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鏡よ鏡の私の呪い  作者: 大橋狭間
嘘つきと、狼少女と、
5/21

第四話:七月十二日の白乃と誰か

「――とまあ、今日はそんなことがあったんだよ」

「へえ、そんなにお喋りしていて、自画像は結局描けたのかい?」

 緋色は私へ質問を投げかける。抑揚のない、どこか興味なさそうに聞こえる声色はご愛敬だ。

 学校からの帰り道を、私は緋色と一緒に歩いていた。今夜一緒に作るという、ビーフストロガノフの材料と共に。緋色も、私も、通学用の肩掛け鞄とは別で、パンパンに膨らんだ買い物袋を片手に持っている。

「いや、それが書けなかったんだよね。ちょっとお喋りに熱が入り過ぎちゃって」

 頬をかきながら、私は誤魔化す。

「お喋りは楽しいからね。仕方がない」

 緋色は朝食の時と同じように、片手に小説に持ちながら私の話を聞いているものだから、その言葉にはまるで説得力がない。もっと私とのお喋りに集中しようよ。

 にしても、歩きながら小説を読み、人と会話するだなんて、彼女の処理能力は相変わらずだ。

彼女なら聖徳太子にだってなれるかもしれない。

「ところで、烏帽子が言っていた『おまじない』とやらは、どんな効果があるのだろう?」

「それはね、太子」

「サワディーカ」

「いや、タイ人じゃなくて」

 『こんにちは』じゃないんだよ。

 まあ、自分の言い間違いのせいもあるのだけども。

「そうだ、白乃。やっぱり今夜はタイ料理にしよう! トムヤムクンだ!」

 さっきまではビーフストロガノフ作る気満々だったのに、もう気が変わってるよ。

 既に材料だって買ったというのに……。

「口に入れて感じるレモンとライムの酸味、そして後から来る香辛料の辛さ! 知識として、どんなものなのかは知っていたけれど、献立を変えるならば今からでも遅くないさ。この際、新しい料理に挑戦してみるのも一興だ。わくわくが止まらないな」

 緋色は読んでいた小説を閉じ、一息にまくしたてた。

「ちなみに、トムヤムクンの『クン』とは海老の意であり、鶏肉が入っていればトムヤムガイ、魚肉が入っていればトムヤムプラー。即ち、トムが入っている場合はトムヤムトムと――」

「誰!」

 知らない人で出汁取っちゃダメだよ!

 いや、知ってる人ならいいとかいう問題でもないけど。

「心配ないよ。料理には自信あるんだ」

 緋色はこちらを見て、にこりと微笑む。

「そんな心配してないよ!」

 いくらかわいく笑ったって誤魔化されないし。

「ビーフストロガノフって言ったのは緋色ちゃんでしょ! 今さら意見を翻すのは無しだよ!」

「分かったよ」

 緋色は少しつまらなさそうに言って、再び小説へと向き直る。

「話は戻るけれど、さっき言っていた『おまじない』は、どんな時にやるものなのだろうか?」

「えーっと……」

 言われてみれば、そのことについては何も聞いていなかった。

 『呪い』ではなく『おまじない』なのだから、きっと何かを願う時にするものなのだろう。

 どうせ、自分には関係のないことだ。だから、情報の一部が欠けていたとしても、さして問題ではない。記憶の風化とともに消えていくだけだろう。

「ごめん。そのことは訊き忘れちゃったんだ」

「いいかい、白乃。好奇心は忘れちゃいけないよ? 『おまじない』の話を聞いたならば、それが何のための『おまじない』なのか訊くのは当然じゃないか」

 小説を持ったまま、額に手を当てる緋色。器用だ。

「私たちは好奇心が旺盛だからこそ、ここまで進化できたのだよ?」

 そう言って彼女は、夕暮れで滲んだ空を見上げた。

都会の建物に切り取られた、狭い空だ。

滲んだ橙が、仄暗い青に飲まれている。

 きっと緋色ちゃんはもやもやしてるんだ。話し方は大人のようにしっかりとしているけれど、反面、自分が知らない物へ対する興味は小学生並み――そんな彼女が、『おまじない』の過程だけを聞いて満足できるはずもない。

そもそも、彼女の父が『週に一度家へ顔を出せ』と言い始めたのは、彼女の好奇心が旺盛過ぎるからだった。それは緋色が小学五年生の頃に起こした失踪事件が原因である。

夏休みの自由研究として自分が住む区の地図を作ることにした緋色は、ある日、どこにどんなものがあるかを調べるため町へ繰り出したそうだ。

親に対し「散歩へ行ってくる」と、出かけた緋色。

結局、彼女が戻ってきたのは家を出た2日後。

「飽きた」

 能天気にそう言う彼女へ対して、親が何と言うかは想像に難くない。

今まで気になっていたところを探検できて本人としては大満足だったようだけれど、親がそんな彼女の行動を褒めるわけもなく、事件の後はこっぴどく叱られたらしい。

ちなみに、余談ではあるが、緋色の作った地図は学年で一番の出来だったと聞く。

そんな理由もあって、緋色が家を離れ一人暮らしをすると言い始めた時、両親は何度も反対したみたいだ。しかし、最終的に、条件を設けることで彼らはそれを承諾した。

その条件の一つ目が、週に一度実家へ顔を出すことだ。

 幸い、彼女の実家は私たちの住むマンションからそれほど遠くない。だから、少し足を延ばせば、学校帰りに寄ることだって簡単である。

 緋色ちゃんは無表情のまま、その――切れ長の目を小説へと戻す。

「ごめんね。あとで烏帽子ちゃんにメッセージで訊いてみるからさ。許してくれないかな?」

 私は手を合わせ、緋色に対し頭を下げた。

「しょうがないなあ。今日は白乃の、そのかわいい顔に免じて不問とするよ」

 不意に、緋色は私の方を向くものだから、思わず目が合ってしまう。

 どこか達観しているような、

何もかもを見透かしたような瞳。

 私は慌てて目を逸らす。

 そこに私は映っていただろうか?

 空を見上げ、どろりとした青を見つめる。

 夜の色だ。

「ふと思い出したけれど、駅近くの廃ビルの幽霊がどうとかって話もしたんだってね」

「そうだよ。でも、どうしてそんなことを?」

 最近はサスペンスものの小説ばかりを読んでいると言ってたし、オカルトにも興味をもったのかな? 推理小説とかでは、噂や伝説になぞらえて人が死んだりするわけだし。

「廃ビルなんてものは、私たちの住んでいる区には無いからね。だってつい数年前、この辺では大きな宅地開発があったろう? その時、ここら周辺の区にあった廃墟は全て壊されている」

 緋色はそこで歩くのをやめ、くるりと、私の方に向き直り、

「私が子どもの頃に探検した廃墟は、もう全部無くなったんだ」

 と、付け足した。

「つまりは、都市伝説なんて所詮は都市伝説に過ぎないってことだよ」

 少しいたずらっぽい表情で片手に持った小説をビシと突きつけ、彼女は続ける。

さながら探偵だ。

「ドッペルゲンガーだってそう。自分の分身がこの街にいるだなんて噂も、ただの幻想さ」

 確かに、緋色の言うことも最もだ。

 呪いだとか、幽霊だとか、ドッペルゲンガーだとか――そんなものは全てフィクションの中の出来事で、現実では到底起こりえない。

 飽くなき好奇心で物事を見極め、虚構と現実に精通している彼女らしいセリフだろう。

 私は立ち止まった。

 ならば、まるで呪いのような『鏡に映らない』という、私が直面する非現実は、


 真実なのか、それとも嘘か。


 彼女はそれを、どちらだと言うのだろう?

 伸びていく影を見つめながら考える。

「白乃?」

 緋色も立ち止まり、私のことを覗き込むように首をかしげる。

「ん、何でもないよ。ずっと買い物袋持ってたから、腕が痺れちゃっただけ」

「そういうことだったか。けど、あと少しだ。がんばって歩こう」

 読んでいた小説を閉じ、鞄にしまう。

「美味しい夕食が待ってるよ」

 そう言って緋色は、私が持っている買い物袋へと手を伸ばした。

「や、別に大丈夫! あと少しならがんばれるから」

 私は、まだ大丈夫だとアピールするため、荷物を持っていた右手を肩のところまで上げる。

「疲れた時は、いつでも頼ってくれて構わないんだよ?」

「うん、ありがとね」

 明日か明後日にでも、緋色が気になるって言ってた料理を作ってみよう。

 私が歩き始めると、緋色も私と同じ歩幅で歩き始めた。


「ただいま」

 緋色は玄関の扉を開ける。

 けれども、誰も私たちを迎えることはなかった。

 むわり。

 奥からは籠った空気が流れてくる。

生ぬるく気持ちの悪い、どこか甘酸っぱい空気だ。

 どうしたのだろう。普段なら彼女のお父さんがいち早く出迎えてくれるはずなのに……。

「おかしいな、白乃」

 緋色は玄関マットの上へと荷物を降ろし、私に話しかける。

「七月の半ばに差し掛かるというのに、冷房が付いてないというのは不自然じゃあないかな?」

それもそうだ。

もう六時を過ぎるというのに、灯りが点いていないのも違和感がある。

 私も彼女のように荷物を降ろし、両手を自由にした。

「入ろう」

 そんな緋色の言葉に頷き、私は彼女の後に続いた。

 階段を通り過ぎ、私たちは息を殺しながら、細長い廊下を歩いていく。

 リビングのドアへと近づくごとに鼓動が早くなっていくのを感じ、私は左手で胸を押さえた。

 緋色のお父さんたちに一体何が?

 ドアノブに手を回し、こちらを見る緋色。

 その意図を汲み取った私は、彼女に向って頷く。

 カチャリ。

 彼女がドアを押すと、ゆっくりと開いた。

 息を飲み、私はリビングへと足を踏み出す。

 と、

 そこには、真っ赤な水溜りを作り、床の上で横たわる緋色の母が。

「母さん!」

 緋色は大きな声を上げ、おばさんに駆け寄った。

「うう……」

 うめき声を上げる彼女を抱き起しながら、緋色は訊ねる。

「母さん、私の留守中に一体何があったんだい?」

 私も同じように駆け寄ろうとしたが、何かの気配を感じ振り向く。

 と、

 そこには、金づちを持った、塗り壁のような大男が立っていた。

 思わず飛びのいた私は、緋色のすぐ隣に着地する。

「ごめんね、緋色……」

 おばさんは、目の前の赤を見据えながら、彼女に答えた。

「いちごシロップ零しちゃって……」

 その様子を静かに見ていた大男は、私たちの方へと半歩近づき、口を開く。

「いらっしゃい、白乃ちゃん。緋色のために、わざわざどうもねえ」

 右手で持っていた金づちをポケットに入れ、ぼそぼそとした声でそう言った。

「お、驚かせないで下さいよ、おじさん」

「ごめんねえ、白乃ちゃん」

 おばさんは、何事もなかったように立ち上がり、朗らかに笑う。

「ほら、うちの子が今、サスペンスにハマってるものだからさ。お母さん、二人に楽しんでもらおうと準備してたんよ」

「はあぁ……」

 緋色は、そんな二人を交互に見つめ、特大のため息をついた。

「母さんも父さんも、もう四十なんだからさ」

「何言ってるの、緋色。お母さんたちねえ、毎週この時間に緋色が帰るから、いつもどんな風に迎えるか、一生懸命考えてるんだよ? お父さんも緋色が帰ってくるからって、仕事早めに切り上げてきてるんだから」

「何にしても、今日もまた、お前が無事に帰ってきてよかったよ、本当に」

 おじさんは、ポケットからハンカチを取り出し、涙を拭いている。

「そうやって、いつもいつもいつも、心配し過ぎるから私は家を出たんだ」

 苦笑しながら両肩を上げ、やれやれと私に目配せする緋色。

 私は、そんな三人を見て、

あはは。

と、噴き出してしまった。

 いい家族だ。

 親は子どものことを心配して、子どもはそれを照れくさそうに鬱陶しがる。

お父さんもお母さんも、そして娘も――家族みんな仲がいい。

 理想的な家庭だと思う。

羨ましいなあ。

 緋色がいたずら好きなのも、二人譲りなのだろうか?

 少なくとも、緋色の優しさは二人からの遺伝だ。私は彼女のそんなところに救われているし、おじさんおばさんのそんなところに子どもの頃からお世話になっている。

「にしても、金づち持って何やってたんですか、おじさん」

「いやね、壊れたエアコンを直していたんだよ」

 ああ、だから冷房が効いていなかったのか。

「ところで――」

 おばさんは、雑巾でシロップを拭きながら、私に問い掛けた。

「妹は――お母さんは、元気?」

「えっとですね……」

 緋色の両親が提示した、家を出るための条件――

その二つ目とは、親戚である私と一緒に住むことだった。

 興味の赴くままに行動する彼女だけど、幼い頃から親交のあった、従妹である私と一緒なら、まだ安心できると思ったのだろう。丁度良く、私はその時家を出たいと考えていたため、緋色との二人暮らしは満場一致で始まったのだった。

 お陰で、高校に入ってからの一年間は、今までの人生で最も楽しい期間になっている。

 緋色様々だ。

 ――とまあ、そんな理由もあり、緋色のお母さんは時々、自分の妹のことを私に訊ねる。

 やはり、一回りも歳が違うと、なかなか連絡を取りづらいのだろう。

「おそらく元気だと思いますよ。無沙汰は無事の何とやらって言いますし」

「まあ、あの子は昔から、そういう子だったからね」

 おばさんは、「さてと」と腰を上げ、台所の方へ向かう。

「夕食の後は、かき氷あるからね」

「おばさん、いつもありがとうございます」

 私が目配せすれば、

「じゃあ、そろそろ作ろうか」

 と、買い物袋を取りに、緋色は玄関へと向かった。


料理をし始め数分が経ち、フライパンの上では、綺麗な飴色になった玉ねぎが踊っている。

「あー、ごめん、緋色」

冷蔵庫を開けて思い出した、材料を一つ買い忘れたということに。

「仕上げに使うサワークリームのこと、すっかり失念してたよ」

「まあ、しょうがない。今回は無しで作ろうか。きっと、それでも問題なさそうだ」

 フライパンにマッシュルームを入れながら、緋色ちゃんは返す。

 当然、料理中に小説を読むなんてことはしていない。

「いや、おばさんたちに振る舞うわけだしさ、美味しい方がいいでしょ? 私が買ってくるよ」

 エプロンを脱ぎ、通学鞄からお財布を取り出す。

 今から買いに行けば、例え歩いて行ったとしても、料理が終わるまでには帰ってこれそうだ。

「生クリームなら代用できるらしいし、ちょっとコンビニまで行ってくるね!」

「分かったよ、白乃。けど、交通事故には気を付けてね。聞いた話によれば、最近、足の骨を折って松葉杖を使う羽目になった――なんて子もいるらしいからね」

「大丈夫だよ! じゃあ、行ってきまーす」

 緋色に手を振り、台所を後にする。

 そうやって他人を気に掛けるところなんかは、おじさん似だなあ。微笑ましい。

「外暗いから、不審者には注意するんだよ」

 大男――もとい、緋色のお父さんは、そう言って玄関から見送ってくれた。

 まあ、ここからコンビニまではそう遠くないし、何より緋色の家周辺なら歩き慣れている。

おそらく、十分そこらで帰って来れるだろう。

「では、改めて行ってきまーす」

 家の外は、さっきとは打って変わって真っ暗だった。

 つい数十分前まで顔を覗かせていた太陽は既に沈み、厚い黒々とした雲に空は包まれている。

 涼しい風が頬を掠めた。私たちの住む辺りと比べると、蝉の音もそれほど喧しくない。

 夏の夜には珍しく、心地の良い夜だ。

 時間を確認してみると、もうすぐ夜の七時になろうとしている。

 さっさと済ませよう。

 私は駆け出す。

少し走ると、図書館を通り過ぎた。

それは、緋色の話に度々出てくる図書館だ。

子どもの頃から頻繁に通っているため、司書のおばさんたちとは仲良しだと言っていたな。

 今日はたまたま彼女に付き添ったが、普段一人で実家へ帰る時は、ついでにこの図書館を利用しているらしい。だから、実家に帰るというより、図書館に行くような感覚に近いと聞く。

 そりゃあ、毎週あれだけ借りてたら、嫌でも顔覚えられるよね。どうやら昨日は読む本が無くなったことに気付いて、急遽借りに来たらしいし。

 緋色の家からコンビニまでの道を真っ直ぐ走っていたら、公園に突き当たった。

 ここを通り過ぎたところを曲がれば、コンビニまであと少しだ。

 一歩、公園へと踏み込む。

 照明は壊れかけているようで、ちかちかと明滅していた。

 きい。

 と、遊具が揺れたのか、錆びた音が聞こえる。

 気味が悪いな。

 烏帽子ちゃんが変な話したから、少し身構えてしまう。

 それは、さっさと抜けようと思い、ゆらゆらと揺れるブランコを横切った時だった。

真正面のベンチに、誰かが座っていることに気付く。

びっくりして声を上げそうになったが、恐怖心は飲み込み、向こう側の出口へと足を動かす。

 その時、

「あなたは自分を見たことがある?」

 ベンチに座っていた誰かは話しかけた。

 凛とした声だ。

 ゆらりと立ち上がり、私の方へと近づいてくる。

 真っ白なワンピースを着ている、真っ黒な長い髪をした、私と同年代くらいの女の子。

 こんな暗がりで、一人何をしていたのだろう。人でも待っているのだろうか?

彼女が私に投げかけた質問の真意も気になる。

暗闇の中の誰かは、私が鏡に映らないということを知っている?

いや、そんなハズはない。

 何故なら私は、小学生の時以来、その話を誰にも語っていないからだ。

 小学生の時の同級生だって、そんなこと既に忘れている。

 幼馴染である緋色すら、私の秘密について触れることはないのだ。

 きっと誰の瞳にも、ただの嘘つきだと映ったに違いない――

否、正直者には『映らなかった』に違いない。

「自分を見つめる時っていうのはね」

 誰かは、私の返答なんかおかまいないといった調子で語り続ける。

「自分が死ぬときなんだよ」

 ぽつり。

 彼女はそう言って、私が来た方の出口へと歩いて行く。

 『自分を見つめる時』は『自分が死ぬ時』?

 ああ。

 私は納得する。

 きっと彼女が話しているのは、ドッペルゲンガーのことに違いない。

 大方、意味深なことを言って怖がらせたいだけのオカルト好きだろう。だとすると、こんな公園で一人、誰かが来るのを待つだなんて相当の暇人だ。駅の近くとは言え、時間も時間である。人が来るかどうかなんて分からない。

 『自分』か……。

 心の中で彼女の言葉を反芻する。

「見れるものなら見てみたいよ」

 そう言って振り向くと、彼女は歩みを止め、

「なら、あなたも自分を呪うといい」

 こちらを見ないままにそんな言葉を返した。

 呪う?

 やっぱりただのオカルト好きか。けど、私の悩み――鏡に映らないという苦悩――を取り除けるのなら、オカルトに頼るのも悪くないかもしれない。

 なんてね。

 心の中で呟き、私は公園を後にした。



 まさか生クリームが売り切れているなんて……。

はあ。

 と、大きく嘆息。

 緋色ちゃんの家へと足を走らせながら、私は反省する。

 駅前のコンビニを甘く見ていた。

 生クリームなんて当然入荷数も少ないだろう。故に、生クリームを買おうという人が一人でもいたら、売り切れてしまうことは明白だ。駅前なら尚更のこと。

 お陰で、別のコンビニを探すことになってしまった。

 ちらり。

 時間を確認すると、もう七時四十分になろうとしている。

 四十分もあったら余裕で完成させられるだろう。

 一応メッセージは送ったけれど、返事は無い。

 料理に手こずってるから?

 それとも、単に気付かなかっただけ?

待たせちゃってるかな……。

 幸い、生クリームは最後にかけるものだから、その点は大丈夫だろうけども。

 数十分前に通り過ぎた公園を突っ切り、緋色ちゃんの家へ向かって真っすぐに進む。

 先ほどの少女は当然いない。さすがにもう帰ったのだろう。

 生ぬるい風を肩で切りながら、図書館を通り過ぎる。

 あと少しだ。

 家に着いたらまず謝ろう。

 そして、みんなで一緒に美味しい夕食にしよう。

 家の前で立ち止まり、ふと空を見上げた。

厚い雲の間からは、半分の月が顔を覗かせている。

まるで、空が笑っているようだ。

そんなことを思い、

 門を開け、玄関の扉の前へと進む。

 小さな庭のある、赤い屋根のお家だ。

「遅れてごめんね! ただいま」

 インターホンを押す。

 けれども、誰も私を迎えてくれる気配は無い。

 不思議に思いノブに手をかけると、それは力を入れずとも開いた。

 不用心だなと思いながら、中へと入る。

「緋色―?」

 私が家を出た後、誰も鍵をかけなかったということだろうか?

 あの時はおじさんが見送ってくれた。

 確かに、私は合鍵を持っていない。けれど、それを心配したおじさんが、鍵をかけずにおいてくれたなんてこと、考えられるだろうか?

 靴を脱ぎ、玄関を上がる。

「おじさん?」

 明かりの点いたリビングへと足を進める。

 ああ、夕食の匂いがする。

きっと、もうできていて、私を待つだけなのだろう。

「おばさん?」

 これだけ問い掛けても返事がないってことは、またさっきみたいにふざけてるに決まってる。今度は緋色も一緒なのかな。

 どちらかと言うと、彼女は一人でいたずらをするタイプだけど、まあ、家族と一緒ならそれもあり得る話かもしれない。

 リビングへと続くドアに手をかける。

 今度はどんな手法で驚かせてくれるのだろうか。

 わくわくしながらドアを開くと、

 すぐにそれは、

別の感情へと変わった。

 何故なら、

ドアを開いた、

私の目に、

飛び込んできたのは、


 真っ赤に染まった部屋と、

 横たわる三人の死体だったからだ。


 おじさんと、

 おばさんと、

 そして、

 公園にいた少女――その三人だった。


「大丈夫?」

 手に持っていた荷物なんて投げ捨てて、

私は、動かなくなった彼らの元へと駆け寄った。

大量の血が流れている。

 素人目に見ても明らかなほどだ、

人が死ぬには十分だと。

 二人を必死に揺するも、

 その体は動かない。

「嫌だよ」

 おじさんとおばさんを床へ横たわらせ、

少女の体を抱える。

暗がりのせいでさっきは気付かなかったけれど、

彼女の顔には見覚えがあった。

彩凪渚――失踪中である生徒会長その人だ。

「どうして?」

その少女の体も、

同じように揺するが、

何の反応も、

帰っては来なかった。

「緋色ちゃんは?」

真っ赤に染まった部屋で、

 真っ黒な血だまりで、

 座り込む。

「私は」

 血まみれで横たわる、

体を見つめながら、

「どうして」

 悲しくて、

 不安で、

「助けられなかった」

涙がこぼれ落ちる。

「私が」

 血だまりに、

「死ねば」

 崩れ落ちた。

「よかったのに」

 私が声にならない嗚咽を漏らし、

 赤黒い澱みに作る波紋を見つめていた時――

 バタン。

 玄関の扉が閉まる音だ。

「犯人に決まってる」

 そんな言葉が聞こえたような気がして、

 涙を拭い、全力で駆け出す。

 リビングのドアを開け、

 廊下を走り抜け、

 玄関を過ぎ行く。

 靴なんて履いてる暇もない。

 そのままの勢いで家の外へと飛び出した。

 私の目に入ったのは、真正面の道路を走り行く影。

 あの影を追わなきゃ――そんな想いに駆られ、

 無我夢中で体を動かす。

「待って!」

 公園に入ったところで、ようやくその背中を捉える。

 見覚えのある背中だ。

 血まみれの誰かは明滅する照明の下で立ち止まり、こちらを振り向いた。

 息を切らしながら、私は彼女を見つめる。

 長く綺麗な亜麻色の髪は見る影もなく、

 ブレザーの白は、赤黒い鮮血に塗りつぶされていた。

 彼女の視線は、真っ直ぐに私へと注がれている。

 小説の中の物語ではなく、私へと。

「緋色……?」

 私が呼びかけても、彼女は表情を変えることなく、

踵を返し、駅の方へと走り去って行った。

 後を追おうと一歩踏み出すけれど、

 血みどろになった緋色との対面で混乱したのか、

 私の足はもつれ、転んでしまう。

 すぐさま起き上がり、彼女が走り去った方向に目をやるが、

 そこにはただ、闇が広がっているだけだった。


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