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26、昔話のエンディング

 シェリスは、万物を圧倒する無双の力をもつ、天下に君臨する大魔王。彼女の攻撃は、いかなる強大な戦士であろうと耐え切ることはできない、ましてや二人の幼児など赤子の手をひねるよりも容易い。魔王の力を取り戻したシェリスの眼中にあるのは覇道のみ。不確定要素を排除するため、彼女は母子の情を完全に捨て去り、実の子に手をかけようとしていた。

 まさに彼女が手を下そうとした、その時だった。


「ママ……」

「ん?」

 ローランが不意に声を上げ、シェリスの動きが止まる。

 まさか、ローランが目を覚まし、この場面を見たというのか?

「ん……ママ……うぅ……」

 何かを呟きながら、ローランは寝返りを打つ。どうやら、ただの寝言だったようだ。

 だが、眠っているローランの行動は、寝言だけに留まらなかった。ベッドの外側に寝ていた彼女は、その寝返りで、ちょうどベッドのそばにいたシェリスの方を向く。彼女の小さな手が何かを探るように動き、シェリスが上げていなかった左手を掴んだ。母親の温もりを感じたのだろうか、ローランはシェリスの左手にしっかりと抱きつき、離そうとしない。そして、呟き続ける。

「ママ…。私、強くなる。ママを守れるように強くなって、どんな悪いヤツも、ママに指一本触れさせないようにするんだ…」

「……」

 シェリスの手は宙に浮いたまま、その魔力は揺らめき、一向に放たれる気配がない。


「シェリス! やめろ! お前はあの子たちの母親だろう…馬鹿なことはするな!」

 その時、クルイも苦痛を堪えながら部屋に飛び込んできた。シェリスを止めようと声を張り上げる。子供たちがまだ無事なのを見ると、彼は迷わず前に出て、子供たちの上に覆いかぶさり、自らの背中を盾とした。

「もし殺すというなら、まず私を殺せ! たとえ死んでも、私は自分の子供たちを守る!」

 クルイは、死がこれほど突然訪れるとは夢にも思っていなかった。だが、彼は死を恐れてはいない。父親として、子供たちのために最後の瞬間まで命を懸けて戦うつもりだ。その姿は、シェリスに今日の市場での出来事を思い出させた。あの時の自分もまた、子供たちを守るために、あの非情な五人組に必死に叫んでいたのだ。


「ん……どうしたの、パパ……」

 いくら寝汚くても、大人の男にいきなり圧し掛かられたのでは苦しい。ローランとダッシュは眠そうな目をこすりながら、ゆっくりと体を起こす。すぐに、彼らは父親のクルイだけでなく、母親のシェリスも部屋にいることに気づいた。

「ダッシュ! ローラン! 見るな…!」

 クルイは慌てて子供たちに目を閉じるよう促し、母親のシェリスを直視させないようにする。だが、二人の小さなエルフは、父親の命懸けの忠告など全く聞いていない。

「ママ! 帰ってきたんだね!」

「心配したんだよ! ママ!」

 兄妹は母親の姿を見ると、すぐに駆け寄り、シェリスの腰に左右から抱きついた。まるでシェリスが消えてしまうのを恐れるかのように、決して離れようとしない。

「……………そうよ。帰ってきたわ、ダッシュ、ローラン」

 シェリスは右手を下ろし、そこに集まっていた魔力も霧散する。彼女は両手で二人の子供たちの頭を優しく撫で、穏やかな声で言った。

「ごめんなさいね、心配かけて…」

「ううん、ママが無事ならそれでいいよ」

「ママ、もう私たちから離れないよね…」

「……………ごめんなさい、ダッシュ、ローラン……」

「え?」

「ママには、まだやらなければならないことがある。恐らく、もうあなたたちのそばにはいられない…」

「ママ…?」

「ごめんね…」

 シェリスの掌が、不意に二条の黒い光を放つ。途端にダッシュとローランの体はぐらりと傾き、再びベッドの上に倒れ込んだ。

「ダッシュ!! ローラン!!」

 クルイは悲痛な叫び声を上げ、ベッドのそばへ這い寄り、子供たちの様子を確認する。シェリスがたった今、子供たちを殺したのだと思ったのだ。

「……あれ?」

 だが、彼が最も恐れていたことは起こらなかった。

「ね、寝てる……?」

 ダッシュとローランの心臓は正常に鼓動している。ただ、まるで催眠術にでもかかったかのように、いびきをかいていて、いくら呼びかけても目を覚まさない。

「気が変わった。あの子たちが明確に私の邪魔をするまでは、一応、命だけは助けておく」

 何が理由かはわからないが、シェリスは手を下す寸前で彼らを見逃したようだ。彼女は子供たちの部屋を出ていく。クルイは子供たちを寝かせると、すぐにその後を追った。

「シェリス! いったい…」

「光栄に思うがいい、弱者ども。今日の魔王様は殺生したい気分ではないのだ。命拾いしたな」

「シェリス……」

「お前たちをしばらく殺さないでおいてやる。だが、覚えておけ。私が魔王だということは誰にも言うな。子供たちにもこのことを知らせるな。もしお前たちが今後、私の仕事や生活の邪魔をするようなことがあれば、その時はまた殺しに戻ってくる」

「……わかった」

「フン!」

 シェリスは手を伸ばし、再びリビングにワームホールを開く。そして、そこへゆっくりと歩み寄っていく。

「お前……本当に、行くのか?」

 クルイは骨折した箇所を押さえながら、その声には僅かな引き止める響きが混じっていた。やはり、これは五人家族なのだ。彼は家族全員が揃っていることを望んでおり、誰一人として失いたくなかった。

 だが、シェリスはやはり彼に冷水を浴びせる。

「私に無駄口を叩かせるな。殺されたいのか」

「…………また、帰ってくるのか?」

「さあな」

 クルイは、これが妻との最後の別れになることを望んでいない。ましてや、子供たちと母親との永遠の別れになることなど。自分にはもうシェリスにあれこれ言う資格も力もないことを知っている。だが、それでもシェリスの後ろ姿に、真情を吐露せずにはいられなかった。

「待ってる…。何年経っても、俺と子供たちは君が帰ってくるのを待ってる! その日が来るために、俺は必ず全力で子供たちを育て上げる! 健康で幸せに暮らせるように! …いつか、あの子たちが愛する母親と再会できるように! そして俺は…君に求婚した時にも言ったように、君が誰であろうと、君の力がどれほど恐ろしくとも…俺は永遠に君という一人の女だけを愛し続ける! 俺が死ぬまで、この気持ちは変わらない!」

「………」

「俺と子供たちは、永遠に君を待っている。君が世界を征服するその日を…」

「……達者でな」

 最後の最後に、シェリスはやはりそんな一言を残した。だが、彼女は依然として振り返ることなく、毅然として門の中へと入っていく。そして、門は閉ざされた。


 その日から、シェリスはアーシュ家から姿を消した。子供たちは朝起きると母親がいないことに気づき、泣きながら父親に母親の行方を尋ねた。クルイは全ての真相を胸の奥にしまい込み、涙を堪えながら子供たちの頭を撫で、こう告げた。

「ママは、一人で旅に出たんだよ」


 ………


「陛下だ!! 陛下がお戻りになられた!!」

 魔王城では、多くの魔物たちが彼らの君主の帰還を祝っていた。実に八年もの間消息を絶っていたシェリスが、再び自身の城へと戻ってきたのだ。魔王城全体が、ひっくり返るような歓喜に包まれている。まるで祭りのようだ。

「陛下、この二十年間、いったいどちらへ行っておられたのですか? 我々は皆、陛下をお慕いしておりました」

 シェリスは再び巨大な黒マントを羽織り、久しく空けていた玉座に腰を下ろす。階下では、魔王軍参謀長タヴァルが片膝をつき、王者の帰還を迎えていた。そして、魔界全体が抱いていた疑問を口にする。

「何でもない。余は二十年ほど、野に出て修行を積んでいただけだ」

「修行…でございますか?」

「そうだ。この修行のおかげで、余の力は格段に増し、エンペラーズ・エンドも無事完成させることができた。この数年は、費やした価値があったと思っている」

「なるほど…。陛下が再び輝かしい成果を挙げられましたこと、お慶び申し上げます」

 部下の追従の言葉に、シェリスは非常に満足した。その後、国家の大権を握る参謀長に、この二十年間ずっと気にかけていたいくつかの問題を尋ねる。

「ところでタヴァル。余が不在だったこの数年、国内に何か大きな変動はあったか? 我が軍の士気は? そして、我々の計画通りに事は進んでいるか?」

「陛下にご報告申し上げます。陛下がご不在となられて三年目、ヘイネス将軍が武装蜂起し、人間の王国と結託、内外から我が国を挟撃せんと企てました。臣が兵を率いこの反乱を鎮圧し、ヘイネス将軍とその部下を自ら手討ちにいたしました。その後、臣は軍規を厳格化し、将軍たちの忠誠心を査定してまいりました。現在、国内に内乱の兆候はございません。陛下にご報告なく独断で兵権を掌握いたしましたこと、何卒ご処罰を」

「ふむ。お前もなかなかやるではないか、タヴァル。さすがは余の腹心だ。よくやった。余はお前を許す。さらに、その功績に報いねばなるまい」

「ははっ。陛下の壮大なるご計画のためならば、臣は如何なる困難も厭いませぬ」

 タヴァルは両膝をつき、シェリスに深々と頭を下げた。

「よし! 余が凱旋した今、あの忌々しい人間どもがこれ以上好き勝手するのを許しておくわけにはいかん! 全軍、人間王国へ全力で進攻せよ! 必ずやあの人間どもを屠り尽くし、我が軍の大旗をこの大陸の隅々にまで打ち立てるのだ!」

 シェリスは玉座から立ち上がり、手を振って号令を下す。将兵たちは皆、士気高く、一斉に鬨の声を上げた。

「万歳!!」


 ♦


「まあ…。大体、こんなところだ…」

 シェリスが長い話を終えると、ローランとランシェは聞き惚れて、しばらく我に返れないでいた。

「ママって、そんなにすごかったんだ…」

「前からお袋は普通じゃないとは思ってたけど、やっぱりとんでもない人だったんだな…。お袋がオヤジと結婚したのは、本当にもったいないよ」

 もちろん、シェリスが語った物語は、上記の歴史とはかなり異なっている。彼女が自分が魔王であることを子供たちに話すはずがない。ただ過去の経験を脚色し、事実の一部を隠蔽して、もっともらしい新しい物語を作り上げただけだ。物語の中で、シェリスは依然としてただの人間の旅人。だが、それでも娘たちの好奇心を満たすには十分だった。

「さて、娘たち。ママはもうお前たちの疑問に答えたぞ。満足しただろう? もう大人しく寝なさい。明日も学校があるのだから、遅刻するなよ」

「わかったよ、ママ…」

「なんか、お袋の話を聞いたら、かえって眠れなくなっちゃったんだけど」

 そうは言いつつも。再び横になったローランとランシェは、すぐに穏やかな寝息を立て始め、夢の中へと入っていった。この話が深夜まで続いたのだから、子供たちが眠くなるのも無理はない。


「ふぅ…。誤魔化すのも楽じゃないな。私がこんなに作り話が上手いとは知らなかった…」

 ようやく子供たちを寝かしつけ、シェリスは安堵の息を吐く。これは実に想像力と即興の対応能力が試される課題だった。しかも、前後が矛盾せず、筋が通っていなければならないのだから、本当に骨が折れた。

「……あれから、もう十数年か……」

 シェリスは、自分の両脇で眠る娘たちを見る。時の流れの速さに、思わず感嘆の声を漏らした。あの時はまだ小さな子供だったローランも、あっという間に高校生だ。ランシェもあの赤ん坊から、聞き分けの良い素直な子に成長した。幼い頃に起こったいくつかの出来事など、彼女たちはとっくに忘れてしまっているだろう。

 だが、この十数年で最も変わったのは、自分自身だとシェリスは思う。

「あの時の私は、後々の面倒を避けるために、クルイと子供たちを殺そうとした……馬鹿馬鹿しい…。あの時の私は力と興奮に頭がやられて、正気を失っていたのか…。どうして母親が、こんな可愛い子供たちを殺そうなどと思うものか。いったい何を考えていたんだ、昔の私…」

 シェリスは当時の、子供たちを殺そうとした自分の心境がもはや理解できない。あの時も、危機的状況の中で、子供たちを強く守りたいという願いが、自分の力を再び目覚めさせたのかもしれない。もし家族への愛がなければ、シェリスは今でも魔王の座に戻れていなかったかもしれないのだ。ならば、どうして自らその絆を断ち切る必要があったのだろうか。

 家を出る時は、まるで二度と家族と会わないかのような雰囲気を出したが、実際にはシェリスは仕事が忙しくなく、重要な戦略行動がない時には、しょっちゅう家に帰ってきては家族の顔を見ていた。クルイは妻の正体を気にしていないし、子供たちも相変わらず自分を愛してくれている。いつしか、家族の温もりが、魔王の凍てついた心を溶かしていった。かつて殺そうとした子供たちは、今のシェリスの目には、ただただ愛おしい存在に映る。力は依然として魔王の力であり、二度と失われることはなかった。だが、彼女の子供たちに対する見方は、まだ普通の母親だった頃の態度に戻っていた。いや、それ以上かもしれない。


「安心しろ、ママはもうあんな危険な考えなど二度としない。ママの力は、世界を征服する力だけではなく、お前たちを守る力でもあるのだ。ママという魔王がいる限り、誰であろうとお前たちに指一本触れさせはしない」

 シェリスは顔を向け、眠っているローランとランシェの額に、それぞれキスをする。まるで彼女たちがまだ襁褓の中の赤ん坊だった頃のように、そっとその背中を叩く。

「おやすみ、私の可愛い宝物たち。ママがここで一緒にいてあげるからね」

 もう余計なことは考えない。シェリスも目を閉じ、次第に深い眠りへと落ちていった…。


 ……そういえば、世界の最高峰の山頂にあったあの赤いオーブは、いったい何だったのだろうか? そして、力を取り戻したあの日にエルフの森の市場を襲ったあの仮面の男たちは?

 過去の出来事を語ったことで、シェリスは忘れかけていたこの二つの謎を再び思い出した。十数年経った今でも、この二つの事件は何も解決していない。どう考えても、非常に奇妙な体験だ。

「まあ、いいか。どうでも……」

 だが、シェリスはそれ以上深く追求しなかった。結局、この十数年間、あのオーブが再び装置の作動を妨害することもなかったし、世界各地で奇妙な仮面集団の目击情報が報告されることもなかったのだから。わからなくても構わない。どうせ、全ては過去のことだ。もう気にする必要はない。

 …………本当なのか? それともまだ………?


 正しい答えを、知る者は誰もいない。

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