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鏡よ鏡の私の呪い  作者: 大橋狭間
嘘つきと、狼少女と、
6/21

第五話:七月十二日の白乃と鏡

 事情聴取が終わり、私が自宅マンションへ着いた時、時刻は十一時になろうとしていた。

 空を見上げれば、雲の狭間で月が妖しく光っている。

 私の気持ちとは反対の、鮮やかで綺麗な半月だ。

 夜風に吹かれながら、ついさっきまで自分の身に起こっていたことを思い返す。

「犯人の顔は見ていないのか?」

何度も訊かれたな……。

 警察には、あのことを言うべきだったのだろうか?

 自分が追いかけた影が、紛れもない、緋色本人だったということを。

 通報をした後、警察が来るまでずっと考えていたけれど、最後までその答えは出なかった。

 私は緋色が犯人だとは思わない。

だから、きっと、そのことは警察に言わなくてよかったんだ。

私は左手で、早鐘のように脈打つ自分の胸を撫でる。

 そう、緋色は犯人じゃない。

 深呼吸をしながら、月明かりに照らされた、真っ赤に染まる両手を見つめる。

 警察が駆けつけた時、血まみれの私は少し不審がられたけれど、私のアリバイは買い物のレシートが証明してくれた。それに、警察はくだんの『連鎖殺人事件』との関係性を真っ先に疑っていたから、私の証言は疑われることなくちゃんと聞いてもらえたと思う。

 帰りは警察が車で送ってくれたけれど、こんな格好で入ったら、マンションの守衛さんに何と言われるだろうか……。

 ため息をつきながら、ちらりとフロントを覗く。

 と、運の良いことに、守衛さんのいる部屋には人の姿が見えなかった。

 おそるおそるパスワードを打ち込み、マンションの自動扉を開く。

 そして、小走りでエレベータに乗り込み、七階のボタンを押した。

 ごおん。

 と、低い唸りを上げ、鉄の箱は昇っていく。

 本当は――

「二人一緒に乗るはずだったのにな」

 ぽつり。

 呟くけれど、それは誰にも届かない。

 エレベータがゆっくりと停まる。

 廊下に出ると、夜風が再び私を撫でた。

 寒いな。

 そんなことを思いながら、私は自分の――自分たちの部屋へと向かった。

 鞄から鍵を取り出し、ノブに手を回す。

「ただいま」

 何も返ってこないことは分かっているのに、誰もいないハズの暗闇へ呼びかける。

玄関を上がって、手を濯ごうと私は洗面台に向かった。

 蛇口を捻り、両手についている血を洗い流していると、どうしてか、壁にしつらえられた鏡の方へ目が行く。

 見られている――

 そんな気がしたのだ。

 けれども、そこには何も映ってない。

 『鏡』か。

 烏帽子ちゃんの言葉を思い出した。

 暗闇の密室で、

 鏡の中の自分を見つめ、

 一人蝋燭の火を吹き消す。

 『おまじない』ならば、私に答えを見せてくれるだろうか?

 水を止め、自分の部屋へ移動する。

 玄関の鍵はさっきかけたし、他の場所は学校へ行く際に戸締りをした。

 それに、明かりは元から点けていない。

だから、あと時計を一日分進め、蝋燭の火を吹き消すだけで『おまじない』は終わる。

 自分と緋色の部屋にある置時計の時間を進め、私は次にリビングへと向かった。

 確か、誕生日会の時に使った蝋燭があったと思うけれど――

 記憶を頼りに棚を探す。

「あった」

 引き出しの中から、マッチと真っ黒い蝋燭を取り出した。

 にしても、こんな色の蝋燭なんて家にあったろうか?

 バースデーケーキ用の蝋燭が、こんな毒々しい色をしているわけがない。きっと、何かの思い違いだろう。自分に覚えがなくとも、緋色に覚えがあるのかもしれない。

 私は洗面台の前に立ち、蝋燭に火を灯した。

 真っ黒の闇の中で、小さな火がゆらめいている。

 私はそれを顔の前でかざし、鏡を見つめた。

 鏡の中の景色は蝋燭の火とともに揺らめく。

けれども、そこに私はいない。

空っぽの鏡を見つめるほどに、私の中の不安感は膨らんでいった。

 緋色がいなくなって、一人きりになってしまった。

そう思っていたけれど、鏡を見て気付く。

 私を映し出さない鏡を見て気付く。


 一人きりにすらなれない自分に。


 鏡に映らない私は、限りなくゼロに近いのだから、

他の人のように、その存在を鏡が証明してくれることはないのだから、

だから、私は一人ぼっちにすらなり切れないのだ。

「鏡よ鏡」

 空っぽの姿見に話しかける。

 私はいるの?

 どこにいるの?

 ぽつりぽつり、溜め息を吐き出すように囁くが、

 鏡は私に応えない。

 だって私は、鏡に嫌われているのだから。

 自分を見つめようとすればするほど、

不安が縁取られ、輪郭はぼやけていく。

 私は今、自分がどんな表情をしているのかすら分からないのだ。

 泣いているのだろうか?

 笑っているのだろうか?

 それを証明するのは、頬を伝わる一筋の滴だった。

 緋色――、

 私は息を飲みこむ。

「寂しいよ……」

 緋色があんなことするわけない。

 なら、誰が犯人だって言うの?

 自分の中からこみ上げる不安を押し殺し、鏡を見つめ続ける。

 私は真実が知りたい。

 拳を握りしめる。

 鏡の中をしっかりと見据えれば、そこにはゆらゆらと揺れる、黒い黒い影があった。

 影から目を逸らさないよう、

 見失わないよう、

蝋燭を吹き消そうとした時――

どこからか吹く風が、その火を吹き消した。

おかしいな。

そう思い、廊下に出る。

家を出る時、戸締りの確認はした。

だから、風が吹き込むなんてありえないのだ。

明かりをつけようと壁を探れば、スイッチはすぐに見つかった。

息を落ち着け――

かちり。

――電灯のスイッチを入れた。

はずなのに、明かりが点くことはなく、スイッチの切り替わる音だけが虚しく響いた。

あれ?

こんな時に停電?

けど、別にいいや。

暗闇にはもう慣れた。

灯りが点かないのなら仕方がないし、このままどこから風が吹き込んでいるのか確かめよう。

私は壁伝いにゆっくりと、リビングの方へ移動する。

 びゅう。

 と、次第に風が強くなるのを感じた。

 カーテンが風に揺れている。

 バルコニーへ続く窓が、半分ほど開いていたのだ。

 さっきは開いてなかったと思うんだけどな。

 無性に、誰かが潜んでいるんじゃないかという疑念に取り憑かれた私は、唇を噛みしめ、風に揺れていない方のカーテンをめくる。しかし、そこに何かが潜んでいるなんてことはなく、もやもやとした気持ちだけが残った。

 念のために、入り口の鍵がちゃんと閉まっているかだけ確認しよう。

 窓を閉め、玄関へと踵を返す。

 ノブを捻ってみたが、やっぱり鍵はちゃんとかかっている。

 けれど、少し怖かったため、一応U字ロックもかけておくことにした。

 もしかしたら、疲れてるのかもしれないな。シャワーを浴びて、さっさと寝てしまおう。

着替えを取りに行くためリビングを横切った時、

 私は、閉めたハズの窓が開いているのを目にした。

 おかしいな。

 額から汗が流れるのを感じつつ、一歩一歩バルコニーへと近づく。

 すると、その窓の向こう、バルコニーの柵の上には――

 それは唐突に現れた。


「鏡よ鏡。やっと会えたね」


 半月を背に、ベランダの手すりに腰かける彼女は、聞き覚えのある声で語り掛ける。

 私がぺたぺたと自分の顔を触ると、私の前にいる彼女も同じように顔を撫でた。

 まるで、鏡写しみたいに。

 私は今、突飛なことを考えている。

常識的にあり得ないことを考えている。

 暗闇がそう錯覚させたのだろうか?

 月明かりが私をおかしくしたのだろうか?

 それとも、あの『事件』が私の中の歯車を狂わせてしまったのだろうか?


彼女は私だった。

 あるいは、私は彼女だった。


 私には、彼女が、自分と同じ顔をしているようにしか見えなかったのだ。

 自分の顔を見たことがない。それなのに、私の疑問はいつの間にか確信に変わっていた。


 鏡よ鏡、私はだあれ?

 その答えが、私の目の前にいた。

「鏡よ鏡、私はお前だ」

 目の前の自分はそう言った。


 私は思い出す、

 誰かの言葉を。


「自分を見つめる時っていうのはね、自分が死ぬ時なんだよ」


 なら、私は――


「初めまして」

 思考を遮るように、彼女は――自分の現身に対し、そう呼ぶべきかいささかの疑問はあるが――聞きなれた声で話しかけてきた。

 もう一人の自分はベランダの手すりに座ったまま、柱時計が鳴らす十二時の鐘に合わせて足をぶらぶらと揺らしている。風が強く横薙ぎに吹いているため、一歩間違えれば落ちてしまうんじゃないか、とさえ思った。

 一体彼女は何なんだ?

 自分と出会えた喜びの裏で、訝しさを感じながら彼女のことを見つめていると、ふとした拍子に目が合った。

 瞬間、私の頭によぎったのは、烏帽子ちゃんが話してくれた噂だった。

 ドッペルゲンガー。

 額のところを汗が伝ったが、私はできるだけ表情を変えないように、

「初めまして、私」

 とだけ言った。

 すると、彼女はちょっとだけ考えるような素振りを見せ、

「ああ。よろしくね、白乃」

 と応えた。

 こうして彼女と対面しているだけで居心地が悪い。目を背けたくなる。

 別に、自分自身が会話をするという不可思議さにむず痒さを覚えているわけではない。

きっと私は、大嫌いな人の面影を彼女に感じてしまうから、そう感じてしまうのだろう。

「じゃあ、自己紹介でもしようか。私の――いや、これじゃあ駄目だな」

 彼女が楽しそうに足を揺らすと、窓から吹き込む風も楽しそうに笑った。

「俺の名前は狼森黒乃(クロノ)だ。クロノって呼んでくれ」

 彼女は悪戯っぽく、ぐにゃりと微笑んだ。

「どうだ? 分かりやすくなったろう?」

 あれは本当に私なのだろうか?

 私はあそこまで邪悪に笑えただろうか?

 そう名乗った彼女に対して、いくつもの疑問が浮かぶが、

「俺はお前だよ」

 という彼女の――クロノの声がそれらを否定した。

 優しさなんて欠片もなく、慎ましさなんて一握りもなく、クロノは続ける。

「それは感覚で分かっているはずだろ?」

 私より幾分か長いショートの髪を荒々しく掻きあげながら、彼女は真っ直ぐと見つめる。

「鏡よ鏡。俺はお前だが、全部が全部同じってわけにもいかねえ。同じ声、同じ口調、同じ表情、同じ髪型、同じ名前――ややこしいったらありゃあしねえだろ? だから俺は、分かりやすいよう、お前とは真逆の存在になってやろうって言ってんだ」

 鏡写しの文字通りに、な。

 クロノはそう言って、また私にはない、恍惚とした顔をした。

「それで、あなたは――クロノは、何をしにここへ来たの?」

 訳の分からないままの頭で、私は必死に言葉を紡ぎ出す。

「は? 何をしに、だあ? マヌケか? それとも、馬鹿なのか? 鏡様よォ? 俺はただ、『自分の家にいるだけ』なんだぜ?」

「自分の家って――」

「何だ? 何だよ? 何なんだよ? 文句でもあンのか? 俺もお前も『白乃』なんだぜ? 『自分の家』で何が悪い? 何が間違ってるんだ?」

 彼女の言い分は確かに理解できる。

けど、言葉で理解できても心で理解し切れていない自分がいるのだ。

 私が閉口していると、それをじれったく感じたのか、クロノは手すりから降り、

「だ! か! ら! 俺は白乃だし、お前も白乃なんだよ! リンゴは美味いから美味い――説明する必要なんてないのさ。それと同じだよ。ドントシンク! そしてフィールだ! 考えるな。感じろ」

 そう言って私に詰め寄った。

「お前が頭を悩ませなきゃなんねえのは、いなくなった緋色のことだろうが! 俺が何者かだなんて、自分が何者かだなんて、何の役にも立たねえことに頭を動かしてんじゃねえ」

 彼女はそう言うが、果たしてこの疑問をそのままにしておいていいのだろうか?

 最優先事項は緋色のこと。それは確かだが、だからといって突然の来訪者の言うこと全てを鵜呑みにすることはできない。

そもそも彼女は本当に私なのか? いくら外見を観察したところで、その疑問が氷解することはない。

一枚の絵だけでは、間違い探しなんてできないのだ。

私が私自身を知らない以上、そのアプローチの仕方では答えを出すことはできないだろう。

今、この場で深く考えても仕方がない。

なら、ひとまずは友好的に接しておくのがベストだ。

「そうだね。私は、緋色ちゃんのためにできることを探さなきゃ」

「『私は?』笑えるねえ、鏡よ」

 クロノは嫌味っぽく大きなため息をつく。

「『私たち』だろう?」

 そういってから、ケラケラと笑った。

「俺たちは二人で一つなんだから当然だ。 一人ぼっちにすらなりきれなんなら――」


 俺が一緒に、お前と二人ぼっちになってやるよ。


 クロノは月を背にそう言った。

 彼女の後ろで輝く半月は、ところどころ雲に隠れて、まるで満月のように見えた。


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