夜勤族の妄想物語3 -6. あの日の僕ら2・外伝2~浴衣の思い出~-
今夜夜勤が休みだったので書きました。
6.「あの日の僕ら2・外伝2~浴衣の思い出~」
佐行 院
猛暑の中、照り付ける太陽の下で汗を拭いつつ経費の削減を何よりも大切にする会社からの指示により自転車での営業回りを強いられていた守はふと大学時代の夏休みの事を思い出していた。
守「確か・・・、3年の時に好美と阿波踊りを見に行ったんだっけな・・・。今は色々と忙しすぎて近所の祭りに行くのも無理だけどあの時は本当に楽しかったな。」
本人がボソッと呟いた通り、これは徳島での事だった。話は恋人達がまだ屈託のない笑顔を互いに見せあっていたあの日に遡る、好美は母・瑠璃に言われた通りの時間に再び徳島駅へと降り立った。ただ今回は美麗とではなく守とだ、何となく見慣れた地元の景色が違う様に思えた。きっとすぐ右隣りに徳島へと初上陸した守がいるからだろう、地元の人間として恋人を案内(いや先導)しないといけないという責任感を感じていた好美は一先ず前回の様な事態が起こる事を防ぐ為に今回は母へと到着の連絡を入れておく事にした。
好美「もしもし母ちゃん、今徳駅着いたじぇ。」
久々の地元でテンションが上がったからか何故か阿波弁が出てしまった好美、いつも互いに標準語で話していたが故か守は何となく違和感を覚えてしまった。
守「好美・・・、お袋さんは何て?」
好美「母さんももうすぐここ来るって言よっ・・・、てたよ。」
守「何だそれ。」
守に合わせて標準語へと無理矢理戻そうとする好美、その為か標準語と阿波弁がごちゃごちゃになってしまっていた。誰だって失敗する時だってあると言うのに守に笑われて少しイラっとした好美が恋人の肩にグーパンを喰らわせた丁度その時、徳島駅の入り口付近で瑠璃が2人に向かって大きく手を振っていた。今回も美麗が来ると思っていたのか、チャイナ服ではなく今回は純和風の甚平姿であった。
瑠璃「お帰り好美、あれ?ほの人誰え?」
好美「母ちゃん、前帰って来た時に言うたやんけ。恋人の守、去年からの約束で今年連れて来たんじゃ。」
守「突然すみません、驚かすつもりでは無かったんですが。宝田 守と申します、以後お見知りおきを。」
後頭部を掻きながらぺこぺこと会釈をする守、それに対してまさかの事態に驚きを隠せない瑠璃。
瑠璃「あらま、我が・・・、私ったらこんな格好ですみましぇん。母の瑠璃ですじぇ、どうぞ宜しゅうに。」
娘の彼氏の突然の来県に思わず標準語、阿波弁、そしてまさかの関西弁(?)が混じってしまった瑠璃。先程の好美のごちゃごちゃとした口調は母親譲りなのだろうか。
阿波踊りの混雑を避けるために今回はお盆の数日前に帰って来たのだが、やはり地元の学生を中心に夏休みの地元民や好美と同じ考えの帰省客が多かった為に駅構内はごった返していた。そんな中でも母と娘の考えは変わって無かったらしく・・・。
瑠璃「好美、あんたもう呑んどる?」
好美「いや、いまさっき着いたばっかじゃけんまだじゃ。」
そう、相も変わらずビアガーデンに行こうと企んでいた様だ。しかし守にはしっかりと記憶している事があった。
守「嘘つけ。」
実は徳島へと向かう列車の中で缶ビールを呑みまくっていた好美、確か乗り継いだ全ての列車の車中で吞んでいた様な。
瑠璃「ほな熱があるけん顔が赤いんえ?」
好美「何言っとんよ、ここが暑いけんに決まっとるやんか。」
人がごった返す駅構内の熱気と改札の向こうの列車から放たれていた熱気が2重に3人を襲っていたので一先ず駅ビルの屋上にあるビアガーデンへと向かう事に、ただ今回は前回と違っていた事が1点。
瑠璃「父ちゃんお待たせ。」
妻と同様に甚平を着ていた好美の父・操はビアガーデンの入り口の前でこくこくと船を揺らしながら突っ立っていた、そう、今回は偶然にも仕事が連休だった為に久々に会う好美や美麗を交えて4人で呑めると意気揚々とやって来たらしい。
操「あれ?美麗ちゃんはどないしたん?」
瑠璃「ほれがな、今回は彼氏さんを連れて来たみたいなんよ。何や、2人だけで約束しとったみたいじゃわ。確かに今度は彼氏さんとおいでとは言ったけんどホンマに連れて来るとは思わなんだわ。」
操「ほんで、好美の横におるんが例の彼氏さんって訳え?」
ゆっくりと顔を上げて守の顔を見る操、それに対して守は初めて会う恋人の父親に若干だが緊張してしまった。やはりこれは世の中にいる大抵の男子がどうしても感じてしまう事なのだろうかと思いながら一先ず自己紹介をする事に、少し強めに息を吸い込んでみたものの何から言えば良いのか分からない。ただ名前だけはちゃんと覚えて貰わないとと意気込んだ守は勢いよく頭を下げて自己紹介した。
守「好美さんとお付き合いさせて頂いております、宝田 守と申します。宜しくお願い致します!!」
自分でも不思議な位にちゃんとした自己紹介が出来たと心の中でガッツポーズをする守の目の前で恋人の父親はそれ所では無いと言わんばかりの表情でこう答えた。
操「君が守君か、一先ず中に入ろうじゃ無いか。私の自己紹介は酒でも吞みながらでも良いだろう?」
守「も・・・、勿論です。」
倉下家で唯一冷静だったが故に標準語と阿波弁が混じっていなかった父親は従業員に代金を支払って守達を施設内(ではなく施設の外)へと案内した、そこでは既に何組かのグループが愉快に酒を酌み交わして楽しそうにしていた。
操「ほな我がらも座るけ・・・、と言いたいけんど好美だけはもう出来上がっとんな。やっぱり1杯目は皆と呑むのが最高じゃろうに。」
やはり両親が娘の表情の変化に気付かない訳が無かった、特に父親に至っては好美が結構な量を吞んでいたのを見抜いていた様だ。
操「好美、お前ほれじゃとあんまビールが入らんのとちゃうんえ?」
好美「父ちゃんったら何言っとんよ、「ビールは別腹」じゃけん。」
操「アホけ、ほれはスイーツじゃろうが。」
父親に対しては自分が先程まで呑んでいた事を素直に自白した好美、きっとそれなりの嘘を言うのも面倒になったんだろうと推測できる。笑顔での再会を楽しむ親子をよそに空席を見つけた守が瑠璃と共に空いているテーブルへと2人を案内すると好美は座る事無くビアサーバーのある方向へつかつかと歩いて行ってしまった、たった数分の間のみお預けにしていただけだと言うのによっぽどビールが吞みたかったのか目が血眼になっていた。
操「相も変わらずじゃのう・・・、ほれで・・・、いやそれで?守君と言ったかな、うちの好美とは何処で?」
好美が両手いっぱいのビアジョッキを運んでくる間を利用して守が「松龍での出逢い」からの思い出を端的に話し終えた瞬間、3人の会話をかき消す様な物凄い勢いでテーブルにビアジョッキが置かれた。ただそこにいた全員は何となくだが違和感を覚えていた、理由はたった1つだけ。
瑠璃「好美、流石に6杯は持って来すぎじゃろ。4人しかおらんのじぇ。」
好美「何言っとんじゃ、これ全部我がのじぇ。」
操「ははは・・・、はぁ~・・・。」
母の言葉に対する好美の返答に開いた口が塞がらない父、もう笑いとため息しか出なかった操たちは各々で飲み物を取って来る事に。
自動式のビアサーバーが他のテーブルで呑む客の持って来たジョッキへと金色に輝くビールを注いでいる中、操が守に近付いて来た。
操「そう言えばまだ名前を言っていなかったな、父の操だ。まぁ、今夜は楽しくやろうや。」
相も変わらず堅苦しいのが苦手な操は酒の力を使って折角徳島にやってきた娘の彼氏と仲良くなろうと考えた様だ、守はその気持ちが何よりも嬉しかった。ただ嬉しすぎて行動が早まってしまった様で・・・。
守「よ・・・、宜しくお願いします!!」
まだ飲み物が全く入っていないジョッキで乾杯を促してしまった、するとこれにより密かに感じていた緊張感が無くなった操は思わずその場で大笑いしてしまった。
操「ハハハハハ・・・、おまはんおもっしょいな!!よっしゃ、好美との結婚認めたるわ!!」
まだ1滴も呑んでいないのにもう既に酔っぱらってしまった様に見えた操を連れて守がビアジョッキ片手にテーブルへと戻ると、女性陣が顔を赤らめながらゆっくりと呑んでいた。ただ顔が赤かった理由は酒によるものではなかったそう。
瑠璃「父ちゃん、声デカすぎるわ。みなに聞こえてもとったじぇ。」
好美「ほれにまだ気が早すぎるわ、まぁ嫌では無かったけど・・・。」
しかし操の声を聞いてしまった他のグループ客達も黙っていなかった様だ、そこにいたほぼ全員が満杯になっていたビアジョッキを片手に集まって来た。
客「どないしたん、誰と誰が結婚するんえ?」
客「御祝儀は無いけんど乾杯位はさせてくれんけ?」
大勢の人の前で結婚を許された守はもう後には退けない気分になっていた、ただまだ付き合っているという段階だけでプロポーズもしていないのでこう言うしか無かったのかも知れない。
守「俺、宝田 守は好美と出逢えて、そしてこの徳島に来れて幸せです!!乾杯!!」
もうほぼやけくそと言わんばかりにそこにいた客達全員と乾杯を交わすと少し疲れた表情で椅子へと座った、この事は酒の力は凄いのだと改めて感じさせる経験となった。
操の大声により集まっていた客達がその場から離れた後、やっと落ち着いてビールが呑めると思った守が残っていたビールを勢いよく流し込んでお代わりを取りに行こうとすると再び操が横にいた。その光景を見た女性陣は、今度は先程の様な事態にならないで欲しいと願わんばかりでいた、ただその願いが通じたのか今回の操はビアガーデンの前にいた時の様に冷静だったので大丈夫だと確信した母と娘は1年振りに親子の盃を酌み交わす事に。
瑠璃「ほれにしてもあんたも幸せそうじゃな、あんな陽気な彼氏さんや友達に恵まれて。もう心配する必要が無いみたいじゃわ。」
好美「母ちゃん、いつまで子供扱いするんよ。」
瑠璃「ほらほうじゃわ、前にも言うたかも知れんけどあんたはいつまでも父ちゃんと母ちゃんの子供じゃけん当然の事じゃろうに。」
好美「ほうやな、何かごめんよ。」
瑠璃「何ぃ、別に謝らんでええけん早う吞み。私らもお代わり注ぎに行くじぇ。」
好美「ほな母ちゃん、あたし何かつまむもんもろて来るけんビール任せてもええで?」
瑠璃「あんたって子は我儘なのも相変わらずじゃな、分かったけん行ってきい。」
折角来たビアガーデンの雰囲気を湿っぽい物にしたくなかった瑠璃は時間いっぱい酒を楽しみたかったという理由もあったので会話を打ち切ってビアサーバーのある方向へと向かっていた、それに対して改めて親の愛情というものを実感した好美は気温以上に心の中が温かくなっていた事を感じながら料理を取りに行った。
女性陣がいなくなった事により上にあったはずの物が何もかも消え去ってしまっていたテーブルへと戻った男性陣は再び席へと座り静かに乾杯した、ここからが本来の守にとってのある意味本番と言ったところか。
操「ほれにしても嬉しいな、突然とは言え娘の恋人とこうやって酒を吞める事になるなんて思わなんだわ。」
守「お・・・、俺・・・、僕もです。お誘い頂き本当にありがとうございます。」
数分、いや数秒の間と言えど2人きりでの会話になったので改まった様に緊張始めた守は言葉が堅苦しい物になってしまった。しかしそこは酒の席、そんな事すぐにでもどうでも良くなってしまった様だ。
操「ほうえ、好美とは別の学部学部だったんじゃな。ほなけん大学での出逢いじゃ無くて中華屋さんって言っとったか?ほこの前での出逢いだったんじゃな。」
守「そうなんです、本当に偶然ってある物でまさか遠い県外から来た好美が同じボールペンを使っていただなんて思わないじゃないですか。」
操「凄いな、もしほうで無かったらこうやって君と呑む事は無かったと言う事じゃな。」
守「そうですね、自分も本当に嬉しいですよ。」
朗らかに言葉を交わす男性陣の姿を遠くから眺めていた女性陣は安心してテーブルへと戻って行った。
それから時間いっぱい酒を楽しんだ4人は吞み過ぎない内にと急いで汽車へと乗り込んだ、そして好美は改めて生まれ故郷の地に足を踏み入れた。
好美「ああ・・・、やっと帰って来たわ。相も変わらずええ景色じゃな、もう既に夜じゃけど。」
瑠璃「ほうじぇ、夜やけん何も見えて無いでぇ。吞み過ぎとんとちゃうで?」
地元に帰るまでに浴びるほどビールを呑んでいたのだ、そう言われてもおかしくはない。その好美を含めた一行は駅のすぐ傍にあった倉下家へと入って行った、戸締りに対する用心には厳しかったのか家中にある戸という戸が全て締まっていた為に家の中はまるで蒸篭の中の様に蒸し暑くなっていた。家の中に最初に入った操が玄関の電気をつけると瑠璃が急ぎ足で奥の広間へと向かい窓を勢いよく開けて網戸を閉めたので夜の涼しい空気が部屋に入り込んで来た、これは倉下家で昔から行われている言わば通例の物らしい。
瑠璃「好美暑かったやろ、何か飲むで?」
好美「ほなビール頂戴!!」
瑠璃「あんたまだ呑むんえ、家中の酒が無くなってまうわ。」
好美「ええじゃろうに、疲れとんじゃけん吞ませて。」
瑠璃「しゃあない子じゃな、守君はどうする?」
好美に比べてまだ素面に近かった守は冷静に操へと話を振った。
守「えっと・・・、操さんはどうされますか?」
操「おいおい、まだお義父さんと呼んでくれんのえ?」
一般的によく言われる「君にお義父さんと呼ばれる筋合いは無い」とは真逆の受け答えに思わず吹き出しそうになった好美、これこそ倉下家の夜と呼べるのでは無かろうか。
好美「もう・・・、はやからどんだけ打ち解けとんよ。まぁええわ、2人共ビールでええ?」
操「勿論じゃ、我がはまだ守君とゆっくりと話したいけんな。」
守「じゃあ俺も、そうさせて頂きます。」
次の瞬間、守の返答を予想でもしていたかの様に瑠璃が空のグラスと瓶ビールを持って来た。長年連れ添った夫婦が故に出来る連携プレイがそこにあった、それを見た守はいつか自分も好美と目の前の夫妻の様になるんだろうなとまだ見ぬ未来を想像していた。
それから数時間後、瑠璃の悪戯心が混じった厚意により守は好美の部屋で一緒に寝る事になった。ただ娘を守る為か、好美の寝るベッドとは別に予め床に布団を設置してあった様だ。
守が床に敷かれた布団に寝転ぶと好美も電気を消してベッドで寝転んだ。真っ暗な部屋でやっと訪れた「2人だけの時間」、すぐに寝る訳が無い。
好美「守、寝た?」
守「いや、まだだけど。」
まるで修学旅行中の中学生の様な会話を交わす恋人達、ただ考えていた事は2人共同じだった様で・・・。
好美「ねぇ、キスしてから寝ない?」
守「うん・・・、俺もそう思ってた。」
守の返答に対して「待っていました」と言わんばかりの勢いでベッドから降りた好美は恋人の上に跨り唇を重ねた、それから長い長い夜を2人は過ごしていたと言う。
それから数日経ってお盆初日の朝が来た、先に起きた好美は守の頬に再びキスをして恋人を起こした。
好美「おはよう守、起きて朝ごはん食べに行こう。」
昨晩相も変わらず4人が酒を酌み交わした広間へと向かうと瑠璃が既に朝食の準備をしていた、このうだる様なこの暑さに耐えきれそうに無かった操と恋人達の為を想った母親は皆の為に冷や汁を用意していた。
瑠璃「あら、皆おはよう。」
好美「おはよう母ちゃん、冷や汁や用意してくれたんやな。ありがとう。」
瑠璃「こんなん大した事無いって、昨日の残りもんじゃけん。守君に食べさせてええんか分からんわだ。」
守「何を仰いますやら、とても美味しそうですよ。」
瑠璃「あらま、ほう言ってくれたら頑張った甲斐があったわ。」
何となく先程と言っている事が矛盾している様な気がしていたが好美は気にしない様にしていた、どうしてかと言うと好美の頭の中はとある事で一杯だったからだ。
操「今日は午前中どないするんえ?」
好美「一先ずはラムネでも買ってこようと思うんじゃけど。」
操「ほな「あれ」使いだ、お前免許持って無いじゃろ?」
操が言った「あれ」が何なのか分からないまま守は瑠璃が昨日の残り物で作ったと言う冷や汁に舌鼓を打っていた。それから1時間後の事、好美に呼び出された守は玄関前へとやって来た。
好美「守、ラムネ買いに行くじ・・・、行くよ。」
守「おいおい、何で緊張してんだよ。」
ただ好美の緊張の理由はすぐに発覚した、実は幼少の頃からある2人組の歌う「夏と言えばこれ」とも言われる名曲の一節のシーンに憧れを持っていたのだ。
好美「早く、自転車に乗ってよ。」
守「いや好美、1台しか無いじゃんか。お前はどうするんだよ。」
好美「「どうする」って、こうするに決まってんじゃん。」
当然の様に後ろへと乗る好美、よく言う「2人乗り」である。守は自分の後ろにいる好美という大切な人の命の重さを実感しながら自転車を漕ぎ始めた。
それから暫くして、好美の案内通りに進んで行くと緩やかな下り坂に差し掛かった。
好美「守・・・、怖い。」
勿論嘘だ、守の着ていたシャツをぎゅっと握りながら放ったこの台詞によりとある行動を取らせる為わざと誘導したらしい。
守「ああ、ゆっくり行くからしっかり捕まってろよ。」
2人を乗せた自転車はゆっくりと坂を下り始めた、どうやら好美はこのシーンに憧れていた様だ。
好美「これよ、これがしたかったの!!」
守「ははは・・・、なるほどね・・・。」
そして坂を下り終えた所にあった店で2人はラムネを買って飲みながら歩いて帰った。
その日の夕方、一行は阿波踊りを見に行くために準備をしていた。玄関前で守が数分程待った後に遅れて操、瑠璃、そして好美が出て来た。ただどうして倉下家が遅かったかと言うと・・・。
守「浴衣だ・・・。」
そう、浴衣の着付けに時間が掛かった為に遅くなったというのだ。瑠璃が所有していた夏らしい水色の浴衣姿へとすっかり綺麗に着飾った好美を見た守は改めて惚れてしまった様だ。
好美「何よ、赤くなっちゃって。私の方が恥ずかしいってのに。」
守「気のせいだよ、今日は外が特に暑いからな。」
嘘だ、夕方になって少し涼しくなってきたとそこにいた全員が感じていた。そんな中、4人は家の前にある無人駅へと向かった。その駅では一行以外に誰もいなかったので静寂が広がっていた、ただ好美の脳内では既にぞめきの音楽が流れていた様で1人意気揚々としていた。
静寂を切り裂く様に汽車が流れ込んで来た、車内では人々が弁当箱の様に押し詰めとなっていた。車両へと乗り込んだ守は「離れたくない」という一心から好美の手を強く握っていた、互いにそう思っていたのが嬉しかったのか好美も同じ事を考えていた事が手から伝わって来るみたいだった。
徳島駅の2番乗り場で汽車を降りた一行はそのままの勢いで徳島駅を出た、眩いライトで照らされていたその場所は阿波踊りの時期特有の熱気が何処からともなく伝わって来る様だったので4人のテンションはかなり上がっていた。
ただ好美が美麗と共に帰省した時もそうだったが、料金が高いので相も変わらず桟敷席に行く事はせずに沿道を歩きながら所々で買った酒を片手に楽しんでいた。その時の守は好美とずっと手を繋ぎながら過ごす夢の様なこの時間が終わらなければいいのに、ずっと続けば良いのにと願わんばかりだったという。
あれから好美の葬儀を経て数年経った今、守は目の前にある営業回り用の自転車へと跨り会社へと戻る事にしたが遠回りをして少し離れた所にある坂をあの時の様にゆっくりと下る事にした。すると1人しか乗っていなかったはずなのに何故か後ろで身に覚えのある重みを微かに感じた。
守「まさか・・・、そんな訳無いよな・・・。」
ただ心の中では今でも願っていた、ずっと「戻りたい」と思っていた。
そう、ただただ楽しかった懐かしいあの頃の・・・。
「あの日の僕ら」に・・・。≪完≫
何とか書けました・・・。