5.« 京王線 » 春
待ち合わせの時間より、少し遅れてしまった。
スクランブル交差点の向こう側で、のっぽの彼の頭が見えた。
「確か、あの人だったわ。」
昨日、奈落の家で初めて会ったあの人だった。
奈落の家では一言しか言葉を交わさなかった。
彼が奈落の家を出て一時間ほどしてから、奈落の家に電話をしてきた。
それで今日、御茶ノ水の駅前で会うこととなったのだった。
彼は、肩にギターをかけて、手には細長いジェラルミン・ケースを持っていた。
駅前のスクランブル交差点を対角線に小走りするわたしを見てニコっとした。
昨日の帰り際に見せた笑顔だった。
胸がキュンとした。
駅前のビルの、2階の階段を上がっていくと喫茶店があった。
「わたし、ここって初めて。」と言うと、「僕も初めてだよ。」と言った。
ギターケースに 『 I ♡ 神戸』 のステッカーが張ってあった。
きっと、神戸の人なんだと思った。
喫茶店の中でたわいもない話をした。
今、目の前にいる彼は、昨日の大人しい彼とは全然ちがっていて、
おもしろいことをたくさん言っては、わたしをたくさん笑わせた。
1時間。
時間はあっと言う間に過ぎていた。
「もう、帰らなくちゃ。
お父さんの夕飯をつくるの。」
わたしが言った。
「・・・そうなんだ。」
彼が言った。
駅まで一緒に歩いた。
「本当に帰るの?」
「・・・う・・・ん。」
「いいよ、大丈夫だよ。きみのお父さんは。
食事くらい自分で作れるよ。」
「そうかなぁ・・・?」
「僕のアパートにおいでよ、ねっ。」
「どこに住んでいるの?」
「京王線沿線。
新宿で乗り換えるけど・・・。」
「う~ん。近くないわね。」
「ダメ?」
数分後、わたしは彼と一緒に京王線に乗っていた。
「レイコちゃんが昔、子供の頃、笹塚に住んでたって言ってた。」
電車の窓から外を眺めながら、わたしがつぶやいた。
わたしは、京王線に乗るのは初めてだった。
「きみ、こっちの人なのに東京のこと何も知らないんだね。」
「あなた、関西の人なのに詳しいのね。」
「ガキの頃、こっちに住んでたから。
親父の仕事の関係でさ。」