闇の結社を異世界で立ち上げてみた
気がついたら、私は死んでいた。
それも、オタクとしてはわりと本望な死に方で……推しを応援して、三徹を乗り越え、スマホを握りしめて死んだ。
画面には、連載を追ってた異世界転生ラブコメの最新更新。
『光の聖女エリシアと七人の守護騎士 ― 辺境の闇を祓う者』
神回。尊死。供給過多。
『いやここでその台詞は反則では???』
『公式、私の寿命を吸い取ってません???』
そんな感じのことを、タイムラインに流しながら歩いていて。
次の瞬間、ヘッドライトの眩しさと、クラクションの悲鳴みたいな音と、浮遊感。
庵野黒子:十五歳。
尊いカップリングの供給を浴びながら、トラックに撥ねられて、三回転トリプルアクセルで地面に叩きつけられて、その人生を終了しました。
それで終わりでもよかったのかもしれないけど……どうやら、世界はもう一話分くらい、私の物語を書くつもりだったらしい。
◇
目を覚ましたら、知らない天井……ではなく、知らない天蓋だった。
豪奢なカーテン。金の刺繍。見たこともない紋章。
そして、鏡に映った顔は、前世よりちょっとだけ整った私。
黒髪と黒い瞳だけはそのままだった。
ディアナ・クローバー。
クローバー辺境伯家の妹という立場に転生していたのです。
どこかで聞いたことがある名前でしたが、私はそんなことどうでもよくて、異世界世界に転生ヒャッハー状態だとお伝えしておきましょう。
数々の異世界転生小説やコミックを読み漁り、推しを応援して楽しむ私はいつしか転生してみたいと思っていた。
この世界、ルミナリア聖王国の辺境にあるクローバー領で、数年前に意識を取り戻した。
オタクの順応性によって、すぐに転生世界にも、身元にも、それなりに慣れた。
この世界は剣と魔法のファンタジー世界であり、貴族と王家と、魔物と戦争が実在する、わりとテンプレな異世界。
クローバー家の両親はすでに他界していて、ディアナに残された家族は二人だけ。
一人は、私の兄であり、このクローバー領を治める辺境伯、クリスティン・クローバー。超絶イケメンの黒髪ロングお兄様、端的に最高な見た目。
そして、もう一人は、貴族の表舞台を引退した、シルバーグレーの髪色に筋骨隆々な体を持つ、ガルド・クローバーお祖父様。
「ディアナ。礼儀作法を学んだレディーなのだ、ドレスで走り回るのはやめたまえ」
朝食の席で、兄はいつもの調子でそう言ってくる。
涼しい顔、切れ長の黒に近い青い目。
女の子たちが見たら悲鳴を上げそうな端正な顔立ちなのに、口から出てくるのはだいたい説教か業務連絡だ。
「はいはい、気をつけます、クリス兄様」
「返事だけはいいのだがね、君は」
呆れたようにため息をついて、兄は食器を静かに置いて席を立つ。
今日もこれから、領主としての仕事に戻るのだろう。
十八歳で辺境伯を継いで、現在は二十一歳。
広大な辺境を魔物から守り、王都の貴族との駆け引きに追われ、正直、妹に構っている暇はないはずなのに説教だけはしてくる。
優しくないわけじゃない。ただ、いつも疲れていて、笑い方を忘れている。鉄仮面はやめた方がいいと思う。
「おう、ディアナ。パンばっかり齧っておらんで、肉も食え肉も」
「はいはい、ガルドお祖父様」
焼きたてのソーセージを勝手に私の皿に追加してくるのが祖父だ。
クローバー家の前当主であり、かつて「鉄血のクローバー」と呼ばれいた軍人貴族。
今は隠居した身で、政治の表舞台からは退いている。けれど、領民からの信頼は根強いため、祖父がいる間は、領民が反乱する恐れはない。
「ディアナ、お主また昨夜は遅くまで本を読んでおったろう」
「えっ、なんでバレてるんですか?」
「ワシの勘を侮るでない。目の下の隈と、朝のスープの飲み方でだいたいわかる」
「観察力がホラーなんですよ、お祖父様」
祖父には誤魔化しが利かない。でも、その鋭さが私はちょっと誇らしい。
何しろ私は、この家に生まれる前から、こういう人たちを物語の中でずっと見てきたのだ。
前世の名前は庵野黒子。オタクで、なろう系異世界転生ものを読み漁っていた、ただの女子高生。
悪役令嬢も、ゲーム世界転生も、大好きだった。
勉強して、礼儀作法を覚えて、それなりの相手と結婚して。辺境伯の妹として無難に暮らす。それはそれで、きっと幸せだろう。
だけど、それならわざわざ異世界に生まれ変わる必要なくない?
異世界転生したからには厨二病を全力でやらせてほしい。
前世の私は、画面の向こうの主人公たちにずっと憧れていた。
世界の裏側を知っている人たち。
王も知らない秘密を握る組織。
昼はただのモブ、夜は闇を駆ける影。
そういう闇の結社とか、謎の組織とか、裏の顔とか。そういうやつを、自分でもやってみたかったのだ。
魔法があって。
剣があって。
魔物がいて。
戦争の火種があちこちに残っている、この世界で。
……だったら、作るしかないよね。闇の結社
私はパンを飲み込んで、ナイフとフォークを揃えた。
「お祖父様」
「なんじゃ。腹でも痛いのか?」
「真剣な相談があるんですけど」
私が真顔になると、祖父の目がわずかに細くなる。クリス兄様はすでに席を立っていた。今朝の仕事が山積みなのだろう。
食堂には、私と祖父だけ。メイドや執事は下がらせている。
このタイミングを、ずっと狙っていた。
「私、自分の組織を作りたいんです」
「…………」
祖父の手が止まる。
「まだ何も言っておらんが、なぜそんな不穏な空気を出す」
「だって、お祖父様の顔が『また妙なことを言い出したの』って顔してますもん」
「……ふむ。で、どんな組織じゃ」
逃げる様子はない。むしろ、興味を持ったときの眼をしている。
私は、胸の内で一度深呼吸をして。
十七年間、温め続けてきた夢を、口にした。
「闇の結社です」
「……」
「必須でしょ?」
「何に必須なんじゃ」
「ロマンに、です」
祖父が、こめかみを押さえた。
「ディアナ。わしはお主を、そこそこ賢い子に育ててきたつもりなんじゃが」
「そこそこ賢いからこそ、闇の結社なんですよ。いいですか、お祖父様。表の政治や軍は、兄様がやります。私は裏から、領地を守るんです」
自分で言っていて若干恥ずかしい。けれど、言葉にしてしまえば、もう戻れない。
「表では、ただの辺境伯の妹。でも裏では、闇の結社の頭目とか、最高に燃えませんか? 私は燃えます!」
「燃えるのはワシの胃なんじゃが、お主が変わっとるのは知っておったがここまでとはな」
「大丈夫です。健胃薬あとで持っていきます」
「そういう問題ではない」
祖父はしばし黙って、私の顔をじっと見つめた。逃げずに見返す。ここで引き下がったら、一生後悔する。
「……ふむ」
やがて、祖父は小さく息を吐いた。
「目的は?」
「え?」
「組織というものは、目的がなければただの人集めじゃ。お主は何のために闇の結社を作りたいんじゃ?」
さすが元辺境伯、ロマンだけでは首を縦に振ってくれない。
私は少し考えてから、言葉を選んだ。
「この辺境は、魔物も多いし、旅人や移民も多いですよね」
「そうじゃな。辺境じゃから、国境に近いからのう。何よりも昔は魔族の棲家と言われていたほどじゃ」
「はい。ですから、表向きの騎士団や兵士さんたちだけじゃ追いつかない、変な事件って、きっとあります。人買いとか、密輸とか、貴族の顔が立つから揉み消されちゃうようなやつとか」
こんなのはあってずっぽうでなんでもいい。
異世界なら、そんなもの用意してくれ。
ご都合主義カモン!
前世で見たニュースと、オタク知識と、この世界で聞いてきた噂を全部かき集めて、私は続ける。
「そういうのを、領主の名を出せない形で片づける組織があればいいなって。表には残らないけど、裏で動いて、誰かを助ける組織」
そして、ほんの少しだけ欲張って。
「ついでに、世界の秘密とか、王都の陰謀とか、魔法の謎とか、そういうのも集めていけたら楽しいなって、魔族と手を組んで大陸を裏から牛耳るのもありですね」
祖父の口元が、わずかに引きつる。
「楽しい、というのは若さじゃのう……」
「はい。若さです!」
「お主は本ばかり読んでおると思っておったが……」
「それも否定はしません」
しばらく、祖父は黙っていた。
私は、少しだけ不安になって、テーブルクロスの端を指でつまむ。
「……ディアナ」
「はい」
「ワシは、そういう無茶を好かん男ではない」
「ですよね」
「だが、お主がやろうとしておるのは、むちゃくちゃなようでいて、実は理にかなっておる」
「え?」
顔を上げると、祖父はにやりと笑っていた。かつて「鉄血」と呼ばれた頃の、鋭い笑みというよりも、イタズラを思いついた少年のように見える。
「領主は表の顔でなきゃならん。だが、表だけで守れぬものもある。わしも現役の頃、何度か裏で手を使ったことがある」
「……」
「お主がその裏を引き受けるのなら、ワシが手伝ってやろう」
「本当ですか!?」
思わず椅子から立ち上がってしまった。
テーブルの向こうから祖父が手をひらひらさせる。
「座れ座れ。はしゃぐでない、頭目殿」
「すみません、まだ頭目見習いなので……!」
「まずは人目のつかぬ場所が必要じゃな。……ふむ、そういえば」
祖父は何かを思い出したように目を細めた。
「この領地には、昔使っておった隠された砦があったはずじゃ。今は封印しておるが……案内してやろう」
「……え、何それ聞いてない」
屋敷の一番奥。普段は使用人も近寄らない古い廊下を歩きながら、私は思わず声を上げた。
そこには隠し通路への扉があり、私のオタク心をくすぐってくる。
「聞かせておらんからな」
「お祖父様ぁ! 最高です!」
「ワシの若い頃はの、王都との関係も今より荒れておってな。何かあったときに備えて、避難路と、隠し通路と、地下の詰所を……」
「完全に戦時体制の遺物じゃないですか?! 素敵!」
こんなにも異世界の建物と相応しい構造はない!
「そうじゃ。だからこそ、人払いして封印しておった。今の平和な時代には不要じゃからな」
祖父は壁に手を当て、小さく呪文のようなものを唱える。
淡い光が走り、古びた石壁の一部が、音もなく横へとずれた。
地下へと続く階段が現れる。
「……最高」
思わず本音が漏れた。
ひんやりとした空気。古い石のにおい。
ときおり灯る魔光石の光が、階段を青白く照らしている。
私は全力で拍手していた。
異世界転生……ありがとう……!
階段を降りていくと、小さなホールに出た。
三つの扉があり、そのうちひとつだけに鍵が刺さっている。
「そこが詰所じゃ。中は……多少、片づけがいるかもしれんがの、それに出口に町から外れた砦に繋がっておる」
祖父が扉を押し開ける。中には、埃を被った木の机と椅子。壁際には、錆びた武器棚。地図が貼られていたであろう場所は、古い画鋲の跡だけが残っている。
けれど、私にはもう、ここが見えていた。
円卓を置いて。
椅子を並べて。
資料棚を置いて。
地上には出せない書類と、裏の情報と、ひっそり集めた魔法道具を詰め込んで。
「闇の結社の本拠地……!」
言った瞬間、背筋がぞわっとした。震えと、興奮と、ちょっとした楽しさ。
「気持ちはわかるが、大声で言うでない。闇とは何か分かっとるか?」
「すみません、今ので七割くらい気持ちよさが来てしまいました」
「残り三割は働いて稼げ」
祖父は苦笑しながらも、否定はしない。
「ここをどう使うかはお主次第じゃ。ただし、条件が一つ」
「条件?」
「この組織が守るものは、まず何よりも、この領に住む者たちだ。それを忘れるな」
冗談でも、ロマンでもない目だった。
私は自然と、背筋を伸ばして頷く。
「……はい。約束します」
「よし」
祖父はにやりと笑って、付け加えた。
「人材については、わしにも心当たりがある。訳ありで、腕は立つが、行き場のない連中がの」
「訳あり……腕は立つ……?」
「それとな、美形が多い」
「採用です」
食い気味に答える私を見て、祖父は「やれやれ」と肩をすくめた。
「お主、顔で選ぶ気じゃろう?」
「イケメンばかりに囲まれて、世界の裏側で暗躍する人生、送らせてください」
「……まあ、王都の連中以外は損をせんじゃろう」
辺境伯の妹として、表では「少し変わった令嬢」として。
裏では、元・鉄血辺境伯をスポンサーに従えた、秘密結社の頭目として。
新しい人生を、全力の厨二病とともに踏み出すことになりました。
どうも作者のイコです。
アーススターノベル大賞様用に考えた作品になります。
評価や応援いただけますと嬉しく思います。
どうぞよろしくお願いします。




