雨が降らない場所
時を遡り、場所さえも変わって。
7月26日。
夏休み初日、AHMO訓練施設に通う生徒達にも、大きな休みが始まった。
だが、咲、霄、総、由利はAHMO訓練施設の特別室に来ていた。
7月25日、つまり昨日、彼らは打ち上げの話をしていたが戦場に出る為にAHMO訓練施設いるのだから、戦争とは深いかかわりがある筈なのに、何故あんなに日常的な会話をしていたかというと、戦争の事を知らないのだ。
戦争は8月1日という予定なので、それまでには伝えるが、それほど急いではいないのだ。
そんな事は知らず、総が言う。
「諸橋遷都は倒すべきだ」
その言葉が出るのを分かっていたかのように、由利は即答する。
「彼は強すぎます。私達では勝てません」
何が由利の意志を決定付けたのか、勝てないという意志は固かった。
それを崩そうと総が言う。
「いや。霄のあの光線は避けてたぞ?」
だが、総も理解していない事があった。それを教えるように、霄が言う。
「それがね~。アレは7000枚の小さな鏡を集めて光を集めていたんだよ。だから、使っちゃうと倒れちゃうんだ」
霄は明るく言ったが、その膨大な数がその行いが難解だと表していた。
「7000枚……」
総が呆然と言う。
7000枚の小さな鏡を出すという事はそれくらいの想像力が必要という事だ。どれほどの努力を重ねたのだろう。
それと同時に、7000枚の鏡を出すという事は、それほど疲労する、という事だ。倒れるほどに。
「鏡なんてあったか?」
総が想像した膨大な鏡と、その疲労は置いておいて、諸橋遷都との戦闘中にその鏡が見られなかった事を思い出した。
「天井より上に作っておいたんだよ。バレないようにね。まぁ、バレちゃったけど」
霄がてへへと笑って言う。
そういえば、上から天井を貫いて光線が降ってきたのだった、と総は思い出した。
霄の出した鏡は、大きくは無い。直径3ミリ程度の円状の鏡(正確には鏡では無いが、可視光線を反射できるという点では同じ)を7000枚出現させて光を集めていたのだ。7000枚の鏡はそれぞれが独立している訳ではなく、7000枚の鏡を集めて太陽光を反射させていたのだ。
その光線は天井(つまり、コンクリート)を融かして、そのまま直進していったのだ。その下にいる諸橋遷都めがけて。
光の速度は「一秒間に地球を7回半回る」と表現されているように、途轍もなく速い。勿論、人間が目視してから避けられるレベルでは無い。
では何故、諸橋遷都は回避する事が出来たのか?
それは、彼が鏡を発生させる前に射線上から外れていた――とはいっても霄が外した訳ではなく、諸橋遷都が避けていた――からだ。
彼は、そこに鏡が発生すると、発生する前に分かっていたのだ。
総は遷都が光線を避けた事に対して、光による攻撃は受けるのか? という思考を置いておいて、霄の太陽光を集める攻撃についてのデメリットをあげて、再確認する。
「何回もは使えないのか……」
その総の呟きを聞いて、由利は指摘する。
「いや、そもそもの目的は天久君を助ける手がかりを探す事だったのでは無いのですか?」
「『バリア・デストラクション』がその情報を持ってるかも知れない。だから、諸橋遷都を倒そうって……」
総の言葉が止まった。
ある一つの方法を思いついたからである。
それは由利が言い当てる。
「諸橋遷都を倒さなくても『バリア・デストラクション』から情報が手に入るかもしれません」
「どうやって?」
訊く必要も無い事だった。
だが、総は由利に訊く。
由利は毅然と返した。
「諸橋遷都がいない時に『バリア・デストラクション』を襲えば……」
だが、由利もまた、言葉が止まった。
それではいけないと気付いたからである。
それを総が言い当てる。
「そんなの運だろう。だから、居た時に倒せる方法を」
総の言葉を由利は遮る。
「倒すのは無理ですよ」
由利は、総にそこだけは理解して欲しかった。勝てないという事だけは。
そして、彼も理解していた、勝てないという事は。
では、どうする?
「じゃあ、諦めるのか?」
総は言う。
諦めるのか、と。
その時の彼の眼は、諦める事を許しはしない眼だった。たとえ、由利が諦め、咲が諦め、霄が諦めたとしても、自分が諦める事だけは許していない眼だった。
「それは……」
由利はハッキリとした返事を、答えを返せない。
その光景を見て、咲はただこう言った。
「夏休み開始一日目に学校でこの話題とはね」
それに反応して、霄も言った。
「うーん」
その言葉は、否定か肯定か。
少なくとも、今の現状は否定している。
意外だった。
この状況は、集を助ける算段を立てているのだから、咲も霄も、否定する理由は無い筈だと、総は思っていた。
だが、それは少し、違う。
彼女らは、集を助ける為の話し合いで、由利と総が口喧嘩をするのが嫌だっただけだ。
だが、総の思考は思い込みでそんな単純な事にも気付かずに深く潜り込んでいってしまう。それは由利も同じだった。
つまり、総と由利はこう思ってしまったのだ。
(咲と由利は集が安全に帰ってくる理由を探すという事をやめてしまいたいのではないのか)、と。
そうではない。
いつもの二人なら、そんなことはすぐに気付く。
だけど、今はそう勘違いしてしまう。
「……」
沈黙の中、咲は淡々と話しだす。
「ねぇ。集って生きてるのかしら」
疑問か、ただの独り言か。
誰も答えはしない。
「……」
そして、また沈黙。
咲はもう一度、言う。
「それに、私達は帰って来て欲しいけど、集は本当に帰ってきて欲しいのかな?」
彼女の疑問は、由利も霄も総を一度は考え事だった。
集は生きてるのか? 帰って来たいのか? 今の行動は正しいのか? 今の行動に何の意味も無いのではないか? 全てが分からない中、その思考を振り払って走ってきたのだ。今までずっと。
彼ら彼女らにとって、その問いはタブーだった。
咲はそれを知っていて、それでも言ったのだ。訊いたのだ。
総は言う。
「そうやって、諦める理由を作るのか?」
その声に反感が籠っていた。
ただ、総は眼を逸らした。
見つめた咲の眼には固い意志があったから。
「諦める言い訳なんかじゃない、そんなもの作らない。けど、集は昔、別れの時も手紙一枚だったのよ……。集は、何処かに言ってしまう時、前の事は忘れてしまうんじゃないのかな……」
彼女の心は揺れていた。
集が別れの時に手紙一枚だったのは、豹に手紙一枚しか許されなかったからで、集はもっとちゃんとお別れを言いたかったし、出来るならお別れなんてしたくはなかった。
だけど、咲はそれを知らない。
「そんな事、分からないだろ」
総が言うそれは、まったくその通りだった。
そんな事、分からない。
集が何を想っているのか分からない。
だから。
「分からないから怖いのよ! もし、そうだったら……私達は……」
咲は言葉を続ける事が出来ない。
涙が出てくる。
それを見て、続けなくても良いと言うように、由利が言う。
「一度、休暇をしれましょう」
「……そうだな」
それに、総も答えた。
対して霄は、場違いな事を考えていた。
(別れの時って……咲と集は付き合ってたのかなぁ?)
これもまた、勘違いである。
総は諸橋遷都がいない時に『バリア・デストラクション』を襲ったとして、いるかどうかは分からないから、いた時に倒せる方法を考えていると言った。
「倒すのは無理だ」、と断言されれば、「じゃあ、諦めるのか」と言った。
咲の不安が形となって出た言葉には「諦める理由を作るのか」と言った。
では、彼はどうするのか。
諸橋遷都には勝てないが、そうやって諦めるのを許さない。不安や疑念を諦める理由を作ったと突き放す。
そして、彼は決めた。
(諸橋遷都は光線は避けた。なら、光は効くのか?)
そして、彼は特別室のタンスから、豹が緊急用に入れて置いたスタングレネードを取りだした。
「何をする気?」
霄がいつになく真剣に訊いた。
「ん? 護身用」
総は簡単に嘘を吐く。
「無理はやめてよね。知世ちゃんだって、いるでしょ?」
「ああ」
霄の言葉に総は真剣に返した。それは彼女の名前が出てきたからか。
(さて、潰しに行きますか。出来れば鬼はいないと良いけど、いたなら鬼退治もしないといけないな。猿も雉もいないけど、スタングレネードはあるからね)
ああ、雉も鳴かずば撃たれまいというのに。
総は特別室を出ると、教室へ向かった。
そこには霄がいた。
「やっ。豹せんせーならいないけど?」
俺が誰を探していたのかは、お見通しか、と総は思うと、それとは別の事を言う。
「そうか。サンキュー」
それだけ言って教室を出ようとすると、後ろから霄の声が聞こえた。
「待って」
その言葉に反射的に止まってしまった自分にため息を吐きつつも、霄の方を向き、総は言う。
「……なんだ?」
「豹先生を探してるのは、『バリア・デストラクション』の基地を知りたいから?」
「違う」
即答した。それに霄も即答する。
「嘘なんて要らない」
そこで、思う。
誰を探していたのかがお見通しなら、何をするのかさえも、お見通しか、と。
「……そうだ。『バリア・デストラクション』を潰したいからだよ。止めるか?」
「止めない。だから、生きて帰ってきてね。もし、死んじゃったら、私は今、止めなかった事を悔むよ」
総は真剣な霄の目を見て、言う。
「じゃあ、止めろよ」
「ヤダ」
「……フッ。変な奴」
「あ、ひどい! 笑ったし!」
そう言われて、今更気付く。
(俺は今、笑ったのか)
認識する事すら遅れるほど自然に出た笑みに、総は少し驚いた。
「わるいわるい。ありがとな、霄」
「う、うん」
「じゃ」
そうして霄に背を向けると、
「またね!」
という声が聞こえたので。
「ん……またな」
と、総は振り返って言った。
「残念だが、教える事は出来ない」
特別室で『バリア・デストラクション』の居場所を教えて欲しいと尋ねた時の豹の解答はそれだった。
「なんでだよ!」
憤る総とは対照的に、豹は冷静に言う。
「この戦争前にお前を危険な目に合わせてはならないからだ」
「戦争!?」
驚く総に豹は補足説明をする。
「この国は民衆に戦争の事を伝えるのは遅いからな」
「そうか」
返事だけすると、総は豹に背を向け、ドアを開けようとする。
「おい、何処へ行く!」
「さあな」
振り返る事はせず、しかし、動きは止めて総は言った。
「なんでお前はそこまでするんだ?」
何故。
それが明確で無ければ、ここまでの行動はしない筈だ。
なのに、総は答える事が出来なかった。
「アイツが……命の恩人だからだよ」
その言葉は嘘だった。
「お前は、それだけで行動するとは思えんのだがな」
「そうかい」
これ以上の指摘は受けたくない、と言わんばかりに、総は足早に特別室を出た。
そうして、校内を出ようとすると、昇降口には見知った人物がいた。
「知世。なんでここに」
「霄に聞いた」
(あいつか……)
いかにもやりそうだ、と思いつつ、知世の横を通り抜けようとすると、
「何しに行くの?」
と訊かれる。
その問いに答えたくなかったから、横を通り抜けようとしたのだが。
「いつも通りの任務だよ」
「そう……」
うつむいて言う知世に、総は落ち着いた声音で言う。
「心配しなくて良い。そういうフリは俺らには要らないだろ」
「フリなんて、本当に心配してるよ」
「そうか……。じゃあな」
「う、うん……」
そんな彼らのすれ違いを吹き飛ばすかのように、総は風と共に空へと飛んでいった。
これは罪の一日前の話です。




