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22. ジョサイアとカザンベルグ

よろしくお願いします。


ジリアンがお世話になった方たちへ、ちょっと挨拶にまいります。

あっという間に旅の計画が練られ、ジョサイアにあるジリアンの部屋の荷物を新居へと運ぶ手はずも整えられた。

手紙だけで辞職の意思を伝えるのはあまりにも不誠実に思っていたジリアンは、直接ジョエル医師だけでなく、ロベルト医師にも会えることを喜んだものの、図らずもブルースとの婚前旅行になってしまうことに少なからず狼狽した。

ブルースには執事のバートが、ジリアンにも侍女のターニャが同行することになり、「慎みを持つように」「判っている」という兄弟の真顔のやり取りを側で聞いていたジリアンは、赤くなりながらも大事にされていることを感じて胸の中が温かくなった。


婚約していれば、結婚前に関係を先に進めても許されるお国柄ではあるが、結婚まで待つと、ブルースが意思表示してくれたことがジリアンには嬉しかったのだ。

ただし、あとでこっそりブルースが「待つのは結婚式までだからな」と耳元で囁いてきて、その甘い脅し文句に、ジリアンは一瞬で真っ赤に染まってしまった。


ブルースとジリアンの婚約は、キャンデール家当主コンラッドとマルレーネ家当主ショーンの間で迅速に交わされた。

それにはサミュエルが一役買い、マルレーネ家側への橋渡しをしている。

ブルースの母親のエスター・キャンデール前伯爵夫人にも、ブルースが手紙で婚約したことを知らせていた。

エスターからもすぐに返事が来たらしく、「母が張り切って、俺たちが旅に出ている間に準備を始めたいと云っているが、構わないだろうか」と、ブルースは申し訳なさそうにジリアンに尋ねた。

子爵家の令嬢とはいえ、キャンデールのような大貴族の冠婚葬祭など想像もつかないジリアンには、むしろ有難い申し出で一も二もなく承知した。

ブルースは優秀な人なのだろうとはジリアンもうっすらと思ってはいたが、瞬く間に様々なことが決まり、準備が整えられることにジリアンは驚いていた。


「ジリアン、弟は心配なのだよ」


コンラッドが面白そうに云うのを、ジリアンは怪訝に思って聞き返す。


「心配…?」

「君は自分のものだと、早く世間に知らしめたいのさ」


コンラッドの言葉に、ジリアンの頬がぶわりと赤らむ。

しかし、そのことと心配という言葉が結びつかず、ジリアンは僅かに首を傾げた。


「結婚式が三ヶ月後だなんて、異例中の異例だ」


ヒントを与えるようにコンラッドが続ける。

そうだった。

半年は先だと思われていた結婚式は、いつの間にか三月先となっていた。

貴族の婚姻は婚約から約一年後が一般的なのに、そんなに早く結婚できるものなのか、とジリアンも驚いたのだった。

コンラッドは明らかに弟の結婚を喜んでいるので、責めていないことは判っているものの、期間が短すぎて諸々の準備を急がせていることを知っているジリアンは、つい謝罪の言葉を口にする。


「申し訳ありません…」

「君が謝る必要はない」


静かだが、どこか威圧するような声がかかる。

力強い腕がジリアンの腰に回され、彼女はブルースに引き寄せられた。

コンラッドも弟の言葉に頷く。


「そうだ。急がせているのはブルースだからな」

「確かに、早く俺たちのことを世間に知らしめたい気持ちはあるが、心配はしていない」

「ほう?」


片眉を上げるコンラッドに、その弟はニヤリと笑った。


「この二年間を思えば、あと三ヶ月など他愛もないさ。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()事を進めたいだけだ」


そして愛しげにジリアンの頭の天辺に唇を落とす。

人前でも愛情表現を隠さなくなったブルースを内心嬉しいと思う半面、ジリアンはまだなかなか慣れずに再び頬を赤く染めた。


「それを心配していると云うのだ」という言葉を、コンラッドは飲み込んだ。

弟がジリアンを逃さないようにガッチリ囲い込もうとしていることは明らかなのに、当のジリアンはそれに気がつかない様子で、三月後に結婚できることを素直に喜んでいるように見える。

ならば、もう周りが云うことはない。


夫を亡くしてから一時中断していたものの、所有する鉱山の面倒を見るために、母親のエスターは長く家を離れていた。

彼女は、現地の責任者に任せられるだけに鉱山の作業を減らし、できるだけ早く帰るとコンラッドにも手紙で知らせてきていた。

母親が嬉々として弟の結婚式に手腕を振るう様子を想像して、コンラッドは目元を緩めた。


◆◆◆


まずは遠方となるジョサイアを目指して、ブルースとジリアンは早朝に出立した。

夕刻にはジョサイアに到着し、宿で休んだ翌日にジョエル医師との面会を取り付けてある。

明るい商業都市の雰囲気そのままのようなジョエル医師は大らかな人物で、ジリアンの退職を惜しみつつ、結婚することを祝福してくれた。

ジョエル医師に会う前のブルースは酷く不機嫌だったが、恰幅のいい体を揺すって豪快に笑う中年の医師に、ブルースの纏っていたピリピリした雰囲気はいつしか消えていった。

病院に入る前からジリアンの腰に回されたブルースの手は一貫して離れることなく、元同僚たちの驚いたような視線や好奇の目に晒されて、ジリアンはずっと頬を赤く染めたままだった。


その翌日には、ブルースが見てみたいと云ったので、ジリアンは彼とともに自分の住んでいた部屋を訪れた。

感慨深げに部屋を見渡した彼女は、ブルースに視線を戻す。

この部屋を出た時には、またここに戻ってきて、ジョサイアでの生活が再開されることを疑っていなかった。

だが、人生は思いもよらぬ方向へ転がるものだーーー

空気を入れ替えるために窓を開けながら、ジリアンは後ろを振り返った。


「狭い部屋でしょう。ウイローワックスとは大違いね」

「だが君の香りと温かさが感じられる部屋だ」


ベッドの上の、一目で手作りと判るパッチワークの上掛けに軽く触れながらブルースが応えた。

本棚に目を移すと、薬草と医学の本の他にちらほらと恋愛小説や冒険小説などの背表紙が見える。

貴族というより、市井の一員として暮らしていたジリアンの温かなぬくもりが感じられてブルースは口元を綻ばせた。


「私、刺繍は苦手なのだけど、お裁縫自体は好きなの」

「じゃあ、これは君が?」


にっこり笑って頷いたジリアンの顔をじっと見つめ、ブルースは改めてパッチワークの上掛けの模様を手でなぞっていく。


「いつか…」

「え?」

「いつか、俺にも何か縫ってくれるか?」


思いがけない提案に、ジリアンは軽く目を瞠った。

いつものブルースらしくなく、ジリアンの様子を窺うような視線と躊躇いがちな口調に、彼女の胸にブルースへの愛しさが込み上げる。


「もちろんよ!喜んで」


何がいいかしら?…と、頭の中で考え始めたジリアンに、ブルースは嬉しそうに微笑んだ。

精悍なブルースがジリアンに向ける笑顔は甘く、心臓に悪い。


「きっとだ。何か、いつも身につけられるものがいい」

「わかったわ」


窓の外を見る振りをして、ジリアンはそっと手でパタパタと顔を仰ぐ。

その後ろ姿を蕩けるような顔で見つめるブルースに、ジリアンは気がつかなった。


◆◆◆


その翌日には、ジョサイアから馬車で半日ほど北上して、カザンベルグに到着した。

事前に連絡していたのでロベルト医師との面会もすぐに叶い、結婚することを二人で報告すると、壮年の医師は相好を崩して喜んだ。


「誤解が解けたようだね。本当に良かった」

「先生には色々と教えていただいたのに、ご迷惑をおかけしてばかりで…」


眦を下げたジリアンの言葉を、いやいやと遮って、ロベルト医師はちらりとブルースを見た。


「この青年が私に詰め寄って来た時に、何も伝えなかったのが本当に良かったのだろうか、とあとになって気になってね」

「先生は、わたしの味方をしてくださったのですから感謝しています」

「そうかい?そう云ってくれるのなら良かった」


安堵したようにロベルト医師は微笑んだ。

思えば、ロベルトとジリアンの付き合いは長い。

カザンベルグ病院の院長をしている昔の同僚に請われ、この病院に移ってくる前はロベルトは医療学校で講師をしていた。

ジリアンは彼の教え子だったのだ。

一つ一つ積み上げて着実に力を付けていったジリアンが、王都郊外の病院に仕事を得たことは知っていた。

だがロベルトがカザンベルグ病院に来てから半年も経たないうちに、ジリアンが同じ病院へ移って来た時には、流石のロベルトも瞠目した。


「もっと先生の元で研鑽を積みたいと思って来てしまいました…」


眦を下げて申し訳なさそうにそう云うジリアンに、口をついて出てきた言葉とは反対に、ロベルトの胸には温かいものが込み上げていた。


「やれやれ、君という人は…」


そこまで慕われるのならば、と彼女には殊更厳しく指導してきたつもりだし、彼女もよくそれに応えてついてきてくれた。

感慨深げにロベルト医師がジリアンを見ていると、今まで二人のやり取りを見守っていたブルースが口を開く。


「これからは、ジリアンのことは俺が守りますのでご安心ください」


ジリアンの腰に回された腕に力が籠り、ぐっと彼女を自分の方に引き寄せたブルースを、ロベルト医師は微笑ましげに眺めた。


「ブルース・キャンデール殿、ジリアンは可愛い教え子です。看護師としても優秀だ。彼女をよろしく」

「先生…」


真顔になったロベルト医師がブルースにそう告げると、ジリアンは胸が熱くなり、込み上げてくる涙を堪えるのに必死だった。

ロベルト医師は病院のスタッフにも平等で、目に余る行為があれば注意はするが、個人的に誰かを取り立てて褒めることもしないが貶すこともしない。

多くの医師や看護師から慕われている彼からの最上級の褒め言葉は、滅多にあることではないのはジリアンにはよく判っていた。

ブルースが胸に手を当てて騎士の礼をとり、「命に代えても」と返すのを聞き、ロベルト医師は満足げに頷いた。


◆◆◆


ウイローワックスへ帰る馬車の中で、ブルースは何か考え事をするように沈黙したままだった。

ジリアンはそんなブルースの邪魔をしないように、静かに窓の外を眺めていた。

バートもターニャも二人を見守って、時々視線を交わしながら静かに坐っている。


「ジル」


不意に視線を上げてジリアンに呼びかけたブルースは、彼女に意外な提案をした。


「騎士団の…?」

「そう、今までの経験を活かすのはどうだい?」

「わたしが働いても…いいのかしら?」

「君が優秀な看護師なのは俺も判っていたが、今やロベルト医師のお墨付きもある。彼は君が看護師を続けられるよう、俺に謎かけをしたようだ。帰って一応調べてみる必要はあるが、確か医務員は募集中のはずだ。それに、同じ職場なら、牽制もしやすい」

「牽制…?」

「いや、こっちの話。では、決まりでいいね?」


そう云ってブルースはにっこり笑った。

その笑顔が、ただの笑顔ではないような気もしたけれど、看護師として働けるのならジリアンも嬉しかったので大きく頷いた。


お読みくださり、有難うございました。


帰ってきたら、のんびりしている時間はありません。。。。(^^;

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