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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(七)お仕事を頑張る人達



「――来なかったの?」


 部下からの報告に、ルシーア=エスカルダ少佐は眉をひそめて口許に手をあて考え込んだ。


 どういうこと?彼らからすれば絶対に食いつかざるを得ない状況であった筈。――例えそれが罠だとわかっていても。


「……それで梟はどこに?」

「探していますが、あれからまだ見つけられていません」


 ますます訳がわからない。彼らにとっても期限(リミット)は明後日の筈だ。

 彼らが一枚噛んだ以上、何かしら引っ掻き回すに違いないと思っていたのに当てが外れたか。


「手を引いた?――それとも」


 他から情報を得られる算段がついたか。

 梟はいくつか手段を持っている。それこそ、帝国情報部ですら掴めない情報を、たやすく入手してみせるのが連中だ。歴史が古い分、張り巡らされたネットワークが広く深いのだろう。

 ルシーアはふ、と息を吐くと髪をかきあげた。


「かからなかったのなら仕方ないわね。折角ハインリヒの子飼いだという者に挨拶しようと思っていたのに」


 残念ね、と大して残念でもなさそうに呟くと、机の上にあった書類をゴミ箱の中に投げ捨てた。


「燃やしておいて。もう不要よ」


 言い捨て、椅子から立ち上がるとカツカツと足音を立てて部屋を後にした。後ろに付き従うのは腹心のオズモンド大尉だ。


「気付かれましたかね」

「可能性はあるわね。だったらもうここ(シュールデリア)に用はない。王家に張り付いている者を残して引き上げる」

「はっ」


 黒い軍服に身を包んだオズモンド大尉が踵を返して、シュールデリアに散っている諜報員に伝令すべく立ち去った。


 オルトロイス帝国の軍情報部に所属するルシーアがこの国にやって来たのは、シュールデリア王家と高位貴族の弱味を握るためだ。今回のバーンアイト家のお家騒動はどのような結末を迎えようとも帝国には問題ない。騒動に便乗して国を乗っ取るための足がかりを得るのが目的だ。

 お家騒動の方向性は、王家と周囲の高位貴族達が入念にシナリオを描き邪魔者を排除しているのを知っている。帝国はその事実と証拠を掴んでいるので、いずれそれを元に王家に揺さぶりをかけていく予定だ。

 ノクトアドゥクスがどのように収めるのを目論んでいるのかは知れないが、あのシナリオを崩すのは困難だ。帝国側でも調べたが、王家側が証拠や情報を握りつぶしている。ノクトアに出来ることと言えば件の令嬢の命を繋げるかどうかぐらいの筈だ。それが可能となる情報を、ルシーア達は持っていた。


 故に、あの冷酷無比で目の上の瘤でもあるハインリヒの子飼いとやらに、貸しを作ってやれば今後の攻略の足がかりになると、接触の機会を窺っていたのだ。

 この国で子飼いの男が接触したのは、ただの小国の騎士団の者だった。諜報機関でもなんでもない。締め上げて吐かせたら、皇国やレーヴェンシェルツの目を盗んで聖女だか御使いだかに接触を図るために、あの男に張り付いていたという。そのハエを体よく押しつけられて逃げられた。

 接触者を無視出来ない諜報機関の(さが)を利用され、子飼いと接触者どちらも重視したために撒かれてそれきりだ。

 仕方がないのでおびき出すためにわかりやすくエサを撒いた。

 期限(リミット)の関係で食いつかずにはいられないエサに引かれてやってきた男に、挨拶と交渉を持ちかけるつもりだった。


 ――その機会が訪れないとは残念だ。

「するりと躱してくれるとは」


 まあ、そうでなくては、と思うのも偽らざる本音だ。

 オルトロイス帝国は東大陸の南東地域一帯を支配している。元はひとつの国だったものが軍事力で瞬く間に周辺国を併合し、現在の巨大帝国を築いていた。国の歴史はそれなりにあれども、帝国としてはまだ百数十年程度で、西大陸――世界の雄とされるルクシリア皇国や、世界随一の情報機関と称されるノクトアドゥクスとは異なり歴史は浅い。そのためネットワークの広さと深さが足りていないとルシーアは痛感していた。


 ――いずれ、絶対に我が帝国情報部がノクトアドゥクスを抑えて世界一の情報機関として君臨してやる


 そんな野望を彼女は抱いていた。

 そのためには敵を知らねばならない。下っ端の諜報員ではなく、あのハインリヒの子飼いと称される連中を。

 この国に現れた子飼いの男は聖女案件と、当代きっての魔術師であり魔塔の問題児ヘスの失踪という、最重要案件に関わっていることもわかっていて、ハインリヒの信頼が一番厚い手駒だ。

 ルシーアは聖女そのものに興味はなかったが、オルトロイス帝国は魔族被害が多い地域でもある。だからこそ強い軍が存在する訳だが、本当に聖女という者が存在するなら、帝国こそが手に入れたい。独自に手に入れられれば、教会や神殿なぞの機嫌を窺う必要はないのだ。

 魔塔の魔術師については、ヘスよりももっと御しやすい者を帝国で押さえている。だがヘスについての情報は他国への交渉材料になり得る。


 あの男を押さえられれば、それらの重要案件にも手が届くだろう。

 帝国としてもレーヴェンシェルツギルドに喧嘩を売る気はないが、背後にいるルクシリア皇国への牽制はしておきたい。聖女の庇護を行いますます諸国への影響力を増しているのを、いつまでも指を咥えて見ているつもりはない。

 そのためには、まずはノクトアドゥクスだ。

 あれの影響力を抑えることが出来れば、ルクシリア皇国の力をも削ぐことが出来る筈だ。


 ノクトアの力を削ぐにはあの男――ハインリヒ=ロスフェルトをまず消さねば。


 ルシーアはきゅっと唇を引き結んだ。

 あの男は、元々クラスゴールド相当の強さを誇っていたと資料にあった。

 今でこそ頭脳専門職のように動き回っているが、それこそ若い頃には同じくクラスゴールドのネーレイヒ――現ギルド長だ――やミルデスタ支部長のゴルドン達と暴れ回っていたと聞いている。

 故にあの男を暗殺するのは容易ではない。


 だが、そのハインリヒはそう遠くない未来にいなくなる。


 今回の聖女騒動で教会のコルテリオが本気で動き出したし、ヘスのパトロン達も狙っていると聞く。

 いずれ必ずその時がくる。

 今は、その時がくればいつでも叩き潰せるように力を溜める時だ。


「――まあ、いいわ。今回はオマケだったから」


 いずれ機会は巡ってくるはず。

 その時には、必ず。

 キッと眦を吊り上げ、帝国に引き上げる準備に向かった。



 ルシーア=エスカルダ。階級は少佐。――情報機関界隈では、オルトロイスの女豹と呼ばれ、その大胆な手法と強引な手腕で瞬く間にその存在感を示した。帝国が君臨する東大陸では有名であったが、西大陸ではまだまだ実績はない。

 今回は西大陸にいくつか仕掛けていた足がかりのひとつ、その仕上げの様子を見に来ただけだ。鼻先をうろついた梟を、運良く引っかけられたなら御の字、というところであった。


 しかし、彼女は肝心要の人物――剣聖、ゼノ=クロードの存在を重要視していなかった。それはゼノが、二百年前もこれまでも西大陸に活動の拠点を置いていたこと、帝国が第六領域という、盟主不在で野良魔族が多く集まる地域にあったため彼らからも剣聖の情報が得られなかったこと、そしてそれこそハインリヒにより、諜報機関に流されるゼノの情報が操作されていたという理由があったのだが、彼女がそれを認識するのはもう少し先のことだ。 


 彼女が帝国に帰った後のこの国で、クライツによりアーンバイト家の騒動が根底から覆され、王家や高位貴族達の罪が公のものとなり、国の体制そのものが大きく変わることになる。

 この国で帝国が得ようとしていた足がかりのほとんどが潰されたことを彼女が知るのは、この二日後のことだがそれはまた別の話だ。



 * * *



 大きな木の下にしゃがみ込み、根元周辺に広がる草むらをがさごそ選り分けながら、目を皿のようにして植物と睨めっこしていたアインスの耳に、「見つけたよ~!」というサラの楽しそうな声が飛び込んで来た。

 立ち上がり声のした方を振り返る。


「あったよ、お姉ちゃん!ここには状態がいいのが多いみたい」

「どこ――あ、本当ね」


 アインスもよいしょっと立ち上がって、二人の所に走り寄った。


「――どれどれ。おお! さすがサラ! 薬草見つけるの早いな!」


 確かにサラの手には目的の薬草があり、彼女が指し示した所に群生しているのも見て取れた。

 アーシェ達とパーティを組んでからというもの、薬草採集の仕事の捗り具合が素晴らしく、本来ならもっと時間がかかった自分達のための植生調査も順調だ。その主な要因はサラだ。

 アーシェいわく、サラは薬草を用いた薬の精製も師匠であるアルカントの魔女に教わっていたので、その時に薬草の見分け方などもみっちりと叩き込まれたらしい。

 実に頼もしい限りである。

 この分ならアインス達が考えていた植生も地形調査もそろそろ終えて、次の段階の依頼を受けてもいいかもしれない。


「オレも!オレも見つけた!ほら、これだろ!!」


 オルグが薬草を手に意気揚々とこちらにやってくる姿は、あれだ。犬が「とってこい」と投げられた玩具を上手にキャッチして飼い主の元に戻ってくる姿に似ている。

 満面の笑顔からは「褒めて褒めて!!」との副音声がはっきり聞こえる気がするのは何もアインスだけではなかったらしい。アーシェもオルグの姿にくすっと笑みをこぼした。

 どれどれ、とアインスがオルグの手にした薬草を覗き込むより早く、サラがひょいと目をやり大きくバツ印を腕で作った。


「ぶぶー! ルグさんそれ違う~。それは毒があるやつだよ」

「うえ!? また間違えた!?」


 サラの指摘にショックを受けて、オルグが一歩後ずさった。


「ここ。この葉っぱの根元。茎から葉っぱが出ているところがちょっとギザギザしてるでしょ?ここね、目を凝らすとうっすら白くなってるでしょ?探しているのはここに色がつかなくて緑色のままなの」

「こ、こんなの見分けらんねえ……」


 サラの説明にがっくりと肩を落とすオルグの横から、アインスも覗き込んだ。


 あ~確かにわかりにくいな、これは。


 アインスもサラの説明を参考に両者を見比べるが、確かにこれは難しい。そもそもこの対象の薬草を見つけることも難しいのだ。

 思わず眉間に皺を寄せて薬草と睨めっこしている男二人を、アーシェがくすくす笑いながら見ている。


「サラは凄いでしょ?私もよくわからないもの」

「確かに凄い。何かコツがあるのか?」

「ん~……植物を観察するの、好きだから」

「サラは細かい観察も得意なの。作業は丁寧だし」


 どこか誇らしげにアーシェが告げる言葉に、サラが落ち着かないのか視線を彷徨わせながらも、はにかんだ笑みを浮かべた。


 こんな様子を見るたび、仲の良い姉妹だなとアインスも思う。

 二人が血縁でないことはアインスも聞いているし、パーティを組むにあたってサラがラロブラッドであることの危険性もハインリヒから説明された。

 ――これを理由にゼノとリタがパーティに入る!とまたごねたりもしたが、他ならぬサラに自分の身は自分で守れるようになりたいと言われ、かつアーシェにも私がちゃんと守ってみせると宣言されては、ゼノやリタがいくら食い下がってもハインリヒにすげなく却下されていた。

 いわく、子供の成長を見守るのも親の務めだと。

 それに、この第三領域内でゼノの娘に手を出す魔族は存在しない。寄ってくるのが魔獣レベルであれば、ランクS相当の魔族を相手に優位にたてるアーシェと、強力な魔術を扱えるサラの敵ではないと言われては、アインスやオルグの方が遠い目になる。


 ハインリヒからは、一番注意すべきは人間だと言われている。

 それは、御使いであるリタの弟である自分はもちろん、ゼノの娘達も同じ理由で危険があること。加えて皇国ではラロブラッドであると知れても偏見はないが、忌避する者も存在すること。また、表だって狙われることはないが、魔塔はラロブラッドを魔力バッテリー扱いしているので知られると厄介であることの説明も受けた。

 それらをすべて理解した上でパーティを組むように、とゼノやリタがいない場で四人はハインリヒに覚悟を問われた。

 アーシェやサラが不安そうにアインスを見つめてきたが、アインスは別に構わないと、意見を変える事はしなかった。


 どのみち、自分達はリタの弟ということで今後もきっと色々ある。アインスは弟達やリタを守るために実力をつけたいと願い、ドゥーエは武力を、トレは知力を磨くためにそれぞれ現在の道に進んでいるのだ。そしてゼノにはリタや自分達を助けてもらった恩義がある。だったら、アーシェやサラに降りかかる火の粉を共に払っていくことにシグレン家に否やはない。


 そう告げたアインスにハインリヒは満足そうに頷き、モーリー夫人を通じてサポートは行うと約束してくれた。

 後でアーシェにお礼を言われたものの、アインスとしてはちょっと胸を張れる状況ではないと、ひっそり思っていたりしたのだ。なにせ、


「ランクS魔族を相手に優位にたてる実力持ってるんだろ?俺より強いと思うから、実践の場では俺の方が助けてもらう立場かもしれねーよ?」


 今のアインスに出来ることなど、パーティを組むことぐらいしかないのだ。


「そんなことない。お父さんやハインリヒさんに信頼されてるのは凄いことよ。私も、アインスなら信頼できる。ありがとう、私達を受け容れてくれて。これからよろしくね」


 と、ふわりと笑ったアーシェに、少しどぎまぎしながら「ああ」と少しぶっきらぼうに返した。

 これまでアインスの周囲にいた女性や女の子は、リタ信奉者しかいなかったため、アーシェのように真っ直ぐにアインスを見て話をしてくれる女の子は初めてだ。そこが新鮮だったし、まあ、正直――アーシェは可愛かった。そんな女の子から信頼している、よろしくなどと言われれば、アインスだって男だ。頑張ろうと張り切る。


 ――だが実際には、やはりというべきか、女性陣が大活躍である。


 薬草採集はサラの独壇場だし、途中遭遇した魔獣は、アインスが気付いた時にはアーシェが斬り捨てていた。

 こうちょっとしょっぱい思いをしているのだが、悲しいかな、これもすでにリタを姉に持った時点で何度も経験したし、弟のドゥーエには身長でも力でも負けて、トレには頭のよさで負けているという、優秀な女性や年下に負けることには慣れているので今更なのだ。


 故に、アインスはこんな状況でもいじけることも不貞腐れることもなく、自分がやるべきことと出来る事を自分のペースで淡々とこなしていた。

 その有り様をハインリヒに高く評価されていることを、当のアインスは知らなかったのだが。


「サラが見つけた場所でノルマ達成できそうだな」

「くそ~……今度は絶対間違ってないと思ったのに」


 オルグが心底悔しそうに言うのを、サラがくすくす笑ってぽんぽんと腕を叩いた。


「ルグさんも見つけるの早くなってる。家に帰ったらみんなと一緒に整理しよう」

「そうだな!今教えてもらったところ、もう一回ちゃんと覚えるようにする」

「サラのおかげで復習出来るからほんと助かるよな」


 これまでは図鑑で確認するしかなかったのに、サラのお陰で詳しく知ることが出来るようになった。こういったことに興味を寄せているフィーアが一番熱心にサラの話を聞いていて、薬草への理解を深めている。

 今日の依頼数分の薬草を採集し、ギルドに帰る道すがら、アインスは誰かが後をつけてきていることに気付いた。

 ちらりとアーシェに視線を投げれば、アーシェも視線で頷く。

 背後に数人いる以外に不審者はいなさそうだと見て、ブーツの靴紐を直すフリをしてその場にしゃがみ込み静かに詠唱を開始する。

 アーシェもアインスを待つフリをしてその場に立ち止まり、腰に佩いた剣の柄に手を忍ばせれば、二人を追い越す形なったオルグがそっとサラを庇うように背中に手を伸ばし、それに気付いたサラが緊張した面持ちでポーチにそっと手を忍ばせた。

 次の瞬間には、詠唱を終了したアインスの風刃が相手の隠れる木を切り刻む。


「うわっ!」


 途端にあがる驚きの声に、即座に両手に双剣を構えて距離を取った。アーシェも鞘を払って迎撃態勢を整えながら下がる。

 オルグがサラを抱えてさらに後ろにさがり、サラは即座に防御結界を展開した。

 詰め寄らなかったのは相手が誰かもわからないからだ。下手にツッコんでいくと相手が強かった場合に危険が生じるので、まず逃げの体勢を整えることをアインス達は話し合って決めていた。

 リタやゼノの関係なら、強者の可能性が高いからだ。

 だが姿を現したのは、アインス達よりやや年上に見える貴族の青年とその護衛達だ。


「突然何をするか、貴様!!」


 いや、そう言われてもな。


 アインスは呆れたような表情で双剣を下ろすと、一歩前に進み出た。


「冒険者相手にコソコソ後なんかつけたら、不審者扱いされて当然だろ。それで、あんたら何の用だよ」


 ざっと見た感じ護衛達もそこまで強そうには見えない。

 ならば揉めたとしても逃げることは難しくなさそうだ。

 だが油断は出来ない。ちらりと背後のオルグに視線を投げれば、オルグも神妙な顔でサラを守りながら周囲を窺う。

 アーシェはアインスから一歩下がって周囲の様子を窺った。交渉はアインスに任せる方針だ。


「なんと無礼な者だ!これだから冒険者などというのは野蛮で胡散臭いというのだ」

「いや、今この場で胡散臭いのは、少年少女冒険者の後をつけ回してるあんたらだから」


 冷静にツッコミを入れるアインスに、くすっとアーシェが笑った。


「黙れ! 本当に、貴族相手に礼儀もなっていない連中だな」

「あんたら皇国の貴族か? それともよその国? 茶髪だとやっぱ外の国かな」


 双剣は手にしたまま、腰に手を当て相手の言葉を無視して問い返す。貴族であることを隠す気もないようだが、皇国の貴族であれば、こうも堂々とアインス達にちょっかいをかけてはこない筈だ。

 ローグマイヤー公爵は怒らせると怖いのだと、アーシェからも教えてもらった。おまけに皇帝が貴族にも不用意に関わるなと釘刺ししていると、ギルド長からも話を聞いている。

 その上でこのようにアインス達に接触を図るのは、皇国の貴族とは考えにくい。


「我々がどこの国の者であろうとよい。聖女の――御使いの血縁者だというのは貴様か、小僧」


 あ~、ねーちゃん狙いの方か。


 やれやれ、とため息をついて肩をすくめるとすいと右手の剣を目の前に構えて睨みつけた。


「――そうだとして、お前になんの関係がある」


 脅すように殺気を纏い掲げられた剣を見て、青年の背後に控える護衛達が剣の柄に手をかけるのを視線で牽制しつつ問えば、青年はふん、と鼻で笑った。


「ならば、一緒に来てもらう」

「はい、誘拐の言質取ったので確保!」

「やっ!!」


 アインスの言葉にあわせて、アーシェが彼らとアインスの間に剣圧を叩き込む。その隙にアインスも詠唱を行い、風魔法で連中を軽く吹き飛ばした。


「うわっ」

「わっ」

「ぐっ」


 オルグが懐から縄を取り出し、貴族の青年に向かって突進して行けば、アインスもすぐさま護衛に飛びかかり彼らの頭に双剣の柄を叩き込む。アーシェは剣圧を叩き込んだ後は、オルグと入れ替わりにサラの側まで下がると、全体を見渡すように周囲を警戒する。


「おのれ、小僧――」

「離せ!貴様――!」

「えい!」


 貴族の青年を取り押さえたオルグに斬りかかろうとする護衛をアインスが剣で止めると、すぐさまその場にサラの雷撃が炸裂し、彼らは全員仲良く気絶した。

 トレも得意魔法は雷撃で制御も完璧だが、サラの雷撃はトレよりも強力で狙いも正確だ。

 きゅう、と倒れた護衛をオルグが手際よくぐるぐる巻きにしていく。


「よし!全員確保した!」


 気絶した全員を、手際よくぐるぐる巻きにしたオルグが右手を上げて叫べば、アインスもよし!と頷いて双剣をホルダーに収めた。


 あんまり強くない連中で助かった。


 ほっと一息ついてアーシェ達を振り返り親指を立てて見せれば、アーシェも同じように返してくれた。

 と、突然その場に盛大な拍手が響き渡って、思わずアインスは双剣を構え――がくりと膝をついた。


「――素晴らしいわ! アーシェの剣技にサラの雷撃のタイミング!!素敵よ、二人とも!」


 ねーちゃんかよ!?


「あ~……そういえばリタの匂いしてた」


 鼻の頭をかきながらオルグが思い出したように呟くのを聞きながら、また来たのかよ、とはアインスの感想だ。

 正直なところ、この地にやって来てから穏やかに依頼が完了したことは数えるほどしかない。

 ここに来た当初はアインス達に興味を示す冒険者がちらほらいて、それをベアトリーチェが追い払う日々が続いた。アーシェ達とパーティを組んでから五日はゼノやリタが付きまとった。変な連中は寄ってこなかったが、ドリトスやギルド長と盛大な鬼ごっこを続けながら、アインス達の依頼に二人が変わるがわる出没して非常に迷惑だった。

 二人がハインリヒにより国外に追い出された日は穏やかだったが、その後は誰かわからない者に様子を覗かれたり、尾行されたりすることもあった。今回のように他国の貴族と思しき者に直接狙われたのは初めてだったが、その都度追い払ったり捕まえたりはしてきたのだ。

 故に、アインス達の敵を捕縛する行動も手慣れてきた。


「ねーちゃん、今日は皇城に行ったんじゃなかったのかよ……」


 アインスが大きなため息をつきながら尋ねれば、リタは悪びれもせずにっこり笑う。


「午前中で終わってギルドに帰ってきたのよ。そうしたら、アインス達はまだ帰ってきてないって聞いたから。折角なら覗きに行こうと思って、リーチェに連れてきて貰ったの」

 何が折角なのか甚だ疑問だ。

「依頼内容とこれまで状況から場所の予測はつきますので」

「無駄なところに優秀な能力使わんでください、ベアトリーチェさん」


 力なくツッコミを入れるが、どのみちアインスの言葉など聞いちゃいない。ゆっくりと立ち上がりながら、双剣をホルダーに収める。

 アーシェもふう、と少し困ったようにため息をついた。


「……手を出していたら怒っていたところです」

「そ、そんな事は二度としないわ!」


 アーシェにジト目で言われて、ぎくりと肩を跳ねさせたところをみると、出す気満々だったのをベアトリーチェに止められたのだろう。よく見れば左脇に弓を挟み持っている。

 実のところ鬼ごっこ期間中に現れた魔獣を、一足先にリタが矢で倒してアーシェにこっぴどく怒られたことがあるのだ。さすがにリタもそれは懲りたのだろう。

 ――ちなみに、ゼノの場合は側にいるだけで魔獣も野獣も寄ってこないので、近寄らないで!と怒られていた。


「でもリタさん弓持ってる」


 サラの指摘に慌てて弓を隠す場所がポーチじゃなく背中なあたり、冷静ではないようだ。


「これはあれよ!何かあったときに備えていただけよ!準備は常に怠らないのはクラスA冒険者として当然でしょう!?」


 苦しい言い訳だけどまあ、言ってることは間違っちゃいないよな。

 アインスが苦笑すると、アーシェもそれを見て苦笑した。


「それに、私の関係であなた達が狙われたのは事実だし」


 しゅん、と俯きながら元気なく続けた言葉に、ベアトリーチェが眦を吊り上げた。


「それはリタ殿のせいではありません!コイツらが分不相応な事を考えているのが悪いんです!コイツらはギルドで締め上げて、今後二度と馬鹿なことを考えないように皇国を通じて誰の目にも明らかに伝わるように、見せしめとして圧力という圧力をかけてやりますので、リタ殿が気になさる必要はありません!!」

「……ギルドや皇国の敵を不用意に作らないでよ、ベアトリーチェさん……」


 そのあたりはドリトスがセーブはしてくれると思うが、まあ、多少の牽制はしてもらいたい。こうもしょっちゅうだと本当に鬱陶しい。


「皇国の庇護を受けているとわかっていても、アインス達を狙うんですか」


 アーシェが難しい顔をしてベアトリーチェに尋ねた。


「二百年前は、皇国に表だって敵対する国はありませんでした。なのに、このように堂々と狙うのですか?」


 その疑問には、アーシェの不安も現れていた。

 アーシェ達が知っていた世界の情勢が変わってしまっているのは当然だとしても、不動だと信じていたルクシリア皇国の国威までもが衰えたのかと、それほどまでに世の中は変わったのかと、きゅっと握りしめられた拳に不安が滲み出ていた。

 ベアトリーチェはその様子に表情をあらためて、いいえ、と頭を振った。


「ルクシリア皇国の力は衰えていません。どこにでも考えの足りない者は存在するのです」

 ――むしろ、力が衰えないために無理をしてでも狙っているかと


 と続けられた言葉に、ああ、とアインスも頭をかいてため息をついた。

 なんとかしてリタを皇国から切り離して、皇国に大きな顔をさせたくないと考えている連中がいるということか。


「なるほど。そうであれば……私達がそれなりに戦えるとわかれば、減るかもしれない、かな?」

「ん~……クラスEってのがマズいのか?」


 アーシェの言葉に頬をかきながら考えるが、そうは言ってもクラスと実力があってなければ意味もないし、クラスは純粋な戦闘力だけで判断されるものでもない。


「オレが見る限り、アーシェはすっげえ強いし、アインスだって強い!クラスBぐらいの実力はあると思う!!」


 オルグはそう主張するが、アーシェはともかくアインスの実力はそこまでではないと、残念ながらアインス本人は思う。


「それも一理ありますね。クラスEだと聞いて侮っている連中ばかりでしたから。あなた達のパーティレベルが上がれば、不用意に手を出す者はいなくなる筈です」

「レベルが上がったら、差し向けられる曲者のレベルもあがるわよ!?」


 そんなのダメよ!!と叫ぶリタに、だがアインスは手を打った。


「よし。じゃあ依頼をこなしつつ冒険者クラスも積極的に上げられるように頑張っていこう!!」

「賛成」

「おっしゃ!」

「わかった。頑張る」

「ちょっと!!」


 何言ってるの!というリタの言葉はこの際スルーしておく。アインスのスルースキルも上がっているのだ。

 確かにこれまでアインス達にちょっかいをかけてきた連中は、確実にアインス達を侮っていた。当然だ。クラスE冒険者の十四才の少年がリーダーを務めるパーティなど、普通に考えたら恐るるに足りない。

 実力に見合わないクラスは不要だが、オルグの言うとおり何もずっと最下位クラスに留まる必要はないのだ。


「おし!じゃあさっさと依頼終了させて、コイツらギルドに引き渡してしまおう。そんで家に帰ってこれからの作戦会議だ!!」

「「「おーー!」」」

「ちょっと待って!あなた達のクラスがあがるのは嬉しいけど心配よ!」


 往生際悪く叫ぶリタに、アーシェが振り返ってにこりと笑った。


「私たちのクラスが上がれば、リタさんと一緒にお仕事することを、ハインリヒさんも許してくれるかもしれませんよ?」


 ええ、そうかな?とアインスは思ったが、そのアーシェの一言にリタが目を見開いて固まったのを見て、口を噤んだ。

 アーシェは何も許される、とは言っていない。かもしれないと言っているだけだ。


 これで大人しくなるならここはアーシェに任せておこう。


 こういう時はアインスの言葉より、女性の言葉の方が素直にリタに届くだろう。


「そうかしら……?」

「今の私たちは共に仕事をするには足手まといです。クラスが上がれば対等な仕事仲間として認めてもらえる筈です。私はその立場にいたい。庇護されたい訳じゃなく、対等な仲間として背中を守れるようになりたいんです」


 ぎゅっと拳を握りしめながら告げられた言葉は、リタに向かって告げられたが本当はゼノに向けられているものだとアインスは感じた。

 厄介な案件が生じたら真っ先に頼られるゼノ。それがどんな危険な事でも、ゼノに話がいく。そのゼノを心配して手助けをしたいと二人が思っても不思議じゃない。


 庇護されるのではなく、共に並び立てるように。

 アインスもひとつ息を吐き、頷いた。

 そうだ。どんなに強いとわかっていても、心配だし、守り共に戦いたい。

 そのために、俺達も強くあらねば。


 ――私は強くありたい

 その通りだ、アーシェ。


 先日言われたアーシェの言葉に内心で大きく頷き返し、アインスもアーシェの横に並び立ってリタに向き直った。


「ねーちゃんやゼノが俺達を守りたいと思うように、俺達だって守りたい。守れなくても、せめて安心して任せてもらえるぐらいにはなりたいんだ」


 真っ直ぐにアインスとアーシェが見つめながら告げれば、先程まで慌てたような様子だったリタも、きゅ、と唇を引き結んで二人を見つめ返した。


「——そうね」


 そう言って、ふわりと笑う。

 とても柔らかで少し嬉しそうな微笑だった。


「あなた達の言う通りだわ。——ゼノがどんなに強くても、心配なのは心配よ。大事な人を心配するのは当然のことだわ。——わかった。私もあなた達に協力する」

「リタさん……!!」


 ぱっとアーシェが嬉しそうに笑い、リタも笑顔で頷き返した。アインスに寄越した視線からも、しょうがないわねと諦めたようなものでなく、理解した、という肯定的な意味合いを強く感じた。

 ちゃんと伝わった、ということが嬉しくて、アインスも鼻の下をこすりながらへへ、と笑い返した。


 

 * * *



 どこまでも昏い空間。

 揺蕩(たゆた)う意識が浮上したとき、目に映ったのは暗く冥い色のみだ。

 目を開けているのか閉じているのかも自分でわからない。一筋の光さえも感じられないこの場所で、自分の身体を動かそうと思ってもそれがよくわからない。

 ここはどこだ。どうしてここにいる?

 ヘスは直前までの事を思い返そうとして、だが思考する端からこの冥い闇にすべて呑み込まれていくようで考えがまとまらない。


 ——そう、闇だ


 それが漠然と理解できた。

 だが闇とはなんだったろうか。

 思考は空転し、考えることすら億劫になってくる。

 痛みも恐怖も畏れも何も感じられないただの闇の中、ただそこに自分が存在することだけが辛うじて理解できた。

 どれぐらいこうしているのか、またどれぐらいこの状態でいなければならないのかもわからずに、ただぼんやりと闇を見つめていたヘスの視線に、紫の何かが映った。

 それはこの冥い空間の中で紛れることもなく一際輝きを放ち、魂に突き刺さるように強烈な力を感じて目を閉じたが、それも意味なく紫色の何か——視線から逃れることは叶わなかった。


「意識があるとはさすが適合者だ」


 不意にすぐそばで聞こえた声に驚いて目を見開く。

 そこには、先程からずっと感じていた紫色の視線——瞳が、はっきりとヘスを見つめていて思わず短く悲鳴をあげた。

 ——実際には、声など闇に溶けて僅かたりとも届かなかったのだが。


「首輪の効果もあったか。ならば、次の段階に進んでも問題なさそうだ」


 告げられた意味はまったく理解できなかったが、その紫色の瞳からは友好的な雰囲気は欠片も感じられない。


 これはヤバい相手だ。

 ——逃げなければ。


 本能的にそう判断してその場から逃げようともがいた。

 だが、ピクリとも動くことは叶わなかった。

 そもそも今のヘスには自分の体の感覚がない。指どころか声すら発せない。目を逸らす事すら叶わない。

 体験したことのない状態に畏れを感じれば、周囲の空間が僅かに揺れた。


「ほう。まだ感情も残っているか。なかなか良い()()だ。これは期待が出来そうだ」


 その言葉に、ざわりと感覚が揺れる。


 素材。——この俺様を素材だと? ふざけやがって!

 畏れよりも怒りの方が勝った。

 コイツを許さねえ!!


 ぶわりとヘスの感情に合わせて、周囲の闇が腕の形に姿を変え、目の前の存在に襲い掛かった!


 ——だが、それは相手に届く前に霧散する。


 その状況に、ヘスはゼノとのやりとりを思い出した。

 何度も何度も仕掛けた渾身の攻撃魔法が、ゼノに届くと同時に霧散した屈辱的な状況を。


 アレはなんだったのか。自分はそれもまだ解明していない。

 こんな所でくたばるわけにはいかないのだ!


 そのヘスの怒りに合わせて周囲の闇が、先ほどよりも大きく強い力を纏い紫色の目を持つ存在に襲い掛かり、目の前の存在を幾重にも切り裂いた。


「——素晴らしい」


 だが、返ってきたのは悲鳴でも呻き声でも断末魔でもなく、わずかに興奮の滲んだ賞賛の声だった。

 その声に魂が恐怖する。

 次いで感じた、えも言われぬ感覚に魂が凍る。


「これは、非常に貴重な核なのだ。一気に埋め込むとお前の器が壊れてしまう。少しずつ馴染ませていくとしよう。——なに、心配はいらぬ。お前ならきっと壊れぬよ」


 低い嗤い声と共に、おぞましい何かがヘスの魂に入ってくるのを感じて、ヘスは叫び声を上げた。

 だがその叫びは闇に呑まれ、どこにも——目の前の存在にも届くことはなかった。

 




いつも拙作をご覧いただきありがとうございます。

今週の木曜日は年末で忙しいため、お休みいたします。

皆様、どうぞよいお年をお迎えください。

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