第八話:七月十三日の鏡とクロノ
深夜二時。
私とクロノは事件現場のうちの一つに来ていた。
勿論、違法で。
「ほら、白乃」
人の家の庭に入り込み、クロノは愉快そうに笑う。
「窓枠に垂直になるようドライバーで叩けば簡単だ。ガラスなんて数十秒で割れちまうぜ?」
「いやいや、それは犯罪だから」
流石にそれは後先考えなさ過ぎだ。
まあ、彼女に流されてこんなところに来ている私も、大概、後先考えていないタイプの人間なのかもしれないけれども。
私たちの行動が、誰からも見つかっていないか辺りを見回す。
その家は、私たちのマンションから駅を挟んで少し行ったところにある。
大きな庭を持った、大きなお家だ。
そこに住んでいた被害者――あるいは加害者の名前は、懸ヶ枝戦と言った。
「大丈夫だぜ、鏡よ。責任は俺が取る。つまりは、お前が取るってことになるけどな」
おどけたように笑いながら、彼女はドライバーを私に投げて寄越した。
「法律が――なんて言ってたら、緋色を助けられはしないぜ? お前は、殺人犯が待ってくれるとでも思うのかい、鏡よ」
「それは――」
クロノの言う通りだ。
けど……。
「緋色を助けたいんなら、自分を殺せ」
そう言って、彼女は家の窓を示した。
確かに、なりふり構ってられないよね。
こうでもしないと、私が事件の情報を知れることなんてないのだから。
私はできるだけ音をたてないように、窓枠とガラスの間をドライバーで数回叩いた。
ガラスにヒビが入り、窓の鍵を外から弄れるようになると、
「よくできました」
クロノは邪悪そうに笑って、事件現場へと入っていった。
ここが第二の事件現場。
第一の事件の犯人――明日葉明日香が殺害された場所だ。
履いていたスニーカーを手に持ち、忍び足をしながら、私もクロノの後に続く。
「さて、まずは四つの事件を整理するところから始めようぜ」
「何やってるのさ」
私がリビングに足を踏み入れた時、クロノは既に、現場のソファに座っていた。
その表面には、白いテープが人型に貼り付けられている。
まさに、クロノが座っているその場所で、誰かが息絶えたという意味だ。
私はとてもじゃあないが、おっかなくて座れないだろう。
「じゃあ、説明よろしくな」
クロノはソファの上で足を組み、あくびをしながらにそう言った。
あまりに唐突過ぎる登場に、私は持っていたスニーカーを取り落とす。
「人が死んだ現場でくつろぐのはやめなよ」
彼女の行動に飽きれながら、私は落ちたスニーカーを拾い上げた。
「そんなの俺の勝手だろう?」
クロノは肘をつきながら、不遜な態度で私に返答した。
「とにかく、事件についてのカンバセーションだ。頭働かせろよ、鏡様」
「それはそうなんだけどさ。あなたは私の鏡像って言ってたよね? 私と目的が一致しているのは、矛盾が生じる気がするんだけれど」
「細けぇこと気にすんなぁ、お前。鏡に映るものは全て、左右逆だ。でも、中心は変わらないだろ? そういうことだ。覚えとけ、ド低能」
言い返したい気持ちを抑え、彼女の言いたいことを推理する。
つまりクロノは、緋色の大切さは互いに変わらない、彼女はそれほど私たちの胸の真ん中に位置している、と言いたいのだろう。
緋色は私の親戚で幼なじみ。昔から交友関係を持っていた。
それ故に、心の中に占める彼女の割合は、決して小さくはない。
「分かったよ。私たち二人の目的は、緋色を見つけ出すこと。それで間違いないんだね」
ドッペルゲンガーを見た人は死ぬ。
烏帽子ちゃんは、授業の後にそんなことも話してくれたが、こんなヤツが人を殺すとは思えない。何故なら、『人殺し』よりも『小悪党』や『チンピラ』という表現の方が似合うからだ。
「それで、えーっと、まずは基本的な情報の整理だっけ」
私は携帯電話を片手に、ニュースで聞いたことや、緋色から聞いた話、そしてネットに書かれている情報を繋ぎ合わせ、事件を整理していく。
「第一の事件が起こったのは六月の二十七日。明日葉明日香(十四歳)の邸宅に強盗が押し入り、その両親を殺すが、娘から殺されてしまう」
家の場所は私たちが通う学校の近くだと聞く。
「第二の事件が起こったのは七月の一日で――」
「そっから先は似たようなもんだろ? 明日葉明日香が懸ヶ枝戦の家に押し入る。七月七日、第三の事件では、懸ヶ枝戦が彩凪渚の家に押し入る。そして、七月十二日、第四の事件では、彩凪渚が道導緋色の家に押し入る――だから連鎖殺人」
クロノは退屈そうに言う。
「じゃあ、次は、事件の共通点について考えようか」
私は腕を生みながら思案する。
「一つ目は、四人の容疑者全てが同年代の女の子――つまり、女子高生ということだね」
「三人もの女の子が一家惨殺をしようと試みたんだな。それは理由が気になるところだ。けど、訊こうにもみんな死んじまってるっていうね」
クロノはおどけたように眉を上げた。
「あ、そうだ。今度お前が地獄へ行ったとき、訊いといてくれよ」
「行かないよ! どっちかというと天国行く人間だと自負してるよ!」
どうして自分自身をそこまで貶めるのだろう。
新手のドMなのだろうか?
「それで、二つ目は?」
クロノの退屈そうな声に急かされて、私は次の共通点について考える。
「二つ目は、凶器が全て刃物だということだね」
「その刃物は、元から現場にあったやつか?」
「いや、どの容疑者も、前もって準備してるみたい」
「つまり、計画的な犯行だったってわけだな」
果たしてそうなのだろうか?
殺人を計画していたのにも関わらず、犯行に及んだ容疑者三人が三人ともミスを犯し返り討ちにされ、死んでいる――それには少し引っかかるものがあった。
「三つ目」
「ええと。三つ目は、連鎖している人間同士に一切の繋がりがないこと。まあ、彩凪先輩と緋色は同じ高校という繋がりはあったわけだけれど、ほとんど面識ないようなものだね」
「なるほど。動機が読みにくい殺人連鎖……って、それ二つ目の共通点と矛盾してねぇかァ? 例えば、繋がりの薄い人間を衝動的に殺してしまうってのは分かるぜ。けど、そういう場合、凶器は自前で用意するもんじゃあねぇだろ?」
確かにそうだ。
三つの事件全てに共通する矛盾――まるで知恵の輪。
連鎖殺人事件と呼ばれている通り、幾つもの謎が絡み合って、ほどけないようになっている。
「で、四つ目は?」
「四つ目は、親が必ず殺されているという点」
クロノはそこで考え込み、天井を見上げながらに答える。
「自分の親をぶっ殺してぇと考えたことのあるガキなんて、幾らでもいる。鏡様だってそう思うだろ? けどよォ、人様の親を殺す理由までは分かんねぇよな」
確かに不思議だ。
女子高生が同年代の子を殺めるというのなら、まだ筋は通っている。
けど、女子高生が見知らぬ人間の親を?
それも計画的に?
共通点を挙げれば挙げるほど、わけが分からなくなっていく。
これはもう、知恵の輪としては破綻しているのではないだろうか?
何故なら、常識の範囲で解明できないものを私たちは知恵の輪と呼ばない。
詳細に目を向けて、ようやく気付く異質さ。
騙し絵と比喩した方が近いだろう。
「無差別殺人と考えりゃあ、合点は行くんだけどな。誰でもいいから人の親をぶっ殺したかった。だから、凶器は前もって用意されていたし、関係は希薄だった。けど、それが幾つも重なり、連鎖するとは思えねぇ」
そう言って、クロノは降参でもするように両手を上げた。
「ああ、こりゃ駄目だなァ、鏡様よ。こういう類の、パラドックスを内包する問題は、考えるだけ無駄だ。もしかしたら、みんな俺たちみてぇに、呪われてたのかもしれねぇしよ」
『呪い』か。
私とクロノの邂逅も、この事件の不可思議さも、『呪い』という異常でまとめられて然るべきなのかもしれない。何故ならどれも、現実では到底起こりえないことだから。
じゃあどうして、それが現実で起こっている?
私はいつの間にか、不思議の国にでも迷い込んでしまったのだろうか?
はは。
笑えない冗談だ。考えるのは止そう。一旦リセットだ。
「共通点は洗ったことだし、事件現場について調べようよ」
「へえ、最初は乗り気じゃなかったくせに、ずいぶん積極的じゃねえか?」
クロノはにやつきながら、ソファから立ち上がる。
「じゃあ、まず、『どこで誰が死んだか』を整理しようぜ」
「えっと……」
私はニュースで見た内容を必死に思い起こす。
「そのソファで亡くなったのは、戦さんのお父さんだったかな。背後から忍び寄られ、刃物で首を切られたんだって」
「母親の方は、犯人から逃げようとしたところを後ろから――って寸法らしいな」
確か、他の事件でも同じように父親から刺殺されていたハズだ。
理由は単純で、不意を突かない限り、女子高生が成人男性に勝つことは不可能だからだろう。
「共通点はこれで五つ目になるなあ、鏡よ」
クロノは、壁についた血痕を指でなぞっている。
「これだけ共通点がありゃあ、事件同士の関連性を疑わざるをえねえよなあ?」
彼女の目はまるで、新しいおもちゃを貰った子どものようだ。
緋色を助けることが目的だと言っていたが、もしかするとクロノは、それよりも、この事件の真相の方が大事なのかもしれない。
好奇心のままに生きる――それは緋色を連想させ、無性に寂しさを感じる。
『好奇心』か。それは私に足りないものであり、同時に、憧れるものでもあった。
「けどさ、クロノ」
私は首を傾げながら、彼女に問い掛ける。
「共通点があるっていっても、この事件は複数の事件が連鎖しているでしょ? 色んな思惑が絡んでいるハズなのに、部分部分でどこか共通しているだなんて不自然じゃないかな?」
「そう思うんなら、その謎を解くための証拠を探そうぜ、鏡様よ」
ダイニングテーブルの上で胡坐をかき、舌をペロリと出す。
「明日も、明後日も、聞き込み調査だ。まずは――そうだなあ……」
クロノは神妙そうな顔で、ぼさついた髪を掻き上げた。
「普通のアプローチじゃあ警察には敵わねえ。普通のやり方で事件の真相が分かるんなら、とっくのとうに、警察が謎を解明しているだろう。だから、俺たちは別の方向で捜査しよう」
彼女は意味深なことを言い、テーブルから飛び降りる。
別の方向というのは、一体どういう意味なのだろう。
クロノは頭突きでもするかの如く、自身の額を私の額にくっつけた。
「お前の目の前にいるのは『ドッペルゲンガー』だぜ?」
常識で考えて解けない問題は、非常識で考えて解けばいいんだ。
彼女は愉快そうに吐き捨てると、
「もう帰るぞ。あまり長居していても面倒なことになるだけだ」
窓の方へ歩いて行った。