25. 番外編:キャンデール家の夜会
少し長くなりますが、ブルースとジリアンのお披露目パーティを書いてみました。
楽しんでくださると嬉しいです。^^
広々としたボール・ルームは華美な装飾は省かれているものの、色とりどりのドレスが映えるように部屋全体が白一色に統一され、繊細な漆喰細工が施されている。
壁には漆喰の葡萄の蔓と葉が部屋中に張り巡らされ、そこかしこから天使や妖精が踊る人々を覗きこんでいた。
美しい花々の漆喰細工が施された天井からは、大小合わせて7つのシャンデリアが吊るされ、キラキラと美しく輝いている。
ウィローワックスのボール・ルームでは、ブルースとジリアンの結婚披露の夜会が開かれていた。
多少なりともキャンデール家と関わりのある貴族には招待状が送られ、その多くがキャンデール家の次男の嫁を一目見ようと足を運んでいる。
「ジル?」
「大丈夫よ…今のところは」
ブルースに囁かれ、ジリアンは少しほっとした表情を夫に向けた。
実際は、もう数日前からこの夜会が気にかかって寝不足気味だ。
こんなに緊張しているのは、デビュタントの時以来だった。
子爵令嬢として育ったものの、看護師としての道を歩み始めてからは夜会などほぼ参加したことがない。
それでもボールルームのエントランスでエスターと共に来客を迎え、挨拶を交わし、お祝いを受けるという大役は無事に終わったので、あとは夜会を楽しむだけだ。
キャンデール家と繋がりのある家ばかりでの夜会なので、概ね温かい視線と言葉が寄せられ、ジリアンはほっと安堵の溜息を漏らした。
「どちらのご令嬢なのかしら」
「あんな方いらした?」
「まさか平民? …ではないですわよね?」
近くにいる若い令嬢たちの会話が耳に入り、ジリアンは身を固くした。
夜会に出ていないジリアンが、貴族令嬢と認識されることはほぼないのだろう。
こういう会話を聞くこともこれからたくさんあるだろうと覚悟はしていたが、実際に耳にするとなかなか堪える。
自分は何を云われても構わないが、自分のせいでキャンデールの家の心象を損なうのは辛い。
とはいえ、わざわざ令嬢たちに云って聞かせることも無作法なことだ。
「あると便利なこともあるから、一応貰っておいてくれ」と、ブルースは結婚を機に、コンラッドから『ブレイクスリー子爵』の称号を譲り受けた。
結婚前ならいざ知らず、既にブルースと結婚しているジリアンは、敢えて出自を話す必要もなく、ブレイクスリー子爵夫人となる。
「気にしなくていい。俺の妻は君だけだ」
ブルースにも会話が聞こえていたのだろう。
ブルースが鋭い視線を令嬢たちに投げると、こちらを見ていた令嬢たちが「ヒッ…」と小さく叫んでそそくさと人並みに姿を消した。
ジリアンの腰に回した腕に力が入り、ブルースの甘やかな微笑みと共に、その唇がジリアンの髪に落ちてくる。
黄色い声があちこちであがった。
だがそれ以上に、ブルースの意図した効果はあった。
彼のあからさまな愛情表現に、頬を染めたジリアンは知らなかったのだ。
ブルースの隣に立つ、凛とした佇まいの美しい女性を、多くの男性がチラチラと見ていたことを。
「今日も独占欲丸出しの装いですのね」
声に振り向くと、コンラッドにエスコートされたダイアナ・ローウェル侯爵令嬢が面白そうにブルースを見上げていた。
レスリー=アンを介して、ジリアンはダイアナともかなり打ち解けた付き合いをするようになっていた。
ダイアナに云われて、ジリアンは改めて自分が身につけているドレスに目をやる。
胸元と袖にレースがあしらわれ、金を基調とした繊細な刺繍が施されたドレスは、ブルースの瞳の色に似た青。
結婚式の時にブルースから贈られた、青い宝石の豪奢なネックレスとイヤリングも身につけている。
ブルースは新調した黒のフロックコート姿で、髪を後ろに撫で付け、騎士の制服とはまた違った魅力を醸しだしていた。
胸ポケットや袖の返しの縁取りは菫色で、黒一色の中の差し色となっている。
ジリアンは馴染みのある顔にほっとしつつ、綺麗に膝を折った。
「ご機嫌よう、ダイアナ様、お、お義兄様」
「ようやく、お義兄様と呼んでくれるようになったね。嬉しいよ」
「はい…」
コンラッドは嬉しそうにジリアンに微笑んだ。
ブルースの兄とはいえ、キャンデール伯爵であるコンラッドを「兄」と呼ぶことは恐れ多い気がして、ジリアンはなかなか呼べずにいたのだ。
ブルースは、兄の隣にいる侯爵令嬢にニヤリと笑いかける。
「俺たちの結婚披露なんだ、お互いの色を纏うのは当然だろう?」
「…にしても、一分の隙もありませんのね」
「当たり前さ。隙があっちゃ困る。それより、そのイヤリングはアクアマリンかな?」
ダイアナはキャンデール家の末娘のレスリー=アンとは幼馴染で、ブルースともキャンデール家でよく顔を合わせているのでお互いつい砕けた口調になってしまう。
少し襟の詰まったドレスを着ているダイアナは、ネックレスはしていないものの、その代わりに大きな雫型のイヤリングをしていた。
そのイヤリングはアクアマリンとしては色が濃く、兄のコンラッドの瞳の色にそっくりだ。
「サンタマリア・アクアマリンだよ」
コンラッドが口を挟んだ。
仄かに頬の赤らんだダイアナを庇うように、一歩前に出る。
予想通りの答えに、ブルースは兄に笑顔を向けた。
「やっぱり、カートが贈ったのか」
「ダイアナに身につけて欲しいと思ってね」
「よくお似合いですわ」
ジリアンがにっこりとダイアナに笑いかけると、ダイアナは小さな声で「有難う」と応え、赤くなった頬が恥ずかしいのか横を向いている。
コンラッドとダイアナは婚約中で、来年の今ごろには結婚式を挙げる予定だ。
ダイアナから聞いた話では、二人はもう少し早く結婚したかったようだったけれど、ダイアナの父親であるローウェル侯爵メイソンに、先んじて釘を刺されたらしい。
コンラッド達が母親のエスターに声をかけられて離れていくと、入れ替わりのようにサミュエル達が現れた。
「リア、改めておめでとう」
「ジリアン様をお義姉様と呼べるなんて、本当に嬉しいですわ」
サミュエルの腕には、ふわふわと妖精のように装ったレスリー=アンが掴まっている。
レスリー=アンのエスコートはコンラッドからの要請で、ジリアンたちと一緒にダンスのレッスンを受けてこの夜会に臨んでいた。
マルネーネ家の兄妹はおよそ社交界とは無縁で暮らしてきたので、エスターが手配してくれたダンス・レッスンを有難く受けることにしたところ、レスリー=アンもダンスはデビュタント以来なのでぜひに、と顔を出したので、結局ブルースもレッスンに付き合うこととなった。
ジリアンもダンスは好きな方だったのだが、決定的に練習量が足りない。
ブルースは警備に駆り出されたり、仕事を理由に夜会にはほぼ参加していないと云っていたのに、いざ踊ってみると羽のように軽く踊れるようにリードしてくれる。
レッスン中に隣で踊る兄をそっと見ると、サミュエルもレスリー=アンと言葉を交わしながら余裕で踊っていてジリアンは内心とても安心した。
すぐにブルースに気づかれ、「パートナーは俺だよ、ジル。俺だけを見て」と、耳元で囁かれ、危うく足を踏みそうになってしまったけれどーーー
「あんなに練習したのですもの、ダンスを楽しまなければね」
「ええ、本当に、楽しみですわ」
ジリアンがレスリー=アンに扇の後ろで囁くと、レスリー=アンも頷いて隣に立つサミュエルを頬を染めて見上げた。
彼女に釣られて兄を見上げると、思いの外甘い顔でレスリー=アンに微笑む兄がいた。
ジリアンも看護師をしていたので、若い医師は病院内でも看護師を含む女性スタッフから人気があることは知っている。
兄は優秀だと聞くから、きっととてもモテるのだろう。
だがマルレーネ家は子爵家だ、しかもサミュエルは嫡男なので、相手は誰でも良いという訳にはいかない。
まさか、レスリー=アンのような大家のお嬢さまを望めるとは思えないがーーー
答えを求めるようにブルースを見上げると、知ってか知らずか、ブルースは自分の妻に蕩けるような微笑みを向けた。
その時、音楽が聞こえてきた。
ダンスの時間の始まりだ。
ジリアンの腰に腕を回したまま、ブルースはサミュエルと視線で挨拶を交わし、彼女をダンスの輪の中へと誘った。
堅苦しくない夜会を…という若夫婦の意向で、ファーストダンスなどは関係なく、踊りたい者は踊って良いこととなっている。
もちろん、踊らないならお喋りを楽しんでも良いし、料理長が腕を振るった料理を楽しむのも良い。
ジリアンは、踊りの輪の中にレスリー=アンとダイアナを見つけた。
それぞれコンラッドとサミュエルにリードされて、軽やかにステップを踏んでいる。
と…。
踊りながら、何度もこちらに視線を向けるアンバーグレーの瞳にジリアンは気がついた。
初めて見る女性だと思うのだが、向こうはこちらを知っているかのように見つめてくる。
「どうした?」
声をかけてきたブルースは、ジリアンの視線の先を見て軽く頷いた。
「スタッド伯爵夫妻だな。キャンデールの遠縁に当たる家だ。あ…なるほど」
ブルースは何かに気がついたようだった。
しかしジリアンは何の心当たりもなく、ブルースもそれ以上何も云うつもりがないらしい。
ジリアンを見ていた女性は、踊りながらパートナーに何やら話しかけている。
曲が終わるとすぐに、その女性を伴った紳士がブルースに声をかけてきた。
「お久しぶりです、キャンデール殿。いや、ブレークスリー卿と云った方がいいかな?」
「これはスタッド伯爵、気兼ねなくブルースとお呼びください」
「それなら、私のこともダニエルと」
ブルースより少し年上に見える紳士は、柔和な微笑みを浮かべて彼と握手を交わした。
スタッド伯爵が視線をジリアンに向け、ブルースがジリアンを紹介すると、彼も伴っている女性を妻だと二人に紹介した。
紹介された女性は、アンバーグレーの瞳を真っ直ぐにジリアンに向けて微笑んだ。
「マリア・スタッドと申します。デビュタントの時には大変お世話になりました」
「ジリアン…ブレークスリーです。ジリアンとお呼びください。デビュタントの時というと……ひょっとして…?」
「ええ!倒れたわたくしを介抱してくださったのは、ジリアン様でしょう?」
まだ子爵家の名に慣れないジリアンだったが、デビュタントの時のことでお礼を云われるとしたら思い当たることは一つしかない。
エスコート役のサミュエルが少し離れた間に、ジリアンの側で倒れた令嬢がいたのだ。
看護師の勉強中だったジリアンは、すぐに彼女を介抱して事なきを得たのだった。
よく見ると、青い顔をして痩せぎすだった令嬢の面影はあるような気がするものの、その時よりも健康的に程よく肉がつき、頬も薔薇色をしている。
「お元気そうで良かったですわ」
「わたくし、お礼がお伝えしたくてジリアン様を探しておりました。でも、夜会に行ってもなかなかお会いできなくて、もうお会いできないかと思っておりましたわ」
ジリアンは苦笑を隠すのに苦労した。
会える訳がない。
どの夜会にも行っていないのだから。
どう説明しようかと考えていると、上から声が降ってきた。
「デビュタントは仕方なかったが、それ以降の夜会からは私が隠していたのです。私は仕事上警備に当たることが多くて、エスコートできなかったので」
ブルースの言葉にジリアンは軽く目を瞠ったが、気づかれないようすぐに視線を下げた。
曖昧に微笑む。
「まあ、愛されておいでなのですね!」
「もともと、夜会は少し苦手なのです。スタッド伯爵夫人もお幸せそうですわ」
ブルースのあからさまな惚気と思ったのか、スタッド伯爵夫人は声を上げて微笑んだ。
ほんのちょっと真実を加え、ジリアンも思ったことを口にした。
デビュタントで会った令嬢は、あの時よりも遥かに輝いている。
「マリアとお呼びくださいまし。これからお友だちになってくださるでしょう?」
ジリアンの見る限りマリアは良い人に見えるが、社交界をほぼ知らないに等しいジリアンの独断で頷く訳にはいかない。
ちらりと隣を見上げると、優しげなコバルトーブルーの瞳が見下ろしていた。
「もちろんですわ。よろしくお願いいたします」
ジリアンはにっこり笑って差し出されたマリアの手を取った。
騎士団の医務員として働いている話は追々話すとしても、きっと彼女なら驚きつつも受け入れてくれるような気がする。
社交についてはレスリー=アンや特にダイアナも頼りになるが、年齢は彼女たちよりジリアンの方が上だ。
できれば同年代の友人が欲しい、と思っていたジリアンの願いは早速叶えられることになった。
嬉しそうに自分を見上げて微笑む妻を見つめ、ブルースはその耳元に囁く。
「もう一曲どうかな?愛しい奥さん」
「よろこんで」
頬を染めながらコクリと頷くジリアンの腰にしっかり腕を回し、ブルースはジリアンを踊りの輪の中へ誘っていった。
了
お読みくださり有難うございました。
もしもまた何か思いついたら二人の様子を書くかもしれませんが、まずはこれにて全て完結です。
お付き合いくださり、本当に感謝です。
そのうちに、ダイアナやレスリー=アンのお話も書けたらな…と考えています。^-^