可愛い子を執事にしよう
Side ディアナ(ノクス)
砦の一室、闇の館の執務室と私が勝手に呼んでいる部屋で、漆黒のローブを整え、椅子に深く腰掛けた。
目の前には、うちの子になった銀髪獣人ショタ、クーガが座っている。
お風呂に入れて、セドリックにざっと手当てをしてもらって、ちゃんとした服も用意したら……まあ。超絶美少年執事が爆誕してしまったわけね。
……やばい。視界が幸せ。
落ち着け私。私は今、闇の魔女ノクス。変な声出したらただの趣味悪い令嬢に逆戻りである。
「それで、ノクス様」
クーガが、きれいに揃えた膝の上で手を組んだまま、こくりと首を傾げる。
「僕は、普段……何をすればいいんですか?」
大きな獣の耳がぴこ、と動く。それだけでご飯三杯いけそうなんだけど、そんなことは死んでも口に出せない。
私はわざとゆっくりと、ローブの裾を払って姿勢を正した。
「……そうね。あなたには、私のお側使いになってもらおうかしら」
「お側……使い……?」
クーガの金の瞳が、真剣な光を増した。
そうそう、そのまま真面目に聞いてて……私は今とてもやましいことを考えているけど、表面的にはめちゃくちゃ理知的な決断っぽく見せるからね……!
「つまり、執事よ」
「し、執事……!」
肩がびくっと震えた。そんなに衝撃ワードだったろうか、執事。
「わ、わかりました……! ノクス様の命と、日常と、すべての雑務をお守りする影の盾になるということですね!」
「待って、急に物騒になったわね!?」
違う。私が今欲しいのは影の盾というよりお茶を淹れてくれる可愛い子よ。
「ええと、クーガ。お側使いっていうのはね? 私の身の回りのことを手伝ったり、お茶を用意したり、書類を運んだり」
「暗殺者を排除したり」
「そこは今のところ予定にないわ!」
どんな日常想定してるのこの子。
「むしろ、暗殺者が潜り込む前に情報を察知して教えてくれれば最高よ。戦うのはできるだけ最小限にしたいの。闇の結社のボスが毎日暗殺されかけてたら、胃がもたないでしょう?」
「……なるほど。ノクス様のお体の負担を減らすために、僕が先に暗殺者を見つけておくのですね」
「結論が一周回って物騒なんだけど!?」
今の流れでよくそこに着地できるなあなた。
「ともかく」
私は咳払いして、魔眼にそっと手を当てる。ここからはやることをちゃんと説明するフェーズだ。
「あなたには、三つの役目をお願いしたいの」
「三つ……」
クーガが姿勢をさらに正した。耳がぴん、と上を向く。かわいい。集中しろ私。
「ひとつ、屋敷や砦での私の身の回りの世話。ふたつ、闇の結社に関わる情報の整理と報告、私の目と耳になること。みっつ、必要があれば私の護衛として側に立つこと」
「……」
クーガが真剣な顔で、ひとつひとつを噛みしめるようにうなずいた。
「つまり、ノクス様の生活を守り、情報を集め、命も守る、ということですね」
「まあ、極端にまとめるとそうなるわね」
「……重すぎます!」
「なんで!? 今の流れなら『任せてください!』じゃないの!?」
両手で顔を覆われた。耳もぺたん、と寝る。かわいいけど混乱してる。
「ノクス様の生活も、情報も、命も……全部ひとりで預かるなんて……!」
「いや、別“全部ひとりでとは言ってないわよ!?」
セドリックもいるし、お祖父様もいるし、兄様もいるし。むしろ私は毎日誰かに見守られて生きている箱入り辺境伯令嬢である。
「だ、だって……! ノクス様のお茶がぬるかったら、それだけで結社の士気が下がってしまうかもしれませんし……!」
「そこから!?」
「報告が遅れれば、理不尽を見過ごしてしまうかもしれませんし……!」
「まあ、それはわからなくもないけども!」
「護衛を怠れば、ノクス様の命が……!」
「それは大袈裟よ!」
「大袈裟じゃありません! ノクス様がいない世界なんて……!」
そこで、クーガははっと口をつぐんだ。
耳まで真っ赤になる。
「……その……世界の闇が、困ります」
苦しいごまかし方をした。でも、なんとなく本音も混ざってて――私のほうが動揺しそうになる。
あ、あの……今、若干告白っぽくなかった……? 気のせい? ショタの無自覚爆弾? 危険では? 私は慌てて魔女モードに戻る。
「ふ、ふふ……私の存在をそこまで重く見積もるなんて、大した覚悟ね、クーガ」
「はい。僕は、ノクス様の執事ですから!」
きらきらした目で言われる。やめて。本当に執事として完成されていくからやめて。
「それと、大事なことがもうひとつ」
「まだあるんですか……!」
クーガの耳がぴく、と不安そうに揺れた。
「給金のことよ」
「……給金?」
きょとんとした顔。もしやこの子、お金をもらうという発想がないのだろうか。
「あなたにはちゃんと、働きに対して報酬を支払うわ」
「そんな……! 僕はノクス様に命を拾っていただいて、それに屋根とご飯と、寝床まで……! さらにお金までいただくなんて身に余るどころか、重罪では!?」
「どんな価値観で生きてきたのよ!」
思わず素が漏れた。クーガがびくっと肩をすくめる。私は深呼吸して、落ち着いて言い直す。
「……いい? クーガ。闇の結社がどれだけ世界から隠れていても、ここはこの領の一部で、この砦も領の財政の中で動いているの。働きには対価が支払われる。これは、表でも裏でも変わらない理よ」
「理……」
「あなたは私の執事として働く。なら、他の執事やメイドと同じように、給金を受け取る権利があるわ。命を拾ったとか、恩がどうとかは、それとは別の話。わかった?」
「……でも、僕なんかが、“綺麗なお金”をもらってもいいんでしょうか」
そこで、彼は少しだけ視線を落とした。魔獣の末裔として蔑まれ、奴隷として鎖に繋がれてきた過去が、一瞬で透けて見える。
胸が、ちくりと痛んだ。
私は椅子から立ち上がり、クーガの前に歩み寄る。
「クーガ」
「……はい」
「あなたが貰うのは、闇の結社の給金でも、魔獣の血の代償でもないわ」
そっと、頭に手を置く。耳がぴく、と驚いたように震えるけど、逃げない。
「あなたがこれから流す汗と、積み重ねる努力。ノクス様のために淹れるお茶の回数と、私のわがままに付き合う回数。それらの全部を、領の言葉で言い換えたものが給金よ」
「……努力を、お金に……」
「そう。だから、それはあなたが自分の手で稼いだものなの。誰にも汚せない、あなただけのものよ」
クーガはしばらく黙っていた。長いまつ毛が震える。
そして、ぽつりと言った。
「……わかりました。じゃあ、僕は」
ぱっと顔を上げる。金の瞳が、まっすぐに私を捉える。
「ノクス様のために、いっぱい働いて、いっぱい努力して、給金が足りないって言われるくらい頑張ります!」
「うん、それはそれで財政が心配だからほどほどにしてね!」
「最後に、服のことなんだけど」
「服……?」
私は部屋の隅にかけておいた一式を指さした。
白いシャツに黒のベスト。きちんと折られたズボンに、さりげない銀のチェーン。いわゆる、執事服。
「あなたには、これを着てもらうわ。執事としての制服よ」
「……僕が、これを……?」
クーガが恐る恐る近づいて、服に手を伸ばす。布の感触を確かめるように指先でなぞってから、ぎゅっと握った。
「似合わないかもしれません」
「似合うに決まってるじゃない」
口から、即答が飛び出した。
しまった。早すぎた。でも、もう取り消せない。
「ノ、ノクス様……?」
「……あー、その。魔眼は本質を見通すからね。あなたがこれを着た姿が、もう見えているのよ」
方便を添えておいた。今のは完全に私の趣味だ。クーガは少しだけ笑った。
「……じゃあ、全力で“似合う”ように頑張りますね」
そう言って、執事服を抱きしめる。……あ、これ、本当にやばいかもしれない。
闇の結社のボスとしての私ではなく、単なるオタク令嬢ディアナとしての悲鳴が、心の中で上がる。
「さっそく、着替えてきてもいいですか?」
「え、ええ。更衣室はあっちよ。サイズが合わなかったらすぐ言ってね」
「はい!」
ぱたぱたと尻尾を揺らしながら、クーガは更衣室に駆けていった。
扉が閉まった瞬間、私は椅子に崩れ落ちる。
「……落ち着け……深呼吸……」
闇のボス、ノクス。
辺境伯令嬢、ディアナ。
そして、ショタ執事が大好物な元オタク、庵野黒子。
三つの人格が脳内で殴り合っている。
◇
そして数分後。
「……ノクス様。その……着替えました」
遠慮がちに扉が開き、クーガが一歩、部屋に入ってきた。
白シャツに黒のベスト。まだ少し余裕のある袖口。それでもきちんとした所作で、胸元に手を当てて一礼する姿は。
「……」
生きた執事カタログがここに。
危ない。言葉を失うところだった。
私はなんとか、闇のボスの顔を維持する。
「サイズはどう?」
「少しだけ袖が長いですが……動きには問題ありません」
「すぐ成長するでしょうし、そのままでいいわ。とても」
可愛い。
「いい感じよ」
なんとか言い換えた。偉い私。クーガは、ほっとしたように微笑む。
「では、改めて」
すっと片膝を折り、胸に手を当てる。
「僕、クーガは。ノクス様の執事として、お側に仕えることを誓います。ノクス様の歩かれる闇の道が、少しでも歩きやすくなるように。命も、耳も、鼻も、剣も全部、捧げます」
「そんなにいらない!?」
命まで捧げる勢いで誓われると、逆に不安になる。でも、目の前の少年は本気で、嘘ひとつない目でそれを言っている。
……ああもう。私はゆっくりと立ち上がり、ローブの裾を翻した。
「じゃあ、クーガ」
「はい、ノクス様」
「まずは、お茶を淹れてきてちょうだい」
「最初の試練ですね! どんな毒が入っていても耐えられる覚悟はできています!」
「入れないからね!?」
すれ違いながらも、本気で私を信じてくれている、世界一可愛い獣人執事と。
闇の結社のボスごっこを、私は全力で続けていくと決めた。




