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9、魔王と彼の出会い

「うぅ……っ」

 真っ暗闇の中、シェリスは苦痛の声を上げる。

 今の彼女は、全身から魔力が漏れ出した際にできた傷だらけで、血が絶えず流れ出ている。立ち上がる力は完全に失い、膝をついたまま、両手では押さえきれない傷口を押さえ、荒い息を繰り返す。


(しくじった……)

(自分を過信しすぎていた。いや、未完成の奥義の副作用を、甘く見すぎていた、と言うべきか。やはり部下の言う通り、術を発動する前に止めるべきだった……)

 だが、後悔してももう遅い。暴走した魔力は、シェリスの体をひどく傷つけた。さらに悪いことに、自分が今どこにいるのかさえわからない。周りに医療関係者もいない。自分は治癒魔法も使えない。ただ自分の血が流れ続け、ゆっくりと命が尽きていくのを見ているしかない。


「く、そ……。私、は……ここで終わり、なのか……? こんなはずでは…。私は、絶対の覇者としてこの世界の頂点に君臨するはずだった…。こんな所で死ぬなんて…、認められるか…っ!」


 シェリスが今日まで歩んできた道は、血と試練に塗れたものだった。

 幼い頃に両親はなく、唯一の肉親である弟と共に、弱肉強食の過酷な魔界で生き抜いてきた。弟を守りながら、命懸けで様々な強敵と戦い、死の脅威に怯える眠れない夜をいくつも越えた。どれほどの年月が流れたか、彼女はようやく先代の魔王を打ち倒し、自らが新たな魔王の座に就いた。

 だが、ようやく弟と贅沢な生活を始め、部下を率いて世界征服という野望へ歩み出そうとした、まさにその矢先に、今日という日が訪れたのだ。

 シェリスは納得がいかない。この運命を不公平だと感じる。だが、現状は彼女の意思とは関係なく進んでいくようだ。


「くそ……意識、が……」

 苦悩する時間さえ、シェリスには残されていない。視界が急速にぼやけていく。大量出血による症状が出始めたのだ。

 ぐらり、とシェリスの体が傾ぎ、ついに地面に倒れ伏す。


「………くそ…………が…………」

 悪態をつく声さえ、もう力がない。自分の命の灯火ともしびが消えかけているのを感じながら、シェリスは悔しさと絶望の中で目を閉じた。


 ………


『…………なに?』

 不意に、どこからか声がシェリスの耳に届く…いや、より正確には、直接頭の中に響き、意識に語りかけてくる。男の声とも女の声ともつかない、どこか虚ろで、感情のない声。

 シェリスは最後の力を振り絞り、目を見開く。

 目の前、少し離れた場所に、赤黒い光を放つ球体が浮かび、ゆっくりと回転しているのが見えた。


「こいつ……まだ、消えていなかったのか……」

 シェリスはその球体に見覚えがある。先ほど自分が破壊しようとした、あの空間の裂け目を作っていた赤いオーブだ。自分の全力の一撃で完全に砕け散ったはずのオーブが、見たところ無傷で浮かんでいる。これには、さすがのシェリスも少なからずショックを受ける。

 シェリスがそのオーブを睨みつけていると、再び、あのどこからか響く声が聞こえてきた。先ほどは聞き取れなかったが、今度ははっきりと聞こえる。そして、その声が告げる内容に、魔王である彼女でさえ、思わず目を見開く。


『消滅セヨ』

『コノ星ヲ消滅セヨ』

『コノ星ノ全生命体ヲ滅ブセ』


 赤いオーブは、そう告げている。

 シェリスには「コノ星」というのが何を指すのかわからない。だが、その単語を除いても、「消滅」や「全ての生命を滅ぼす」という不吉な言葉が残る。やはりシェリスが危惧した通り、この赤いオーブには一片の善意もないらしい。


 そんなこと、シェリスが許すはずがない。

「させるか! この世界は私のものだ…! 全ての生命はやがて私にひれ伏す! 私の天下を、貴様のような者に好き勝手させてたまるか!」

『……』

 オーブはそれ以上何も言わず、ゆっくりと遠くへ漂い始める。

「待て! 戻れ! 逃がすものか…っ!」

 シェリスは歯を食いしばり、ボロボロの体を引きずって、ふらつきながらも立ち上がる。追撃しようとする。たとえ自分の体が既に限界でも、シェリスはこの世界の破壊を企む存在を見過ごすわけにはいかない。

 だが、二、三歩も進まないうちに、シェリスの体がぐらりと沈み、足元が不意に消える。まるで底なしの穴に落ちるように、彼女はどこまでも続く暗闇の中へと落下していく。


「うわああああああああっ!」

 彼女の悲鳴だけが、暗黒の空間に消えていた。


 ♦


「……はっ!」

 短い悲鳴と共に、シェリスは勢いよく体を起こした。

「いっ! 痛……っ! ……あれ? こ、これは?」

 急に動いたせいで、全身に肉を引き裂かれるような激痛が走る。彼女は思わず痛む箇所を押さえるが、手のひらに粗い感触が伝わった。視線を落とすと、そこにはいつの間にか包帯が巻かれている。痛みはあるが、出血は止まっているようだ。

「誰がこれを…? それに、ここはどこだ…?」

 改めて周りを見回すと、自分がいるのは先ほどの暗闇空間ではないことに気づく。質素なテーブルと椅子が置かれた、小さな小屋の中だ。自分は布団をかけられ、柔らかいベッドの上に寝かされている。何度か呼吸を試みると、空気には何かの芳しい香りが漂っている。どうやら、自分はどこかの家の中にいるらしい。

「どういうことだ? さっきのは…夢だったのか?」

 暗闇での出来事を思い出そうとするが、まるで夢から覚めた直後のように、記憶は曖昧で現実味がない。シェリスはため息をつき、自嘲気味に笑う。

「どうやら頭もやられたらしいな、あんな夢を見るなんて…。フッ、生命を滅ぼす? 馬鹿馬鹿しい…」


「おや? 目が覚めたのかい?」

「!?」

 シェリスが独り言ちた、まさにその時。部屋のドアが不意に開けられ、若い男の声が聞こえた。驚いたシェリスは、慌ててそちらを見る。

 そこにいたのは、簡素な緑色の粗布の服を着て、尖った長い耳を持つ金髪の男。彼は袋のようなものを抱えて部屋に入ってくるところだった。体を起こしたシェリスを見て、男は人の良さそうな笑みを浮かべる。

「でも、まだ無理しちゃだめだよ。君の怪我はひどいんだ、ゆっくり休まないと」

「エルフ…だと!?」

 シェリスは、その長い耳を見た瞬間、目の前の男が三大国家の一つ、エルフ王国に住む種族――エルフ族の男だと気づく。

 不運なことに、シェリスがこの世界で最も嫌悪する種族が、まさしくエルフ族だった。彼女は、エルフ王国が掲げる平和だの、善良だの、平等だのといった綺麗事を、心の底から軽蔑している。彼女の信条は性悪説。種族間には生まれながらの優劣があり、暴力こそが全てを統べる真理だと信じている。異分子を排除し、力で全てを従わせる。逆らう者は滅ぼす。それこそが生物の究極の目的であり、永続的な支配体制を築く唯一の方法だと考えているのだ。いわゆる友愛、寛容、平和などというものは、シェリスに言わせれば力なき者が強者に対抗するために作り出した欺瞞に過ぎない。故に、そんな戯言を理想とするエルフ族は、皆偽善者であり、臆病者に過ぎない。暴力によって支配されて初めて目が覚める下等種族だと断じている。

 だから、目の前に現れたエルフの男に対し、シェリスは瞬時に嫌悪感と敵意を抱いた。


 もちろん、相手のエルフはシェリスの敵意など全く気づいていない。シェリスを安心させようと、男のエルフは笑顔のまま説明を始める。

「怖がらないで。ここはエルフの国だ。俺が山へ薪を取りに行った時、森の中で傷だらけで倒れている君を見つけたんだ。それで、ここまで運んできて、簡単な手当てをした。ここは俺の家。村の医者に頼んで、君を治療してもらったんだ」

「そうか…。だが、一体なぜ…」

(ここがエルフの森だろうとは、薄々感づいてはいたが…)

 それでも信じがたい。自分がいた山は魔界に近く、エルフ王国からは遠いはずだ。一体何があって、こんな場所まで飛ばされたというのか? 自分が気を失っている間に、何が起こった? シェリスには、皆目見当もつかない。

 だが、男のエルフはシェリスの「なぜ」の意味を取り違えたらしい。彼は笑顔で続ける。

「なぜって、困っている人がいたら助ける。それが俺たちエルフが教わってきたことだからさ。たとえ相手が違う種族でもね。君は今にも死にそうだったんだ。見殺しにはできないだろう?」

「……」

 シェリスは声を出さない。ただ心の中で、自分が最も唾棄すべきと考える陳腐な理想論、独りよがりな綺麗事に、強烈な吐き気を感じていた。たとえ命を救われたとしても、こんな劣等種に、シェリスは感謝の気持ちなど微塵も抱かない。

「そうだ、君、丸一週間も眠ってたんだ。体が弱ってるだろう。ちょうど食材を買ってきたところだ。何か栄養のあるものを作ってあげるよ」

 そう言うと、男のエルフはシェリスに背を向け、袋を床に置き、中身を整理し始める。

 無防備にも、善良なエルフは邪悪な魔王に背中を晒している。魔王がこの好機を逃すはずがない。


(愚か者が! 感謝するとでも思ったか…。この長耳の下等生物どもは、おめでたいにも程がある! よくもまあ、敵とも知らずに自分の国へ運び込むものだ…。貴様も、貴様の家族も皆殺しにしてやる。力なき善意がお前たちに何をもたらすか、地獄で思い知るがいい!)

 エルフ族が掲げる偽りの善を心の中で嘲笑いながら、シェリスはゆっくりと腕を上げ、その掌を男の背中に向ける。そして、鋭く腕を振るった――


「死ね!」


 漆黒の閃光が一閃し、瞬時に男のエルフは灰と化す。

 …………シェリスの予想では、そうなるはずだった。


「あれ?」

 だが実際には、何も起こらなかった。

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