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7. 騎士の患者

少し長めです。すみません。

よろしくお願いいたします。

ロベルト医師の診断通り、患者は病室に移動してからすぐに熱を出した。


ブルースの看護は、ジリアンと同僚のサビーヌが交代で行うことになった。

彼女はジリアンより年上の男爵夫人だ。

よく一緒に貴族位の患者の世話をすることがあるので、患者は爵位を持っているのかもしれない。

ロベルト医師はそのことに言及しなかったため確かなことは判らないが、サビーヌとジリアンが担当となったことを考えるときっとそうだ。

騎士は平民出が多いので騎士爵だろうか。


ジリアンたちは、熱が高く意識が朦朧としているブルースの体を拭き、着ているものとシーツを取り替え、薬を定期的に飲ませた。


「あなたは治ろうとして戦っているのよ。負けないで」


苦しそうに眉を寄せる額にそっと手を置いて、ジリアンは囁いた。額はまだかなり熱い。

この手が少しでもこの騎士の熱を吸い取ってくれればいいのに。

そう願うようにジリアンはしばらく額に手を置いていた。

世話をしている時に、患者に話しかけるのは彼女の癖だ。

サビーヌは既婚者なので、夜間の看護はジリアンの担当が多かった。

むやみに患者に触れることはしないが、熱のある患者には時々額に触れて熱の確認をする。


手を離そうとした時、その手を急に掴むものがあった。

驚いて見やると、眠っていたはずの患者の大きな手がジリアンの手をしっかり捕まえていた。

今まで閉じられていた瞼が開いて、コバルトブルーの瞳がジリアンをじっと見つめている。

熱のためか、瞳は少し潤んでいた。


「手が…気持ちいい。もう少し…このままで」


彼は掠れた声で囁き、大きく見開かれたジリアンの瞳を見つめ続けていた。

熱に浮かされてのことなのに、ジリアンの心臓はドクドクと波打ち、熱くなっている頬も赤くなっているに違いない。

何より、ジリアンをじっと見つめているコバルトブルーの瞳から目が離せないーーー


暗い夜の病室で良かった、とジリアンは軽く息を吐いて、ようやく一度自分を見つめる瞳から視線を逸らせた。

恐らく、赤くなっているに違いないこの頬のことは判らないだろう。

そう思うと少し落ち着き、自分を見つめ続けているコバルトブルーの瞳に微笑みかけた。

自分の手を掴んでいるブルースの手を宥めるように握り、ジリアンは手を彼の額に戻した。安心したように、ブルースの目が閉じられていく。

彼が寝息を立てるまでジリアンはそうしていた。


それからも、ジリアンが熱の高さを確認してブルースの額に触れながら、励ましの言葉を囁くと、決まってブルースはうっすらと目を開けてジリアンを見つめた。


「大丈夫、もうすぐ熱は下がるわ。」


ジリアンがそう囁くと、軽く頷いてブルースは目を閉じる。

それは医師の見立てでもあり、徐々に峠を越えつつあるブルースの状態の報告だった。


ようやく彼の熱が下がったのは、入院してから5日ほど経ってからだった。


◆◆◆


ブルースの熱が徐々にさがってくる頃には、腕の腫れもかなり引き、肉も上がってきていた。

腹部の打撲はまだ青黒く残っているが、見た目ほど辛くないことをジリアンは知っている。

俺の腕はどのくらい回復しますか、という患者の問いに、ロベルト医師はまずは機能回復を始めましょう、とだけ応えた。


動けるようになると、ブルースは病室にいない患者だった。

機能訓練室で左腕の機能回復に努める傍ら、訓練室の各設備を鈍った体を鍛えるためにも使用したいと願い出て認められ、訓練室に入り浸っているからだ。


その日も、ブルースの姿を探して訓練室を覗いてみたが姿が見つからず、ジリアンはよく晴れた病院の庭に来ていた。


病院の庭は広く、柳はもちろん樫や欅といった大きな木もあちこちに木陰をつくり、ベンチも設えてあるので、天気の良い日には散歩をする患者の姿もよく見られた。

患者が退院する時に感謝の気持ちを込めて花や木を植えていくのがいつの間にか慣例のようになり、特に貴族は自分の庭師に病院の庭を整えさせたりもするので、この庭はいつも青々と草木が茂っていた。


「ここに居たのですね。探しましたよ」


少し咎める口調でジリアンはブルースに声をかけた。

じっと青い芝生を見つめていたコバルトブルーの瞳が、ジリアンの顔を見上げる。


「ああ。少し考え事をしていた」

「もうすぐ回診が始まります」


暗に、戻りましょうと伝えたつもりだったのに、ブルースはベンチの隣を叩いた。


「もう少しだけ。少しだけ付き合ってくれ」


その視線に艶が含まれている気がして、ジリアンの心臓は跳ね上がった。

言葉を失くして立っているジリアンに、少し面白そうにブルースの口の端が上がる。

初めて見る彼の微笑みに、さらにジリアンの心臓は踊りだした。

なおも躊躇っていると、あろうことかジリアンの手を引いて、ブルースは彼女を隣に坐らせてしまった。

少し奥まったところで他人からはあまり見えない場所だったが、ジリアンは恥ずかしさに頬が熱くなる。

患者とはいえ、男性の隣にこんなに密接に坐ったことなどないのだ。


「この手だ…」


ブルースはジリアンの手を握ったまま彼女の目の高さまで上げ、自身の目を閉じてジリアンの指先に額を押し当てる。

ジリアンは息を呑んだ。

とうに頬は赤くなっているに違いない。

見開いたコバルトブルーの瞳は真っ直ぐにジリアンを見つめ、ブルースはそのまま指先に唇を落とした。


「熱に浮かされていた時、癒してくれたのは君のこの手とその美しい菫色の瞳だ」


いつも患者に感謝される度に、仕事ですからとジリアンは応えているのに、今はその言葉が出てこない。

見つめあった視線は絡んだまま、耐えきれずに俯いたのはジリアンの方だった。


「あの…」

「…」

「回診が…始まってしまいます」

「君ともう少し話したいと云ったら…?」

「…!」


目を瞠って顔を上げたジリアンに、ブルースは口の端を上げて笑った。

男らしい端正な顔立ちのブルースが笑うと、想像以上に甘い顔になる。

呼吸が浅くなり、その呼吸を整えようと必死なジリアンに、ブルースの笑みが益々深くなった。

ジリアンの心臓はブルースに聞こえるのではと思うくらい大きな音を立てている。


と…。

ピクっとブルースの指が跳ね、その視線が外れる。

騎士の中でも、ブルースは特に耳がいい。

聞き耳を立てるように集中して、彼は軽い溜息をついた。


すぐにブルースを呼ぶ声が聞こえてきた。

彼を探して、他の誰かが庭に来ているようだ。


「明日もここで」


返事を待たずに立ち上がると、ブルースは声のする方へ歩いて行った。

ベンチを隠していた茂みの向こうで、新人看護師の声がする。


「どこにいらしたのですか?もう!探しましたわ」


ブルースの担当はサビーヌとジリアンだと決まった時に、不服そうに膨れっ面をした新人看護師の声だった。

サビーヌと一緒の担当と決まった時に、きっと彼は騎士爵か何かを持っているのだろうと思ったが、彼女はまだ爵位を持つ者はジリアンやサビーヌが担当することを知らないのだ。

ブルースたちが立ち去ると、ジリアンはほうっと息を吐いた。

無意識に、茂みの向こうのやりとりを息を詰めて聞いていたようだ。

消えていた周りの音も戻ってきた。

ブルースが自分から茂みを出て行ったので、ジリアンの存在は知られずに済んだ。

顔を赤くした自分を隠すようにしてくれたブルースに気がつき、胸が温かくなる。

深呼吸をして気持ちを落ち着け、ジリアンもベンチを離れた。


◆◆◆


翌日、半信半疑で昨日会ったベンチにジリアンが向かうと、ブルースはもう来ていて、彼女に気がつくとベンチを軽く叩いて坐るよう促した。

訓練室にいないとなると、昨日のこともあるし、ひょっとしてここかしら…?と、ブルースを探しに来てみると、果たして彼はゆったりとベンチに坐っていたのだ。


「よかった、来てくれて」


そうブルースは嬉しそうに云い、眩しいほどの笑顔を向けられたジリアンはどぎまぎして赤くなった。


本来なら、ジリアンは患者のあしらいには自信がある。

面倒な患者でも、彼女は冷静に宥めて最後には医師の診断や処方通りに進められるように努めていた。

そんなジリアンを頼って、面倒ごとが起こると呼び出されることもしばしばだったのだ。

しかし医師の許可を取り付けたとかで、ブルースは動けるようになると患者の着る貫頭衣は身につけず、シャツとトラウザーズにブーツという格好でおよそ患者には見えないので、いつものジリアンの調子が出ないまま、ブルースのペースに巻き込まれてしまう。


それからブルースに請われるまま、ジリアンは彼とそのベンチでよく時間を過ごした。

長時間ではなく、数分から数十分の間、主にジリアンが日中の勤務中にブルースの散歩に付き合うという形で。

最初はぎごちなかった会話も、互いの好きなもの、嫌いなもの、子ども時代の話と話題が広がり、個人的に男性と話す機会などなかったジリアンも会話を楽しむようになった。

ブルースが子どもの頃家で飼っていた犬とよく遊んだ話をすれば、ジリアンも実家に置いてきた猫のコパンのことを思い出し、ブルースに話して聞かせる、という風に。


初めて非番の日に会う約束をした時、看護師の制服でなく私服のワンピース姿のジリアンが現れると、ブルースは一瞬固まったあと顔の下半分を片手で覆って「きれいだ…」と呟いた。

病院の庭には通りに面して小さな門があり、同僚に会わないようジリアンはそっとベンチに向かったのだ。

制服を着ていないと鎧のない戦士のようで落ち着かなかったが、ブルースの呟きがはっきり聞こえてジリアンは顔を真っ赤にした。

ブルースの口調の中の何かが…単なる褒め言葉に聞こえなかったのだ。

最初の日以来、ブルースがジリアンの手を握ってくることはないが、別れ際に必ず彼は彼女の手を取り指先に口付けた。


ブルースとジリアンが一緒にいるところは、そのうちに何人もの人の目に触れることとなった。

もとより隠れて会っている訳でもなかったし、患者と看護師が一緒に居るのは自然なことではあっても、やはり頻繁過ぎるので当たり前といえば当たり前だった。

医師や看護師長から注意されるかもしれないとジリアンは思っていたが、誰にも何も云われず、表立って二人に直接聞いてくる者すらいない。

不思議に思いつつも、ブルースとの逢瀬は続いた。

ただ、あの新人看護師は、時折ジリアンを恨めしそうな目で見ていたけれど。


ブルースが、自分に対して何かしらの好意を持っているかもしれないことはジリアンも感じていた。

とはいえ、好きだと云われた訳でも、ましてや何か将来へ向けての約束をした訳でもないのだ。

これまで仕事に打ち込んできて、患者と同僚以外の男性、しかも若い男性となど近付く機会もなかったジリアンにとって、自分の気持ちも今の状況も冷静に判断などできなかった。

だが、患者は元気になったら退院して社会に戻っていくもの。

ブルースも、元気になればいずれ病院から去っていく。

そのことだけは忘れてはならない、とジリアンは唇を引き結んだ。


お読みくださり、有難うございました。

過去の話がもう少し続きます。

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