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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(十三)お仕事に情報共有は必要ですが……



 何やらクライツが一人多大なダメージを受けたおやつタイムは終了し、アインスとオルグ、ドゥーエ、そしてアーシェはゼノの「ちっと体動かすか」との言葉に稽古をつけてもらうべく庭に出ていった。デルも興味がある、ということで一緒について行き、トレ、フィーア、サンク、シス、シェラはサラを教師に皇国語を勉強するということで、リビングの隣にある部屋に移動して行った。そこには厚めのカーペットを敷いているので、床に直接座ることも出来るようになっている。


 そうして子ども達がいなくなったリビングに残されたのは、リタ、モーリー夫人、シュリーとクライツだ。

 クライツは、ゼノについて一緒に庭に行こうとしたところを、リタに引き留められて逃げ損ねた結果、ここにいる。

 嘘くさい、胡散臭いと言われた微笑を浮かべたその頬が引き攣っているのは、今から何があるのかと恐れているからだろう。


 そんなクライツを前に、リタは極上の笑顔を向けた。

 皇国騎士団のロベルトあたりなら舞い上がりそうだが、その笑顔が危険だと身にしみているのか、クライツが少し身を仰け反らせたのを見過ごす者はこの場にいなかった。


「話はまだ終わってないわよね?」


 逃げようたってそうはいかないわ、とリタが笑顔のまま告げれば、クライツは一度天を仰いで――先程よりも胡散臭さが増した笑顔を貼り付けた。


「なんの話でしょう」

「ウサギとオオカミ。あれが別の仕事なんて嘘ね。箱庭に関係してるんでしょう?だったらその先を教えてもらわなくちゃ」


 あれがデュティの被り物を表しているなら、絶対に何かあるはず。ウサギとオオカミが何かわからなかったからこそ、ゼノとリタに尋ねたのだ。それがわかった今、情報を正しく受け取っているはずだとリタは睨んでいる。


「残念ながら本当に関係ありませんよ」

「クライツ」


 未だ誤魔化そうとするクライツに、リタはテーブルに両肘をついてその上に顎をおき、にっこりと微笑しながら首を傾げた。


「私はこれでもレーヴェンシェルツのクラスA冒険者。些細な事をスルーしても力業でどうにかなるゼノと違って、違和感は無視しないの。先程の話題転換の唐突さは動揺したためだと受け取っても、その内容までは見過ごさないわ」


 一旦言葉を切って笑顔のままクライツを睨み付けた。


「オオカミの被り物もあったりするのかって聞いた時点でアウトでしょ」

 まさか、気付かないと思ってるわけ?


 そう切り込んでも眉一つ動かさないのは流石だとリタも思う。

 ここで動揺を見せる程度なら、それこそハインリヒに無能呼ばわりされているだろう。

 だがリタとしてもここは引けない。

 クライツが何を掴んでいるかは知らないが、箱庭に――それもデュティに関する事なら見過ごせない。自分達と箱庭の距離は非常に近くなったのだ。それがどれほど些細なことでも放置するほどリタは楽観的ではない。

 準備はいつも怠らない。冒険者の鉄則だ。

 リタが笑顔のまま殺気を纏わせて睨みつけても、クライツは肩をすくめただけだ。


「些細なことですよ」

「あなたが放置できないぐらいには、気になった情報なんでしょう」

「入手経路が特殊だったもので」


 ふうん、とリタは笑顔のまま指を一本たててクライツに突きつけた。


「魂情報を提供出来るわよ」


 言われた言葉の意味を測るように、クライツが首を傾げる。


「気になるんじゃないの? 自分の魂に何が刻まれているのか。ノアのそっくりさん?」


 クライツは首を傾げたまま微動だにしなかったが、彼の気持ちが動いたのはその目で分かった。

 魂に刻まれた情報は、聖女にしか読めない。盟主にだって読めはしないのだ。デュティが読めるらしい理由はリタにもわからないが。


 故に、知りたければリタに頼むしかない。

 普通は自分の名前以外に特別な内容が刻まれることはない。だがクライツにはそれ以外に何かが刻まれていても不思議ではないと、本人も疑っている筈だ。


「自分の事についての情報を得る事は、今後のあなたにとっても重要なんじゃないの?」


 情報の重要性はあなたの方がよく知っているわよね、と続けてやれば、クライツは額を押さえて目を閉じた。

 室内に沈黙が落ちれば、隣の部屋でサラが話す皇国語のあいさつに続き、トレ達がそれに倣って復唱する声が聞こえてくる。

 楽しそうな弟達の声がしばらく響く室内に、ほほほ、とモーリー夫人の笑い声が落ちた。


「これはクライツの負けで確定ね。アーシェの言葉に動揺しすぎだわ」


 にこにこと微笑したまま告げるモーリー夫人の言葉に、クライツはそろそろと顔をあげてそちらを向き――がっくりと項垂れた。


「……ちょっとこの場はキツすぎやしませんかね……」


 味方してくれないんですね、と恨めしそうに言われても、モーリー夫人は朗らかにほほほと笑うだけだ。


「あらあら、私はリタやシグレン家の皆の味方ですもの。上手に聞いていたならともかく、あんなにもわかりやすい問い方はないわね」


 ばっさりと断じられてクライツが頭を抱え込む。


「……普段のクライツさんではありえないミスですね」


 シュリーが慰めるように、またモーリー夫人に普段はこうじゃないとアピールするように呟いたが、リタを誤魔化すという点において失敗していることに変わりはない。


「それで?デュティに関して何の情報を持ってるの?」


 重ねて問えば、クライツはのろのろと体を起こしてリタに向き直った。


「私が得ているのは『ウサギとオオカミは別』ということだけですよ」


 腹を括ったか観念したか、先程とは打って変わって落ち着いた様子で述べられた言葉に、リタは眉根を寄せた。


「それはつまり――デュティは二人いるということ?」

「どうでしょう。その情報だけではさっぱり意味がわからなかったので保留にしていたんですけどね――師匠の耳に入れた時にここで聞いてみろ、と言われまして」

「ならハインリヒにはそれだけで伝わったということね」


 彼ならゼノから話を聞いていてもおかしくない。むしろ情報収集のために遠慮なく根掘り葉掘り聞いていそうだ。三十年来の友人でありリタが認めるストーカーだ。ゼノが知らないゼノのことだって知っていても不思議じゃない。


「二人が一見なんてことのないその情報を重要だと捉えたのは、情報提供者が信頼に値する人物だからよね」


 リタがそう尋ねれば、クライツは嫌そうに顔を顰めた。


「そこはスルーするものでは」

「追及はしないわ。でもそうなると……」


 デュティからの話し言葉とはまったく異なる文体で書かれた手紙を思い出す。あんなに喜んでいたのだ。ウサギのデュティ以外が手紙を書いたとは思えない。

 それに、アーシェやサラは雰囲気はちょっと違うと言いながらも、別人とまでは感じていなかった。ならば、ウサギでもオオカミでも違和感を感じる程ではなかったということになる。


 ゼノも気付いているようには見えなかった。本当に別人だと言うのなら相当上手に――


 不意に、脳裏に被り物のまま飲食するデュティの姿が過ぎった。

 飲食も出来て、瞬時に変わって、前後が違っていても気にならない――被り物自体が魔道具だと言うならば、被った者の雰囲気を合わせることももしかして――


「被り物をする意味って何かしら」


 確か初めて会った時には個性だ、と言っていたけれど……

 むしろ、()()()()()ための物……?


「それ以上を読み取るには情報が足りないな」


 はぁ、とクライツがため息をつきながら呟いた。


「確かにそうね。でも頭の片隅に置いといて、聞けるようなら聞いてみるわ」

「本人にですか」


 驚くクライツに当たり前じゃないの、と返す。


「ゼノに聞いたって仕方ないでしょう? 大丈夫。答えたくないことははぐらかされて終わりらしいから、何かされることはないわ。それに」


 そこで一旦言葉を切って、リタはにこりとクライツに笑ってみせた。


「その情報をくれた人は無事な訳だしね?」


 今から会えるんだもの、と声を出さずに付け加えれば、読唇術で正確に読み取ったらしいクライツの顔から表情が消えた。


 どうやら正解だったみたいね。


 別にリタが分かったのはクライツがわかりやすいとかそういったことではない。クライツの名誉のためにもこちらが知っている情報も開示しておこうかしらとリタが思ったのは、モーリー夫人からクライツに当てた咎めるような圧を感じ取ったからだ。


「まあ、私にも独自のソース(情報源)があると思っていてちょうだい」


 アザレアが箱庭にも来たことがあり、フィリシアとも親しいという情報は内緒だと言われた。第三盟主がアザレアに張り付いているからと。

 ゼノの部屋ならともかく、ここで話すのは危険だろう。


「じゃあ、クライツの魂を見てみましょうか」


 そう言って目元に手をやれば、慌てたようにクライツが止めた。


「後で! それは、後でお願いします。今はちょっと」

「なによ。意気地なしね」

「この後師匠も来るんですよ。万が一驚く内容があった場合、平静でいられないかもしれないので」


 クライツはそれほど衝撃的なことが刻まれているかも、と警戒しているわけね。

 ならば本当はアザレアとの事にはもっと前から何か勘付いていたのかも知れない。ハインリヒがゼノの担当者に指名するぐらいだ。優秀には違いない。


「わかったわ。誰にも覗かれないゼノの部屋で、クライツの覚悟が決まったら見ましょう」


 リタの言葉に「そうして下さい」と胸を撫で下ろすクライツを、ほほほと笑いながら見るモーリー夫人からはまだ少々の圧を感じるが、それはリタの知ったことではない。


 箱庭に行った事もあり、フィリシアとも親しかったというアザレアが、ウサギとオオカミは別だと言うなら本当に別人なのだろう。アザレアは何故今になってその情報を表に出したのだろう?それもゼノではなくクライツに。

 オオカミの被り物をしたデュティには、リタは会っていない。会えば違いがわかるだろうか。アザレアは聖女の力で知ったのか、それとも親しかったから知ったのか。

 疑問はいくつも出てくる。

 ウサギのデュティとオオカミのデュティが別人なら、もしかしてオオカミは、あの人物なのだろうか。リタが名を呼ぶことが出来なかった、フィリシアの横に並んで記されていた人物。


 ――アルベンスデューティリート


 * * *



 その呼び鈴にいち早く反応したのはサラだった。

 サラは、夕方と呼ばれる時間帯になってから玄関近くに陣取っては、まだかまだかとうろうろしていたのを、ゼノに首根っこを掴まれてリビングに座らされた。

 その様子が可愛らしくて、リタとアーシェはくすくす笑いあい、サラの気を引くべく話を振ってはみたものの、気はそぞろで全然聞いていなかった。そのトンチンカンなやりとりがおかしくて周囲にいた弟達もくすくす笑っていた。

 サラにとってはゼノやアーシェに次いで大事な人なのだろう。リタも元聖女でフィリシア様の仲良しとあって、実のところ少々緊張していた。


「お師匠さま!!」


 ドアを開けて飛び出したサラの後をモーリー夫人がゆっくりと追っていく。

 リタとアーシェも出迎えるために立ち上がった時、「ぴゃっ!」というサラの短い悲鳴の後、「お師匠さま!!」と嬉しそうな声が聞こえてきた。


 さては、最初にいたのはハインリヒだったのね。


 勢いよくドアを開けて、目の前にいたのがハインリヒならさぞや怖かったろう。

 玄関口でモーリー夫人やハインリヒが小さく笑う声がするのに混じって、どちらかと言えば低めの声で「相変わらず落ち着きがないね」と呆れを含んだ言葉が聞こえた。


「サラは懐いてるみたいだけど、どんな人なんだろ?」


 すぐ横にアインスもやって来て玄関を窺う。

 確かに『アルカントの魔女』などと言われれば、気になる気持ちはわかる。


「癖はあるけど、普通に綺麗な女性。見た目はお父さんより年下よ」


 くすくす笑いながら、アインスとは反対側に立つアーシェの言葉にリタとアインスも驚いた。


「綺麗な女性! いいわね」

「ゼノより若いのか」

「見た目はね。年齢はお父さんよりも上で六百年は生きているはず」


 六百年! なんかもうどこにツッコんでいいのかわかんね~!とアインスが声をあげた時、モーリー夫人とハインリヒがリビングに入って来た。テーブルに座ったままのゼノに軽く手をあげ、それから続く人物を示すようにリビングの入口を振り返った。すぐに腰にサラを巻き付けたままの状態で、一人の女性が部屋に入って来る。

 エキゾチックな雰囲気の美女だわ、と興味津々にリタがアザレアを見つめたその時、彼女と視線が絡んだ。

 途端。


「――えっ!?」


 突然、自分の中から力が引き出される感覚。


「ちょ、ねーちゃん!?」

「リタ!?」


 アインスやゼノの呼ぶ声が聞こえたが、もう止まらない。

 何かに同調するように、急にリタの力があふれ出して、黄金(きん)色の力がリビングに降り注いだ。

 癒やしとはまた別の、これは魂を読む力だ。

 強制的に力を発露させられた感覚。

 第三盟主に瞳を覗き込まれて何かを読まれた時と似ている。


 どうして今……!? なぜ急にこの力が引き出されたの!?


 何かに触発されて引き出されたということぐらいしか、リタにはわからない。


「馬鹿なっ……なんだって今……!!」


 周囲の魂情報が勝手に飛び込んでくる中、同じように目を見開き、愕然とした様子で叫んだアザレアの琥珀色の瞳が白っぽく光り輝いている。リタが力を使うときと同じだ。

 そのアザレアは何を見て驚いているのか。

 リタではない。

 だが、リタの方を見て顔色が変わるほど驚いているのはわかる。

 クライツのこと?

 いや、今更クライツを見て驚くなどありえないはずだ。


 だがそれよりも何よりも――


 周囲の者の魂の情報が入り乱れるようにリタの中に飛び込んでくる。


 ちょっと……これどうなってるの? まさかみんなに見えたりはしてないでしょうね!? というよりも……待って!ちょっと待って!一気に示されても――!


 情報過多で目眩がしてくる。頭を抱えてその場にうずくまれば、誰かにぐいと体ごと頭を抱え込まれた。その体格からゼノだとわかる。


「ねーちゃん!」

「お師匠さま!」


 アインスとサラの叫び声が聞こえる中、視界が遮断されたからか、ようやくリタも落ち着いてきた。息を整えて小さく息を吐く。静かに目を開けてそのまま力を抜いてゼノに寄りかかった。


 ちょっとゼノの腕の中で落ち着くというのは癪なんだけど……多分これは前世の記憶からくる安心感ね。


 前世でも度々力を暴走させた時、こうやって落ち着かされた。暴走の種類によってはゼノが傷つくこともあったのだが、そんな事まったく気にせずに、いつもこうやってリタの暴走を押さえてくれたことが、こんな時ながらに思い出された。


「……ありがとう、もう大丈夫よ」


 ふう、と大きく息を吐いてゼノから身を起こし周囲を見れば、リタの側にはアインスやドゥーエがいて、アザレアの側には――クライツがその肩を抱きしめ体を支えていた。アザレアの顔色は真っ青で心なし震えているようにも見える。そのアザレアを、サラとアーシェが心配そうに膝をついて覗き込んでいた。


 ……え!? まさか、私のせい!?


「ご、ごめんなさい! 大丈夫かしら!? 私の力が暴走して……」

「……いや」


 慌てて謝ったリタに、アザレアは静かに頭を振った。


「お前さんのせいじゃないよ……参ったね、こういうことか……。恐らく、その暴走はあたしのせいだ。悪かったね」

「え……?」


 逆にアザレアに謝罪されて、リタは戸惑うように彼女の様子を窺った。

 未だ動揺を隠しきれないアザレアの指先が震えている。


 そういえば、彼女は何に驚いていたのかしら。


 暴走状態は落ち着いたが、意識を向ければ魂を読む力は自然に発動されるみたいで、先程よりも落ち着いて状況を窺えた。

 アザレアの魂に刻まれた内容。

 そのすぐ横にいるクライツの情報。

 サラやアーシェ。ハインリヒ、モーリー夫人。


 ……この程度の力でも、見ることが出来るのね。


 今自分の瞳はまだ黄金(きん)色に輝いているのだろうか。

 アザレアの瞳は琥珀色に落ち着き、輝きは収まっている。


「何がどうなっているのか、私にもわからないわ……でも、そんな事よりも」


 何故突然、リタの意志を無視して力が引き出されたのか、そしてその力が暴走したのは何故なのか、それがどうしてアザレアのせいなのか、アザレアは何に驚いたのか――気になることはたくさんあった。

 だがまず何よりもリタが気になったのは。


「剣聖の……剣聖の保護者ってなにーーーーーーーっ!?」



 * * *



 とりあえず、ここから先の話はゼノの部屋で行おうというハインリヒの提案で、ゼノ達一家とハインリヒ、クライツ、そしてアザレア、リタ、アインス、トレ、オルグが二階へ移動した。アインスとオルグが一緒なのは、ハインリヒがパーティメンバーは情報共有をしておいた方がいいと言ったからだ。

 ゼノの部屋には応接セットが設置してあるしそこそこの広さがあるので狭くはないが、全員が座れるわけでもない。

 アインス達とアーシェはゼノのベッドに腰掛け、ソファにはゼノ、ハインリヒに向かいあう形でアザレアとアザレアに張り付いて離れないサラが座った。リタはゼノの横に、クライツはテーブルの端にそれぞれ椅子を置いて座っていた。


 今はリタも力を押さえている。だが、椅子を取りに自室に帰った時、魂を読む程度であれば、発動しても瞳が光らなくなっている事を確認した。


 より繊細な力の使い方を覚えたということかしら?

 アザレアに会ってから疑問は尽きない。


 モーリー夫人によって用意された紅茶をひと口飲んでから、ふう、と小さく息を吐いた。

 アザレアの様子もどうやら落ち着いたようだ。


「ふむ。どうやら二人とも落ち着いたようだな。先程の事象の説明をしてもらえるかね、アザレア」


 ハインリヒがコーヒーカップをテーブルに置いて、静かに問いかけた。

 リタにはまったくわからないが、アザレアは確かに自分のせいだと言ったのだ。


「そうさね……まず、リタ、と言うんだったね。黄金(きん)の聖女は」

「ええ。リタ=シグレンよ。黄金(きん)の聖女というのは前世の呼び名で、本当はあまり好きじゃないの」

「そうなのか?」


 リタの告白にゼノが驚きを返す。


「ええ。私にとっては聖女はフィリシア様お一人。だから、実を言うとハインリヒが考えてくれた、フィリシア様の御使いという名称はとても気に入っているの」


 この力を授けてくれた女神様には悪いけれど、女神の聖女よりもフィリシアの御使いのほうがリタは嬉しい。


「今でもフィリシアの事が好きかい?」

「もちろんよ!!」


 アザレアに問われて、リタは笑顔で力強く答えた。

 フィリシアはリタにとって何があろうとも一番大事な人だ。それは、アインス達家族やゼノ達に向けるものとは根本から異なる。強いて言うならば――信仰に近い。まさしく、リタにとってフィリシアは女神様に等しい。


「そうかい……それは、フィリシアも安心するだろうね。お前さんを一人残すことになって、酷いことをしたとかなり悔やんでいたから」


 フィリシア様が……!


 その言葉に口許を覆って、思わず目を閉じた。

 フィリシア様が、私の事を気にかけて下さっていた……!それを知れただけでもう十分だ。私は見捨てられた訳じゃなかった……!!


「……ありがとう、アザレアさん。その事が知れただけで……私はとても幸せ。ああ、でも悔やまれることなんてないのに。フィリシア様の選択なら、どんな事でも全面的にサポートするし、平気だもの……!」


 感極まってうっすら涙ぐんだら、隣から呆れたようなため息が聞こえた。


「お前さん、ちっと落ち着けよ。前世と今世は違う。――まあ、大事にするのは止めねえが、前世の気持ちに引き摺られる事なく、ちゃんと判断しろよ。お前さんはシグレン家の長女なんだからな」


 箱庭の庭園で言われたのと同じような事を言われ、リタの涙も引っ込んだ。

 ゼノに言われると冷静になる。


「……わかってるわ。フィリシア様は私にとって信仰に近い気持ちだけど、弟達のことだって大事だもの」


 だが嬉しかったのは事実だ。フィリシアはリタの事をちゃんと覚えていて気にかけてくれていた。今はその事実だけで幸せだ。


「ふむ。まあ、君のフィリシアや女性讃歌は耳慣れたものだ。それで? 先程の事象について説明を頼めるかね」


 リタの様子を目を細めて見ていたアザレアは、ハインリヒの言葉に軽く目を閉じた。


「あたしが元聖女だって事はここにいる者は全員知っているね。今はその力が失われているということも」

「ああ、知ってる――フィリシアに並ぶほどの力を持ってた、とデュティからは聞いてるぜ」


 さらりとゼノがデュティから聞いた事実を補足したのを、少し躊躇ってからアザレアは頷いた。

 フィリシア様に並ぶほどの力を持っていたというならば、リタよりは聖女の格は上だったのだ。アザレアの魂には色は刻まれてはいなかったが、そもそも色を纏うのが前世の世界だけの特徴なら、こちら生まれのアザレアには存在しなくても不思議ではない。


「あたしが失った……正確には封じた力は、聖女の癒やしと浄化の力だ。魂を読む力は今も持っているんだよ」


 アザレアの語った言葉に、リタは目を瞬いた。


 ()()()()――? 封印を解けばまた使えるということ? だったら「元」聖女でなく今でも「聖女」になるんじゃないの? そもそも何故封じる必要があったというの?


 話を聞けば聞くほど疑問ばかりが生じてくる。


「……ふむ。なるほど。――つまり、君は先程その力を使い、それをリタが増幅したということかね」

「え!?」


 何から導き出してそうなったのか、確認するように尋ねたハインリヒを、リタは驚きの声を上げて見遣った。


「ははぁ……なるほど」


 と、何故かゼノまで納得している。


「どういうこと?」


 意味がわかっているのは三人だけのようで、クライツも微かに眉根を寄せて黙って様子を窺っている。


「お前さんの力は、白の聖女の力を強めることが出来るんだよ――ああ、違うな。強めることも、弱めることもできた筈だ」


 白の聖女の力を強めることも弱めることも出来る――私が、フィリシア様の力を?

 いえ、この場合は、アザレアさんの力を増幅したと……?


「アザレアがこの世界の白の聖女と同等の立場だと言うなら、確かにあり得るな」


 一人納得するゼノをジト目で睨みつけた。

 リタが知らないリタの力をゼノが知っていると言うことは、つまりはそう言う事だ。


「それ、前世の知識よね?」


 言ってやれば、目に見えてゼノが狼狽えた。

 危険だから思い出さないとか言いつつも、こうやってポロポロこぼしているなら意味はない。


 どうせならフィリシア様の事を思い出して語ってくれたらいいのに。

 リタの思いはぶれない。


「出所はともかく、そのようだな。増幅は理解出来たが、リタの力が暴走しているようにも見えたのは何故だね。彼女が以前、第三盟主に似た事をされた時、眼の色が変わる程度の症状だったと記憶しているが」


 ハインリヒはゼノとアザレアに視線を投げながら尋ねた。どうやらこの件で、リタは何もわからないと判断されたようだ。

 第三盟主にも何かを覗き込まれた時、確かに力は発動した。無理矢理魂を読まされた。あれと同じ事が起きたと言う事だ。


「恐らく……彼女はまだ聖女の力の扱いに慣れていないんだろう。だから自身に使われた力を、そのまま引き摺られて力をふるった。あたしの放っていた力が全力だった上に、それを増幅した分の力を無理矢理ふるわされて暴走に近い状態になったんじゃないかね」


 説明を聞けば、結局リタが未熟だったからになる。

 むむ、と低く唸れば、苦笑したゼノに頭をぽんぽんと叩かれた。


「ちゃんとその力を使い出したのはここ最近だろ。仕方ねえよ、上手く使えなくても」

「……何故かしら。ゼノに言われると悔しいわ」

「そりゃあ……まぁ、いいじゃねえか」


 多分この感情も前世からくるもので、ゼノには思い当たる事があったのだろう。深く追及はしないが。


「ふふ……思った以上に仲が良さそうで安心したよ」


 むう、とふくれっ面でゼノを睨み付けていると、アザレアが酷く優しい目でこちらを見つめていて、リタは少々バツが悪く感じて座り直した。


「ふむ。アザレアは常に初対面の相手の魂を読んでいるという事か」


 酷薄な笑みを口許に履いたハインリヒの言葉に、アザレアもがらりと纏う雰囲気を変えて鼻で笑った。


「持ってるものは何でも使う。――お前さんだってそうだろう?」

「違いない」


 ビシバシと二人の間に飛び交った険に慄いたのは、リタだけでなくベッドに腰掛けこちらの様子を見守っていたアインスやトレ達も同じだったようだ。

 声を上げずに固まったのが見て取れた。


 この二人、仲が悪そう……!!

 剣聖の保護者と守護者って、それぞれどういう立場なの……??


 聞いてみたい気もしたが、ちょっと今はそんな雰囲気ではなさそうだ。


「それで、君はゼノの保護者だったか」


 話題を変えようとしたリタより先に、どこか皮肉るようにハインリヒが告げれば、非情に嫌そうにアザレアが顔をしかめた。


「冗談はよしとくれ。あたしがなんでこんな脳筋の保護者なんだい」

「俺だってお前を保護者に持った覚えはねえよ」

「だが、リタが読んだのだ。間違いはなかろう」


 そうだな?と視線で問われて、思わずリタは思い切り顔を逸らした。

 人様の魂に刻まれた情報を、本人の許可なく漏らしてしまったのは明らかにマナー違反だ。やっていいことではない。

 あまりの衝撃に思わず口走ってしまったけれど、これはハインリヒにもアザレアにも怒られる類いの失態だ。それがわかっているので視線を合わせるのが怖い。


「……まあ、コレの祖父ザイツに託されて魔境に連れて行ってから、ずっと面倒を見たのは確かだがね」

「ほう。罠に嵌めて利用するのが面倒を見ることになるとは、魔女と我々の感覚には些か隔たりがあるようだな」

「田舎のガキに世間の厳しさを教えてやったのさ。お前さんのように手を貸すばかりがいいとは限らないだろう」


 怖い怖い怖い……! 仲が悪いの確定ね……!!


 ここまで一緒に来たくせに、こんなに仲が悪いとは聞いてないわよ……!

 クライツは知っていたのかとテーブルの端に座る彼を盗み見れば、クライツは遠い目をしていて、すでにこの場を放棄しているようにも見える。

 でも会話の内容から考えると。


「なんだか子供の教育方針で喧嘩する夫婦みたいよね」


 ポロリと口をついて出てしまった言葉に、ハインリヒとアザレアから射殺さんばかりの視線で睨まれて、思わず口許を押さえて仰け反った。


「……リタ、お前さん本当に剛毅だよな……俺でもこの二人相手にそれは言わねえ……」

「リタ姉さん……」

「ねーちゃん……」

 ゼノとトレ、アインスに心底呆れたように言われてリタは小さく呻いた。



 


いつもご覧いただきありがとうございます。

先週の木曜日は更新を諦めました。今後も木曜日は予告なく更新をしないことがあります…。

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