13. 主治医
よろしくお願いします。
テラスには沈黙が落ちていた。
何となくそれぞれのもの思いに耽り、会話が途切れたからだ。
陽がそろそろ傾きかける時刻なのでお茶会はお開きだな、とブルースが腰を上げようとした時ーーー
玄関から先ほどの青年医師が姿を現した。
診察が終わったということは、間もなく兄のコンラッドからお呼びがかかるだろう。
そのまま青年医師を目で追っていると、玄関の扉が開いて彼に駆け寄る人影がある。
ブルースは目を瞠った。
ジリアンだ。
ジリアンは青年医師に近づくと親しげに微笑いかけ、彼の腕に手をかけた。
(知り合いだったのか…!)
二人は見つめ合い、親密に何かを話している。
この距離では会話の内容は聞こえないが、笑顔で話しかけるジリアンの明るい顔をブルースは食い入るように見つめていた。
そして何とあろうことか、その青年医師は、ジリアンの額に口づけを落としてから馬車に乗り込んだのだ。
屋敷を離れていく馬車にジリアンは笑顔で手を振る。
馬車が小さく消えていくまで、ジリアンはそこに佇んで馬車を見送っていた。
ブルースはそのジリアンの姿を険しい顔で見つめていた。
ジリアンが去ったあとも、まだジリアンがそこにいるかのように彼女が立っていた場所を見つめ続けている。
レスリー=アンとダイアナは顔を見合わせ、ただならぬブルースの雰囲気にかける言葉が見つからない。
やがておずおずと侍女がブルースを呼びに来ると、彼は足速にテラスを後にした。
◆◆◆
「医師どのにはお会いしたか?」
コンラッドは書類から顔を上げないまま、扉から入ってきた人物に声をかけた。
「いや…」
「今度来た時にはきちんと紹介する。お前も挨拶しておいた方が…」
「いや、いい」
はっきりと否定する強い声に、コンラッドは思わず顔を上げた。書類を脇に置く。
ブルースは眉を寄せて横を向いたまま、唇を固く引き結んでいた。
二年前に左腕の怪我で騎士を辞めることになった時でも、弟はこんな表情はしなかった。
切れた左腕の腱は繋がったものの、剣を振るうには安定性に欠け、いつ痙攣が起こるか判らない状態から回復は望めなかった。
ブルースは右利きで、通常は右手で剣を振るうが、騎士は両手どちらでも剣を遣えるよう訓練される。
非常事態ではどちらでも剣を振るえないと、命を落とすこともあり得るからだ。
右では充分に剣を遣えても左での剣が危ういとなると、自分だけでなく同僚の騎士たちの命も危険に晒すことになる。
ブルースにもそれは充分判っているから、騎士を辞することに迷いはなかった。
兄のコンラッドにも淡々と、怪我の状態と騎士を辞めるということだけ伝え、「残念だったな」と云えば、「後悔はしていない」ときっぱり云ったブルースは、口の端を上げてベッドから兄を見上げたものだった。
弟が退院して少し落ち着いたら、実家に戻り家業を手伝うよう伝えようとコンラッドは思っていた。
隣国と始まったばかりの新たな商談があり、共に数カ国語を操る教育を受けた弟は適任だと考えたのだ。
だが、モルガン騎士団長の推挙もあったらしく、ブルースは退院する前にさっさと騎士団の参謀補佐という再就職先を決めていた。
参謀室勤務には、前線で戦う騎士ほど剣技に厳しい条件はないらしい。
独立精神旺盛な弟だと目を細めたコンラッドだったが、その弟はその辺りからふっつり笑わなくなった。
騎士になってから感情のコントロールが上手になったとは思っていたが、あの病院を退院した頃からブルースはほとんど感情を表に出さなくなっているように思える。
コンラッドはブルースに会う度に、何かしらの感情を引き出そうと揶揄ったり怒らせようとしてみるのだが、弟は表情を変えないままスルリと躱してしまうのだーーージリアンが来るまでは。
「どうした?医師どのとジリアンが抱擁でもしていたか」
「…っ!」
コンラッドはわざとブルースの地雷を踏み抜く。
ギリッと歯ぎしりが聞こえそうなほど、険しい表情でブルースが兄を睨んだ。
対して、コンラッドは涼しい顔でブルースの視線を受けると破顔した。
「そんな顔をしない方がいいぞ。特に医師どのに向かってはな」
何を云っているのだ、という顔でさらに眉間の皺が深くなった弟に、もう少し答えを引き伸ばそうか、という悪戯心がちらりと浮かぶ。
久しぶりに感情を露わにする弟が、コンラッドは嬉しかった。
しかし本人は堪らないだろう。
心の中で首を振って、コンラッドはあっさり云った。
「彼はジリアンの兄君だよ」
言葉を理解するのに数秒、大きく見開かれたブルースの瞳が兄を見つめる。
だが、すぐにまた眉を寄せて難しい顔になった。
「いや、彼の名前はサミュエル・ジャクソンだろう。ジリアンとは姓が違う」
「ああ、それ」
くすくすとコンラッドは笑いだした。
上機嫌な兄の様子に、ブルースはますます眉を寄せる。
「医師長を務められるお父上と同じ病院に勤務することになった時、親子だと判ると色々と面倒だと思って母方の姓を名乗ることにしたそうだ。どこかで聞いたような話だろう?」
兄の言葉を理解して、ブルースの体から力が抜けた。
どさりと近くのソファに腰を下ろす。
両手で顔をガシガシ擦るように撫でて、大きく溜息をついた。
呼吸を整えて静かに兄を見やる。
「本当なのだな」
「もちろん」
ブルースのコバルトブルーの瞳が、兄の空色の瞳をひたと見つめた。
真剣な表情のブルースに、コンラッドは微笑んで頷く。
「そうか…」と呟いたブルースは、何かを決心したように兄に向き直った。
「カート、不本意だがキャンデールの力を借りたい」
ブルースが語る話を、コンラッドは肘掛けを指で叩きながら聞いていた。
彼が考える時の癖だ。
自分の力で道を切り拓いてきた弟は、できれば自分の手で解決したかったに違いない。
だが、こと貴族間の話になると騎士一人(今は参謀補佐だが)の力では如何ともし難いこともある。
ブルースが語り終える頃、コンラッドの肚は決まっていた。
主治医情報をわざと弟に教えていなかったお兄ちゃん。。。(^^;
実は、自分の看護に来る看護師の名前も、当日の朝に弟に教えたのでした。
お読みくださり、有難うございます。