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(真愛その四)安い女と自家製ドレッシング

 探訪記者が、有名人の推薦する店を食べ歩くテレビ番組。「こんなところでデートできたら良いでしょうね」と、モニターの中に媚びた声がはりつく。そして私の頭の中にもはりついて反芻する。こんなところで、デート・・・。そうやってイメージすれば刹那の希望がやってくる。そして残念な事にすぐ気がつくのだ。それが希望の面をつけた失望である事に。

 いつか孝一が私を驚かそうと、こういった店に連れていくのではないか。そんな風に考えてみる。それがどれほど希薄な望みであっても、空想する間は幸福といえる。安い女。

 だが現実には起こらない。孝一が黙ってそんな店を検索し、予約し、そして私にそれを内緒にしていたとする。そんな事が仮に現実になったとして、これ以上ないおしゃれをした私の前に座る男は、何の感想も述べず押し黙って貧乏揺すりをするだけではないか。ロールストランド の柄使いも、高低感のある盛り付けも、「ほっぺたがおちそうだね」と恥ずかし気もなく言える感動も・・・。ただ「おう」という抑揚のない返答に掻き消されるだけだ。そういう非日常の体験も、初めて味わう感動の一つ一つも・・・。まるで興味を持たないものと分かち合うのなら、それは一人で味わうことと何が違うのだろう。

「ねえ? 連れて行ってほしいお店があるの」

 そう言って見たことがある。

「おまえ俺と一緒にいられれば、どこでも楽しいとかいってたじゃん」

「あ、うん。もちろんそうだよ」

 慌てて愛想笑い。それもこちらがデリカシーに欠ける発言をしてしまったかのように、彼の横顔を盗み見ながら。


 そうだ、一人より二人。一緒に居られたらそれで良い。鏡の中の自分にそう言って、まつ毛の仕上がりを確認して立ち上がる。そしてタンスを開ける。

(これ着ていきたい・・・けどな)

 孝一と付合い始めた頃に買ったシャギーニット。まだ一度も彼の前で着ていない。ミモレ丈でアーガイルチェック。その模様に目を凝らせば一つだけハート型が隠れている。百貨店のテナントで一時間迷い。そして試着し、結果買わなかった。一週間後にもう一度見にいったが諦めた。だか諦めたはずのそれを翌日また試着していた。ようやくそれを購入した帰り道、不思議と後悔や言い訳はなく、充足感が包んだ。だが案の定まだ一度も着ていない。その後、スロット店でしか彼と会っていないからだ。

 食事と言えば紙の品書きがヤニで黄ばんでいる店。手書きで壁に貼ってある。えいひれ、銀杏串、肉野菜炒め、ホッピー。

(ちゃんとしたデートの時まで我慢、かなやっぱり)

 孝一と付き合う限りその機会はないだろう、などと考えたりはしなかった。有名人の大柄な女装タレントがいった言葉。「いつか白馬に乗った王子様が迎えにくる、そう信じていなかったらこんな姿で生きていけないじゃないわたしなんか」

 私はとても共感し、そしてその言葉に今日まで救われてきたのだ。いつかこれを着ていこう、と思える場所に彼といく。そして言ってやるわけだ「ホッピーの中も外もないけど良い?」と。


 この日は私だけが朝から休みだった。孝一は二日続けての半休。欠員が出て日中の休みがとれなくなった為、二日間とも夕方に仕事が終わる。私はこの日、彼の家へいって夕食を作ることになっていた。

 近所のスーパーマーケットから「何でも好きなものをいって?」と電話すると、「じゃあ、焼肉丼」という・・・。

(どうしてもっとこう・・・、なんて言うかこう・・)

「何というかこう」のリクエストにしてくれないのだろうか・・・、と悪態をつきつつも、買い物籠を手に取ればたちまち鼻歌まじりに歩き出す。これまで二人で彼の家に行くことはあっても、家で待っている孝一を私が訪ねたことはない。

 彼が待っている。そう思うと胸は落ち着かず、足は驚くほど軽い。

 新鮮な食材を選んであげよう。そう思っていつもより真剣に野菜や肉を吟味するも、品物を棚の後ろから取ることができない。いつも通り棚の手前にならんだものをかごに入れる。そしていつも通り私が並んだレジだけが渋滞する。更に私が会計を終えたころには、誰も後ろに並んでいない。まさにお決まりの久遠真愛あるある、な訳だが、これしき今日の私にとって些細な事でしかない。

 好きな人が自分を待っている。そしてその人のことを考えながら買い物をする。これ以上のことがあるの? なら教えてほしい。


「おお。おかえり」

 家につくと彼がそういってドアを開けた。そっけない、笑顔もない、呟くように放たれた言葉。そんな言葉に、わさびでも食べたように鼻を刺激される。私はすぐに台所へ行き、流し台に積まれていた食器を洗った。そして得意げに言う。

「ちょっと、待っててね。すぐ作るから」

 こういう事を言ってみたかったわけではない。しかし口にすればたちまち湧き上がる高揚感。こういう時、こういう女を例える言葉は何であろう。やっぱり安い女?

 私は三十分ほどで、彼が注文した焼肉丼と、トマトスープ、ホウレン草のサラダをテーブルに並べた。

「おお、うまそうだな。何か、昼も食べ損ねちゃってさ。腹減ってたんだよね」

 そういうと、彼は勢いよく食べ始めた。どんぶりに二杯食べて、さらに私のそれも半分食べた。

「野菜も食べて?」

 そういって微笑みかけてみたが。

「俺さあ、ほうれん草の後味がさあ、あんまり」

 そういって、彼はテーブルの中央に置いたサラダに手を付けなかった。家から持ってきた自家製のオニオンドレッシングが却って惨めだった。

 彼は店の調理場で働いている。主に板場で包丁を握っている男だ。だが仕事以外ではまったく料理をしないし、家庭的な献立となるとまるで調理法を知らない。彼の食事といえばハンバーガーか、牛丼、焼肉かラーメンと餃子。そして即席食品。

 仮に同棲をしよう、と言われたなら私はすぐにでもここへ転がり込むだろう。そして彼のために掃除や洗濯、何より食事の仕度をしたい。だが彼にその気はない。

 私がここへ来られるのは、彼が家に誘ってくれた時だけだ。そしてそういう時は必ず体を求められる。どちらがついでなのかは考えないようにしている。

 この日も私は彼に抱かれた。孝一に求められた時はいつでも抱かれたいと思う。セックスが好きだ。だが彼の自分本位の性交の仕方は、先にも後に感想が残らない。私から創意工夫を持ちかければ、激しい舌打ちによって阻まれるだけ。次第に孝一としたい、と自分から思うことはなくなった。

 私は彼と一緒に焼肉丼を食べ、その後一人でサラダを食べ、食器を洗い、そして彼とセックスをし、そして家に帰った。

「じゃあ、そろそろ返らないと。電車がなくなっちゃうの」

「おお。じゃあな」

 私が期待する、言葉はいつも返ってこない。


 私と孝一は一緒にスロット店にいかなくなった。私と一緒にいると勝てないことに、彼が気づいたわけではない。それはうまく迷彩を施してきたつもりだ。

 店内で噂になってしまったからだ。私と孝一が付き合っているのではないかと。マネージャーの栄は日頃、そういう噂が立つ度に「キャスト同士の恋愛は禁止。もし発覚した場合は、どちらかは他店に飛ばすわ」といって朝礼の際にスタッフを牽制する。

 私と孝一はほとぼりが冷めるまで、休日を合わせるのを控えることにした。それに付随して、孝一へ片思いをしていた一美から嫌がらせを受けるようになった。あくまで結果としてだが、一美の傘下に入れてもらっておきながら、一美が好きな男と影で付き合っていた、わけだ私は。その噂が立った日から即座にそれは行われた。業務に必要な問いですら返答されない。私は一美のグループ全員から無視されていた。

◇◇◇

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