのか?」
「あるの、絶対に」
「なるほど、では何のために花を咲かすんだ。それにしても、木なら自然に開花するんじゃないのか」
「この木は開花しないのよ。それとこの木の花は特別なの」
「特別なのか、どういうことで?」
「この木の花は五百年に一度、この木のどこかにひっそりと咲くというの、そして、その花を手に入れることが出来れば、どんな願いをかなえられるのよ」恋は興奮したように言った。友永は別人のように饒舌になった恋の目を思わず覗き込むように見た。少しおかしくなったのではと、感じたからだ。だが、それはなかった。瞳には狂気ではなく、精神の高揚と想いを伝える誰かがいるということその満足が表れていた。恋は語ることが出来て心底うれしそうだった。友永は安堵した。
恋は友永に何かを伝えたいようなのだった。友永も恋の話を聞きたがった。
友永はこの願いをかなえるという話はどこからという質問を恋にしてみようと思ったが、やめた。この恋の話は広く人口に膾炙した伝承なのかもしれないと感じたからだった。それよりも友永は恋が何を言いたいのかその先が気になったのだ。
「ふむ、なるほどな、話はわかった。それが真実か否かと言うのは別として。もしかして、あなたはその花に何かを願いたいのか?」友永は思い切って聞いてみた。
恋はにっこりと微笑むと、友永から離れてレリーフに手をあてた。そして、木を見上げると「この世のやり直しを願うの、自分を含めてすべての人や生き物が幸福になるように、この世界の始まりからやり直すのよ。時の始まりから膨大な時間をね。それを願うの」と言った。
友永はしばし、恋の想定外の返事に驚いて、何もいえなかった。時間を巻き戻すこと、それは確かに夢だろう。しかし、それは友永には判断がつかなかった。友永はその根底にある願いが邪悪かそれとも正しいことなのか判じることができなかったからだ。
「それは本当にそう思っているのか?」今一度友永は恋に聞いてみた。
友永がこう言うと、恋はレリーフから手を離して、しばらく下を向いた。そして、こっちへと戻ってきた。
「ははっ」と恋は笑い。友永へ向くと「まあ、冗談よ。そうなれば良いと思ったのよ。そういう言い伝えがあるから」と言った。なんだかひどく寂しげな感じだった。
「そうか、神秘的な言い伝えだね」
恋は今度はひどく真剣さを帯びた声ではっきりと言葉を発音してこう言った。
「本当は・・・・・・、私はべつに真実でなくても良いのよ。その言い伝えを一緒に探してくれる人を探しているの」
友永は即座に答えられなかった。なんともいえない沈黙が流れた。
するとまた、恋は友永を引っ張った。恋にひかれて走る。友永は学生のときにでも戻ったかのように感じた。さすがにこの歳で走るのは少し恥ずかしかった。森を走っていくと、視界が開けて、先に一段低くなったところに、白い十字架が一面に広がっていた。
「ここはお墓か」
「なるほど、死んで、この木の礎になるのか」
「そう・・・・・・」
友永はしばらく恋とともに、雨が降り続ける墓を見ていた。
***
ひとしきり恋の講釈を受けて、ボートに戻ると、珍しく雨があがって、振り返った大樹の上が見え、緑の葉が天を被っているのが見た。神々しい光景だった。
ボートで沖に出ると、すれ違いに黒い船がやってきた。静かにゆっくりとしたスピードで進んできた。そして、小さな碇を降ろすと、小さな箱を抱えた女が現れた。友永がそれを見ていると、恋が「あれもお葬式なの」と言った。
男が出てくると、一緒にその箱を池に向かって放った。女は泣いているようだった。友永はあの男女の子供の葬式なのかもしれないと思った。
「陸の墓地は抽選だし高いの」と恋が言った。
「そうか、でも遺体は一体どうなるんだ」
「泥の中に沈んで、やがてあの木の養分になるのよ」
「そうか、ここはそういうところなのか、それにしてもどうしてここに私を案内してくれた」
「それは・・・ここにくれば、ここがどういうところか分かるから」そう言うと恋は黙った。
また、なんとなく無言になった。ボートはもと来た道を戻っていく。おびただしい木造の船の間を縫うように走り、降り出したざあざあ雨の中を走っていく。水上マーケットを抜け、ゴシックの橋をくぐり、カエルホテルの裏の船着場に着いた。
***
友永は先に降りて、恋の手をとってあげた。
突然、恋は小さく「動かないで」と友永に言うと、懐から小さなデリンジャーを取り出した。そして友永の足元を撃った。水色の大きな蛇だった。恋に頭を撃たれて血を吹いて石畳をのたうち回っていた。
「ゴム弾よ、護身用に持っているの。こういうこともあるから」
恋の持つデリンジャーから微かな烽火が立ち上っていた。
そこに友永は不思議と踊るような気持ちを認めた。普通なら身震いをするはずなのに、友永は自分の命がすんでの所でなくなる経験をしたのに、高揚していたのだ。そして、それは恋という女に何か特別の色を纏わせたのだった。
「これが水蛇というやつか」と友永は少し調子の外れた声で言った。
「そう、これが水蛇、噛まれると、二十分くらいしか持たない」
「死んでしまうのか」
「血清はあるけど、それまでほとんど持たない」そう言うと恋はボートの小さなオールを持つと水蛇を水路に落とした。頭のなくなった水蛇はクネクネと水面を円形に回って泳いでいたが、やがて茶色の水底に沈んでいった。
友永と恋はホテルに入り、ロビーで別れた。
「今日はありがとう。おかげでこの街のことがよく分かった。興味深い話もたくさん聞けた。それに助けてもらったね」
「・・・いえ」恋は友永と目線があうとそらして、下を向いた。
「それと、また良ければこの街を案内してほしい」
「はい」
恋は去っていった。
恋があの木の下で言った『この世のやり直し』という言葉は友永に強く響いた。友永はこの日を境に強い興味を恋に抱くようになった。
***
その夜、友永は地区長と会談した。地区長の依頼は国会の回りを再測量してほしいとのことだった。歴史地区を再整備して観光客を呼びたいという話だった。友永もこの地区長のやり方を正しいと感じた。この星を立て直すためには良いやり方なのではないだろうか。あの重厚で雰囲気のある町並みはすばらしいものだ。それを活かせる観光は現状で考えられる最良の選択肢ではないだろうか。友永の仕事は一月程で順調に進み、たいした混乱もなく終わった。友永はこの星がよい方向に向かうことを祈った。
友永はまた恋とあの大樹へ行った。そして、樹下で友永は恋とあの願いの言い伝えを一緒に探したいと伝えた。そして恋が好きだと伝えた。それから、友永は恋とほどなく結婚して一緒になった。
友永の退職金と恋のお金を合わせて、白い船を買って、大樹の近くで暮らすことになった。友永は大樹システムの下の墓地を管理する仕事にありついた。管理といっても清掃をしたり、伸びすぎた枝を落としたりそんな仕事だ。恋は変わらず宇宙港で仕事をしている。お互いに給料は安く生活は楽ではないが、幸せといえなくもない。
そして、休みになると、二人で大樹の開花について調べている。色々なことが分かってきた。恋と友永はこの木の秘密に少しずつ近づいていることを感じている。『この世のやり直し』が出来なくても、何かを探していければ良いと思っている。
今日も二人の上には優しい雨が降りそそいでいる。
終わり
大樹システムがオーパーツで、異星人の古代文明と関係してとか、「トータルリコール」のような話など、色々と展開を考えていましたが、不発に終わりました。これで終わりです、中篇どころか長めの短篇でした。
ありがとうございました。