(十四)お仕事は時に専門家の意見を聞く必要があります
「アザレアには聞きたいことがあってね」
仕切り直すように告げたハインリヒの言葉に、アザレアは足を組んでソファに座り直すと、片眉を上げて胡乱げに見遣った。
「闇属性魔法について」
その言葉に、すう、とアザレアの視線が鋭くなった。
闇属性魔法。
リタは自分が攻撃魔法を使えないため、他の魔法についても一般的な知識しか持ち合わせていない。それでも、闇属性魔法が禁忌とされていることは知っている。
「先般、ギルドの牢に捕縛した盗賊団の首魁が、空間から現れた黒い物に呑まれて消えたという事件が発生したのだよ」
「――まさか、あれが闇属性魔法だったの!?」
驚いて問い返したリタを、ハインリヒは一瞥もくれずに片手を挙げて止めると、アザレアの様子を窺うように続けた。
「闇属性の魔法や魔術に、そのように人を呑み込むものがあるのかね」
「……何故あたしに聞く?」
「君以上に魔術に詳しい人間が他にいるかね?」
ぴりっとした空気がその場を支配した。
ハインリヒはアザレアから視線をそらさずに、ゆっくりと足を組み直すと小首を傾げた。
「私の知る限り、魔塔にはそこまでのレベルで闇属性魔法を扱える者は存在しない。禁忌であると言う以上に、闇属性を持つ者の絶対数が少ないせいもあるだろう。世間では自らの正確な属性を知る機会を持たない者も多い」
……確かにその通りだわ。
リタ自身、自分の属性など調べたことがない。頼めばギルドの魔道具で確認出来るとは聞いている。だがリタは、父ケニスに止められていた。
今思えばケニスはリタの癒やしの力が治癒魔法ではないと分かった上での事だったのだろうが、自分の属性は知らないままだ。アインスやトレのように使える魔法から自身の属性を知ることも出来る。
だからこそ禁忌とされる闇属性魔法など、自分に属性がなければ試しもしないだろうし、どういった魔法が使えるのかも謎に包まれている。
「ギルドの牢でということは、近くに術者はいなかったという事だね?」
「恐らく。――魔術の残滓は感じられなかったが、ゼノとリタが異質な気を感じ取っている」
「異質な気?」
そこで初めてアザレアはゼノやリタに視線を寄越したので、リタも頷き返した。
「盗賊団のアジトと、牢でその黒い物に触れたという連中からな。瘴気とは違う。俺は今まで感じた事はねえな」
「私もよ。その気は癒やしと浄化で霧散したわ」
「……」
アザレアは二人の話を聞くと、考え込むように口許に手を当て俯いた。
室内には沈黙が落ち、誰も口を開かずアザレアの言葉を待つ。
アザレアはしばらくそうして考え込んでいたが、ついと視線をあげてゼノとリタを見つめた。
――読んでいる
それがわかった。
アザレアは今、何かを確認するように二人の魂に刻まれたものを読んでいる。
黒い物と刻まれた内容に何か関係があるのかしら。
しばらく二人をじっと見つめていたアザレアだったが、ふ、と静かに息を吐くと目を閉じた。
「今の段階ではっきりとは言えないが、闇そのものに間違いはないだろう」
「根拠は」
切り返すように問い返したハインリヒを、髪をかき上げながらため息をついて見遣った。
「お前さんの予想通りさ。魔法や魔術の残滓がなく、この二人だけが感じ取れた。それに」
そこで一旦言葉を切ると、少し躊躇うように視線を彷徨わせた。
「――それに、闇と闇属性魔法はまったく違う」
「ふむ」
ハインリヒは納得するように頷き返したが、リタには今ひとつよくわからなかった。
闇属性魔法でなく、闇そのものってどういうこと? 火属性魔法と火が異なるというような? 火は確かに魔法を使わなくても起こせる。それと同じように闇が魔法とは別に存在する?
――そもそも闇って何?
そこがまずわからなかった。
「アザレアの言う闇ってなんだよ」
こちらも今ひとつ理解出来なかったのか、ゼノが胡散臭そうにアザレアに問い返した。
「闇は闇さ。人どころか、魔族にだってそう簡単には扱えない。闇属性魔法は、擬似的なもの。真性の闇とは異なる」
「ふむ……出来ることに違いはあるのかね」
「根本から異なるからね。……闇属性魔法は魔法――魔術だ。ゼノを傷つける事は出来ない。だが闇は違う」
「っ!」
小さく息を呑んだのはサラだ。声はあげなかったが、ぎゅっとアザレアに抱きつく腕に力がこもった。
「闇属性魔法は魔法だからゼノには効果がない。なら防御魔法は効果がありそうね。でも闇には効かない?」
「ああ、そうなるね。闇属性魔法には光属性魔法で対抗出来る」
「ふむ。だが光属性魔法は治癒がメインだろう」
そう言えば確かに治癒魔法は光属性だと聞いた。簡易的な治療魔法を使える者はいるけれど、治癒魔法士と名乗れるほどの使い手は少ないため貴重なのだ。
「闇属性魔法の特徴として、精神や空間を閉じ込めるといった攻撃が多い。閉じられたものを光属性魔法が打ち破る感じだね」
「閉じ込めるだけかね?」
「閉じ込められた先が擬似的とはいえ闇なら精神が破壊される場合が多い。人は闇に抵抗出来ないのさ――魔王の加護持ちのゼノと光属性を持つ者。そして、聖属性を持つリタやあたしのような者以外はね」
聖属性。
聖女はやはり特殊な属性持ちということなのか。
他に攻撃魔法が使えないと言うのは、もしかして聖属性以外の属性を持っていないということ?
「……じゃあ私には闇属性魔法は効果がない?」
「効果はあるが、打破出来る。――そして、真性の闇に対抗出来るのは聖女のように神聖力を持ちうる者だけさ」
なるほど。確かに、ゼノは神聖力を持っていない。魔術と異なるなら無効化もできない、と。
「なるほどな。リタの浄化が効くんなら、まあなんとかなるか?」
「精神を壊された者は、リタの浄化や癒しも意味がなかったのを忘れたのかね」
軽く述べるゼノに、ハインリヒが眉間に皺を寄せながら呆れたように注意する。
「でも、触れても無事だったんだろ?あの牢にいた魔術師は」
あくまでもゼノの調子は軽い。
確かに、盗賊団の魔術師は無事だった。ただあれも時間の問題だったのではないかとリタは思う。リタが浄化と癒やしを行うまでは、口がきけなかったのだから。
ごくりと息を呑む。
近づき、触れた者は正気を失うというのなら……なんて危険なの……!
そんなものがもし――
リタはそっとベッドに腰掛けるアインス達を見やってから、アザレアに向き直った。
「防御方法はないの? 盗賊達は触れられただけでほとんどの者は正気を失ったわ。空間から急に現れた場合、どうしたらいいの?」
「どうにもしようがない。逃げるだけさ」
「そんなっ――」
「だが」
悲鳴のように叫んだリタに、アザレアは人差し指を立てて遮った。
「万が一遭遇したなら、その闇を真正面から見つめちゃダメさ。闇は真正面から見るもんじゃない。横目で見るぐらいがちょうどいいのさ」
横目で見る――
「目を合わせるなって感じか? つうか、目なんかあるのか?」
「気になるならお前さんは目を探してみればいいだろう。――闇を覗き込むなと言ってるんだよ」
顎を擦りながらくだらない疑問をぶつけてくるゼノに、アザレアも髪をかきあげながら呆れたように返しつつ、一呼吸おいてから、真剣な表情でそう付け加えた。
その程度しか出来ないのかとぎゅっと唇を噛みしめた。
自分がいつだって側にいてやれる訳でもない。
弟達やアーシェ達が、リタのいない間にそんな厄介な闇と遭遇したらと思うと気が気でない。
「闇はなぜ、人を呑み込んだのか心当たりはあるかね。他に人がいたにも関わらず、頭領のみを呑み込み消えたというのだ――闇には、そもそも意志などない筈ではないのか」
もっともな疑問だ。
そもそもあの牢には頭領以外にも盗賊達がいたのだ。なのに、頭領以外は闇に触れられはしても呑まれはしていない。その違いは何か。
それに、マーク。
リタにしか見えていないマーク。あれには何か意味があったのだろうか。
「そうさね……確かに意志はない。だが、そこに核となる何かがあれば話は別だよ。話を聞く限り、空間から現れた闇には核が存在し、それの意志により動いているように見えるね」
「ふむ……ならばもはや生物と考えておいた方が良いということか」
「なら、斬れるのか?」
端的に、ゼノが尋ねた。
その言葉に、アザレアの瞳が僅かに揺れた。
魔族も核を斬れば倒せる。ゼノの言葉はそういった事実からのものだろうが、アザレアは口を開いて何かを言いかけ――そのまま口を閉じて逡巡するように視線を彷徨わせた。
「見てみないとなんとも言えないね。だが、その時には聖女の力も必要になるだろう」
「聖女の? 神聖力が必要ということ?」
「ああ。闇を相手取るには必要だ」
それならますます問題じゃないの。
リタがいなくてもゼノが斬れるなら問題ないと思っていたが、リタの力が絶対に必要なら優先順位は変わってくる。
「その闇の目的はわからないけれど、まずそれをどうにかしないと落ち着かないわ」
どのみち碌でもない目的に違いない。そんな物はとっとと消し去るに限る。
「今回のような闇は、勝手に生まれてくるのかね。それとも、何者かが作り出したと考えてよいのか。――もし何者かの介入があったとして、それは人の仕業ではないと断言しても問題ないか」
ハインリヒの問いにアザレアは少し考えるような仕草を見せたが、静かに頷いた。
「そうさね。闇そのものは人の手に負えない。魔族の――高位魔族の介入があると見て間違いないだろう」
高位魔族――盟主ってこと?
それとも他にそういう事が出来る程の魔族が存在するのか。魔族の事情に明るくないリタには想像もつかなかった。
「闇自体は、稀に顕現する。怪しい所は気にかけて見て回っているんだが、今回の闇の発生はあたしも気づかなかったね」
アザレアの話では、知らないだけでこれまでも闇は存在したことがあるということになる。
「核のない闇は現れたらどうなるの?勝手に消えるの?危険はないの?それと、その出現しそうな怪しい所ってどういう場所?」
気になる点を矢継ぎ早に問えば、アザレアは口許に指を宛てたまま目を瞬いた。
「勝手には消えないので、見つけたらあたしが消しに回ってる。闇そのものは触れたり近寄ったりしなければ危険はないのさ。今回のように移動して襲ってくるようなことはまずない。出現しやすい場所は――」
そこで一旦言葉を切り、視線をテーブルに落とした。
「遺跡周辺だよ」
「遺跡?」
「君が言っている遺跡とは、時代も用途も不明な塔の遺跡のことかね。世界に四箇所存在するな――その周囲には確かに君の出現情報が多い」
塔の遺跡? リタは初めて聞く。
だがそれよりも、ハインリヒはゼノだけでなくアザレアのストーキングもしているらしい。
まあ、アザレアさんの動向を掴んでおきたいというのはなんとなく理解できるわ。
これほど魔術に詳しいのだ。尋ねたいときにどこにいるのかわからない、では困るのだろう。
「ああ、そうだよ。今回のように、遺跡周辺ではなく移動する闇は見たことがないね」
それはやはり魔族の介入があるからこそ、ということになるのだろう。
「消し方は? 見つけた時にどうやって消せばいいの?」
リタが気になるのはそちらだ。神聖力を持つリタの力が必要だというならばそこは聞いておきたい。
「自然に現れる闇っていうのは、そう大きくはない。神聖力で包んでやれば消滅する程度のものなのさ」
神聖力で包んでしまえばいいのなら、なんとかなりそうだ。
今回現れたという動く闇も同じだろうか。魔族と同じように核があるなら、核は壊す必要があるかもしれない。
ゼノならその闇の核まで見えるだろうか。
「そう言えば、その呑まれた頭領の右腕に魔力を帯びたマークがあったの。直接関係があるかはわからないんだけれど」
ふぅと一息ついてから、リタは今回のことで気になっていた事を思い出した。
「マーク?」
ええ、と頷いてポーチから紙片を取り出す。
「うろ覚えで形は怪しいのだけれど……」
そう断ってからテーブルに広げる。
あれから覚えている限りの特徴を図に描いてみたのだ。
腕に刻まれたものなのであまり大きくはなかったし、チラリと見た範囲で覚えている事は少ない。肝心要の円の中などほとんど覚えていない。
「魔術を帯びたマーク……ならそれは紋だね」
「紋」
「ああ。魔法陣を凝縮させた魔術文字で、魔力を流すことで発動する。能力の上昇を促したり、お前さんも経験した隷属の紋のように人を操ることも出来る、使い方によっては危険なものさ。戦闘民族のクヌートや教会の修道士が戦闘モードになる際にも紋を発動させるね」
「紋なら、俺にも見えそうなもんだけどな」
紙を覗き込み顎を擦りながら呟いたゼノに、アザレアは肩をすくめてみせた。
「魔族が刻んだ紋なら見えなくたって不思議はないさ。死紋だって、連中の特殊な魔力がなけりゃあ、見えないだろ?」
まあな、と頷き返すゼノが言った死紋も気になるところだが、魔力を帯びていたと言うことは、あのマーク——紋は、発動していたということか。
「その紋は、私だけが見えていたかもしれないの。そういうことってあるの?」
「ゼノにも見えてなかったのかい?」
「多分? なにせ戦闘中だったし、あんまり気にしてなかったから、目に入っていても気にしなかった可能性も、……まぁあるが」
「お前さんならあり得そうだね」
躊躇うこともなく強く同意を返したアザレアに、ゼノがそっと視線をそらした。過去にもそういった事がよくあったのだろう。それはリタもなんとなくわかる。
「闇関連なら聖女にだけ見えたという事があっても不思議ではないね。ゼノが本当に見えていないかどうかはわからないが。今度その紋付きを見つけた時には、見えるものだと思って見てごらん。見えるようになるかもしれないよ」
「なんだそりゃ」
それで見えたら苦労はねえだろ、と胡散臭そうに返すゼノに、だがアザレアは殊の外真剣な眼差しでゼノを見つめ返した。
「ちょっと気を逸らすだけで、見える筈の物が見えなくなる。特にお前さんのような脳筋には抜群の効果があるんだよ。リタが見える、わかると言ったものは、自分も見えるしわかると思って向き合ってごらん。――新たに見えてくるものがあるはずさ」
アザレアの真剣さに当てられたか、ゼノも茶化すようなことはせずに押し黙ったままアザレアを見つめ返すに留まった。
意味深長だ。
本来ならゼノが見えるべきものが、他にもあるようにリタは感じた。
それは紋だけにとどまらず、もしかするとゼノが前世の文字を未だ読めない事とも関係するのではないかと思ったのだ。
もし本当にフィリシアの加護でリタと同じようにすべての言語が理解可能だとするなら、ゼノが頑なに、読めないと思っているから読めないのではないか、と。
まあ、フィリシア様の加護に本当にそういう能力が含まれているなら、だけど。
いずれ機会があれば確認してみよう、とリタはこっそりと決意した。
「移動する闇は、その紋付きを見極めていると考えるのは早計かね」
ハインリヒの問いに、アザレアは「ありえそうだね」と肯定を返した。
「他の者に見えずに聖女にだけ見えるという時点で、考えられる。牢の中で紋付きだけ呑み込んで他が無事だったなら可能性は高い」
「どこでその紋を刻まれたのかというところだな」
足取りを掴んでみるか、とハインリヒが呟き、懐から書類を一枚取りだした。
「こちらで調べた移動する闇の目撃報告だ。これとは別に魔塔が闇属性魔法を死の森周辺で実験しているのも複数確認されている」
「魔塔かい。あの連中も懲りないね」
ハインリヒから書類を受け取り目を走らせながら、アザレアがうんざりしたように言い捨てた。
「あそこは定期的に闇を研究する者が現れるね。連中の末路は闇に呑まれて終わることが多いって言うのに、怖い物知らずの連中さ」
「人の背に魔法陣を刻んでそこから闇が現れる魔術のようだが、成功すればどうなるのかね、それは」
背中の魔法陣と聞いて、リタは真っ先にリーリアを思い浮かべた。
リンデス王国の浴場で頑なに背中を見せようとしなかったリーリア。
チェシャは背中の魔法陣は「道」だと言っていた。何かに繋がっていると。
リーリアは危険な物ではないと言っていたが、もしも本当に闇と繋がっているというのであれば、危険だ。
「闇を呼び出す魔法陣を人に刻んだとするなら……定着させたかったんだろうね」
「定着?」
「ふむ。人に闇属性を持たせたかったということか。だが、被験者はもれなく現れた闇に呑まれて跡形もなく消え去ったらしい」
「え!? それって、魔法陣を地面に展開して闇を呼び出せば人を飲み込めるという事!?」
危険じゃないの! とリタが叫べば「いや、地面や物に描いても呼び出せない」とアザレアに即座に否定された。
「闇が触媒になるのは、主に人や動物、魔獣といった自我や意志を持つモノだ。自然やそれを介して作られた物はソリタルア神の恩恵があるから触媒になれない」
「神の恩恵には触れられないと。自我や意志が闇の温床になるというのはなかなかに興味深い」
くく、とハインリヒが皮肉げに低く笑う。
「それをわかった上で魔塔は人に危険な魔法陣を刻んでいるの? それ犯罪でしょう?取り締まれないの?」
ヘスも大概だったが、魔塔の魔術師というのはヘス以外でも似たり寄ったりなのか。魔法士ではなく魔術師というのは、リタの中では魔法陣を扱える優秀な人達という認識だったのだが、どうやらそんな綺麗なものではないようだ。
「そちらは近々対処しよう」
ふ、と酷薄な微笑を浮かべたハインリヒに、ぶるりと思わず身体を震わせて、リタはそっと視線をそらした。
怖い怖い……。私だったら、ハインリヒを敵に回すのは絶対に御免だわ……
リタが一人慄いていると、アザレアは書類をテーブルの上に投げ出した。今度はゼノがそれを手に取り書類に目を走らせる。
「この二つは、空から降ってきた黒いものに呑まれたとなっているね。ギルドで起こった事に似ているなら、移動する闇に間違いないだろう」
「この二件の被害者はどういった奴なんだ? ギルドは盗賊の頭領だったろ?」
「村の中でも厄介者とされていた人物と、前にも言ったがごく普通の村人だ。共通点がないか調べている最中だが……リタのいう紋付きの可能性はあるな」
「どうやって付けらてんだろうな、その紋」
「その紋が見えるならわかってくることもあるだろうが、今の段階じゃなんとも言えないね」
三人の話を聞きながら、結局はまだどうにも出来ないのかとため息をついた。こうなってくるとまず気になるのはリーリアの背中の魔法陣だ。見られるのを酷く嫌っていたが、このような魔塔の実験があるなら一度確認すべきではないか。
リーリアに何かあってからでは遅い。
「ねえ。リーリアの背中にあるという魔法陣。これをアザレアさんに確認して貰うことは出来ないかしら? リーリアが嫌がるのはわかっているけれど、魔塔がそんな実験をしているなら、彼女の背中の魔法陣も気になるわ」
「ふむ。君が説得してくれるのなら助かるな。いいだろう。アザレア滞在中にリーリア嬢をこの家に来させよう。――クライツ」
呼ばれて、クライツはすぐさま立ち上がった。
「すぐに迎えに行ってきます」
「私もついて行くわ」
立ち上がりながらクライツに言えば、心底嫌そうな顔をされた。
「勘弁して下さい。御使いが一緒となれば余計な虫が湧いて出ます」
「虫退治ぐらいしなさいよ」
「ゼノや師匠と一緒にされては困ります」
随分と弱気な発言に眉根を寄せて睨み付ければ、ゼノに腕を引かれて椅子に戻された。
「ノクトアの連中は危険を回避する能力は高えし、切り抜け方も知ってる。だが戦闘職じゃねえ。そのために護衛としてデルがいるんだ。お前さんがついていけば厄介な魔族だって出てくるかも知れねえ。却って危険を呼び込む事になる」
「……わかったわ」
ゼノにそう言われては大人しくするしかない。
むう、と思わないでもなかったが、リタがついていく事で危険が増えるのは本意ではない。
リタが諦めたのを見て、クライツはゼノ達に目礼するとさっさと部屋を出て行った。
「どこぞの誰かのせいで、ノクトアの構成員は戦闘も出来ると誤解を招いているのは確かだがね」
くくっと笑いながら冷やかすようなアザレアの視線に、ハインリヒは笑みを深めた。
そう言われれば、確かにハインリヒは単独で動いていてクライツのように護衛をつけていない。おまけに彼はリタに避ける隙を与えない程素早くダメージを与えるのだ。
「……もしかして、ハインリヒってかなり強い?」
強者の雰囲気は纏っていたけれど、それは彼の立場や性質からくるものだと思っていた。
「そりゃお前、三十年前は俺やゴルドン、ギルド長と暴れ回ってたんだぞ?冒険者登録はしてねえが、ゴルドンと同等かそれ以上に決まってる」
「そのような指標など、私にはどうでも良いことだがね」
ゼノが言うなら間違いなく強いのだろう。ギルド長も強そうな気配を纏っていた。ならば、リタ以上に実力はあるのかもしれない。
「性格的に強いんだと思っていたけど、戦闘力もあったのね」
「君にだけは言われたくない言葉だな」
やれやれと呆れたように言われてむぅっと睨み返した。
「どういう意味よ」
「いや、お前さんほど剛毅な者はいねえだろ。第三にもハインリヒにも物怖じしねえで凄いこと言うじゃねえか」
「そうなのかい?」
リタの事はあまり知らないのか、アザレアが興味を引かれたように見てきて思わずうっ、と呻いて身を引いた。
「そんな事ないわ。本当の事しか言ってないもの――ゼノのストーカーって」
ぼそり、と小声で呟いた言葉はしっかりと耳に届いたらしい。
「――はっ……」
ハインリヒは眉根を寄せつつもどこか諦めたような表情だが、アザレアは目を大きく見開きハインリヒに目をやり――吹き出した!
「はっ、ははは……っ!ゼノのストーカーかい!それはいい! 二人にぴったりじゃないか!! 第三とコイツにそんな事を面と向かって言えるとは、お前さん本当に面白いね!」
さすがは黄金の聖女だよ、と体を折ってまで笑っている姿に、張り付いていたサラが目をまん丸にして驚いている。
「お師匠さまが爆笑するなんて珍しい……!」
いや、リタとしては何故爆笑されるのかがわからないのだが、女性が楽しそうなら、まあそれはいい。ハインリヒから咎めるようなチクチクとした視線が刺さるが気にしない。
「そこはいくら躾けても治らぬ部分だな」
「事実だもの」
大仰にため息をつかれたが、つん、とそっぽを向いた。
「そいつはどうでもいいけどよ。これからどうする?黒い何かってのは結局移動する闇だってわかったが、次にどこに現れるってのはわからねえんだろ?」
どうすんだ?とゼノに問われて、アザレアも笑いを収めて向き直った。
「だったら、一度塔の遺跡に行ってみるといい。自然発生するのは遺跡の近くだ。移動する闇が現れないとも限らない。ああ、東大陸の南西にある塔は先日まであたしがいて問題ないのは確認している。他の三つの塔を見て回るといい」
「……塔の遺跡か。ふむ、よかろう。リーリア嬢の確認が済んだらクライツと共に向かって貰おう」
「わかったわ」
「ならこの話は今はここまでだね」
話は終わったと、アザレアがさっさとソファから立ち上がり、サラとアーシェを見遣った。
「久しぶりに二人と話したいね。部屋はあるんだろう?」
ここに住んでいると聞いているよとの言葉に、サラとアーシェが跳ねるように立ち上がってアザレアの元に駆け寄った。
「はい!二人の部屋があります」
「お師匠さまのお話しも聞きたい!」
「じゃれつくんじゃないよ、歩けないだろう? ほら、ちゃんと前を向いて」
「アザレア」
二人の背を抱きながら、微笑して部屋を出て行こうとするアザレアに、ゼノが呼びかけた。真剣な声音にアザレアだけでなくアーシェやサラもやや緊張気味にゼノを振り返った。
リタがびくりとするほど、ゼノの表情は真剣だ。
「あの時何に驚いた? お前があんなに取り乱したのを見たのは、二人が呪いで眠りに落ちた時ぐらいだ。いや、むしろあの時より酷かった。 一体何に驚いた?」
嘘や誤魔化しは許さない、というように声に気を纏わせたゼノの言葉に、アザレアは無言でゼノを見つめ返し――
「まだ言う段階じゃないね」
ときっぱりと言い切った。
二人は無言のまま睨み合う。
その空気にリタも息を詰めて、そっとアザレアを見つめた。
確かに、あの時のアザレアは尋常ではなかった。顔色をなくし震える様子は、驚き恐れているようにも見えた。誰の何を見てそうなったのかわからないが、あれはただごとではなかった。
ゼノも気付いていたのね……
しばらく張りつめた空気が室内に漂っていたが、先に折れたのはゼノだった。
軽く息を吐き、目を閉じる。
「――そうかい。なら、言えるようになればちゃんと言えよ」
諦めと言うよりも、それはどこか心配が漂う。
「……ああ。その時は、必ず」
アザレアはそう返すと踵を返し、アーシェ達を促して今度こそ部屋を出て行った。
ゼノはというと、あれで納得したのか、テーブルに置かれた書類とマークが描かれた紙片をリタに手渡しソファに背を預けた。
「あいつがああいう以上は、今は口を割らねえな」
「そうだな」
ハインリヒも思うところがあるのか、アザレアの出て行った扉を見たまま静かに頷き返した。




