12. お茶会
よろしくお願いします。
よく晴れた午後、キャンデール家のテラスでは、レスリー=アンとダイアナがお茶を飲んでいた。
仲の良い友人同士の二人は、時々二人だけのお茶会をしている。
三年前からお茶会の場所は、ダイアナの家のローウェル侯爵家となることが多かったが、コンラッドが落馬して以来、もっぱらキャンデール家でお茶を飲むようになった。
庭園を臨むテラスが一番広いが、他にもテラスはあり、今日のお茶は庭園とは真逆の位置にある半分サンルームとなっているテラスで、ここからはキャンデール家に出入りする人たちがよく見える。
「コンラッド様のご様子はどう?」
「良くなっているわ。ジリアン様がちゃんとお世話してくださっているもの」
「そう…」
ダイアナは、さも気にしていないという風に素気なく応えて紅茶を口に運ぶ。
そういう時はたいていその逆だということを、レスリー=アンは良く知っていた。
先日のジリアンのはっきり否定した言葉がよぎり、レスリー=アンは口を開いた。
「ジリアン様は、コンラッドお兄さまのことは何とも思っていないと思うわ」
「どうして判るの?」
「わたくし、ジリアン様が仰るのをお聞きしたの。ジリアン様の心の中には、別の誰かがいらっしゃるって…」
「まあ…」
「それは聞き捨てならないな」
「…っ」
「きゃっ」
声を潜めてダイアナに話したはずなのに、サンルームから声がして、二人は椅子から跳び上がらんばかりに驚いた。
眉間に皺を寄せたブルースが二人のいるテラスに顔を出した。
「今の話は本当か?」
問いかける声が一際低い。
ブルースが不機嫌な証拠だった。
兄の顔を見ながら、レスリー=アンが首肯する。
「ジリアン様が仰るのを直接聞きましたわ。お兄さま、ひょっとして…」
「あら、あれは誰?」
馬車から降り立つ人物を見て、ダイアナがレスリー=アンの言葉を遮った。
馬車にはキャンデール家の家紋はなく、上質な素材で造られてはいるが、一見、乗合馬車のように見える。
キャンデール家だと知られないために使われる馬車で、そのことはダイアナもよく知っていた。
ブルースがダイアナの視線を追い、軽く頷く。
「ああ、あれはカートの主治医だろう。サミュエル・ジャクソンといったかな」
長く伸ばした鳶色の髪を後ろで一つに纏め、遠目からでも整った顔立ちが判る。
医師の長着は着ておらず、白いトラウザーズに白いコート姿で大きな鞄を携えていた。
視線を来訪者から離し、ダイアナがブルースに尋ねる。
「どうしてそう思うの?」
物怖じしない侯爵令嬢に、ブルースは肩を竦めた。
王立学院に入学以来、頻繁に妹とお茶をしているダイアナは、ブルースにとっても気安い存在で、人の目のないところではお互いに砕けた口調になる。
「俺がお役御免になったからさ。カートから解放されて、少し睡眠を取ろうとサンルームに来たら、さっきの話が聞こえてきたんだ。最近、少し寝不足なんでね」
「寝不足?」
「ちょっとある調査をしている。それ以上は聞いても無駄だよ」
はっきりとブルースに云われ、面白くなさそうにダイアナは自分のお茶を口に運んだ。
好奇心旺盛なダイアナは、調査と聞いてコンラッドとの関係を想像したのだろう。
だが、今回はコンラッドは関係ない。
やれやれ、とダイアナにちらりと目をやったあと、ふとさっきから動かない妹に視線を移す。
「レスリー、ぼうっとしてどうした?」
ブルースが声をかけると、レスリー=アンの肩がピクリと震えた。
ダイアナも怪訝そうに、彼女の顔を覗き込む。
「あ…いえ、何でもありませんわ。ブルースお兄さまもお茶を召し上がりませんこと?」
「お前たちの姦しい会話に混ざれと?いや、まあ……たまにはいいか」
思い直したようにそう云ったブルースは、サンルームで控えている侍女に「俺にも茶をくれ」と声をかけた。
頷いた侍女が下がるのを見届け、ブルースはテラスの椅子を引いてきてレスリー=アンの近くに坐った。
ブルースは視線を馬車寄せに向けたまま、口を開く。ダイアナへ向けてだった。
「それで?シャンティエ侯爵家との婚約はどうするのだ?」
「お耳が早いですわね。どうするって…まだ何も」
「家格も釣り合っているし、次男のアーロンは嫡子より出来がいいと云うぞ」
「婚約の申込みをいただいたというだけですわ。まだ何もお返事はしていません」
ツンと顎を上げて、ダイアナは構うなとばかりにぴしゃりと云う。
艶やかな赤い髪とエメラルドの瞳をもつ侯爵令嬢には、縁談は降るようにあるのだろう。
だがローウェル侯爵が娘に甘いことは、キャンデール家の者は皆知っている。
豊かな領地をしっかり治め、揺るぎない地盤を持っているローウェル侯爵家には、ダイアナより五つ上の嫡男がいて、最近同じ侯爵家からの令嬢と婚約が整ったばかり。
彼自身も侯爵家業の修行中で行く末安泰だ。
可愛い娘に、政略的な結婚はそう必要としない。
ダイアナが首を縦に振らなければ急いで縁談を進めることもないと、ローウェル侯爵が考えることは容易に想像がつく。
政略結婚が当たり前の貴族の娘としてはダイアナは恵まれていた。
一方、シャンティエ家は、古くから王家に仕える文官の家だ。
王の覚えもめでたいし、代々行政に携わり重要な地位を全うしている。
特に次男のアーロンは、半世紀に一度の逸材と云われているほど切れ者らしい。
そのアーロンに未だ婚約者がいなかったということも驚きだが、彼に群がる貴族令嬢たちを袖にして、恐らく絶対に彼に近づいたりしていないダイアナに婚約を申し込むあたり、その意図は判らないにしろ本気度はかなりものと云える。
「…いい情報を持っているんだがな」
ダイアナを見やりながら、思わせぶりにブルースが呟く。
食いついたのは、ダイアナではなくレスリー=アンだった。
「いい情報って何ですの?」
ダイアナは知らん顔でお茶を飲んでいるが、聞き耳を立てていることは判っている。
そこへ、ブルースのお茶の用意を乗せたワゴンを押して侍女が現れた。
一旦会話は中断し、侍女がサンルームに下がるのを待つ。
「ヒントをやろう」
ブルースはお茶を口に運びながら、レスリー=アンに向かって云った。
この心優しい妹は、自分よりも他人の心配をしてばかりだ。
キャンデール家の娘だというのに引っ込み思案で、活発なダイアナに強引に誘われて参加する以外、夜会にも行きたがらない。
今も、直接聞きたくてうずうずしているダイアナの代わりに、それとは気が付かずレスリー=アンが聞いているのだ。
「カートが馬から落ちたのはいつ頃だ?」
「三週間ほどになりますわね。入院したのは二週間で、退院してらしてからちょうど一週間ですもの」
「で?シャンティエ家からの婚約の申し込みはいつだ?」
ガタンッと椅子が鳴り、貴族令嬢らしからぬ呆然とした表情をして立ち上がったダイアナがブルースを見た。
思わず言葉が漏れる。
「それって…!」
「だとしたら?」
ブルースは片眉を上げてダイアナを見返した。
「あり得ないわ…!」
顔を赤くしてあとの言葉に詰まり、ダイアナは力無くまた椅子に腰を下ろす。
ブルースは満足したように、再び紅茶に口をつけた。
「あり得るさ…多分ね。カートも人の子だったって訳だ」
恐らく、自分の読みは間違っていない。
ブルースはそう思っていた。
昔から、ダイアナのコンラッドへの気持ちなどお見通しだった。
それくらい判りやすく、少女のダイアナはコンラッドに熱を上げていた。
それがいつからかキャンデール家にはダイアナは姿を見せなくなり、ひょっとして例の恋に恋する…という奴だったのかと思っていたが、落馬したコンラッドが病院から戻ってきてからというもの、ダイアナは再びキャンデール家に姿を見せ、その目が誰を追っているのかも一目瞭然だった。
片や、昔から全てをそつなく熟す兄のコンラッドは、家族にさえもなかなか心の内を見せない。
特に、父親について伯爵家の仕事を覚えるようになってからは、笑顔以外の表情を出すことが減った。
口数も決して少なくないし、相手から情報を得られると踏めばその餌を撒くために饒舌にもなるが、それは仕事や当たり障りのないことに関してだけだった。
だから、その兄が落馬して骨折したと聞いた時、ブルースははじめは信じられなかった。
コンラッドは兎が飛び出してきて、と尤もらしいことを云っていたが、兄の乗馬の腕をよく知っているブルースは、原因は絶対にそれだけではないと思っていた。
コンラッドは兎が飛び出した時、それに対処できないほど何かに心を囚われていたのだ。
上の空だったのかもしれない。
そんなに兄の心を捉えることがあるのだとしたら、それが何かブルースは知りたかった。
兄が落馬した日あたりに何かが起こっているはずだ。
だが、キャンデールの家に関しても、兄自身に関しても取り上げるようなことは何も起こっていなかった。
もう少し範囲を広げて、キャンデール家に関わりのある家についての情報を集めてみたが、目ぼしい動きはなかったーーーダイアナ・ローウェル侯爵令嬢に、アーロン.シャンティエ侯爵令息から婚約の申し込みがあった、ということの他には。
お読みくださり、有難うございました。
また少し横道に逸れてしまいました。。。(^^;
でも、本編のお話に繋がっていく…はず。