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25. それから

ここで本編は完結します。

よろしくお願いします。

ジリアンが重い瞼を開けると、明るい陽射しが部屋いっぱいに広がっていた。

一瞬どこだか判らずに見回すと、片肘をついてこちらを見ているコバルトブルーの瞳と出会う。

すぐに柔らかな感触が額に落ちてきて、「お早う、ジル」とブルースの声が上から降ってきた。


昨日は結婚式で、ということは、昨夜はーーー


看護師として、人の営みの一環としての知識はあるつもりだった。

けれど、昨夜のブルースは優しく丁寧にジリアンの体を開き、知識とは全く異なる経験にジリアンは翻弄されて……。


「…お早うございます」


昨夜のことを想い出してじわじわと赤くなっていくジリアンは、思いの外掠れた声しか出せずに、驚いたような表情でブルースを見上げた。

ブルースは蕩けるような、でも少し困ったような表情を向ける。


「すまない。昨夜は無理をさせた自覚がある」


ブルースはベッド脇に用意されている水をグラスに注いでジリアンに渡し、コクリと飲む様子を見守った。

飲み終わるとジリアンをぎゅっと抱きしめ、耳元で囁く。


「でも、そんな顔をされると我慢が効かなくなるぞ」

「…!」


ぶわりと赤くなったジリアンの頬をするりと撫で、ブルースはベッドから立ち上がった。


「もう少しゆっくりしておいで。朝食を持ってくる」


ナイトガウンを羽織ったブルースが扉の向こうに消えるのを見送り、ジリアンはそろそろと起き上がった。

あちこち痛むところはあるが、動けないということもなさそうだ。

それにしてもーーー

愛を交わすことは、こんなにも心が満たされるものだったなんて。

知識として知っていることと、自ら体験して得られることとはやはり雲泥の差があることを、ジリアンはあらためてかみしめていた。

それはもちろん、相手がブルースだから。

両手を頬に当てて、ジリアンはほうっと息を吐く。


朝食のトレイを手に戻ってきたブルースにジリアンが微笑みかけると、トレイをテーブルに置いたブルースは、引き寄せられるようにベッドに近づいた。

そのままベッドに坐っていたジリアンを抱きしめる。

ジリアンもブルースの背に手を回して応えると、ぎゅっと力を込めて抱きしめられたあと、少し力を緩めたブルースのコバルトブルーの瞳がジリアンの顔を覗き込んだ。


「まだ夢のようだ……こうして抱きしめていないと、夢から覚めてしまうような気がする」

「私もーーーようやく…ようやく、貴方のものになれたわ」

「……俺はもう二年も前からジルのものだ」


云い終わるか終わらないうちに、ブルースの唇がジリアンのそれに押し当てられた。

一頻りブルースがジリアンの唇を味わったあと、ジリアンの頬をブルースの大きな手が愛おしげに撫でていく。


「今日は君に無理をさせたくない。冷めないうちに朝食だ」


そう云うなり、ブルースはふわりとジリアンをベッドから抱き上げた。

驚いたジリアンは急いでブルースの首に腕を回しつつ、抗議の声を上げる。


「歩けるわ、降ろしてください」


ちゅっと音を立ててジリアンの額に口付けると、ブルースは愛しげに笑顔を向けた。


「だろうね。だが今は俺を甘やかしてくれ、ジル」


(ずるいわ、そんな云い方をされたら断れない…。)


そのままソファに坐ったブルースの膝の上に、ジリアンは落ち着くことになる。

二人分の朝食はまとめて大皿に盛られており、二人は分け合って朝食を食べた。

と云うよりも、恥ずかしがるジリアンに、ブルースは嬉しそうに朝食を食べさせたのだった。


◆◆◆


ブルースとジリアンの新居であるタウンハウスに仕える召使いたちが、ようやく奥様に会えたのは、実はその翌日になってからだった。

例外は侍女頭のドリーで、時々旦那様であるブルースから呼ばれると、用を足しに若夫婦の寝室に向かった。


改めてブルースが家の者たちにジリアンを紹介した時、いつもの彼女らしくなく、ジリアンは頬を赤らめて言葉少なに挨拶をするのがやっとだった。

何をしていたのか、屋敷中の者が知っているのだ。

きまり悪く、恥ずかし過ぎる。

だがブルースはそんなことなどどこ吹く風で、彼らの前でもしっかりジリアンの腰に手を回し、頬や頭の天辺に口付けることを厭わない。

ジリアンの心中を察したドリーは、あとでそっと近寄り彼女に囁いた。


「旦那様と奥様が仲良くされているのは、屋敷中の者が望んでいることです。何よりのことですので、私どものことは空気のようなものだとお思いください」

「あ、有難う、ドリー。まだ色々と慣れなくて……気を遣わせるわね」

「これが仕事ですから、奥様」


温かな笑みを向けられて、ほのかに頬を染めたジリアンは、にっこりと侍女頭に微笑み返した。


元々召使いを増員する予定だったこともあり、ジリアンと同じ歳周りで、ジョサイアとカザンベルグに同行した侍女のターニャは、婚礼後ほどなくして新居のタウンハウスへ奥様付きの侍女としてやってきた。

ジリアンが希望していることを伝えると、ターニャは二つ返事で応じたのだった。

しっかり者のターニャはタウンハウスの他の召使いともすぐに溶け込み、毎日奥様のお世話を続けている。


◆◆◆


「奥様、旦那様がお帰りです。」


扉をノックしてターニャが告げた。

兄から届いた、最新の薬草図鑑から顔を上げたジリアンは目を瞠った。


「あら、もうそんな時間…!お出迎えに間に合わないわ!」


ガタンッと音を立てて椅子から立ち上がった時、戸口に人影が現れた。

ターニャに頷きするりとかわすと、人影が部屋の中へと入ってくる。


「ブルース!」

「ただいま、ジル。早く顔が見たくて押しかけてしまった」


部屋を数歩で横切ってくると、ジリアンはあっという間にブルースの腕の中に抱きしめられ、リップ音と共に頭の天辺に口付けが落とされる。

頬を染めたジリアンが見上げると、蕩けた笑顔のコバルトブルーの瞳が彼女を見下ろしていた。


大きな咳払いが聞こえて二人が我に返ると、戸口にはターニャの後ろにドリーが立っていた。


「旦那様、お召替えを。そのまま奥様のお側にいらっしゃると、奥様は埃だらけになってしまわれます」


しごく尤もなことを云われて、ブルースは渋々ジリアンから手を離した。

軽く溜息をついて扉に向かって歩き出し、少し振り返ってジリアンに笑いかける。


「ジル、着替えてから会おう。夕食前に時間はあるかい?」

「もちろんよ」

「じゃあ、居間で待っていて。すぐ着替えてくる」


このタウンハウスには、主人の部屋と夫婦の寝室の間にこぢんまりとした居間がある。

ブルースが早めに帰宅した折には、夕食までの間はこの居間で二人で過ごすことも度々だった。

ブルースの仕事は不規則で帰宅が夜半になることもあるけれど、彼は可能な限りジリアンと一緒の時間を過ごそうとしていた。

ジリアンも騎士団の医務員の仕事を始め、時間の合う時にはブルースが医務室に迎えにくることもある。


ブルースの背を見送りながら、ジリアンは支度を手伝うために部屋に残ったターニャに笑顔を向けた。

ブルースは最速でシャワーを浴び、支度を整えてくることだろう。

届いたばかりの薬草図鑑に夢中になって、ジリアンは髪もおろしたままだった。


「髪を軽く結ってくれるかしら。それから、薄めにお化粧もお願いするわ」

「はい、奥様」


ドレッサーの前に坐ったジリアンは、後ろに立ったターニャに鏡越しに微笑みかけた。

心得ているとばかりに、ターニャも笑顔を返す。


今日もこれから、夫婦の甘い時間が待っている。



お読みくださり、有難うございました。


本編は終了しましたが、番外編を一話だけ投稿します。


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