4.« 丸ノ内線 »
その夜、ケイコ、マサヒコ、わたしの3人は夜間のフランス語クラスが終わった後、
どういった理由か一緒にお茶をしていた。
裏路地を入った小さい喫茶店、『ミロ』 にマサヒコがわたしたちを連れて行った。
マサヒコはクラスでも浮いた存在で、いつもは蚊帳の外にいる人で、
わたしたちと一緒に騒いだり笑ったりなんて絶対にしない。
でも何故かその日は一緒にいた。
彼は、道側の大きい曇りガラス脇の席で、わたしたちの話を聞きながら、透明のコップで冷酒を飲んでいた。
*
「昨日、あれからどうした?二人で帰っていったけど・・・。」
翌日、ケイコに聞かれた。
「うん。彼の部屋、行ったよ。」
「やっぱ、行ったんだ。」
「うん。した。」
「彼、してくれたんだ。
・・・ 優しいね。」
「優しくなんかないよ。
エッチはよかったけど・・・。
エッチの時は優しかった。」
「優しいじゃない。
してくれたんでしょ。
わたしの好きな人、してくれない。
マサヒコ、優しいよ。」
「してくれるのって優しいんだ。
ふーん、そうなんだ。
好きじゃなくてもできるから。
好きすぎちゃってできないこともあるし。
でもたぶん、もうしない。彼とは。」
*
昨夜、ケイコと駅で別れた後、わたしとマサヒコは二人で丸の内に乗った。
彼のアパートが丸の内沿線だと言うのだ。
彼の最寄りの駅に着いて丸の内の出口から出てから、目の前にあるコンビニで買い物をした。
わたしは歯ブラシと下着の替えを、彼はあちら側でワインとチーズを選んでいた。
瓶を麻布でくるんでいるのが 『Siglo』。
おさかなの形の瓶は 『Pescevino』。
どちらか迷って結局彼は『Siglo』 にした。
「これ、悪くないよ。
それに、この Kiri も。値段の割にはいいんだ。
ワインに合うよ。」
ワインにチーズ。
やっぱり、キザオくんだ。
フランス語やってる人って、キザオくんが多い。
「アイスクリームも買ってね。」
*
「マサヒコ?」
マサヒロ?」
彼の上でわたしが尋ねると、口を歪めて彼が答えた。
「マサヒコだよ。」
「・・・マサヒロ、上になって。」
わたしが下になってからお願いをするの。
「もっと来て。もっと来てよ。」
彼の仕方、すごく優しい。
腰がゆっくりと動く。
すごく丁寧に。
わたしと同じ薄い唇。
わたしの上になった彼の唇が半開きになってる。
彼はわたしのまぶたにキスをしてくれる。
何度も、何度も。
「泣かないで。」
「泣いてないよ。」
わたしの涙を唇で吸ってくれる。
「マサヒコだよ。」
「うん、うん、うん・・・。」
「気持ちいいの?」
「うん。
気持ちいい。これ好きよ。
あっ、あ・・・。
すごく、いいよ。」
*
わたしは、いつの間にか眠ってしまった。
机のライト・スタンドの明かりで目が覚めた。
机の上の時計は、3:00 をめくった。
「眠らないの?」
「うん、まだね。」
彼は文庫本を読んでいた。
「なにを読んでいるの?」
彼はカバーをはずして、むき出しのクリーム色の表紙をわたしに見せて言った。
「『Преступление и наказание』。
ロシア文学が好きでね。
学生時代はロシア語を取っていたんだ。」
「ふ~ん。フランス語じゃなかったんだ。
でも、わたしより上手ね。」
「フランス語は社会人になってから。
さぁ、もう少しおやすみ・・・。」
∶
∶
「あっ、あっ。」
「イッた?」
「わからない。わからないけど、気持ちいい。」
「イッたのかな?」
「たぶん・・・。」
わたしにキスをして、
静かに離れた。
「マサヒコはイカないの?」
彼はまだ、射精していない。
「今度は、まちがえなかったね。
・・・僕はいつも出さないんだ。」
「わたしでは・・・イケない?
さっきも最後までイカナカッタでしょ?」
「そんなんじゃないよ。
でも、今夜はイカナイ。」
*
「手をつないでよ。」
翌朝、丸の内の入り口に向かってわたしたちは歩いていた。
彼はやれやれって顔をして、わたしの手を握った。
そしてすぐに、わたしの手を握ったまま、
彼のコートのポケットにしまった。
「冷たいのね。」
「何が?」
「手をつないでいるの、誰かに見られたくないみたい。」
「・・・。
黒いコートに、茶色い髪の子って好きだよ。」
それって、今日のわたしの出で立ちのこと?
取ってつけたように、「好き」なんて言葉使ってる。
その「好き」って、りんごとかチョコレートが好きの「好き」でしょ。
なんか無理してるみたい。
「わたしのこの髪、本物だから。
染めたことない。」
「うん。わかるよ。本物だ。」
わたしの髪に指を通す。
マサヒコがわたしに言った。
「あなたもフランスへ行くんでしょ?
いつ行くの?
長く行ってるの?
あなた、忘れちゃうよ。
フランスに行ったらすぐに忘れちゃう。
本当だよ。」
*
それからほどなくして、ケイコはフランスへ行ってしまった。
もう一年が経つ。
ケイコ、あなた忘れちゃった?
フランスに行ったらすぐに忘れられた?