しょーとすとーりーず22
Pum!
Pum!
Pum!
入眠の証しとさえいえるはずの夢の入り口で、強烈な打撃音の連射に促されてハタと手渡され突然訪れるパラドキシカルな目覚めから、強強度なるあの入り口はもたらされていく。
Paaummb!
PommbPommbPumpPumbPamPommn!
PaermnbPumPumPummnbPombPamnbPumPumb!
Pum!
PumPum!
P!P!PPPPP!
PumbParmbPombPomb!
PuPumParmbPombPPPPPPPPPPPPPPPumPumPum!
マシンガンが規則的な強いリズムを撒き散らし、不規則で不安定なリズムが不気味に被さっていく。
アタックの打撃の海、爆裂に連続するビートのあらし。
だだっ広いエントランス、空間を無数に区切り附けた精確な模様に描く長蛇の列の先頭、一体どれだけ長いあいだ、私はならんでいたというのであろう。
Pum!
焦燥・・・
搭乗手続きを手速く終えなければならない。
Pum!
受付台に乗せられた、肩幅くらいの段ボール箱。
私は金ベラをボール紙の隙間に噛ましてヒネリを入れてみる。
Parmb!
段ボール箱から甲高い破裂音が弾ける。
私はホドカレタ段ボール箱の接着面を開いてみる。
ボール紙、接着面、焦燥・・・
Parmb!Parmb!Pamnb!
開きの下には更なる接着面。
私は列の後尾を恐る恐る振り返ってみる。
不機嫌な苛立ちの表情をながいれつの全身が現しているように思われた。
不機嫌な大蛇・・・
Pum!Pum!Pum!
接着面、接着面、接着面、接着面・・・
焦燥。
いくら焦って忙いでみたって、接着面の奥に決して入り口は見あたらない。
段ボール箱、ボール紙の入れ子に継ぐ入れ子・・・
これほどの脱出不能の経験ははじめてであった。
ああぁ・・・
・・・
結局、その日はそのまま目を覚ました。
覚醒の夢なか、悪夢の感覚を追い払うことはできずに、私はなにひとつ達することは出来なかった。
手の甲をみた。
まだ夜だった。
月明かりが青白く私は照らされて艶めかしいようであった。
Parmb!
PommbPommbPumpPumbPumPamPommn!
Pomb!
PumbParmbPommnPombPomb!
PuPumParmbPombPumPumPum!
PumPum!
PumpPamPum!
PumbPommbPummnbPamPumb!
Pummnb!
PommnPummnbPumPumParmbPumb!
Pommn!
PummnbParmbPomb!
PamPumpPumPum!
PummnbPommnPumParmb!
Parmb!!!!!!!
いつものように谺ダマしている。
深い眠りに包まれているはずの私、だだっ広いエントランス、風景、クリスピーな弾丸の拡散する、あのお馴染みの、あの感覚が私を普段夢とは袂を分かたせあの特別感へと染み渡らせて私を満たしていく。
受付台は眼と鼻のさき、順番待ちは近い、目の前の男性がついにあきらめて列より退いた。
私の番である。
Parmb!
手慣れた手捌きで、私は段ボールのうわぶたを分断する。
失敗。開きから現れたのはまた段ボールのうわぶたである。
いくつもの長蛇の列をたたえたこの広大なエントランス。
手続きに成功する例は、不思議なことに、長蛇の、列と列とのたまさかのあいなかに、ふいに出現している全くの不人気なる受付台、あたかも渓谷のようである、そんな無列の受付台に並んだ場合、である。
そんな、幸運な場合に、手続きの成功の例はもたらされる可能性は、最も極まっている。
私の場合は、だ。
列の先頭付近で、必ずしもあの、夢のはじまりの感覚は、決まって訪れるのであるから、私には、選択権はないのである。
ただまつばかり。
決まって、無列の列に始まる成功の栄光か、長蛇の列の先頭付近に始まる失敗の不名誉か、があるばかりであり、そして今回私の後尾に長い長い長蛇の列が延びゆくばかりである。
しかしそれも一概ではない。
すべて、確率の問題である。
それを運と取るかスキルととるか。
これは、パチスロの設定に似ている。
私が引き当てた今回のこの台の設定は、おそらく低設定に違いない。
問題は、確率をこえた確率を獲るちからである。
Parmb!!!!!!
うわぶたのむこうに・・・
成功!!!!!!
箱の中、液体、薄く濁った黄緑の液体が、箱の中いっぱいに湛えられてある。
私は、全身を液体で濡らして、にがいあじ、箱の中の世界へ、めから、頭の先からもぐって落ち込んでいく、はなから。
すうっと全身を強い強いちからで吸い込まれて私は、みみから、この肉体をある遠くの一点へ向かって、こうこうから、それはこの液面の深い深い奥底にあるようであり、ぜんしんのけあなから、手の先あたまの先からぜんしんと爪先までにその深海に潜むブラックホールへと、へそから、引き千切られて細長く延ばされて仕舞っているカンカクに私は占領されている、せいしょくきやはいせつきから、そして意識は燦らびやかなミクロの繊維に成り遂せている、たんさんすいがはげしくさわいではじけるはじける。
痺れ、電撃、電流・・・癲癇、忘我、
乖離・・・
感覚は瞬間移動し異世界へ。
スタジアム。
麻痺から、徐々に、痺れの感覚を取戻していき、私は、この、刷新された肉体の感覚への勘を、手探りしながら取り戻していくのである。
金と黒の混濁と錯綜、燦らびやかなキン、ではなく、所々煤けた、それによってより重量感を増やした金属の、呻き、軋み、重み、圧。
スタジアムを埋め尽くす数々の新奇な生命たちのかたまり。
喚声が怒号してかたまり、グチャグチャに雑じり遭ってたかまって重々しき波の結合して押し寄せ私の金属の巨大な肉体にぶつかって、反響と震動を拗じらせ喚めきたてて私はソノマグマの如き喧騒を倍加させてしまった。
増々たかまりゆく熱狂。
謎深き巨大異惑星なる巨大工場、巨神兵と巨大機械の連なり、ソレラを眺め下ろす莫大な観客数、スタジアム、実在する異世界。
私の意識は工場の機械の一範囲へと癒着して、同化している。
パシフィックリムのイェーガーの操縦感覚、私は、巨大で剛強なるロボットのようなモノである。
工場全体において、常に皆が揃うわけではない。
しかし、私が入るマシンは必ずひとつ。
私の内面には様々な感覚が沸いては鎮ずみゆく共感覚と、工場全体の意識への絶対的確定的信頼的で明晰なるシンパシーが漲り、しかし併設するように私自身の自意識の柱が走っているコトも事実である。
巨大な鉄球がある。
派手派手シクナリヤマヌテッパンであり最大級の歓声を生む花形。
私は、その直ぐ隣、壁とも見紛うヘンテツもない大きな単純な機械のボディであり、その唯一の機能は、使いドコロのないようなリフトコンベアであるが、その役立たずのエレベーターを、意味もなくもれなく稼働させていることにしている。
それが、私が、覚醒したる、目安となっているコトだろう。
宇宙ソノモノのオーソドックスな捉え方をすれば、私達の立場や存在意義のピントが合い始めてくる。
自分に向き合う事とは、そういう事なんだ。
私達において、世界、存在、つまり隣接する全てには、極微なるは極微のレベルへ向けて、厖大なるは厖大へ向かって、際限なく階層を湛えてしかも階層自体がその全てであり、それゆえ、その階層のいちいちに、意識があり目的がありルールがあるのである。
階層、ひとつひとつの意識、目的、ルールは、独立して存立し又、絶妙に絡まって共生し、全体を、はたまた各パーツその全てを、奇跡的な秩序に固めあげている、悠然とクロスオーバーする混沌のスパイスに塗ぶされながら。
私が知る範囲は狭く、必要最低限である。
この夢は、覚醒である。
実在の異惑星における一存在に私はなるのだから。
私の意識はアバターに憑依している。
しかしこの実在なる異惑星において、私のマテリアルな実体は、この異惑星における物質そのものである。
この文脈においては、私の霊肉は、裂かれている常態にあるだろう。
しかしこの階層だけでは、語り仰せているはずかない。
私の意識は、遥か異惑星へと飛んでいる。
私の肉体は、私の肉体を収める我ら世界の自部屋やそれ以外のいずれかの寝床にて、スッポリこの我ら世界内にて収められているが、平行して私は遥か異惑星のアバター自体を、私の肉体として、認識し運動するのである。
意識と肉体の移動。
つまり私は、旅をしている。
遥か。
宇宙の果てへと。
それだけではない。
私が旅し、存在しているこの異惑星、遥か遥か永劫の最前衛たる尖鋭未来世界である。
物理的距離だけではない。
時間的距離をも、遥か超えて旅し跳び越えてしまっていたのである。
同時に私は、我ら現世界においても、意識を収め息をしている。
階層。
レベルの、ピントの問題だけである。
私達は、任務を請け負い旅路を強制されているのである。
安楽さや、煮詰められ凝縮仕切った興趣を伴って。
もののみかたのいち角度においては、権利、とさえ認識する人々だって少なくない。
私達がこの夢から目覚める時、私達には、その達成に応じた報酬が、必ずや与えられる。
この、夢、と同時に実在を、労働、と解釈する者がいる。
稼働と実績に応じ付与されし報酬。
これを労働と呼ぶに反する条件など、何ひとつもない。
これを、格闘技と捉え没入する者もいる。
フィジカルとフィジカルの激闘、勝ち獲るファイティングマネー。
少し角度を違えて、操作性に精神を特化している人種もいる。彼にとってこれはテレビゲームとしての道場破り、賞金稼ぎである。
ある者はギャンブルである、ある者はスポーツである、ある者はサーカスである、という。
その、全ての認識に、違う要素はない。
各個人が、それぞれ認識を明瞭にもっていればいいだけのことである。
巨大な巨大な競技場と見立てることができる。
無限に繋がって地平線を結ぶ広大なヒロガリ、緻密に埋め尽くしざわざわざわ、稼働と稼働がブツカリ鬩ぎ合い、金属どおしの、コンタクトがセワシナイ。
頭上を天井が覆っている、透明な天井、その遥かなる平面を踏みびっしり覆い尽くす観客の群れ、群れ、かれらにとってコレハ透明な床なのである。
背中合わせの地と天、薄い薄いミクロの膜であり、最強の強度をそれは示す。
金と金との立ち合いや取っ組み合いに巻き起こる豪風圧などもろともしないのである。
更に上えなる層に、天幕が覆っている、無限に続く金属の延べヒロガリ、幾何学のパーツが無駄のない完璧なパズルに羅列して一面に繋がって無限の天幕をなしているのだ。
白っぽい滑らかな光沢を柔らかく、凛ト硬タク、正しく柔と剛を備えた究極の金属として堂々たる燦ラメキ。
この3層に顕れる3つの界が、この惑星なのである。
機械の動作によって、ポイント獲得がなされる。
敵との相克、味方へのアシスト、自らのパフォーマンスの達成。
その輝かしい全ての場面において、細かな星型の砂粒が大量に撒き散らされ噴出する。
その粒子は、天井も床も、生物達もレーザー然と透過する、極微なる粒子であり、それは眩しく眩しく発光している、そして最上層である金属の天幕まで届いてしまう。
光る粒子が天幕の面に達すると、その噴出物の当たった面に敷かれた幾何学模様の金属の羅列によるパズルのその一部分が、そのポジションへと寄り集まって一領域と固まって、オリジナルな色彩を発色して、美しく輝き、それらが幾重に組み合わさってグラフィカルな模様に浮かび揚がるのである。
発光する砂粒の、粒子が、天幕の表面を覆い尽くす粒子の膜をおすのである。
天幕の粒子の膜の後ろに普段は覆い隠された色彩の金属があって、発光する砂粒の、光が、その金属のオリジナルを、照らすのである。
それは、美しく、夢幻的な反映と、はんたいに、マテリアルな光沢とに織りなされた妙に物質感の高く押し迫る花火、という、唯我独尊な芸術を生み出す。
金属と金属、重重しく、衝突し変型し、ブツカリ合いの重なりの結果が、新たなフォルムの誕生を喚んでいる。
硬質で剛健かつ、柔和で嫋やかなる、金属どおしの、鬩ぎ合い、音響、振動、風圧・・・
そしてスパーク!!!!!!
天幕をツンザク電撃、火華、火華、火華!!!!!!
極彩色!!!!!!幾何学スル複雑怪奇ナル模様、
デザイン!!!!!!
金属ナル巨大機械世界の格闘が、性交が、弱肉強食と自由が、エンターテインメントが、芸術が、全てが渾然一体となって全ては騒いでいた、パフォーマー、観客、天幕、その全てが!!!!!!
とはいえ、激化するばかりが白眉となるとは限らない。
そればかりか、ルーティン・システムの一部とされる日常運動の、慣性とすら呼べる代物が、スパークの奔流を生み出し、期間記録のベストを更新する、といった出来事は日常茶飯的である。
自動性に刺さった白眉!
実際巨大工場でなされゆく生産業務は、プラマイゼロの均等性に還元されゆくことを最終形の旨としている。
妄執的視野を捨てない限り、これは完全なるジレンマの兆候である。
個的事象の観点から名指しされている生産、とは、増幅を意図しなければ価値・意味がない。
それは主観のみにおける利益の追求となる。
裏表、両面価値から始発しアプローチされ計測されていくその二重意図の枠内における需要と供給の四元素、またの名ドッペルゲンガー、かくいう分裂症を社会全体がこじらせているもの、と考えてみる場合、利益とはもっともっと簡単な骨組みに削ぎ落とされるのである。
循環こそが利益、いのち、すべて。
より広範囲へと視野を拡大してみよう。
我と我らすべてに地続きでありのみならずそのすべてがわれじしんであるところのこのわれわれ大宇宙じしんの展望。
この大宇宙全体がひとつの池であるとする、池の中では、大小様々な生命の活動があり、そのすべてが食物連鎖の一部を担いひとつの環をなして、それはウチュウとよばれ、セイメイとよばれるのである。
池の中の弱肉強食で、最も強者とされるものがいる、ところが強者だっていずれは死を迎える、一等劣者たる弱者の群れがチームプレーで追い込んだかもしれない、単に寿命かもしれぬし、食糧難による餓死かもしれぬし。
いずれにしても、重要であるのは、池の中の、最大の強者が、死する後の運命にて、最弱者たるプランクトンの餌食となって環が完成していく、ということだろう。
循環のなかには強弱の真理は成立しない。
これは、世界全体においては、善悪を成立させる指標がどこにも立てられない沼のようであることと、全く同じ論理である。
強弱の成立しない世界の冷戦。
強弱は循環する、循環し球体となる、世界が均衡し球体となりし場合、それはすなわち宇宙と名指されゆく。
ところがもし、大宇宙、つまりこの池全体が、停滞し、循環せずの常態をはじめてしまったら・・・
強弱の駆け引きはおろか、たちまち池は死に果て腐れ全生命が潰滅を迎えることだろう。
これが、循環の精髄だ。
世界は循環し、世界は宇宙である。
工場は、循環を旨としている。
工場、ひいては巨大惑星全体へと範囲を蔓延して、均衡を崩さぬよう循環しているだけである。
一見地味に思われたパフォーマンスの描いた白眉。
自問自答の中に答えが潜んでいる。
工場=巨大惑星=大宇宙全体。
イコールで全てを結ぶことができれば、循環のみに特化し、研ぎ澄ませてゆくばかりである。
自問自答。
この大宇宙は、イコールで結ばれた運命のただなかであるか?
この巨大惑星は、大宇宙全体へとイコールで結ばれし、究極の次元の権化、であるか!!
・・・・・・もしかすると・・・・・・
巨神兵の工場。
生産ではなく、循環を旨とする。
地味なる慣性にあらわれた、
スパーク!!!!!!
完成なる感性。
滋味なる旋律に載せられた戦慄、
鮮烈!!!!!!
喚声をあげている。
惑星の住人は、ギャンブル、株取引、などとおのおの別様にとらえ、日々慣性を探している。
かれらは、みな、完成を遂げている。
・・・で、あるとするならば、この巨大惑星は、少なくも宇宙において、最大級のスタミナを有する恒星の勇壮なエネルギーとの幸福な婚姻を果たしており、約束された時間のプールに泳いで、理想的循環の環を結すんでいるということであろうか。
答えの半分は、ノーである。
なぜなら、その解答の第一が、惑星の進むスピードが光速を超えている、というもので、それは外部より到達されうる一切の光やエネルギーが届くはずのない、というカラクリ仕掛けに、はじまっていくのだから、土台、かつての宇宙の法則からは、突き抜けてしまって仕方がない。
理想的循環の環を結んでいる理由は、惑星、おのれじしんによって、であり、恒星に代表され考えうる外部よりのエネルギー供給は、必要ない。
それどころか。
惑星は惑星の枠を超えみずからがエネルギーの源泉となりゆく、恒星を越えそれはすでに恒星だった。
惑星は、みずからが、恒星、であった。
恒星より独立し遥か遠く永劫の尖鋭未来世界へ向かって突き進む道をこの巨大惑星は歩むのである。
惑星が、惑星内にて開発し完成を遂げた、独自のエネルギーによって重力なしで生命や世界を引き付け、惑星は、自家供給による究極の循環を、理想的に、結んで仕舞った。
惑星には、無際限なるエネルギーのループシステムを完成した・・・
惑星を、我ら太陽系に当てはめるなら、土星のような輪をもつ惑星である。
寄り集まって輪のパーツとなされているその塵や岩や氷塊の一つ一つが、惑星の住民の利用するワープのためのツールの磁場と改良されている。
それら一つ一つのワープ場には、+と-のいずれかの特性があらわれ、かつてこの巨大惑星が旅路の途上生命に住みやすい環境である星を見つけた際に、設置班の一グループが、暫しの別れを告げてその、ワープ場の一つの逆の極を設置したものである。
リスクをもろともせず帰還した設置班は、新しい星へのトンネルを惑星に授けることとなった。
彼等は英雄として刻まれていた。
エネルギー、食糧問題を持たないこの巨大惑星の住民にとって、殺し合い、奪い合って勝ち取られる生命維持のタスキなどが、はなから存在していないに等しい。
惑星地下に繰り広げられているゲームの熱狂にただひたすら、興じ続けるばかりである。
ゲームで負け続ける者も、数えきれぬほどである。
それでも、この星にあっては、飲み食いにあぶれる心配、どころか、本質においては、飲み食いの必要が全くない。
天文学的負債を抱え借金の無間奈落に落ち込む者、彼らは却って生命力の焔をギラつかせている場合が多い。
惑星にエネルギーや食糧難の問題がないかぎり、世界から労働という役割がなくなってしまった。
賭博のニオイが惑星全体へと続くばかりである。
ゆえに惑星の住人が、労働のための対価を求めた場合、このワープ路線を使って別の星にとぶ。
利益、生産をなさない稼働。
循環のみに特化している謎の稼働。
惑星にとって、必要なる循環とは何であろうか。
大気であろうか、水であろうか、大地であろうか、いや、この惑星の果たした発明は、それらの循環すら超越している。
生命に孕む集団へと促されゆく行動原理は、重力の引き寄せるカオスより出立し涯てしなき終焉までへと曳かれ延ばされ到達する雨垂れたる証かし、定着という定理、宇宙の最根本の秩序のはじまりにつらなりてはじきだす。
そうシテいま壱トツ、それは、条件というカタチでひろがってゆく派生というあらわれへの衝動、ベクトルである。
恒星の導きゆくカンゼン無欠な共生への強制。
それを蹴破るコトで、宇宙の中核より訪れた、内部より発生した共同、原理。
遺・伝子。
分裂しソレハ群れ、嵩張ッテ社会ソレハ、世・界へ・と、、、、、、。
循環ニ旬間ス、。
生命は母体よりの独立を声明した。
それでいて、生命は、母体よりマヌガレル術をモタナカッタ。
外部たる名目において赦されたる吸収の救済処置である。
端からガイブであり、それは内部でしかナカッタ、個々ナル存在全体シャは、派生し定着し、それは外枠を誇る集合であった、ソレハ集合知ナノデ、あった。
惑星は、現象と幻想の狭間の透明なる恒星をまず仮定した。
それから逆算していく。
未来より派生する定着がーる、未来に自生する集合がーる、未来は確定され、過去がインフレしている。
宇宙の最前衛たる尖端に時空をキザム、血の歴史の改革はハジマッテ簡潔にナッタ、瞬時は完結している、時空の開拓はタケナワ、いつの間にか遠い遠い太古よりの伝記にかいてあるとおりに超未来ははじまってすでにかんけつしている。
時間軸を未知へと、宇宙領域を未知へと奥まり、開拓していくこと、未来世界へ向かうことを長らくのあいだ続けていく、すると、みちなる世界へ向かうことが、未知なる世界や現象をこれから引き込み、さらにさらに別次元に大量の現象を引き込んでいく、ブラックホールの心境と一致してくる。
未来世界へ向かうことで、時の停止が、もたらされる。
すると、殺生ののちにひろがる、食い繋いでいく、世界の輪が、霧散していく。エネルギーも、睡眠も、金も食事も、必要ない。そんな世界には、意志がのこる。
意志が、全てに先立つ。
ただ内部の破裂が確定となっており、あわれ顕れ洗われ、おり、外部がただ引き締まりおり、一体となって全ては一つの球体と表れ、熟練の精錬に綴れ織り、単に時空の尖端を独立宣言の占領下オルタナティヴを一切引き受けてそれは、アッタ。
惑星は、旗手となり、タッタヒトリデ、タッタヒトツノ役をひき込みひき籠め演じテイク、何度もなんども何テイクも何んていくも。
実体をウゴカシそこには幻想が纏トわり仮象に溢れしかしその仮装ショウはタダヒトツの価値ある現実の源泉とされ、憑き物、次のもの継ぎの物、憑いているのは尖鋭前衛時空で衝いたサキには未来が進行形にて過去もろともパッケージ化されキメられ決められし極セ・カイ、なる、現象。
未来世界全体が、超未来への道中、平行してそれに先立ち、つまり、両義を含ませるその構造のマジックを成立させる奇跡てきちからで、なされる。
そのしかけとは、時間軸を失っているがゆえ、現実世界の縛りや、ルールを超越出来る。
その飛躍の力で、飛躍的な地平を形成し、それに、様々な超現実の種を撒き耕す。
つまりせかいぜんたいはインフレーションにつつまれしせかい、過剰速度につつまれせかいぜんたいは特異点にツママレている、臨界ナ世界ハ熔け脱落するせかいのきつねに睨まれて跳んでイルノデアル、のであった、ノデ、アリング、アリンガー、ぜーっと、ナノデ、あーるありまありんスのですのでござるゴザイマス射ます居ませず今刺さず挿せず射させず刺し子マレズ、ず、んず、んませず、産ませず、生み出す、海ダス。
そう、海、母体より、ダッシュ、脱出、逸脱にして、前衛を、憑キて、ナス、それは、キツネの、化けに依り、ハジマリテ、な、す。
パラドキシカルな行動原理が、パラドックスを生む、と、同時に、奇跡を、生む。
無からの創造とは、結局、2原論や、2項対立を生むことにより、なされる、ということ。
しかし、2原論や、2項対立を、超えている、ということ、ハ・ナ・カ・ラ。
タイムマシンが、未来物質を、過去世界へもちこみ、未来物質によって、未来世界へと跳躍する例え、と同一の構造。
タトエバ、ソシテ、タトエナイ、タトエ、などない、すべては、確定された。
すべては、意志にして、意識にして、意味する。
意味は、無意味であればあるほど良い。
意味は、無意味であればあるほど信頼できる。
無意味であればあるほど意味する。
意味は無意味である。
意味はなにものでもない。
ただ、ある。
だからこそ、リアル。
非現実は、リアル。
非現実は、現実。
現象と実体、世界、非が、突出シテ、現実に先立つ。
そのために、すべてが平等となり、すべてが尊くなる。
破壊、忘我、消尽・・・・・・
・・・創造・・・。
仮象に先立つ現象とアラワレゆきたる幻瘴、たる幻想のすべて。
すべての、源泉となる、幻、非。
・・・・・・夢。
いいや、絶対に実体する幻、非、デアル。
リアル、デアリ、非有る、或る陽、出逢、ルーツ、ツール、純、透明なる武器、トウメイナルワクセイ。
ループ、るーぷはなんどもくりかえし、濃く、太く、強く、しかも透明に結ばれ、結束は、永遠に解けない。
過去、今、未来、すべては、非ずにはじまり、終わり始まりに強く結束し、宇宙、世界ともに、決着を得た。
すべては憑かれ、物たる者なれ、語られ、衝いて、超未来へ。
超未来自身。
未来世界にとって宇宙は極まり、意義が過剰化し過ぎてしまい、インフレをおこしている。
よって、究極の状態におかれた存在達は、意志、何物にも不動であり続ける意志を必要としている。
よって、これまでの宇宙の歴史における、意志的存在達と、ダイレクトにコンタクトして、任務をクリアしようとしている、ということ。
だからこそ、ぼくらはある。
機械内部。
外的レベルにおいては、意味を持たない工場ごっこの展覧会にすぎない稼働、いったん没入し、辿り着いていまえばそう、
内面世界の広がり、思想。
思想、それは没入感。全能感。官能。時間の超越。
特別な僕ら日常の感情に包まれ。
チャンネルを合わせる能力がすべて。
未来世界から受け取った、わずかな物質。
たとえ微塵であっても、未来からの時差がもたらした余波のひとつひとつが甚大な莫大なエネルギーを生み出すのである。
ぎゃくに、未来世界にとって、現在世界から、未来までの、永劫の時間の堆積により、わずかな行動でバタフライエフェクトをおこす、という、2重付与の性質。
未来と無数なる過去が結ばれ、それらは互いに多大なる影響を爆発的に結ぶ。
フィジカル的思考。
脳ではない。
心臓と、大腸と、前立腺。
の役割をする、3つの核の名残だけが、フォルムの断面にはある。
それ以外は、完全に洗練され、画一化された単一構造の鉱物、のような肉体。
考える鉱物の肉体。
朽ちぬ、栄養を必要としない。
引き換え。
現世界の私には、未来物質の、細胞が、体内に、柱のように、形成される。
背骨と髄と神経のような。
これは、我らの肉体を、物理的に原料としたもの。
未来物質の糸。
究極には未来物質の骨髄へと。
私の肉体は・・・
スパークが放たれる、スパークが散らされる、未来世界には私の魂の証が蓄積されていつしかそれは、未来の運命を埋め尽くしゆく、ふぉるむはみらいのちせいの容れモノとはなたれてかがやくダロウ。
未来世界には、我らの認識する、より精髄なものを意匠として、それはフォルムのみに凝縮され、未来世界の死せる魂の新たな肉体として、作られる。
これは、変化を超越した、超時間世界の、新しい物質のとらえかたとしての、物質。
つまり腐らない、栄養を必要としない物質。
これが原料となった、新物質からなる肉体。
一つのベクトルがある、
それ以外は、同一な、完全に完成された洗練の物質。
ボディスーツ。
そこに、乗った魂は、前世、より前世すべての前世の記憶と経験と神経や感覚を、一つの精神によって引き継がれたものである。
そして、幾サイクルにもわたり、その、個的精神の価値や理論や哲学によって、本人にとっての思索を完成させていく。
スタジアムより見下ろされた工場なるわれわれ、みらいのいきものたちのからだ、われわれのなしたスパークのまんたんにあふれだした水溶液の内容物のように突然完成されたわれわれのちせいのないようぶつのかたまり。
カコより飛来する思惟結晶との遭遇。
キグルミに注入された未来世界の魂。
われわれはうけとる、われわれはあたえる。
かれらにはたましいのさや、あたえられている。
そしてみらいは思惟を深め、宇宙を探る。
宇宙の、存在の意味を。
チャンネルがただ、相性を撒き散らし、われわれ過去世界、かれら未来世界を婚姻し交接が螺旋に絡み逢ってつらなってゆく。
尖鋭のホコサキ、時空、トキハナタレテ生まれ、完結している、簡潔に、本能的に、知性は輝いて、たましいはゆれ、揺らぎ、うつくしくおどり、蠢き、ヒカリヘ、大いなる闇へと。
深いゆめは快である。
おもたく、ずっしりとぼやけ、いしきはひろがって、せかいぜんたいへと霧散したわたしはとらえどころなく、散文的現実の輪郭を拾い集め取り戻すまでには途方もない徒然なるげんじつを垂れ流した。
ふかい、ゆめは怪である。
私は手の甲を見た。
シンボルと色彩。
変幻する未来からの贈り物、このタトゥー
にはサイクルがある。ファッションの流行のような。
時流があって活用する。
出世魚のように。
ホイミ、ベホイミ、ベホマ、ベホマラー、ベホマズンのような。
未来からの報酬。
活用がきわまるゴト、貨幣価値があがっていく。
報酬を手にするわれわれやかれらは、周期にのせる、周期がうまくあえば大儲け。
大儲け、とはいかないまでも、私達はこの現実世界にて、このきわまったシステムに、組み込まれた先端技術とファンタジーの融合たる世界形成にて、この生体電子マネーさえ翳していれば、日常生活に不自由することなど絶対にあり得ないだろう。
サイクルは徐々に古びゆくから、街全体と完全にリンクされ、使える可能性が狭まってゆくのである。
万が一の可能性でサイクルが一周してしまうとする。
すると疲弊した価値がもういったん刷新され、そのマネーはふたたび満タンになるだろう。
昔はサイクル、10年周期。近頃は100年周期がうまれ、昔のような利子での儲けは期待出来ない。
ギャクニ周期が1ヵ月のような早いものは、高価値期間が10分など著しく早い。
タトゥー。
報酬として、対価としての様々な図柄であるタトゥーが手の甲あたりにきざまれる。
人体の色素を使っている。
タトゥーは、街街において、様々なシーンで、電子マネーの要領で使える。
世界と宇宙が、リンクされている証拠である。
つまりこれは、宇宙に汎用する宇宙通貨という原理である。
そのスパークのもたらした絵柄の、さらには活用の種類がより、前衛であるなら、より長い期間いろんな価値を得ることができる、なかなか時代の波は追い付かずふるびない。
未来旅行の報酬、土産もの。
そして、さらに。
未来に向かって、思惟の、スパークの織り嵩なりが、高次の現実の扉を抉じ開けるのであった。
時差冴えである、超未来からのタイムラグ、予言者千里眼てき映像の遅れ。
現在は過去として眼差されすべては掌握されてある。
時とときの狭間を発見、その他風景は通常に流れている、ゾーンだけ時が停まって見える。
そこに入り込めば、時間が停まって、思考だけが生きている。
高次の平行現実への失踪。
思惟のみに精神の特化が向かってゆく。
私は研ぎ澄まされていく。
現在はブレーキし未来は暴走する。
私の霊肉は、益々裂かれゆく。
ゾーンに留まっていれば
眠らなくてもよい。食事睡眠排泄摂水呼吸などの、生きていくための不可欠要素に関わる必要がなくなる。
ゾーン。眠らなければ、そこに思考は連続する。
しかし、思考を連続し続け過ぎると現実へは戻ってこれなくなる。
この絶妙な塩梅。
2つの意識、現実世界・普段の意識・パラレル意識。
現実意識を使って何気なく生きる日常、並行する思惟世界のわたしは、時空を大幅に逸脱し、巨大な平原で、存在は、暮らしている。
巨大な旅のただなかに私は暮らしているということ。
思惟は、未来への志向である。
現実は自己認識により変幻して揺りウゴクで、アロウ。
現実。
未来。
ゆめ。
私が私である、と認識している以上、全ての現象は、私自身、なのだから。
引き裂かれる。
引き寄せられる。
私も、未来生命も、危うく、妖しげで、しかしながら、確固たる認識へと、不動の現実を置き去りにして。
不動の現在を描いて。
わたしはいきている、未来生命、思惟、超未来から、現実へと、平行現実から、特化された超現実の私へと。
さざ波を描いて、潮騒を鳴らして。
こちらからあちらへ。(物質のみ)
あちらからこちらへ(未来物質のみ)
夢。(意識のみ)
ふたつのせかい、現実と未来が交換され、ふたつのいしき、交感され。
とどいたさきのさざ波はたち消えている。
思惟は未来でも、私の現実でも、いきている、いきづいている、すべての意志うまれ、すべては思惟の集積を結集し濃縮するために。
未来世界の現実。
未来生命のふたつのいしき。
未来生命は、ふたつのいしきをつかってあたらしい寿命を新生するのである。
ボディスーツの意識・精神の意識ともにあり。
ボディスーツの寿命は決まっている。
ボディスーツには、その前身となる、かつての現実世界の経験と意識が、刻まれている。
それはわれわれの思惟の顕れ。
キャラクターがある。
精神世界の集積が、尖鋭世界に住んでいて、ボディスーツの交換のたび、ある世界観に、交差する。
ヴィジョン、ダンジョンのなか、あらたな景色を、ボディスーツの今回の寿命の期間だけ、ともにする。
注入された瞬間に未来生命は、壮大な景観を取り入れ、その精神はヴィジョン、ダンジョンへ取り囲まれ既に没入シテイル。
未来生命は、臨終の間際、未来世界の2つの意識を使って、寿命の交換を行う。
未来生命は、バッテリー式である。
バッテリーとともに生涯をおえる。
そして意識と記憶をたもったまま新しい肉体を手に入れる。
半分の意識を残して、新しいボディスーツに、これまでの精神を注入する。
注入できた新しい体になったもうかたほうのはんぶんのいしきなるかれは、ふるいボディスーツなるのこりはんぶんの意識を新生命なるほうへと、うつす。
ボディスーツの誕生。
未来世界のスパークする現実のさまざま。
意識と意識のギャップの瞬間のスパークに応じて、われわれせかいのたましいたちが、タトゥーたる報酬と、未来物質の遺伝子への蓄積を交換することのかさなりで、個的に、未来生命の、未来物質機械の無数にならんだそのひとつに、それはわれわれたましいたちが未来工場で撒き散らすスパークと直結され設置されてあって、その未来物質機械のそのひとつへとボディスーツを粒子レベルで貯めていく。
未来世界の日常の体現に、ギャップがあり、スパークがあり、ボディスーツの形成がある。
われわれたましいたちがなすスパーク。
未来生命たちがなすせいしんのかつどう。
かこせかいから、思惟、みらいせかいから、思惟という一点を介して、一極点へと集約されて螺旋たるその頂点へと描きゆき、それははげしくしずかなるたましいのかつどうのハツレイである。
思想と経験、知性を堆積させて、分極化していく思想の柱をたくさんたたえてゆく。
意志という宇宙の意義。
思惟というかつどうの本源。
未来物質の巨大な工場で、生命が生産される。
現在世界→行動→動詞
未来世界→物質→名詞
アバター、工場。
実際のある遠く、未来永劫世界で、純粋に労働として、任務として、なされなければならない役割。
ただし、それを、観客を取り込むことで、エンターテイメントと併用している。
現在、私の意識
アバターへ向かい意識は旅をする。
未来の、準未来物質による、工場の機械の一部として。
ただ、その内面では、もっと壮大な宇宙の嵐が巻き起こされるのである。
未来世界の内面・私の内面は混淆している。
機械内部の集団意識。
まず、過去世界の感覚、常識と、未来世界のギャップを起こすことが最大の目的である。
思惟がすべての存在の宇宙の、核、とある。
機械内部には、様々な意識の集合によるニューロンが無数に張り巡らされてある。
心臓と、大腸と、前立腺にあたる、3つの核が。
スパークすれば、現実の私の脳内には、未来物質性の脳内物質が放たれる。
それは体内にだんだんと蓄積されていき、染色体や、骨や、髄になる。
体内に再吸収され取り込まれる、わたしはだんだん、未来存在である。
スパークをおこす、より高くおこす。
未来存在へと。
スパーク。
ひとつは、高循環性を誇る場合、いまひとつは、未来と過去世界のギャップが、高く、魅了する場合。
スパークが巻き起こるとき、その半分は、現実世界の私の脳内に未来成分が放たれる。
もう半分は、機械内部にストックされる。
ストックの1/3が、機械内部に訪れた意識へと等分配され、報酬とする。
残り1/3は、歩合で、活躍した意識へと付与される。
もう残り1/3は、機械内部に蓄積される。
未来物質の部屋に、未来物質の機械がある。
スパークで、現実の私の脳内に未来物質が放たれると引き換えに、わたしの、実体の、肉体成分のオルタナが、未来機械から出されていく。
それが達すると、私の肉体が、遥か異世界にて、新たに産み出されてしまう。
虚脱した、脱け殻のようなボディスーツという私。
このからだは、バッテリーを切らし、寿命を逐えた未来生命の魂が、これまでの記憶と熟練とともに注入されて、未来惑星の、新しい肉体として、復活する。
われわれの、いにしえの、すべてのよりどころにてわれわれはたっている、もちろんそれに、異論はない。
排泄というドグマに上ぼる受胎と分娩。
異議なし!!!
思想の堆積に巻き起こる創造性、未来性、尖鋭の工場現場。
宇宙の、高次の、すべてのゆくえ。
循環、秩序、タイムラグ。
過去世界と未来世界の遭遇。
現実世界の私の意識に動かされる機械。
未来世界の現象としてある、と同時にフォルムだけが、意識者の、オリジナルに左右され決定されたもので、それ以外は、物質ならぬ物質により、出来上がったもの。
未来生命の、われわれたましいたちの、思惟のかさなりが、実験と発動する意志が、すべてのゆくえであり、ほんげんなのである。
現実世界。
もう埋もれてしまった過去の屍のかさなりのすべてたち。
尖鋭で創造であり続ける超未来世界のありかた、また、そこに根差しながらも、ずっと繰り返し、かさね、描いて、うまれつづける思惟生命のたましいのせいしん。
いし。
しい。
すべては。
すべては、はじめは仮説であるが、次第に思い込みの力が、現象を曲げ、現実的と非現的が融和してくる、主体性と客体性の対立の図式は意味をなさなくなる、いつの間にか結果が原因を追い越して、結果の前提条件が原因ではなくて、結果論としての必然的なちからが超越している。
全体主義の完成形。
仮説と、飛躍的論理さえあれば、加速度世界の全ては成立する。
未来世界と数々の現実世界との、ギャップが全体に波及するかたちで、すべてへのエネルギーである。
それから、全体的ネットワーク思惟、個的な思惟は数々の柱のようなもの。
ギャップが思惟と一致し、ギャップとギャップとで思惟は形成されている。
思惟と思惟が、ひとつの柱である、柱と柱の融合や、交差も思惟である。
意志もまた、純粋な、窮極な、思惟である。
思惟力が、純粋なエネルギーの質である。
最初は少ない領域ではじまる。
それが完成していく。
やがて範囲を広げる。
全体まで到達する。
この仕組みで、奇跡はなされゆく。