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鏡よ鏡の私の呪い  作者: 大橋狭間
嘘つきと、狼少女と、
2/21

第一話:七月十五日の狼森白乃

 ぱちり。

 私は、気色の悪い、じわりとした暑さに目を覚ました。

 カーテンから漏れる陽の光が、これでもかというくらいギラギラと私を照り付ける。

 暑苦しくて息苦しい。

 おまけに、汗で体がべとべとだ。

 落ち込んでいる私の気持ちとは裏腹に、外では蝉が元気に鳴いていた。

 こんな時くらい静かでいてくれてもいいのに……。

 私はタオルケットを蹴り、上体を起こす。

 携帯電話のディスプレイを見ると、そこには七月十六日という文字が並んでいた。

 『四日』か。

 まだこれだけしか経っていないんだね。

 ぼんやりと携帯電話を見つめながら、首をひねる。

 学校ももう夏休みに入る時分、日差しが強いのは当たり前だし、暑いのも当たり前だ。

 がんばらなくちゃな。

 寝ぼけたままの目で、何となしに虚空を見つめていると、

 ジリリ。

 喧しく目覚ましが鳴った。

 今日は勝てた、かな。私はほんの少しだけ胸を張り、目覚ましを止める。

 そして、ゆっくりとベットから降りた。

 朝だ。

 携帯電話をポケットに入れ、自室から出る。

 今日の朝ごはん何にしようかな――そんなことを考えながら、向かいのドアを開けた。

 空っぽになった部屋の、くしゃくしゃになったベッドシーツを見つめて思う。

 今日の朝食は、真っ白なご飯と温かいお味噌汁にしよう、と。

 空っぽのリビングに入れば、夏場特有の生ぬるい空気が私を迎えた。

 ああ、本当に息苦しいなあ。

そんな風に思いながら、電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れる。

 次に私は、冷凍してあったご飯をお茶碗に移し、電子レンジに放り込んだ。

「はは、やっぱり、こんな暑い日にご飯とお味噌汁だなんて合わないよ」

 そう言ってから、

「――っていうのは嘘。嘘だから、帰ってきてほしいな」

 と、取り繕った。

 さっきまで響いていた蝉たちの大きな声はいつの間にか聞こえなくなっていて、私のそんな呟きだけが、一人こだました。

「こんな時だけ静かになるだなんて、意地悪な奴ら」

 ケトルが「ぱち」と音を立てると、まるでその合図を待っていたかのように、蝉たちは再び大きな声で鳴き始めた。



 二人分のコーヒーを飲み干し、私は鞄を手にする。

「行ってきます」

 空っぽになった部屋へ私はそう残し、家を後にした。

 私の――私たちの住む部屋はマンションの七階で、部屋から出たすぐ左脇には階段がある。私たちの同級生である(カムリ)(シュシュ)々は、その階段を上がってすぐの部屋に住んでいた。

 丁度真上に位置する部屋だ。

 同じマンションに住んでいるからか、それとも名簿順で前と後ろだったからか、はたまた別の理由からかは分からないが、彼女とは何だかんだ仲がいい。

 インターホンを押す。

 現在の時刻は七時半。このまま行けば四十五分には駅へ着き、五十五分の電車に乗れるだろう。ともすれば、学校へは八時二十分くらいには着くハズだ。

 そんな算段を立てながら待っていると、朱々が出てきた。

 パジャマで。

イヌを模した、フード付きのパジャマだ。一見すると、着ぐるみのようにも見える。

「お待たせ! じゃあ、行こうか!」

 寝ぼけた声を上げながら、左手でごしごしと目をこする。

 その垂れた目はまだ眠そうで、さっきまで眠り呆けていたことを物語っていた。

 肩のところまで伸びた、ウェーブがかった綺麗な髪も、くしゃくしゃになっていて準備万端と言うにはほど遠い。

「その格好で行っていいのはベッドだけだよ!」

「ああ、ちょっと寝ぼけてたみたい。朱々、さっき起きたばかりでさ。おはよ」

 朱々はそう言ってから、「ふあぁ」と大きなあくびをした。

「うん、おはよう! じゃあ、また学校で会おうね!」

 そう言って、私が玄関のドアを閉めようすると、

「待って! ナチュラルに置いていこうとしないで!」

 朱々は私の袖を掴み、必死に訴えかける。

 私の言葉が信じられないとでも言うように、長いまつ毛をぱちぱちと揺らす。

「や、やだなあ。冗談だよ。モーニングジョークだよ」

 私は朱々から目を逸らした。

 他人の目を見ることができない――それは私の悪癖である。

 それは、相手の両の目に、自分が映ってないと知るのが怖いからだ。

「ともかく、早く準備済ませてきて! 私は待っても、電車は待ってくれないよ」

「置いてこうとした人がどの口で言うの?」

 朱々はその大きな目で私のことを睨んだ。

「ごめんって。後でいくらでも謝るからさ。着替えて着替えて」

 携帯電話で時間を確かめると、そこには七時三十六分と表示されていた。

 五十五分の次は八時過ぎの電車かな。

「五分だけ待っててあげるから、早く準備してきて」

「了解! ありがと、白乃(シロノ)。また五分後ね!」

 朱々はそう言って扉を閉めた。

 少しすると、扉の向こうからバタバタという音が聞こえてきた。きっと慌てて、家の中を走り回っているのだろう。転ばないといいのだけれど。

 体を翻すと、そこには早朝の、まだ少し眠そうな街並みが広がっていた。

 マンションの八階ともなると、けっこう遠くまで見渡せるものだ。

 廊下の手すりにもたれかかりながら考える。

 『彼女』と、

 『彼女』が巻き込まれた事件について。


 どうして私は、助けられなかったのか。


 ただ一つのシンプルな疑問が、私の胸の水面を揺らす。

「はぁ……」

 大きく嘆息していると、

「おっ待たせー!」

 という朱々の元気な声が聞こえた。

 いつも通りのハツラツとした声だ。

 彼女の性格とは裏腹に、ブレザーには一つの皺もない。

 さらり。

 朱々が髪を掻き上げると、桃のような甘い香りがした。

 彼女の髪はつやつやとしていて、マイペースちゃんのくせに、きちんと手入れしてあることが窺える。生徒会や趣味のことで忙しい朱々のどこに、そんなことをする時間があるのだろう。

 ともかく、ショートカットの私には、ロングヘアーの彼女の苦労をただただ想像することしかできない。

 私の肩に手を置き、「さあ行こう」と急かす朱々。

 じゃらり。

 たくさんの缶バッヂで彩られた朱々のリュックは、彼女が動くたび、そんな音をさせた。

 リュックそのものの色すら分からなくなるほどの缶バッヂが付けられているものだから、そうなるのも必至だろう。過去に何度か「もう少し量を減らしてもいいんじゃないか」と提案したのだけれど、その提案は却下されたのであった。

 コレクター気質の彼女は、自分の集めたものを見せびらかしたいらしい。

 時計に目をやると、時刻は丁度、三十九分になるところだった。

「へえ、三分で準備できたんだ。今の朱々ならカップ麺にだってなれるよ」

「それは褒めてるの? それとも舐めてるの? 確かに朱々、ラーメン好きだけどさ」

 朱々は複雑な表情だ。

 私は褒めたつもりだったんだけどな。

「ともかく、待ってくれてありがとね。駅へ向かおっか」

「そうだね!」

 手を引く朱々へ続くように、私は駆け出した。



「早くしないとホームルーム始まっちゃうよ?」

 朱々は私の袖を引っ張る。

 私は今、教室の扉の前で立ち止まっていた。

 開け放たれた扉からは、制汗剤が混ざり合ったような気持ち悪い空気が漂っている。

 窓を開けていてそれだけ澱んでいるのだから、今日は特別無風な日なのだろう。

「まあ、白乃の気持ちも分かるんだけどね。緋色(ヒイロ)のことでしょ? 白乃が気にしてるの」

「うん……。みんなから好奇の目に晒されるって思うと、ちょっと踏み出せなくてさ」

 ぼんやりと廊下を見据えながらに応える。

 自分と朱々の二人以外もうそこにはいない。

 八時二十八分――あとちょっとでホームルームが始まってしまう。

 少し迷ってから、

「ちょっと顔洗ってくるよ。だから、先に行ってて」

 そう朱々に伝えて、私は洗面台へ移動する。

 冷水で顔を洗うと、何となくさっぱりできる気がした。

 他人がどんな目で私を見ようと、いちいち気にしてても仕方がないか。

 ホームルームの時間も迫ってきている。

「ふう……」

 ゆっくりと大きなため息をついてから、教室の扉を開く。

 教室の中の空気は先ほどと変わらず、生ぬるく澱んでいた。

 まだ冷房の効きが弱いのだろう。依然、居心地は悪いままだ。

 自分の席へ向かって歩いていると、数人の生徒が私のことを見て、何か言いたげにしている。

 けれど、私は知らないふりをして、そのまま席に座った。

 緋色……。

 私は再び大きくため息をついた。

 どうしてこんなことになっちゃったんだろうね。

 ふと目を横にやると、朱々がウインクしてきた。気にすることは無いよ、とでも言いたいのだろうか。何にせよ、元気づけようとしてくれるのはうれしい。

 私も精一杯の笑顔で、にこと笑い返す。

 席について少し経つと、担任の教師も教室に入ってきた。先生が歯切れの悪い声で出席をとっているのを聞き流しながら、私は席の左側――窓の方を眺める。

 ここから見える真っ青な空は、どうしても、私の心とは不釣り合いなものに思えた。

 そのまま左隣の席に目をやる。

 彼女の席は空っぽだ。

 私は、額に浮かぶ汗を拭った。



 ホームルームが終わると、私の周りには数人の女子生徒が寄ってきた。

 みんな少し緊張した様子で、誰が最初に切り出すか、目配せし合っている。

 そして、結局、初めに口を開いたのは、その数人の中で一番背が高い女の子だった。

狼森(オイノモリ)さん……。あの噂って本当なの?」

 私の左隣の席を横目に、彼女は続ける。


道導(ミチシルベ)さんが、彩凪(サヤナギ)生徒会長を殺したって噂」


 私がどう応えようか逡巡していると、

 始業のベルが鳴った。


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