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11. ふたたび

よろしくお願いします。

「やっと見つけた」


庭の奥まった四阿で本を広げていたジリアンは、驚いて目を上げた。

今日はレスリー=アンはダイアナのところへ行っているので、キャンデール家の図書室から薬草の本を借りて独りで読んでいたところだった。

一番聞きたくて、聞きたくなかった声に胸が疼く。

視線の先では、ブルースが大股に四阿に近づいてきていた。


「隠れるのが好きみたいだな」


片眉を上げてジリアンを見つめるコバルトブルーの瞳に引き込まれそうになり、慌てて目線を外す。


「隠れてなど…」


いません、とは云い切れなかった語尾は小さく消えていった。

最初の夜からずっと、レスリー=アンと三人で夕食を摂るようにはなっていたが、それ以外はブルースと顔を合わせずに済むように、極力彼を避けるように過ごしていたからだ。


二年前にあれだけ泣いて泣いて忘れようとしたのに、ブルースはジリアンの心の中から出て行ってくれなかった。

病院を変わったのも、病院のどこへ行ってもブルースとのことが想い出されて辛くなったからだ。

結局、ブルースを忘れることを諦め、ジリアンはブルースを好きでいることを自分に許した。

それはもう、恐らく二度と会えないだろうと思ったからだったのに。


「坐っても?」


気がつくと、ブルースはすぐ近くに立っていた。

立っているだけなのにブルースから熱が発散されているように感じてしまい、ジリアンは目を逸らして床を見つめた。

断る権利などジリアンにはない。

相手は、あのキャンデール伯爵家の子息なのだ。

力なく頷くジリアンを見て、ブルースは小さく溜息をついた。

ジリアンの向かい側に坐ると、テーブルの上で指を組む。

テーブルの上に広げた薬草の本とブルースの手をぼんやりと見つめ、ふとあることに気がついた。


「二年前…」


ブルースから切り出された言葉に顔を上げると、端正な顔が辛そうに歪んでいた。

ジリアンははっと息を呑む。


「なぜ、いなくなったんだ…」


絞り出すような声だった。

その問いに答えるつもりはない。

ジリアンは悲しげに微笑んだ。


「二年前にお会いしたのは、キャンデール様ではなくて、ローランド様でした」

「ローランドは俺のミドルネームだ。騙したわけではない…と云っても信じてくれないだろうな」


今度はブルースが自嘲的な笑みを浮かべた。


「キャンデールの名を聞くと、他人の目の色が変わる。昔からそうだった。それが煩わしくて、入団する時にキャンデールの名を名乗りたくないと上に掛け合ったんだ。『キャンデールと繋がりがあると云いふらしたい連中ばかりなのに、お前は変わってるな』とジェレミーには云われたよ」


当時を想い出したのか、ブルースがふっと微笑った。

男らしいブルースの顔が緩むのを見ると、息が止まりそうになる。

生き返ったようにジリアンの心臓がトクンと跳ねた。

こうなることを恐れていたから、ジリアンはブルースを避けていたのに−−−


「それでも結果的に君を騙すことになってしまった。申し訳なかった」


コバルトブルーの瞳がひたとジリアンの瞳を見つめる。

テーブルの上で組んだ指には力が篭って白くなっていた。


「…どうか、許すと云ってくれ…」


苦しそうなブルースの表情に、ジリアンは眦を下げる。

上位貴族が下位貴族に謝るなど、まずあり得ない。

ジリアンの許しなど本来必要ないのだが、許すと云わないとブルースは納得しないのだろう。


「もちろん…許します」


そう云いながら、自分で築こうとしていたブルースへの壁が取り去られていくのをジリアンは感じた。

無防備になっていく自分が心許ない…。

ブルースと一緒にいると、抑えようとしている気持ちが溢れてしまいそうーーー

だから、出来るだけ距離を作って会わないようにしていたのに。

ブルースは詰めていた息を大きく吐き出した。

ジリアンを見つめるコバルトブルーの瞳は、先ほどにはなかった熱を帯びているように見える。


「手に触れても?」


潤んだように大きく見開かれた菫色の瞳を見つめ、無言のままでいるジリアンを肯定と捉えて、ブルースは薬草の本を触っているジリアンの手を両手で包んだ。

ずっと触れたかった手の温もりを感じ、ブルースは堪らず指先に唇を落とす。

ちゅっ、と音がしたのも束の間、その手が勢いよく引き抜かれた。

ジリアンの目には涙が浮かんでいる。


「どうして…どうしてそのようなことを…!」


喘ぐようにジリアンの口から溢れる言葉に、ブルースは瞠目した。

予想外の強い拒絶の態度は、思いの外堪える。

思わず、ブルースの口から謝罪の言葉が出た。


「申し訳ない…堪え切れずに」

「カタリナ様がありながら、なぜ…」

「カタリナ…?」


怪訝そうに眉を寄せてジリアンを見つめたブルースは、彼女の口から漏れた名前に想いを巡らせる。

退院前に見舞いに来た客の一人だ。

あの頃のことを何度も思い返しているので忘れるはずがない。

だが何故、ジリアンがその名前を知っているのかが理解できなかった。


「…ひょっとして、カタリナ・パヴェル伯爵令嬢のことだろうか?」

「家名までは存じません。ブルース様の婚約者の方です。ご結婚されたのでしょう…?」


ジリアンは両手で口を押さえた。涙が頬を伝う。

ああ、云ってしまった。

自分の心を自分で壊すようなことを。

辛すぎて言葉にできなかったことを、ついに云ってしまった…。


「まさか…」


そう呟いたブルースの言葉はジリアンには聞こえなかった。

ジリアンの言葉に驚愕したブルースは、彼女が出ていくのを恐れるかのように四阿の出口を塞ぐように立ち上がった。

走り去ることもできず、ジリアンは泣き顔をブルースに見られたくなくて彼に背を向ける。


気配もなくそっと肩に置かれた手に、ジリアンはビクッと震えた。

そのまま背後から、ブルースの声が囁く。


「この二年、ずっと考えていた。君がなぜいなくなってしまったのかを。俺とは関わりのない何かが原因だったかもしれないが、タイミングが合いすぎた。色々と仮説を立ててはみたがどれも確信が持てなかった」


そこで優しくジリアンの体を反転させて自分に向き合わせると、ブルースはジリアンの顎に手を添えて視線を合わせた。


「一つだけ、聞かせて欲しい。祖母の形見は、カタリナ・パヴェルが持って行ったのだね?」

「ええ。婚約の印にブルース様からいただいたと…」

「なるほどね」


その一言は、身震いするほど冷たく響いた。

そこではじめて、あの日の令嬢が云ったことは真実ではないかもしれない、とジリアンは思いはじめた。

ブルース自身が婚約の証としてあの令嬢に指輪を渡したなら、今のブルースの態度は変だ。


「…違うのですか?」


ジリアンは、自分でも何が違うのかと聞いたのか判らない。

あの指輪をブルースがカタリナという令嬢に与えたことなのか、それとも婚約したということに対してなのか。恐らく両方だ。


そう云ってから、ジリアンは二人の唇が触れそうなほど顔が近いことにようやく気がついた。

視線が絡まり、じっとジリアンの瞳を見つめたコバルトブルーの瞳は、そのままジリアンの唇に落ちる。

ジリアンの胸の鼓動が早まり、どうにかなってしまいそうだ。

ブルースはしばらく唇を見つめ、不意に引き剥がすように視線を外すと、ジリアンの体から手を離した。

大きく一つ深呼吸をしてジリアンから少し離れると、ブルースは誤解を解くようにはっきりと言葉にする。


「俺は婚約したことも、婚約者がいたこともない。もちろん、結婚もしていない」


その言葉に、ジリアンは目を瞠った。

さっき気がついた時、ブルースの薬指には指輪がなかった。

不思議には思っていたが、騎士の職業柄、指輪が邪魔になることもあるのだろうと思っていた。


ブルースは手を伸ばして、ジリアンの頬に触れた。

大きな手が優しく頬を撫でていく。


「お願いだ。もう俺の前から消えないでくれ」


懇願するような口調に、今度はジリアンが目を瞠る。

もしかしたらあの時、自分が急にいなくなったことでブルースを傷つけたのかもしれない…?


できるものなら、はいと頷きたい。

でも、とジリアンは心の中で首を振る。

今の自分も、二年前と何かが大きく変わる訳ではない。

ブルースは騎士で、ジリアンは看護師。

ブルースとジリアンはもう社会の違う部分に住んでいるのだ。

コンラッド様の腕が治ったら、自分がここにいる理由はない−−−


テーブルの上のものを無言でさっと片付け、本を抱えると、ジリアンはブルースを見上げて精一杯微笑んだ。


「お約束します。今度はちゃんとお別れの挨拶をすると」


ブルースの顔をもう見ていられずに俯いて、ジリアンは足速に四阿から去って行った。


ようやく少し、誤解が解けました。

今夜中にもう一話投稿します。

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