藤宮さん、当たってます
最初に言っておこう。
これは断じて、乳の話ではない。これはあくまで、俺・小笠原新の恋の話だ。
藤宮夕花は、クラスメイトだ。
性格は人懐っこく、それでいて誰に対しても優しい。裏表のない性格なので、周りからも大変信頼されている。
唯一欠点があるとすれば、よく男子を勘違いさせてしまうことだろう。それも、無自覚に。
容姿も性格に見合って、優れている。
可愛くてスタイルも良くて、道行く男たちは誰しも彼女に視線を注いでしまう。特にある一点の膨らみに。
要するに何が言いたいのかというと、藤宮さんは凄え良い女だっていうことだ。
こんなにも素敵な女性は、俺の17年の人生の中でも他にいないと思う。
そんな藤宮さんと俺は、同じく学級委員を務めている関係性だ。
この日の放課後も、俺は藤宮さんと学級委員の仕事に励んでいた。
「今日やることは、文化祭の予算案の提出だったよな? さっさと終わらせて、帰ろうぜ」
「そうだね。早く終わったら、帰りにお茶してこっか」
さり気なく放課後デートに誘ってるんじゃねーよ。勘違いしちゃうだろ。
我がクラスは文化祭で、喫茶店をする予定だ。その為の市場調査だと考えれば、喫茶店に立ち寄る口実になるか。
もっともらしい理由付けをしないとお茶すら出来ないなんて、本当に藤宮さんは罪作りな女である。
ひと口に喫茶店をすると言っても、ただコーヒーや洋菓子を出せば良いという話じゃない。
コーヒーや洋菓子はどのくらい用意すれば良いのか? シフトはどういう形にするのか? 内装は? 衣装は? ……考えることが多すぎる。
その取っ掛かりとして、まずは予算案の提出を求められているのだ。
俺と藤宮さんは喫茶店をするにあたって必要となるものを挙げていき、概算で予算を計算していく。
俺が電卓を叩きながら計算し、提出用紙にメモしていると、ふと藤宮さんが指摘してきた。
「ねぇ、そこの計算間違っているんじゃない?」
「え? どこだ?」
「真ん中のちょっと上らへんの……うーん、口で説明するのは難しいなぁ」
「よいしょ」と藤宮さんは立ち上がる。
そして俺の背後に移動すると、何を考えたのか俺の背中越しに間違っている箇所を指差してきた。
「ほら、ここ。一桁ズレちゃってるよ」
するとぎゅーっと、彼女の豊かな胸部の膨らみが、俺の背中に接触するわけで。そしてそのことを、本人が気付いている様子はなかった。
この状況、男としては嬉しくあるけれど、童貞の俺には流石に刺激が強過ぎる。
俺は藤宮さんに現状を指摘することにした。
「あの〜。藤宮さん、当たってます」
「えっ? ……あっ、本当だ! そういえばさっきの学級会で発注数を大きく減らすって話をしていたから、金額はこれで良いんだった! 間違っていなかったね! ごめんごめん」
……うん、そうですね。この計算、きちんと当たっていますね。一桁もズレていないですね。
だから俺は決して乳の話をしたわけじゃない。計算式の話をしていたのだ。
◇
大まかな予算案を立て終えた俺と藤宮さんは、2人で下校していた。
あわよくば帰りにお茶をと思っていたが、その期待は他ならぬ藤宮さん自身に裏切られる。
「ねぇ、気晴らしにバッティングセンターに行こうよ!」
ということで俺と藤宮さんは、喫茶店ではなくバッティングセンターにやって来ていた。
「バッセンなんて、小学生の時以来だなぁ。藤宮さんはよく来るのか?」
「月に2回か3回くらいかなー。勉強が煮詰まった時とか嫌なことがあった時に、ストレス発散しに来るんだ。「バッキャロー!」って叫びながら打つと、凄くスッキリするんだよ!」
藤宮さんは鞄を置いて、バッターボックスに入る。
金属バットを握り、何度か素振りした後で、投入口に小銭を入れた。
「テッテレー! 4番、キーパー藤宮さん!」
いや、野球にキーパーはいないっての。
野球のルールは知らないようだが、バッティングセンターに通っているというのは本当のようだ。
時速110キロのボールを、次々とホームランにしていく。
「ねぇ小笠原くん、今の見た!? めっちゃホームラン!」
「……そうだな」
音が鳴るので、藤宮さんがホームランを打ったのはわかった。しかし、俺はその光景を一球たりとも見ていない。
俺の視線は終始、藤宮さんの豪快なスイングに釘付けだったのだ。
……あくまでスイングに見惚れていただけで、決して揺れる乳を見ていたわけじゃない。
20球のうち、恐らく15球以上はホームランにしていたと思う。相変わらず藤宮さんの運動神経は抜群だ。
バッターボックスから出てきた藤宮さんは、「はい」と俺に金属バットを渡してきた。
「次は小笠原くんの番。負けた方は、ジュース奢りね」
「……頑張るよ」
そう言ってバットを受け取りながらも、俺は早々に勝負を諦めていた。
だってバッティングセンターなんて、もう何年も来ていないんだぞ? 時速110キロの球なんて、打てるわけがない。
俺は打席に入る。
お金を入れて、バットを構えて、ボールが投げられるのを待って……って、あれ? 今何か俺の目の前を通り過ぎた?
後ろを見ると、今しがた投げられたであろうボールが地面に転がっている。……全く見えなかった。
……成る程、理解したぞ。
これはピッチングマシンがボールを離した瞬間に、バットを振った方が良いな。
変化球はなく、コースも一定。ならば俺でもホームランを打つことが出来るかもしれない。
分析を終えて挑んだ2球目は……盛大に空振りした。
うん、頭で理解していても、実際に打てるわけじゃないよね!
3球目、4球目、5球目……何度挑戦しても、俺はホームランを打つことが出来なかった。
10球目で辛うじてバットに当てるも、ボテボテのゴロ。試合なら、ピッチャーに取られてアウト確実だ。
たったの一球すらホームランを打てない俺に、藤宮さんは尋ねてくる。
「もしかしてだけど……小笠原くん、野球苦手?」
「……苦手じゃない。不慣れなだけだ」
そう、慣れればきっと時速110キロのボールだって打てるのだ。慣れるまでどのくらいの時間がかかるかわからないけど。
「確かに、最後にバッティングセンターに来たのが小学生の時って言ってたからね。……よし!」
何やら意気込むと、藤宮さんはいきなりバッターボックスの中に入ってきた。
「私が打ち方を教えてあげるよ!」
藤宮さんは俺の背後に回ると、俺に抱きつくように一緒にバットを握る。
そうすると言うまでもなく、彼女の豊かな胸部が俺の背中に押し付けられるわけで。
「それじゃあいくよ。……それ!」
カキーン! 藤宮さんと一緒に打った白球は、見事「ホームラン」と書かれた的に命中した。
「藤宮さん……当たってます」
「そうだね。当たったね。やったじゃん!」
藤宮さんが手のひらを向けてきたので、俺はハイタッチで彼女に返す。
俺は決して乳の話をしたわけじゃない。ホームランの話をしていたのだ。
◇
朝ご飯を食べていると、ふと朝のワイドショーの占いが目に入った。
今年入社したばかりの新人アナウンサーが、毎日恒例の星座占いを読み上げる。
『最下位は、さそり座のあなた! 特に恋愛運が最悪。恋に大きな障害が現れるかも!』
……マジですか。
さそり座の俺は、占い結果を聞くなりナーバスな気分になった。
俺は藤宮さんに恋をしている。
同じ学級委員なので会話をする機会も人より多いし、昨日のバッティングセンターのように帰りに寄り道することも多い。
だから藤宮さんとの距離も、結構近づいてきたんじゃないかと思っているんだけど……そんな俺の恋路を阻むということは、どこぞのイケメンでも彼女に告白するのだろうか?
実際藤宮さんは男子生徒から人気があるし、なんなら他校から刺客が来たっておかしくない。
そしてその刺客が魅力的な男性ならば……きっと藤宮さんも交際を受け入れるだろう。
藤宮さんが告白されると決まったわけじゃない。それに藤宮さんが告白されなかったとしても、俺と付き合ってくれるわけでもない。
だけど……何もしないで自分の知らないところで失恋が確定することだけは、なんとしても避けたかった。
どうせ悔し涙を流すのなら、全てを出し切った上で流したい。
「……今日、告白するか」
こうして最下位になったのも、何かの縁だろう。
もし恋の障害が現れるのだとしたら、その前に決着をつけてしまおう。
俺は家を出る。
藤宮さんと会うなり、「おはよう」と同時に「好き」と伝えよう。
しかし俺のその決意は、無駄に終わる。なぜならーー
「……え?」
駅のホームで、俺は藤宮さんを見つける。だけど声をかけることが出来なかった。
告白を尻込みしたわけじゃない。藤宮さんが……知らない男と一緒に、電車を待っていたのだ。
男に向けて、心底楽しそうな笑顔を見せる藤宮さん。そんな顔、俺には見せたことないだろうに。
……誰だよ、そいつ? そんな笑顔もその男も、俺は知らないぞ。
「藤宮さん……当たってるよ」
でも今朝の占いだけは、当たらないで欲しかった。
◇
放課後。
俺はいつものように、藤宮さんと学級委員の仕事に勤しんでいた。
しかしいつもと違うのは、好きな人と二人きりだというのにこれっぽっちも楽しくないということだ。
理由はわかりきっている。藤宮さんが知らない男と楽しそうにしていた光景が、脳裏にこびりついて離れてくれないのだ。
「小笠原くん? おーい、小笠原くーん」
「……え? あっ、あぁ。何だ?」
「どうしたの? さっきからぼーっとしているけど?」
心配するように、藤宮さんは俺を見てくれる。だけど俺はそんな彼女の視線を、直視出来なかった。
なんていうか、今日は彼女の顔を見たくない。
「もしかして……私、何か怒らせるようなことをした?」
「いや、そういうわけじゃない。単に俺が勝手に落ち込んでいるだけっていうか……」
いつまでもクヨクヨしていても仕方ない。
俺は満を持して、藤宮さんに今朝の男が彼氏なのかどうか聞くことにした。
「今朝さ、駅のホームで男の人といたよな?」
「え? ……あぁ。うん、そうだね」
「あの人って……藤宮さんの彼氏なのか?」
「違うよ。あれはお兄ちゃん」
「お兄ちゃん?」
予想外の返答に、俺は思わず聞き返す。
「うん! 地方の大学に通っているから、普段は一人暮らししているんだけど、今は夏休みってことで帰省しているの」
思い返してみれば駅のホームで藤宮さんといた男は、制服を着ていなかった。なぜなら大学生なのだから。
俺たちよりも年上みたいだった。なぜなら藤宮さんの兄なのだから。
藤宮さんとも引けを取らないくらい、美形だった。なぜなら藤宮さんと血が繋がっているのだから。
つまり……全部俺の早とちりってことか?
「ていうか、小笠原くんは何でそんなこと気になるのかな?」
「そっ、それは……」
藤宮さんが、ニヤニヤしながら俺に尋ねてくる。
……マズい。今のやり取りで、俺が藤宮さんに好意を持っていることを気付かれたのではないだろうか?
旗色が悪いと感じた俺は、この場から一時避難することにした。
「ちょっとトイレ」
そう言って席を立ち、歩き出そうとしたところを……藤宮さんが抱き着いて阻止してきた。
「好き」
藤宮さんは言う。
「これは私の予想なんだけど……小笠原くんも、私のこと好きなんじゃないかな?」
まだ確証を得られていない為不安に思っているのか、彼女の俺を抱き締める力が強くなる。
俺が藤宮さんを好きなんじゃないかって? その答えは……イエスだ。
「藤宮さん、当たってます」
「だって、当ててるんだもの」
最後にもう一度だけ言っておく。これは断じて乳の話ではない。
俺と藤宮さんが結ばれるという、素晴らしい恋の話なのだ。