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鏡よ鏡の私の呪い  作者: 大橋狭間
嘘つきと、狼少女と、
3/21

第二話:七月十二日の白乃と緋色

『犯人は、友人宅で彩凪(ミナト)さん(四十三歳)と、彩凪(ミギワ)さん(三十八歳)を殺害した後に、殺害されたと見られており――』

 ぼんやりとテレビを見つめながら朝食を摂っていると、

「ここのところ、同じようなニュースばかりやってるね」

 ルームメイトである、道導緋色は話を切りだす。

 私が彼女の方を見つめると、『二つの証明』という文字がこちらを見つめ返した。

 何故なら彼女の顔は、開かれた小説にさえぎられていて、私の視界に映らなかったからだ。

 私を見つめ返したその文字は、彼女が読んでいる小説のタイトルだったわけである。

 左手で小説を読み、右手でご飯を口に運ぶといういつも通りの光景は、対面に座る私から見れば、小説がご飯を食べているようにも見えなくない。

「彩凪……確か、うちの学校の生徒会長も同じ苗字だった。(ナギサ)ちゃんだとか言ったかな?」

夏の暑苦しさとは正反対の、穏やかで冷めた声だ。

 私はトーストにバターを塗る手を止める。

「そうだね。渚先輩はその日から学校に来ていないって言うし、もしかすると――」

 私はふと、その事件に巻き込まれたのがウチの学校の生徒会長なんじゃないかと邪推するが、すぐに思い直し訂正する。

「いや、まさかね。きっと、苗字が同じってだけだよ」

「白乃はそう思うんだね。まあ、朝から見たいものではないし、チャンネル変えようか?」

 私を気遣ってのか、彼女は問いかける。

 首肯すると、緋色は右手に持った箸を置き、食卓の上にあったリモコンで適当なチャンネルに変えてくれた。テレビでは、もこもことした鳥の着ぐるみが子どもたちと踊っている。

きっと、残酷なものなんて何も映し出さない、幼年向けのチャンネルなのだろう。

「緋色、また食事中に小説読んでるの?」

「当然だよ」

 彼女はそう言ってから、お味噌汁をすすった。

 夏だというのに、ご飯とお味噌汁だなんて暑くないのだろうか?

 私的に、夏にそれは合わない気がするのだけれど。

「もし人類が生まれなかったとしたら、この世に書物が生まれたと思うかい?」

 緋色はいつもの回りくどい調子で喋り始める。

「否。人類が生まれたからこそ、書物は生まれた。なら、それを読まずして何を読むんだい?」

「それと、食事中に小説を読むことは関係ないと思うのだけれど……」

 たまには私のことを見て、向かい合って、ご飯を食べてくれてもいいのに。

 緋色はいつも小説にしか向き合っていない。

その瞳に私は映っていない。

「人類の歴史とは書物の歴史。人が何かを伝え、遺したいと願ったからこそ、書物と言うものは生まれたんだ。そもそも、本の起源は四千年以上にも遡ることができて――」

「その話は何度も聞いたよ」

 私は、つい本音がこぼれたことに気付き、

「けどやっぱり、緋色の言う通り、本ってたくさんの人を繋いでくれるものだし、すごいよね」

 と、取り繕った。

「ともあれ、だから私も、先人たちが遺したいと感じた物を知りたいし、そこで私が得たものも伝えたいと思っている。要するに、私は、私の好奇心が抑えきれないだけなんだ。一日三冊読まないと、私の欲求は満たせない。例え食事中でも時間が惜しいのさ」

 彼女はそう言って、一塊のご飯を口に運んだ。

 けれど、小説からは一ミリたりとも目を逸らさない。熟練の技だ。

「えっと、それで、今日はどんな本を読んでるのかな?」

「うん? 今日は……、とにかく人がいっぱい死ぬやつかな」

 緋色ちゃんは、背中のところまである、その長い髪の毛を整えながらに言った。

 とても綺麗な亜麻色の髪の毛だ。

 朝の光に照らされているからか、その動作はどこか清らかで美しく、彼女が放った言葉とはちぐはぐな印象を受ける。

「うわー、よくそんなの朝から読めるね。信じられないよ」

 私はパンに齧りつくのをやめ、うへえ、とリアクションをする。

「まあ、どうせフィクションだからね。どうせなら現実からぶっ飛んでいたほうが面白い。今はそのギャップを楽しみたい気分なんだ。その条件を満たすなら、ファンタジーでもアクションでも何でもいいんだけれど、最近はね。ほら――」

 彼女はそう言って、目線だけでテレビを示した。

「世間がアレで盛り上がっている。だから私も、人の世の流れに合わせてみたくなってね」

「合わせてみたくなってね――って、最近ミステリやサスペンスをよく読むようになったのはそういう?」

「うん、今月はサスペンス月間。とびきり猟奇的なのが十数冊、コメディテイストなのが七冊、あとは全部ノーマルかな。白乃も読みたければいいよ、私の部屋の机の上に積んであるから」

「え? あ、ありがと」

 緋色がそう言うから、いつも何冊か読んではみるのだけれど、結局彼女ほどのめり込んだことはない。苦手だから。

小説にしろ漫画にしろ、物語の登場人物にはそれぞれ役目がある。

どんな主人公も地の文で定義されている、自分自身が一体どんな人間なのかを。

そして、その存在を保証されている。

鏡にも、誰の瞳にも映らない自分とは違って。

嫌がおうにも、そんな現実を思い出してしまうから、私は物語に没入することができない。

感情移入ができないのだ。

「ねえ、緋色?」

「ん、ちょっと待ってくれ。もうすぐこの章を読み終えるから…………で、どうしたの?」

 パタリ、と本を閉じ、彼女は真っ直ぐと私に向き直った。

 その双眸はしっかりと私のことを見据えている。

 鋭い瞳だ。

 けれど、その瞳の中にも私は見つからない。

 私は目を逸らした。

「緋色はどうしてそこまで小説が好きなのかな、って思って……」

「白乃だってお腹が空いたら食事をするだろう?」

 うん?

 緋色は私の質問に質問で返す。

 どういう意味だろう。まさか彼女は、私たちが言うところの食欲のようなものを、小説に感じているのだろうか?

「それと同じなんだよ。生きていれば当然、退屈だと思うときもある。私が本を読むのは、脳髄の飢えを満たすため、渇きを潤すため。白乃が空腹を満たすためにパンを齧るのと同じさ」

 だから私は一日三冊――三食分の小説をたいらげているんだ。

 緋色は自分の持っている本を齧るようなふりをしながら、最後にそう付け足した。

「山羊みたいだね」

「そうさ。丁度いいだろう? だって君は狼だからね。お伽噺でよく目にする組み合わせだ。でも、齧るのはパンだけにしてくれよ、狼森さん」

「私は誰も齧らないよ!」

 そう言う私が齧るのは、当然ただのトーストだ。

「それに、私たちが本の中のフィクションのような、そんな非日常に巻き込まれることなんて到底無いだろう? ワイドショーで騒がれているあの殺人事件だって、私たちには何も影響しない。私はただの読者でいい」

 緋色はコップに注がれたお茶を飲む。

 「そもそも普通の人間は、連続殺人なんて起こせない――二人目は殺せない。良識があれば、一人目を殺した時に気付くからだ、人を殺すということが『どういうことなのか』を」

 緋色はそう言う。

「にしても、読書を含めたら一日六食平らげてるね」

「私も乙女だからね、デザートは別腹というヤツだよ」

「デザートに猟奇殺人の小説を平らげるの?」

 えらく胃もたれしそうな選択である。

 グロ&グロな小説を喜々として読む乙女なんて嫌だ。

「け、けど、やっぱり乙女はスイーツ好きだよねー。分かる分かる」

 内心それは無いと思いながらも、私は必死に取り繕った。

 緋色はその言葉に対してうんうんと頷いている。

 けれど、朝食のデザートとして殺人事件をぺろりと平らげる彼女に、頷く資格はきっと無い。

「ところで白乃、口のところのバターが付いてる」

「え、ありがとう。こっちかな?」

 私はぺろりと舌を出しながら、緋色を窺ってみる。自分で自分の身だしなみをチェックするのが難しい以上、こういう注意はありがたい。緋色ちゃん様々だ。

「白乃、美味しそう」

「ななな、何が? まさか舐めたいって意味じゃないよね? 変な冗談はやめてよ! こ、怖いわー。最近の女子高生怖いわー」

「何を勘違いしてるんだ、白乃。私は、『美味しそうに食べるね』って言おうとしただけさ」

 緋色はくすりと笑ってから、緑茶を飲んだ。

「それにしても紛らわしいよ!」

 私は残りのトーストを口に押し込んだ。

 緋色はこうやって人をからかうのが好きだ。それも、真面目そうな顔でそう言うものだから、本気なのか冗談なのか分からない。

まったく困ったルームメイトである。

「まあまあ、そう怒らないでほしい。単なる戯れだよ。白乃をからかうと、いつもかわいい反応をしてくれるからね。だから私は、思わずからかってしまうわけだ、白乃を」

「信じないよ! 褒めても駄目だからね!」

「喜んでいいんだけどな」

「喜ばないよ!」

 ふう。朝からこの調子だから困ったものだ。

 まあ、朝は朝でも、今日が金曜の朝だということは唯一の救いだろう。

「ところで、時間は大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。もう一回朝食を作るくらいの時間はある」

 緋色はそう言って、台所のシンクへと食器を運んだ。

「もう一回朝食食べてどうするのさ」

「ああ、そうそう。食事を作るで思い出したけど、今夜はビーフストロガノフを作ることにしたよ。帰りは一緒にスーパーに寄っていこう」

「うん、分かったよ」

 そう言えば今日は金曜日だ。毎週金曜日は、緋色ちゃんが実家へ顔を出す日である。

 いや、待てよ? 確か昨日はポークビーンズを作るとか言ってたはずなのにな。

 一昨日は、チキン南蛮を作ると言ってた気がする。

 放課後になったら、「やっぱり馬刺しにしよう」とでも言い出しそうだ。

 本を一日で読み切らなくちゃいけないのも、こういう気分屋なところがあるからかもしれない。彼女が朱々ちゃんと仲がいいのは、気分屋とマイペースで何か通じるのだろう。

 手付かずだったヨーグルトを慌てて食べながら、食器を洗う彼女に話しかける。

「あのさ、緋色」

「どうしたの、白乃?」

 緋色は、私が何をしてほしいのか分かってる癖に、知らないふりをする。

 そうやっていつも私をからかうのだ。

「いや、出かける前に髪整えてほしいなって思って」

「そんなこと、別に今更言うまでもないのに。いつものことだろう? 私が白乃の髪を整えるのは、小学校の時から私の義務みたいなものだ。幼なじみとしての務めさ」

 そう言う緋色は、どこか楽しそうだ。

 私も食器を持ち、シンクの方へ移動する。

「今日はひどいかな? 私の寝ぐせ」

「いや、むしろ素晴らしいよ。ブリリアントさ。いい髪型だよ」

「褒め言葉が嘘くさ過ぎるよ! そういう意味で立派でもしょうがないの!」

 憤慨するが、緋色ちゃんは笑うばかりだ。

「気にするようなことじゃないさ。聞いたところによると、世の中にはブリリアントカットというカットの仕方があるくらいだからね」

「それはヘアカットとは何の関係もないから! 宝石をカットする際の技法だから!」

「つまり、白乃はさしずめダイヤの原石と言うわけさ。今日も私が磨いてあげるよ。ほら、おいで? 洗面台まで行こう。早くしないと学校に行く時間になっちゃうからね」

「まーた調子のいいこと言って!」

 まったく。からかわれる身にもなってほしいものだ。

 緋色はいつになくご機嫌らしく、楽しそうに洗面所へ歩いていく。

 人をからかったり世話焼きだったり忙しいなあ。

そう思いながら、壁に掛けられた時計に目をやる。

 七時か。緋色の言った通り、家を出るまで少しあるな。

「白乃、まだー?」

「今行くねー」

 私は緋色の待つ洗面所へ向かった。

「話は変わるんだけど、その……」

 何と切り出すべきか迷って、私はつばを飲み込んだ。

「緋色が興味持ってる事件って、どんな事件?」

「連鎖殺人事件のことかな?」

 緋色は私の髪を櫛で梳かしながら、興味があるわけじゃあないんだけどね、と付け足した。

「連鎖殺人事件?」

 連続殺人事件なら、刑事ドラマか何かで聞いたことがあるけれど、連鎖殺人なんて単語は聞いたことがない。緋色ちゃんのことだし、言い間違えとも考えにくいけど……。

「そう、連鎖殺人事件。その名の通り、複数個の事件が連なってできているんだ」

「それって、連続殺人事件とどう違うの?」

「連続殺人だと、一人の人間が何人もの人を殺すだろう? けれど、今この街で実際に起きている事件は少し違うんだ」

「違う?」

「ああ、連鎖殺人事件っていうのは、複数人の犯人による事件の連なりの呼称なんだよ」

 うん?

 一体どこが連鎖しているのだろう。

 だって、それは普通の事件を並べただけじゃないか。連なってはいない。

「ふふ、納得できてないって顔だね。例えば、aという人間が家族Bを殺そうとしたとする。けれど、aは結局、家族Bの生き残りbに返り討ちにされてしまうんだ。これが第一の事件」

 ふむ、第一の事件なら簡単に理解できる。ここまでは普通の殺人事件だ。

「次に、生き残ったbが家族Cを殺そうとする。けれど、bは家族Cの生き残りであるcに返り討ちにされてしまった」

「なるほどね。つまり、被害者が加害者になることで事件が連鎖していく。だから、連鎖殺人事件」

「そういうこと。よくできました。現在は三連鎖目ってことになるかな」

 緋色はふざけて私の頭を撫でる。

「せっかく髪の毛整えてもらったのに!」

「ごめんごめん。いくらでも付き合うから許してくれよ」

 緋色はぺろりと舌を出し、爽やかに笑う。

「しょうがないなぁ」

 結局私たちは、談笑をしながら、時間ぎりぎりまで髪を梳かし合っていた。


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