(八)お届けするまでがお仕事です
1月1日に小咄を投稿しました。(この話のひとつ前にあります)
「(小咄)お勉強をしよう」の翌日、女性陣で買い物に出かけたお話で、読んでなくても本編のお話しに影響はありません。
ゼノが帰ってきたのは、リタがアーシェやアインス達と一緒に今後の方針を練っていた時だ。
午前のうちにクライツ達と合流すべく、転移陣のあるドーナの街で待ち合わせてそのまま魔族を斬りに行っていた筈だ。リタは目的地がどこかをきちんと知らなかったが、帰りがこんなに早いとは思わなかった。
本当にちゃちゃっと行って、ちゃちゃっと帰ってきたのね。
魔石三十個をこれほど短期間で入手出来る実力に、もはや感心するより呆れの方が強い。
だが、帰ってきたゼノはどこか難しい顔をしていて、リタは首を傾げた。
「魔石は獲れなかったの?」
「え?いなかったの?魔族」
リタの質問に、驚いたようにアーシェが尋ねた。
獲れない=魔族がいなかった、になるのかと横でアインスがぼそりと呟いたのが聞こえたが、ゼノに限って言うなら、確かにそれしか考えられないわねとリタもアーシェに内心で同意する。ミルデスタに向かう道中、ランクA魔族を瞬殺した姿は今でもリタの脳裏に焼き付いていた。
ゼノは頭をガシガシとかきながら、「いや」と短く答えた。
「物は問題ねえ。頼まれた個数以上をとって、ちゃんとポーチに放り込んだんだが……受け取ってねえ」
「そういえばゼノのポーチは箱庭と繋がっていたわね。気づいてないとか?」
「アイツに限ってそれはねえ」
リタの言葉をキッパリと否定するゼノに、サラが首を傾げた。
「ちゃんと手渡ししてってことじゃないの?ウサちゃん寂しがってたじゃない」
――ああ!
サラの言葉にゼノもリタもぽんと手を打った。
そう言えば箱庭から帰るときにもごねていた。直通転移陣の設置を危ぶんでいるのかとも思ったが、その時もサラに寂しがってると指摘されたのだ。
「そう言えばポーチに放り込んで終わりでしょって、むくれていたわね」
それを思い出し、ふふっとリタは笑った。
どうしてあんな大量に魔石を必要とするコテージなんか提供してくれるのかと思ったら、これが狙いだったのかとおかしくなったのだ。
「じゃあゼノ。私と一緒に箱庭に行きましょうよ。デュティを安心させてあげなくちゃ。ちゃんと忘れてないって」
ついでにジェニーやカレン、箱庭のご婦人達にお土産のお礼も渡したい。
「まあ、そう言うことなら一度行くか。じゃあアーシェ達も――」
「私たちは次の機会にするわ。今は、アインス達と一緒に冒険者クラスをあげておきたいの」
ゼノが言い終わるよりも前に、アーシェが先に断った。
「クラスってお前――そんな簡単にあがらねえだろ?」
「EからCぐらいなら割と簡単に上がれるわよ。四人ならその実力はあると思うわ」
戸惑うゼノに、リタが太鼓判を押す。
リタも父ケニスと共に依頼と実践を重ねて順調にクラスを上げていった。ベアトリーチェの話によると、四人の実力なら規定の依頼数をこなせばCまではそこまで時間がかからないとのことだ。ギルド職員の彼女が言うことなら間違いない筈だ。
「せめてそれぐらいになっておかないと、周囲への牽制もきかないの」
「牽制なら俺が――」
「いつだってゼノが側にいるわけじゃないだろ。大丈夫。無茶はしねーよ」
途端に心配顔で主張するゼノに、アインスが手で制止しながら告げるがゼノは不服顔だ。それにリタが苦笑しながら、「大丈夫よ」と宥めた。
「今日四人の様子を見たけれど、問題ないと思うわ。それに、ベアトリーチェがちゃんと気にかけてくれているから大丈夫よ。彼女、とても優秀なギルド職員だもの」
女性であることの贔屓目を抜きにしても、ベアトリーチェは優秀だ。さすが本部のギルド長付き職員だと思う。アインス達が本部に移ってからの依頼状況もその間にちょっかいをかけようとした者のこともすべて把握した上で然るべき処置を行っている。
表だってアインス達に付いていない時でも、ちゃんと状況は把握していたのだ。
そのベアトリーチェが、四人のことはちゃんと見ておくと請け負ってくれた以上、心配はいらないとリタも思う。
「それはそうだが……」
なんでリタもそっち側なんだ、とどこか恨めしそうな顔で睨まれたが、リタは笑ってかわした。
――対等な仲間として背中を守れるようになりたい
アーシェのその言葉が、自分ではなくゼノに向けられたものだとリタにもすぐにわかった。それを聞いた時、リタは何故か泣きそうになるほど嬉しかったのだ。
良かった、と思った。
ゼノの一番身近な家族は、ゼノを支えたい、共に戦いたいと願ってくれる人なんだということが一番嬉しかった。
だったら、その彼女達の手助けをしてあげたいと心から思ったのだ。だからゼノのために頑張ろうとしているアーシェ達を全力で応援することに決めたのだ。
ゼノは心配かもしれないが、リタはいつだって女性の味方である。
「それに、アインスは慎重だから無茶はしないわ」
「そうだぜ、ゼノ!アインスの判断はいつだって正しいぞ! ちゃんとアインスの指示に従ってたら、オレ失敗しねーもん!」
ぱあっと笑顔でオルグがリタの言葉を後押しすれば、「うえっ!?」とアインスが変な声をあげたが、アーシェとサラもうんうんと頷いた。
「私もそう思う。アインスはブレないし判断が的確だから信頼がおけるの」
「うん。いいリーダーだよね。さすがリタさんの弟」
アーシェとサラにも手放しで褒められて、アインスが変な声をあげながら頭を抱えてテーブルに突っ伏した。
前はもう少し頼りなかったのに、教会の件があってから一皮もふた皮も剥けたとリタも感じる。何より、ギルド職員やハインリヒが信を置いてくれているのがリタも誇らしい。
――待って。 まさかハインリヒの中では、私はアインスよりも下じゃないでしょうね?
リタがその事実に気づきそうになった時、ゼノの大きなため息が耳に入った。
「アーシェがそこまで言うなら間違いねえだろ。――俺も先の件でアインスの事は認めてる。――そうだな。お前さん達の言う通りだ。わぁったよ。任せた。だが、本当にマズイ場合はちゃんと頼れよ」
ガシガシと頭をかきながら、まだどこか不承不承といった体ながらも、ゼノもそれ以上この件で口を挟むのを諦めたようだ。
そうよ。アーシェを信頼しているなら認めるべきなのよ。
ゼノの言葉に力強くアーシェやサラ、オルグが頷き返すのを見てゼノも静かに頷き返した。アインスもテーブルから顔を上げて神妙な表情で「わかった」と返した。
「あのね、ウサちゃんにはお姉ちゃんと一緒にお礼を用意しているの。だから今回はそれを渡して欲しい」
「あ!それなら私も箱庭のご婦人方に渡すものがあるから、行くのは明日以降にして」
そうと決まれば今から準備を始めなければ。
粗方話は終わっていたので、今後の作戦会議は一旦お開きとし、アーシェやサラ達もデュティに渡すものを整理しに部屋に戻って行った。リタも食材を確認しにキッチンに向かう。
「おねえちゃん、何か作るの?」
ひょこ、と顔を覗かせたシェラに、リタは笑顔で告げた。
「今夜はグラトーフェ。たくさん作るから、みんな手伝って!」
* * *
翌日、昼食を終えたリタとゼノは、準備を整えてゼノの部屋にいた。アーシェとサラ、そしてアインスとトレ、モーリー夫人も一緒にいる。
ハインリヒに直通転移陣の話が知られた後、モーリー夫人とアインスとトレにはきちんと説明しておいた方がいいと言われ、アルトの許可を得て説明している。他の弟達は外部に知られると家族に危険が迫る、知らないことが身を守るとハインリヒに脅されたものだから、常なら知りたがるのに、みんな怖がって「ねーちゃん達が使う時は近寄らない!」と怯える始末だ。あのドゥーエですら「にーちゃんとトレだけが知ってればいいだろ!」と涙目で拒否するぐらいなのだから、ハインリヒの脅しは相当効果があったようだ。
まあ、それもこれも一度本当の危険を知ったからでしょうけど。
だが箱庭関係は本当に危険度が跳ね上がるので、弟達は余計な事を知らない方がいい。それでもこの家を守る立場のモーリー夫人と長兄のアインス、知恵働きのできるトレが知っていれば、いざという時にはなんとかなるだろう。
いずれもハインリヒの信頼を得ている者達だ。
何かあった時にはこの部屋に逃げ込むようにとの話だけは他の弟やオルグにもしてある。
「魔法陣は誰か一人が魔力を流せばいいのかな?」
身体強化をして部屋の中央に立つリタの足元に現れた魔法陣を、マジマジと見つめながらアーシェが首を傾げれば、どうだろうな、とゼノも首を傾げた。
「魔法陣に使用者の名前が魔術文字で刻まれているの。魔力で判別するなら、別々か同時かじゃないかしら」
「じゃあ、俺の右手のも切るか」
「え、離れてくれる?」
触れるだけで魔道具を壊したのを目の当たりにしたリタとしては、その状態で近づかないで欲しい。何かの拍子に触れてポーチや何かが壊されてはたまったものではない。
「人をバイキンみたいに言うなや!?」
「もっとタチが悪いわよ。ヘスのゴーグルが触れた瞬間に破裂したの、忘れてないんですからね」
リタに冷ややかな視線で言われれば、ゼノも小さく呻いてそっぽを向くしかない。自分ではコントロール出来ない件だ。
「転移陣に魔力を流すために、全魔法無効化状態にする? なんで??」
「知らねえ」
魔法無効化状態がどういったものかアインスにはわからなかったが、右手の魔法陣で転移陣を使えるようにしてもらっていた筈だ。それを切る、というのは逆ではないのかとアインスは思ったのだろう。
「普通にしていると私でも見えないけれど、ゼノは魔力を常に鎧のように――防御結界のように纏っている状態なのよ」
「へ? それって、常に防御されているってことか?」
リタの説明にアインスが驚いて振り返れば、アーシェもこくりと頷いた。
「昔アザレアさんから聞いたことがあります。お父さんは膨大な魔力を垂れ流す状態になっていて、それが防御結界のように全身を包んでいると。お父さんに魔法を通そうと思ったら、纏う魔力以上の魔力でなければ無理だって。右手の魔法陣は、転移陣と魔道具の魔力に影響を与えないように調整しているって」
アーシェの話は、ゼノが魔法攻撃を受けた時にリタが見た状態と一致している。やはりそういうことだったのだ。
「あ~、そういうことだったっけな」
「この話を聞いた時、お父さんもその場にいたでしょ?どうして覚えてないの」
自分の事なのに、と咎めるようなアーシェの言葉にサラが苦笑し、ゼノはそっぽを向いた。
こうしていても普段は見えない。攻撃魔法に反応してリタは見えたが、あの場にいた魔術師には見えていないようだった。ヘスですら見えていなかったようなので、誰にでもわかる魔力の暴走時とも異なるということか。
元聖女のアザレアにはそれが見えていたというならば、ゼノのそれがわかるのは「聖女」であることが関係しているのか。
気になる点ではあったが、正直今はどうでもいい。
そろそろ鍋を掴んでいるのも疲れてきた。
――そう。リタは両手で鍋を抱えていた。
周囲から非常に冷たい目で見られるのをスルーして、昨夜作ったグラトーフェを鍋に入れた状態で抱えていた。
前回箱庭に行った時、町のご婦人方と料理の話をしてぜひ食べてみたいと言われたから、リタは昨夜家の分とご婦人方に渡す分とを大きな寸胴に作ったのだ。レシピもまとめて、必要な香辛料も午前中にわざわざ買い揃えてきた。
さすがにこの鍋をポーチに入れるのは抵抗があったので、こうやって手に抱えているのだ。
アインスの諦めたような表情とトレの非常に冷たい眼差しなど、ご婦人方の笑顔を想像すればいくらでもスルー出来る。
「とりあえずこの状態で私が魔力を流すわね」
身体強化の状態から、魔法陣を発動するために魔力を流す。
流す魔力量はそこまで必要はなさそうで、すぐに転移陣が淡い光に包まれ、瞬きの後には、目の前の景色が変わっていた。
あの大きな門を潜った後の部屋――箱庭の転移の間だ。
白い壁に青く透き通った美しい空間に心が洗われる。
「本当に箱庭に転移できるのね……」
「勿論だよ」
ほう、と感心したように呟いたリタの言葉にデュティの声が重なり、リタは声のした方を振り返った。
そこには、白ウサギの被り物をつけた黒いローブ姿のデュティが、片手をひらひらと振りながら立っていた。
――今日は白ウサギの笑顔バージョンなのね
前に来たときは黒ウサギだった。彼の中でどのように使い分けているのかはわからないが、被り物を外すという選択肢はやはりないらしい。
「転移陣、ちゃんと使ってくれたんだね」
「ええ。ゼノもすぐに来るわ」
青い床に描かれた転移陣から移動しながらそう告げれば、デュティが不思議そうにリタの手にある寸胴を見ていることに気付く。
「これ?これはグラトーフェ。私の出身地域の家庭料理よ。うちの家族の大好物だって話をしたら、町のご婦人方が興味を持って。折角だからお土産のお礼に作ってきたの」
少し鍋の蓋を開けて見せれば、ふわりと食欲をそそる香辛料の香りが広がる。それにデュティが食いついた。
「うわぁ、いい匂い! ぼくもそれ食べてみたい!初めてのお料理だよ!!」
「だったらぜひ食べて。あなたにも色々お世話になってるもの」
「やった!」
と喜ぶデュティはまるで子供だ。弟達と大差ない。
フィリシアの力の籠もる精華石に、アーシェ達への手厚いプレゼント。箱庭の住人とふれ合うことも許してくれたし、コテージで快適に過ごさせてもらった。なにより――フィリシアが眠るこの地を守っている。
どれだけ胡散臭く見えても、やってくれている事に感謝しかない。
何より女の子や女性に配慮しているデュティは、リタの中での好感度が非常に高い。
リタが喜ぶデュティを微笑ましく見つめていると、背後で魔法陣が光を帯びてすぐにゼノが現れた。
「お~! 本当にここに着くんだな」
感心したように呟いて現れたゼノは、右手の手袋を外した状態だ。転移陣の上に立っていたその間は、ゼノを覆う魔力をはっきりと目にすることが出来て、リタはひくりと頬を引き攣らせた。
――待って。なんなのこの魔力量
盗賊の根城で見た時よりも、漏れ出る魔力量に格段の差がある。
その力に畏れを抱くほど。
なるほど――盟主の攻撃も通さないと言うのもどうやら間違いなさそうだ。
ここまで魔力が多いのはゼノ本来の資質なのか、はたまた加護の関係か。
そこまではリタにはわからなかった。
「お帰り、ゼノ」
「おう。――いや、マジでこことは思わなかったぜ。ひょっとしたら外の大門かと思ってたんでな」
ごくりと息を呑み圧倒されるように身を引いたリタの様子には、ゼノもデュティも気付かなかったようで、二人は和やかな雰囲気で話している。
「あそこは箱庭の外だから」
ゼノは手の甲の魔法陣を起動させてから手袋をはめると、ポーチからじゃらじゃらと魔石を取りだした。
「それじゃ用事は先に済ませとくな。ほら、魔石」
「それは帰りにもらう~」
ぷい、とそっぽを向いて転移の間の扉に移動するデュティに、は?とゼノが間抜け面を晒していたが、リタは苦笑するしかない。
「あ、その鍋ぼくが持つよ」
重いでしょ?と気遣ってくれるのはさすがである。
「……なんだってんだよ……」
ぶつぶつと愚痴りながら後に続くゼノに、どうしてわからないのかしらとリタは苦笑しながら肩を叩いた。
「転移の間で用事を済まされて、はいさよなら――なんてことをされそうで心配だったんでしょ」
せめてここを出てから話せば良かったのに、とリタに告げられゼノは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
「ここまで来てそんな事はいくら俺でもやらねーってのに」
ゼノは小さな声で文句を言い続けているが、どうやらその点においてはデュティの信用がないらしい。
過去に似たことをやらかしたか、うっかり忘れた事があったんじゃないのと思ったが、口には出さなかった。
「うわあ、リタさん! 約束通り来てくれたの!?」
寸胴鍋を抱えたデュティと共にカレンの食堂へ向かえば、お昼の忙しい時間を終えて店は休憩中で、中にはジェニー達や他の女性陣が集まっていた。現れたリタやゼノを見ると、笑顔で迎えてくれた。輝く笑顔にリタも満面の笑顔を返す。
ああ、なんて素敵な笑顔。癒される……!
先日まで汚らわしい山賊の相手ばかりしていて女の子成分が不足気味だったリタは、箱庭の女性陣の笑顔を浴びて今本当に幸せだった。
「こんにちは、ジェニー、カレン! 約束通りお土産持ってまた来たわ!」
わぁ!と少女達やその母親などご近所さん達からも、笑顔で「よく来たね」「嬉しいわ」と満面の笑顔で挨拶され、本当に幸せそうなリタの笑顔の眩しさに、デュティが思わずゼノの後ろに隠れるほどだった。
「眩しい……!」
「何が見えてんだか知らねえが、お前さんほんと難儀だな」
変わらないデュティの態度に呆れたような声をあげながら、ゼノは背後に隠れたデュティの首根っこを捕まえてぐいと押し出した。
「ほら、鍋を置いてこいよ」
「そうそう! 食べてみたいと言われたグラトーフェを作ってきたの!」
押し出されたデュティを見て、パンと手を叩きながらリタが告げれば、女性陣の目がきらきらと輝いた。
「まあ!嬉しい」
「リタさんの手作り!? わあ、楽しみ!」
「弟さん達の好物なんでしょう? 見せて」
「やだ、とってもいい匂い!」
「美味しそう!」
「これは食欲をそそるわね」
途端にわっと女性陣に囲まれたデュティがあわあわとしているが、鍋を抱えているので逃げられないようだ。鍋をテーブルの上に置けばいいのにとゼノは苦笑する。
「食べてみたい!」
「じゃあ温めましょうか」
カレンの母がデュティから鍋を受け取ろうとするのを、デュティが首を振って断ると、そのまま鍋を抱えてカウンターの奥の厨房に自ら鍋を運んでいった。
「ぼくも食べるからお手伝いするよ」
「まあ、ありがとう、デュティ」
「じゃあお皿だすわ」
「テーブル整える!」
一斉に動き出した女性陣に――リタはデュティについて厨房に行った――ゼノは呆れながらも、ジェニーや他の女性達がテーブルを動かして並べようとするのを手伝った。一瞬、リタの鋭い視線が飛んで来たからだ。これは手伝っておかないと後で言われるやつだな、と瞬時に悟ったがための行動だ。
昼食をとった後だろうに、女性陣はリタの作ったグラトーフェ試食会を始めてしまった。そこにジェニーの家のパンまで添えられているのを見て閉口する。
ゼノの用事の相手であるデュティがその中に楽しそうに混じっていては、ゼノとてここを離れる訳にもいかず、食事を辞退したら淹れてくれた紅茶を飲んでいた。ちなみにリタも紅茶を飲んでいる。
「――おいしい!」
「これは癖になる味ね」
「確かに大人も子供も好きそうな味だわ」
「香辛料の種類や量、材料で家庭ごとに味が違うの。これは母から教わったシグレン家の味なのよ」
美味しいと喜んで貰える姿を微笑を浮かべて見つめていたリタが、嬉しそうに告げる。
「レシピと香辛料もあわせて持ってきたから、ここで好みの味を作ってくれたら嬉しいわ」
レシピをしたためた紙と香辛料をカウンターの上にずらずらと並べだしたのを見て、ゼノは引いたが、カレンの母は目をきらりと輝かせた。
「これ、お店のメニューに追加してもいいかしら」
さすがは食堂を切り盛りする女性だ。このあたりは抜け目ない。実際に食べて美味しかったことと他の女性陣の評価、ひいては必要な調味料とレシピまで提供して貰えたなら当然のお願いだ。
「もちろんよ。次に来るとき、お店のグラトーフェが食べられるのを楽しみにしているわ」
リタもにやりと笑って返せば、周囲の女性陣も楽しそうに笑った。
「新しいメニューが増えるのはいいわね!」
「みんな喜ぶわ」
嬉しそうな言葉に、リタも気付く。
ここは箱庭。外界から新しいレシピも食材もやって来ることはないのだ。
当然、食事のメニューも増えないし変わらない。なのに彼らは外界の人々より長い時を生きるのだ。
それはともすれば食事の話だけではなく、他のことにも言えることなのかもしれない。
今回は料理であったが、外界からの情報は箱庭の中に住む人達の心になんらかの変化を起こしたりはしないだろうか。それは問題ないことなのか。
気になってチラリとデュティを盗み見たリタは、食べ終わった皿を手に幸せそうな様子でほわん、としているデュティにがっくりと肩を落とした。
――まあ、本人があの様子では構わないのかしらね
そういえばザックが冒険者になりたがっている、という話しを聞いても肯定的な感想だったことを思い出す。
外から人が来ることは拒んでいるが、住人が外に出ることは禁止していない。そして――命を落とすとその遺体は花に姿を変えた。
ハインリヒはそう言っていた。
そしてゼノが言っていた。箱庭に魔獣は出ないが幽鬼が存在する、と。彼らが何者かは知らないが『花盗人』だとデュティが言っていたと。
花とは――箱庭の住人の命のことではないか、とリタは考えている。
馬鹿げていると思いながらも、アルトが皇帝との謁見時に、外界の人間が考えるような不老不死の術など箱庭には存在しないと断言した。そして遺体が花になる者は、時間の経過が緩やかなのだと。そして、そうなった時点で違うのだと。――それは、人ではないということだろうか。
目の前で楽しそうにレシピで盛り上がる女性達を見つめながら、ぼんやりと考える。ならば、箱庭とは一体何なのか。何が目的で目の前の彼らは――
「あーーーーー!なんか美味そうなの食ってる!」
突然、元気な男の子の声が店内に響き渡って、考えに沈んでいたリタの意識が浮上した。
入口を見れば、ザックを始めとする少年達だ。
「ゼノがいるって言うから来てみれば」
「女子だけズルい!」
「俺達も食べたい!」
「いい匂い~」
この年頃の男の子はどこも同じだ。弟達と変わらない反応にリタもくすりと笑って、カレンの母を見た。みんな少しずつしか食べていないのでまだ残っている筈だ。
こんな味初めて食べた!おいしい!と男の子達も美味しそうに食べるのをカレンの母がこれはいける!と目をキラリと輝かせながら、リタはそんな彼らを微笑ましそうに見つめた。
みんなが粗方食べ終えたのを見計らい、こほん、と咳払いしてリタが立ち上がった。
「それじゃあ、子供達限定のお土産争奪戦をやるわよ!」
「は?」
「え~!なになに!?」
「面白そう!」
リタの突然の宣言に、ぼんやりと様子を眺めていたゼノが間抜けな声をあげたが、子ども達は途端に楽しそうにはしゃぎだした。
「今回、みんなにちゃんと行き渡るようなお土産と、特別なお土産を用意してきたの。その特別なお土産をかけて、みんなで鬼ごっこするわよ!」
「特別なお土産!?わぁ、なになに!?」
「それは勝った人のお楽しみ。ルールは簡単よ。この」
そう言ってリタが取りだしたのは羽のついたぬいぐるみ人形だ。
ゼノも見たことがないそれは、ルクシリア皇国で今流行っている子供の玩具だ。ふよふよ動くこの丸い人形プッピーは魔道具で、人の声や手を叩く音に反応して近寄って来る、というだけの代物だが、言葉を三つまで登録させて動かす事が出来るのだ。子ども達の間でペット代わりになっているらしい。
「この子を制限時間内に捕まえたチームの勝ち、としましょう」
「なにこれ?」
「可愛い!」
リタが手を離すと、その場で小さな羽をパタパタさせて浮いている。
「避けて」
と声をかけるとその場でさっと上に飛びあがった。
「伏せて」
ぐん、と急降下する。
その後リタが手を叩くとまたパタパタと羽ばたいてリタの所まで飛んで来た。
「避けて、で上に、伏せて、で下に急に動くわ。それ以外の言葉で近寄ってくるの。あと――もうひとつ言葉を登録しているんだけど、それは外で実際に試しましょう。お腹のこのマークに魔力を流して『お休みなさい』と言えば眠るので、眠らせた方が勝ちよ」
「おもしろい!」
「すげ~!!」
「可愛い~」
目をキラキラと輝かせて食いついてきた子ども達に、玩具がよく見えるように渡してやる。みんながきゃっきゃとはしゃぎながら人形を順番に触っては叩いたり声をかけて動かしてみたりと色々試している。
「これ、プッピーっていう人形なんですって。範囲が広いと大変だし危ないから、どこか公園みたいな所でやりましょう。何かのためにゼノも側に付けておくから大丈夫よ」
それは保護者たる婦人達に向けた言葉だ。この箱庭には幽鬼が出る。リタは詳しくはわからないが、遊びに夢中になってはぐれてもいけない。
「ぼくも参加していい? なんだか楽しそう」
いそいそと立ち上がったデュティに、「あなた大人でしょう」とリタが呆れたように言えば、子ども達は「いいけど、魔法禁止な」となかなか寛大だ。
「いいの?」
「だってデュティだもん。私達の遊び仲間だもの」
遊び仲間なんだ、とリタは少々頬を引き攣らせたが、そういえば花冠をもらったりしていた。精神年齢は意外と近しいのかもしれない。
そもそもデュティの本当の年齢だって知らないのだ。子ども達がいいと言っているならいいのだろう。
ちょうどいい場所があるよ、とデュティや子供達の案内でやって来たのは広場だ。ぐるりと背の低い杭で区切られた区間の中には塀やベンチ、ブロックなどちょっとした障害物があって、子ども達はここで普段身体を動かす遊びをしているという。
なるほど、ここなら鬼ごっこには最適だし、騒いでも誰にも迷惑はかからなさそうだ。
「いい? じゃあプッピーを放すわよ?」
そおれ!とかけ声と共にリタが空に投げれば、男女で分かれた子ども達が大きな声で呼びかけた。
「こっちよ!」
「こっちだ!」
大きな声で叫び、手を叩き、そのたびに丸い人形があちらにふらふらこちらにふらふら動き回る。それを追いかけ手の届く範囲になると、飛び上がって捕まえる。
「よし、捕まえた!」
がしっ!と人形の羽に触れたザックが叫べば「避けて!」とジェニーの大きな声で、ぐん、と急上昇して手の中から飛び出していく。
「うえ!?」
「ザックのばか~!」
急上昇した後はふよふよとまたのんびりと飛ぶ人形に向かって、リタが大声を張り上げた。
「走って!」
「へ?」
その声で、ふよふよと飛んでいた人形がぎゅん、と前方に勢いをつけてダッシュした。
「きゃっ!?」
「うお!?」
「これがもうひとつの言葉。上手に使って敵から逃して、自分達に有利にするのよ!」
よっしゃ~!負けないわよ! と子供達がはしゃぐ中、一際目を引くのが、のたのたのたと走り回る被り物をつけたデュティだ。
ひとりみんなから遅れてあちらこちらに走り回っている。
「……遅いんじゃない?」
思わずゼノに問えば、ゼノも目を瞬かせながら首を傾げた。
「あいつ、俺の背後を取るんだぞ? しかも背後に張り付いたら振りほどけないんだぞ?」
「……まさか、魔法で身体強化していたの?」
ええぇ、とゼノも遠い目をしてデュティを見つめる。
だが、ハッキリ言って皆よりワンテンポ遅い。
しかも既に肩で息をしていてしんどそうだ。
「……被り物のせい?」
「あ~……いやぁ、でも被り物がまったく揺れてねえから、さすがにアレの魔法は切ってねえだろ」
被り物の影響はない筈だ。だとすると。
……体力なさすぎでは。
なるほど。子ども達がこの事を知っていたのなら、仲間にいれてもいい、と承諾するのも頷ける。
二人が残念なものを見る目でデュティを見つめていると、ザックが人形を捕まえたようだ。
「デュティ!そっちに投げるからな! 走って!」
と叫んで人形を投げ飛ばした。人形はびゅん、と加速してデュティの方向に飛んでいった。
「わかった!」
ぬん、と両手を伸ばして飛んで来た人形を捕まえようとして――すかっとその手は空を切った。
次いで、ごつん、と人形が被り物にぶつかって、ぽとりと下に落ちる。
「……」
微妙な沈黙がその場に落ちた。
「――こっちよ! 走って!」
一瞬早く我に返ったカレンが大きな声で叫べば、下に落ちた人形がふよふよと浮き上がり、カレン目がけてびゅん、と加速した。
それをカレンが上手にキャッチする。
「捕まえたわ!」
「やった、カレン!」
「伏せて!」
人形を持ち上げた瞬間、コンが叫び人形がするりとカレンの手を離れて下に向かった。
「きゃん!」
登録した言葉に対する動作は、一瞬だ。
ずっと続く訳ではない。
だから、加速したあとすぐに失速して、カレンにだってキャッチ出来た。
デュティの所に飛んで来た時は、カレンがキャッチしたのと同じ速度だったのだ。
ふよふよ、ぎゅん、と飛び回るプッピー人形を追いかけ回す子供達から離れた所に、デュティが固まった状態で立ち竦んでいる。
「デュティ!もう一回行くぞ!! 捕まえたら離すなよ!」
捕まえたザックをジェニーが追いかけ回すのを器用に躱しながら、もう一度声を張り上げてデュティ目がけて放り投げた。
「避け――」
「走って!!」
ザックが大声でジェニーの命令を上書きすれば、人形は放り投げられた方向に向かってびゅん、と加速し失速してふよふよとデュティに向かって飛んでいく。
「えい!」
と叫んで伸ばされた手はまたしても空を切り、人形はそのままデュティの被り物にこつんとぶつかり、今度はその場でふよふよ羽ばたいていた。
デュティの目の前でふよふよ羽ばたく人形。
「わぁっ!?」
顔に張り付く形になったその人形にびっくりして大声をあげたものだから、人形はそのままデュティの被り物に張り付く状態でふよふよ羽ばたき続ける。
「あははははは! ちょ、デュティ、トロすぎだろ!」
「も~!笑わせないで!!」
「ええええ、取ってよ、これ!!」
子ども達が大声で笑うなか、人形に顔をぐいぐい押される形になったデュティが悲鳴をあげるが、子ども達は笑うだけだ。
その時、黒い影がさっと現れてデュティに飛びかかると、目の前にあった人形をさらっていった。その黒い影に突き飛ばされる形になったデュティは、盛大に尻餅をついた。
「わっ!」
「デュティ!?」
「――犬?」
離れた所で見ていたので、何が起こったかわかっていたリタは、きょとんと首を傾げた。
「ありゃ、ジェニーんとこのポチだ」
あいつまた脱走したんだな、とやれやれとどこか呆れた口調のゼノにリタも目を瞬いた。
ポチ?
尻餅をついたデュティの前には、茶色い大きな犬が人形を咥えて得意げに尻尾を振っていた。
「もーー!ポチ!!どうしてここにいるの!?」
「わん!」
ジェニーの声に一声返せば、咥えていた人形がぽろりとその口から落ちた。だがその声が大きかったので、人形は今度はポチに向かってふよふよ飛んでいき、その顔にぶつかった。
顔にぐいぐいひっつく人形を、いやいやをするように頭を振るが振り払えない。
尻餅をついていたデュティがよろよろと座ったまま体勢を整え、ポチの顔に張り付く人形を捕まえて上に掲げた。
「取ったよ~」
と叫べば、ようやく人形が顔から離れ、頭を一振りしたポチが、またも人形を狙ってデュティ目がけて飛びかかった。
「うわっ」
ポチに飛びかかられたデュティが、今度は地面にひっくり返る。その拍子に人形がデュティの手から離れた。
「わん、わん!!」
楽しそうに尻尾をふりながらまたも吠えるものだから、人形はポチの顔にふよふよと飛んで行く。
「も~返してよ!」
のそのそと起き上がり座り込んだままポチの顔の人形を取りあげれば、またもポチが飛びかかる。
「デュティ、ポチと同レベル……!!」
「なにやってるの……!!」
「お、お腹いたい……!!」
一人と一匹が繰り広げる攻防に、子ども達はその場に座り込んで大笑いしていて、もはや人形を捕まえるどころではなくなっていた。
その様子を離れて見ていたゼノとリタの二人も、なんとも言えない表情だ。
「……あいつ、鈍くさかったんだな……」
「……ふ、ふふっ……あははは! もう、なにそれ!」
デュティの様子がツボったのか、リタも大声で笑い出した。
バシバシとゼノの背中を叩きながら、お腹を抱えて大笑いする。
「ちょ、おま――いてーって!」
「だって、なんなの、あれ!」
二度も空振りした上に犬と取り合うなんて!
「だって、とても凄い魔道士じゃない!なのに、ふよふよ飛び回る人形が捕まえられないうえに、犬とあんな形で取り合うって……!!」
おかしすぎるでしょ!
と、ゼノの肩に縋って笑う姿に、子供達も笑いが止まらない。
笑いは連鎖する。
広場に広がる笑い声の中、白ウサギのデュティだけが、ポチとの攻防を繰り広げていた。
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお付き合いくださいませ。




