第2章
次回で終わりです。後ほど掲載予定です。
次の日は八時に起きて、昨日の映画で気になっていた、サンドウィッチを食べた。生ハムとレタス、卵だった。レタスは新鮮で、ほかの食材も良い物を使っていて美味かった。それからシャワーを浴びて、念入りに髭をそった。
今日は美泥が池地区行政府の地区長と夜に面会して仕事の話をすることになっている。だが、それまで、さしあたってすることは何も無かった。テレビはまったくつまらないし、仕方が無いのでホテルの周りを歩いてみようと思った。そんなことを考えていると、古びたベルの音が鳴り響き電話がかかってきた。
「佐々木さんおはようございますレーニです。下に昨日紹介した案内人が来ています。いまからフロントに来ていただけますか。それと例の時計お忘れなく」
「わかった」
友永はジーンズにシャツを着て、銀時計を持つと、フロントへ向かった。見ると時計は秒針を進め時を刻み始めていた。友永はホテルの柱時計を見ながら時間を調節して合わせた。よく判らないが、ショックで直ったのかもしれないと友永は思った。
迷いながらフロントに着くと、そこには、レーニと女がいた。昨日の女だった。黒々とした髪が長く、真っ黒な大きな瞳に、整った小さな鼻、友永と同じアジア系で美しい女だった。昨日見た時よりも、ずいぶんと若い。女は友永を見ると小さく会釈をした。友永も頭を下げた。
レーニは朝から元気なテンションで「まあ、結局、本人を呼びました。ここで時計は返してあげてください。やはりあなたが池に行くのは危険ですからね。でも、どうしても、あなたが行きたいのなら恋に案内を頼むのがいいと思ったんです」と言った。
「君が李恋?私は佐々木友永と言います。測量を請け負っている会社のものですが。私としては測量を請け負う前に実際にこのあたりのことが知りたいんだ。君に案内を頼みたいのだけど。引き受けてくれるかな?」
「ああ、やっぱ行くんだ。まあ、仕方ないですね」とレーニが言った。友永はレーニの言葉に頷いた。
「はい・・・・・・判りました。私でよければ」こくりと恋が頷いた。
「引き受けてくれますか?それはありがたい」
「そうだ、時計返してください」と小さな声で恋が言った。
「ああ、そうだな」友永はポケットから時計を出して渡した。
恋がそれを受け取ると、裏表を確認して、恋は白く整った歯をわずかに見せると、大事そうに懐にしまった。嬉しそうな感じが友永にも伝わってきた。
「ありがとうございます」恋は小さくお辞儀をした。
「恋、この方、実情を知らないのよ。危ないところには行かないでね」レーニは恋の肩を叩いてこう言った。
「うん、わかっている」
***
友永は黒い傘をさした。恋も緑色の傘をさした。二人で雨の中を歩き出した。
玄関を出るとホテルの前には地球で言うクラシックカーが停車していた。中身は電気自動車だったがタクシーだった。
タクシーに乗るのか、友永は指をさしたが、恋は首を横に振った。
「どう行けばいいのかな?」
「まず、ホテルの裏手に行けばいいです」
ホテルの裏手に回ると、池に小さなボートが泊まっていた。恋がそれを指差した。アルミのような軽合金製で軽いのか、風もないのに、茶色の泥水の中にゆらゆらとしている。
これで行くらしい。石段を降りて恋に続いて、乗り込む。ボートは操縦席と助手席がある二人乗りで、本当に小さい。ボートには屋根とプラスティックの風防がついていて、雨に濡れる心配はなかった。
恋が操縦席の下にある小さなモーターのスイッチを入れると、操縦しなくても、軽快に船は走り出した。自動運転になっているようだ。
「ボートで美泥が池を見て回りながら説明していきます」と小さな声で恋が言った。
「なるほど、これは確かに効率がいい」
「ここでは一年のほとんどが雨降りの日、です」
「それは地球で確認した。テラフォーミングでの都合だとか」友永はそう言い恋を見た。
「そう、ここはそういう星、です」と早口で言うと、恋は目をそらした。今度はやたらに緊張しているみたいだ。人見知りをする子なんだろうと友永は思った。こちらから話しかけてみよう。
「別に敬語はいいよ。お互いに気楽に行こうじゃないか」友永は促す。
「はい・・・・・・」恋は小さな声で言った。
「美泥が池はどれくらい深いんだ」友永は質問を続ける。こういうときは遠慮して黙っていないほうが良いのかもしれない。
「いえ、深さ自体はそんなにないです。一番深くて、二メートルもない。でも・・・、その下にある泥が深い」
「底なし沼みたいなものか」
「そう」恋は大きくうなづいた。
「話は変わるけど、昨日、宇宙港の前であったね」友永は質問を変えてみる。
少し間があって「そうですね・・・その、逃げ出したようになってしまって、すみません。私は宇宙港で働いているの。それに遅れそうになって」とすまなそうに恋は言った。
「ああ、あそこで働いているか?何をやっているの?」
「バックヤードで事務とお掃除とか色々」
「なるほど、頑張っているんだね」
恋はなぜか突然押し黙った。しばらくするとコンピュータが再起動するようにこちらを見上げた。
「佐々木さんは測量士なの?部長さんだとか」と小さな声で言った。
「ああ、テレビニュースを見たのか?まあね。下請けの作業員さ、測量部長なんて大それた肩書きだけど、社員が十人足らずの会社なんだ。だから全員に何がしか肩書きがある。そんな会社だよ」
「そうですか・・・」
***
ボートは水面を覆う浮き草を掻き分け、小さなモーターの音を響かせながら、舟と舟の間を走っていく。いきなり先で大きな怒鳴り声がする。アフリカ系の大男が、訳のわからないことを言いながら、酒瓶を少し大きな舟の上からこちらめがけて、投げつけてきた。酒瓶は二人の乗る舟の横を掠めて水路に落ちてしぶきを上げた。友永は男を睨みつけた。ボートはそのまま速度をあげて進んだ。
「だめ、ああいう人はドラックでおかしくなっているから。刺激しちゃだめ、無視して」と恋があわてた調子で言った。
「なるほど危険というのはこういうことか」
「この地区はとても貧しい人が多いの。中にはああいう人や、犯罪者もいる」
「レーニの言っていた通りだ。しかし、殺されるってほどかね。自分も地球じゃ治安が悪く貧しいところで生まれ育ったんだ」
「そう、地球にもそういうところがあるんですね」
「あるさ、それはそうと、みんなどんな風にここでは生きているんだ」
「仕事はまあ何とかあるの、住宅は自分で作ったり出来るし、ここは暖かいところだから何とかやっていけるのよ」
「なるほど、君やレーニもそんなふうに暮らしているの」
「ええ・・・まあ、そうです」
「あなたは一人暮らし?」
「はい、両親が近くにいますけど・・・」
「そう、ご両親はご健在なんだね。そうだな、ここは、どんなところが良い?言ってみてくれ」
友永は質問を続ける。
「ここは、いつも雨が降っていて、とても静かなところなの、それにすごく自由なの、住むところだって、舟だから、移動できるの、場所が空いていれば、どこに住んでも良いの。気に入ったところで気楽に暮らすことが出来るの」恋はうれしそうに言った。
「なるほど、あなたはここが好きなんだね?」
「ええ、私はここが好き、それと、大好きな場所もある」恋はちょっと元気よく言った。友永は素直で良い子だなと思った。それと受け答えから、この子は内面はしっかりとした部分があると思った。そんなことを続けていると少し打ち解けてきた。
「じゃあ、名物は何かあるかい?」友永は例の質問を恋にもしてみた。
「そうね・・・、タイタンガエルのから揚げが名物かもしれない」
タイタンガエルが出てきた、友永は昨日深夜の料理番組でそれを知っていた。
「上質な鶏肉よりも美味いんだろ」
「あっ、何で知っているの?」
「昨日テレビでやっていたよ」友永は笑った。
***
船は大きめの水路に出て進む。両側に古い石造りの集合住宅が現れた。対岸を結ぶために、屋根つきの石橋も架かっている、地球のベネチアみたいな感じだ。やはり、ゴシックの尖塔を持った立派な建物が沢山あった。ケルンの大聖堂のような、巨大な物もあちこちにある。
「ここは?」
「中心地区、教会、役所と学校とか病院がある」
「なるほど、それにしても、なぜ、こんな古いつくりなんだ」
「機械文明を抑制しているのよ」
「ああ、そうか」友永は解した。
今では、人間の生き方自体が、すべて機械任せになっている。それは、いい面もあるが、負の側面も大きい。このタイタンの美泥が池地区では、色々なテクノロジーを大幅に規制しているのだろう。政府の中にはそういう政策を採っているところもある。しかし、概してそういうところは貧困状態にあることが多い。友永はそれを聞いてみた。
「それにしても貧富の差が大きすぎる。貧しい人の割合はどれくらい?」
「正確にはわからないけど、ほとんどが貧民なのよ」
「ふむ、それは多すぎるね。なんでそうなったんだ」
「ほとんど人の手でやるから、それと、ここには産業がほとんどないから」
「そうか、まあ、でも、それはどうなんだ」
友永は大体のところを理解した。ここにはたいした産業もなく、それに見たところほとんどの機械文明を拒否しているようだ。発展が低い位置で停滞してしまったのかもしれない。
ボートの進む水路は大きくなり、議会の前を通った。議会はロンドンのウエストミンスターに似た立派な建物だった。横には緑色の広大な芝生があった。その右隣に高い時計台のある建物がある。
「これは私の通っていたハイスクール」恋は少し誇らしいらしく指差した。
「なるほど、趣のある」友永は感想を述べた。
凝ったつくりのヴォールト天井の回廊が左右に伸びていて、校庭には緑の芝が見事で、クリケットでも出来そうな感じだった。
「ええ、中の意匠が百合をモチーフにしていてとても見事です」
「ほう、なるほど、それにしても歴史主義の建築物だらけだ」
「千年前、ここを開拓した指導者の方針でこういう街になったんです。私はとても気に入っているの」
石造りの建物、高い尖塔とバラ窓、濡れた石畳と空に浮かびあがる巨大な木星、そして降り続く雨、暗く陰のある町並み、友永は自分もこの風景が悪くないものだと思った。重厚で独特な雰囲気がある。
「なるほど、自分も統一感と落ち着いた雰囲気が良いと思うよ。歴史主義の建築物は人の心を落ち着かせ、内省的な考えを促すような気がするな。自分は地球人だから少し暗いと思うけどね」
「そうですか・・・でも、私は難しいことはわからないから」
「ああ・・・いや、質問じゃなくて、独り言だ理屈を言ってすまん」
「いえ、別に、少し感心しました」
***
それにしても、新しい建築物はほとんどない。何か訳があるんだろう。
しかし、友永はこの状況で自分に何か仕事が用意されているんだろうかと思ったのだった。新しいものを建てたり、改築することのないところに測量士や建築家は必要がないのだから。
「あの花は?」友永は前から気になっていた花木を指差した。ハイスクールの前にたくさんあった。
「雨の花」
「なるほど、強烈で甘い香りだ。ここまで香ってくる」
「ええ、お葬式のときに棺桶に入れる花なの」
「葬式のときに・・・まあそりゃそうか」友永はこういうと思わず笑った。恋は何も言わなかったがどこか雰囲気が和んだ。
***
どこからか鐘の鳴る音が聞こえてきた。昼になったのだろう。友永は空腹を感じた。
「そろそろ、食事にしたいな、何かないかい」
「そうだ、良い店があります。学校に通っていたときによく行ったところ」
「ほう、そこでいい、行ってみようじゃないか」
恋は自動操縦を切って、手動で小さな水路にボートを進めると、水路に張り出した石の階段があり、横に小さなボートが泊まっている場所に着いた。
タイタンラーメン「木星家」という看板が出ている。換気扇が回っていて、豚骨を炊いている匂いと麺を茹でている小麦粉の匂いが混じって漂っていた。食欲を刺激する友永にとっても懐かしい匂いだった。二人でボートを降りてもやい、階段を上って、中華そばというのれんをくぐって店に入った。
店は意外に広く水路側に調理場とカウンターがあり、右側にテーブル席が並んでいた。内装は木であしらえてあり、レトロ調で落ち着いた雰囲気だった。時間は昼前で客が入りだしたところで、ハイスクールの学生やサラリーマンがすでに何人かいた。
友永と恋はテーブル席に座った。白人の若い女が注文をとりにきた、友永はラーメンにタイタンガエルのから揚げと小ライスがついた木星セットにした。恋はチャーシュー麺の単品を頼んだ。
「タイタンガエルどんな味なんだろう」
「まあ、私たちは食べなれているから、鶏肉みたいな感じよ」
そんなことを話していると、ラーメンが運ばれてきた。豚骨ラーメンだった。白濁したスープに鶏油が浮いていて、焼き豚、海苔、ほうれん草がトッピングされていた。友永は胡椒をたっぷりとかけると、スープをすすった。マイルドで美味かった、麺は中太で好みの湯で加減、恋も懐かしい味なのか満足そうに食べている。
そして、待望のタイタンガエルにとりかかる。箸で口に運ぶと、さくっとした衣に、醤油ダレの下味がついていて、しっとりとした肉質だった。味は確かにチキンよりも繊細で淡白だった。あの赤と黒の横縞のグロテスクな外見からは想像もつかない。
「美味いじゃないかタイタンガエル、確かに上質の鶏肉に勝るかもしれないな。それにラーメンも良いな、地球でもこういうのはなかなか食べられないね」友永は少し興奮気味に言った。
「それはよかったです。タイタンガエルは昔から養殖されていて、ここでは一般的な食べ物なの」
「肉に変な癖がないね」
「そうなの、あの外見だから、こっちの人でも嫌がる人もいるけど、なかなかおいしいのよ」
友永は海苔でライスを巻いて食べたり、紅しょうがを入れたりとラーメンも楽しんだ。しかし、油の浮いたスープはあまり飲まないでおいた。豚骨ラーメンはうまいのだが、後で胃がもたれそうだった。
食事を終えると、友永は支払いを済ませて外へと出た。
ありがとうございました。