(四)お仕事でのご利用は計画的に
一晩コテージで過ごした一行は、その日も最速で盗賊団を捕縛した。
ゼノも注意深くあの日に感じた異質な気配がないかと探っていたが、その日も感じる事はなかった。
ギルドの方でも例の「黒い何か」が現れる事はなかったという。
「何か感じた?」
「いや。ねえな」
今日も今日とてコテージの中で夕食を取りながら状況を整理していた。
このコテージにいるとどうやら魔物も野獣も寄ってこないらしく、安全性にも心配がない。さすがは箱庭製品。デュティが作っただけはある。ベアトリーチェもその快適性にすっかり心を許し「これだけの物をリタ殿に用意する心掛けは褒めてあげます」とちっとも嬉しくないお褒めの言葉をいただいた。
「本当にあの日何かを感じていたんですか?耄碌した老人の気のせいでは?」
相変わらずゼノへの当たりはキツいベアトリーチェの言葉に、リタが「それはないわ」と首を振った。
「こういう事でのゼノの言葉は軽視してはダメ。ゼノが感じたというなら間違いなくそこに何かがいたのよ」
「リタ殿がそうおっしゃるなら信じます」
キリッとした顔でそう言われても嬉しくない。
リタはゼノの言葉を少しも疑わずに、あれからずっとゼノ同様周囲を警戒している。
ゼノのこういった言葉を信じる者は限られる。突拍子もないし、他の者には感じられないことが多いからだ。
古くはギルベルトやノア、ヒミカ、アザレア、デュティ。そして今ではハインリヒに――リタ。ゼノが心から信頼出来る相手でもある。
「だが前回と今回は感じなかった。捕縛対象はあと二つだったな」
テーブルに広げた地図を見ながら、ギルドが掴んでいる盗賊団の根城の位置を確認するゼノの言葉に、ベアトリーチェは頷いた。
「はい。この地域を根城にしている盗賊団を選定していますので」
そうか、と頷いたゼノと違って、リタはベアトリーチェの言葉に「え?」と地図から顔を上げた。
「待って。その言い方だと、この地域以外にもいるように聞こえるんだけど」
「へ?」
ゼノもリタの言葉に驚いてベアトリーチェを仰ぎ見る。
突然二人に見つめられたベアトリーチェは、一瞬仰け反りながらもこっくりと頷き返した。
「元ハンタースギルドの冒険者崩れの盗賊団ということでしたら、この地域に限らず他にもいますね」
元々が誰でもウェルカム状態だ。まともな冒険者だってもちろん多く在籍したが、犯罪者崩れの冒険者が三割ほど存在したのも事実だ。そういった連中はもちろん各地に存在している。
「ですが、すべてを剣聖に振る訳ではありませんのでご安心を。ネーヴェに本部を置く元祖ハンタースギルドも対処してくれますから」
「……ちゃんとネーヴェのハンタースギルドと連絡取り合ってんじゃねえか」
「当たり前です。ネーヴェ本部とレーヴェンシェルツは協力体制にありますから」
だったら先日色々ケチをつけていたのはなんなのだ。
思わず眉間に皺を寄せて呆れたようにベアトリーチェを睨みつけたが、ベアトリーチェはどこ吹く風だ。
「言いたい事を言っただけですが、何か文句でも? 本当のことばかりですし」
しれっとそんな事を言い返すのは、それだけ腹に据えかねる事が多かったということか。
そう言われると、ライオネルと約束だけして長いこと放置していたゼノとしては何も言い返せない。
「いや。……まあ、酷え連中だったのは俺も知ってるからな」
ミルデスタの支部長を思い返せば、むしろ怒ってくれる方が人物的には真っ当な証だ。
「そういえば不思議だったんだけど」
ガシガシと頭をかいて決まりが悪そうに視線をそらすゼノを見ながら、リタはずっと疑問に思っていたことをたずねた。
「そんな連中がよく素直に解体されたわね?ゼノがミルデスタ支部を物理的に壊しただけで、瓦解して新興勢力が力を失うなんてことあるの?」
そう。いくら支部をひとつゼノが壊し、商人ネットワーク経由で評判が地に落ちたとしても、それを大人しく受け容れるようには思えない。
ハンタースが認定した剣聖を表に出してきて、ゼノこそが偽物だぐらいは言い出しそうだ。
――もっとも、ハインリヒがそんな事はさせないでしょうけど
それでもそういった動きがチラともなかったのがリタには不思議だ。
「それは初代印章をネーヴェ本部が持っていたからですね」
「初代印章」
首を傾げるリタに、はい、とベアトリーチェが頷いて返す。
「そもそもハンタースギルドの創始者ライオネルは、自身がその立場を引くにあたって、印章を隠したんです」
「印章を? なんのために」
「ハンタースギルドが内部で揉めた場合、裁定者たる剣聖の判断と初代ギルド長の印章を手にしていた方を正当なギルド長として認める、との決まりを世界機構に届け出ています。それに則り、剣聖のゼノ殿が見放し、初代印章を持ち合わせていなかった新興勢力はハンタースギルドではないと認定されました。彼らが騒いだところでこれは覆せません」
「へ~、そんな風になってんのか」
そんな決まりがあったのね、とリタが頷く横でゼノまでが感心したように頷いていて、女性二人が思わずジト目でゼノを睨んだ。
「なんでゼノが知らないのよ」
「印章を剣聖に持たせていなかったのは英断ですね。この男なら簡単に騙し取られそうです」
冷ややかな口調にうぐっと唸りながら、だがそれはありうるなとゼノ自身も思ったので決まり悪そうに視線をそらして口を噤んだ。
「そもそも印章の場所はノーヒントで探さなくちゃならなかったみたいですので、ノクトアドゥクスの協力が必須だったんじゃないでしょうか」
「ああ、なるほど。それならゼノに敵対した時点でアウトって事ね」
ハンタースギルドの創始者はちゃんと考えていたようだ。
「ノーヒントか……アイツの所で情報もらうのが前提ってことなら、ノクトアの協力が確かにいるな」
えげつねえ事考えたなライオネルの奴、と呟いたゼノはどこかホッとしたような表情だ。
「また覗きに行かねえとな」
しみじみと懐かしむような眼差しで呟いたゼノを、ベアトリーチェが非常に冷ややかな視線で見やった。
「何ぬかしてやがりますか。行くのは決定事項です。盗賊団の一番ヤバいのはネーヴェ本部と剣聖が合同作戦で掃討することが決まっています。今まで怠慢だった分キリキリ働いてもらいますから。むしろネーヴェに閉じ込められるといい」
「イチイチ言葉に棘あるよな!?」
「まあ、言いがかり」
どこがだよ!? とのゼノの言葉に同意してくれる者はこの場にいない。
リタはベアトリーチェの暴言はまるっとスルーして、「一番ヤバいのが他にいるわけね」とため息をついた。
「その、元ハンタースの剣聖って、今はどうなっているの?」
躊躇うようにリタに問われて、ベアトリーチェは少し考えるように視線を彷徨わせる。
第一盟主の側近ベルガントの話によれば、元ハンタースの剣聖は難しいとされる試練を卑怯な手を使ってクリアし、不当に力を得ているのだということだった。そしてそれが気に食わなくてゼノと殺し合うよう仕向けている。
その剣聖の存在は耳にするが、リタも実際に会ったことはない。
――女性に関連しないので、積極的に耳には入れていないというのが本当のところだ。
「確か……新興勢力が創る新しい冒険者ギルドにそのまま異動している筈です」
「新しい冒険者ギルド?」
そういえばハンタースは解体されたとしか聞いていなかった。本家?元祖?ハンタースギルドがネーヴェに本部を置くものならば、切り捨てられた新興勢力達がまとまってギルドを立ち上げたとしても不思議はない。元ギルド長や支部長達がまだ存在する上に、A級冒険者は手放していない筈だ。
「まだ正式な立ち上げには至っていない筈です。潰された理由が理由ですのですぐには無理でしょう。信用がありませんし」
それこそ解体されてからまだひと月も経っていないのだ。それはそうかもしれない。
「ネーヴェのハンタースギルドにしても、このような事態を引き起こしたペナルティとして、新興勢力が残していった盗賊の捕縛が科せられていますし、新興勢力側もこれまで自分達が登録し野放しにしていた盗賊達の捕縛が命じられていますので、出来ればひとつでも多くの盗賊をこちらで捕縛するのが望ましいですね」
「捕縛した数でなんか変わってくるのか?」
後始末、とするならあり得そうだ。
「明示されていませんが、後々の事を考えれば捕縛数で貢献度が測られることはあると思います。私だったら絶対にそうします」
レーヴェンシェルツギルド上層部のベアトリーチェの断言に、顎をすりながらゼノも頷いた。
確かにそれは考えられる。
なるほど。ゼノとしても全力で頑張らねばなるまい。
ガシガシと頭をかきながら、軽くため息をついた。
* * *
最終的に五つすべての盗賊を捕縛しギルドに送還したが、あれ以降問題の「黒い何か」がギルドに現れる事はなかった。
ゼノ達も根城で怪しげな気配を感じることもなければ、「黒い何か」に遭遇することもなかった。
「盗賊じゃなくあの頭領に何かがあったってことかしら?」
首を傾げるリタに、ゼノも唸りながら頭をかく。ベアトリーチェが心なし元気がないのは、リタと一緒の仕事がこれで終わってしまうからだ。
「その可能性が高そうだな。他と何か違いがあったか?」
帰途につきながらこれまでの事を思い返してみるが、ゼノには特段思い当たる節はない。
「あの時の頭領だけ……あれが一番今回の盗賊の中で強かったかしら」
「……そうだったかな」
顎を擦りながら思い出すようなゼノに、聞く相手を間違えたわね、とリタはすぐにベアトリーチェを振り返った。
ゼノからすれば全員取るに足りない相手だったのだろう。
「そうですね。最初の盗賊団が魔術師も擁していましたし、今回の中では一番強かったかと」
「あれでか」
「黙りやがりませこのクソ剣聖」
「まったく取り繕わなくなったな!?」
「リーチェの気持ちがわかるわ」
リタは全力でベアトリーチェに同意し、ベアトリーチェが勝ち誇ったようにドヤ顔でゼノを見る。
この仕事の間にベアトリーチェの性格も理解し、キツい当たりにも慣れたが、それでも最初はもう少し暴言に遠慮があった——ような気がしないでもないが、今はまったく感じられない。まあ、目くじらを立てる程のことではないし、いっそ清々しい。
これはあれだ。気にしたら負けというやつだ。
別にゼノは競っているつもりはないのだが、ベアトリーチェはゼノを相手にリタの関心を争う姿勢を崩さない。
元はと言えばデュティがありがたくも余計な横槍を入れてくれたためなのだが、デュティこそ何がしたかったのかよくわからない。
こんなに主張してくることはこれまでなかったのに、やっぱリタがいるせいかね?
そういえばアザレアにも親切だったな、と思い返せば、直接会った知り合いによくしてやりたいという、これまで滅多に訪れなかった機会に浮かれているのかもしれないなと、ウサギの被り物を思い浮かべながらぼんやりと考えていたところに、リタがぽつりと呟いた。
「そういえば、あのマークはなんだったのかしら」
「マークですか?」
「ええ。頭領の右腕にマークがあったでしょう?魔力が感じられたから、刺青とはちょっと異なるように思ったの」
「右腕……」
武器を持っていた方の腕だ。そしてゼノが斬り落とした。
リタの言葉に思い返してみるが、記憶にない。
「覚えてねえな」
「不覚にも私もです……くっ。役立たずで申し訳ございません」
「いいのよ! 関係ないかもしれないし」
「いえ、重要な手がかりかもしれません!何もわかっていないんですもの。流石リタ殿。そのようなところに気付くなんて。どこぞの剣聖は本当に剣を振るしか能がないのだから」
リタを上げつつゼノを落とすのはベアトリーチェの基本である。
もはやゼノもすっかり慣れてしまったので、スルースキルもかなりあがった。
「どんなマークだ?」
「初めて見るものだったわ。円の中に何か描かれていたのだけれど、魔術文字とも違ったように思うの。ただ、私も魔術文字に詳しい訳じゃないから」
あったかな?そんなマーク。
目立たなかったか、ただの刺青だと判断していたら記憶に残っていない可能性が高い。
だが何かあったら気付いてそうなもんだかな。
首を傾げつつも、今の時点ではどうにも判断がつかなさそうだ。
「まあ、ギルドに行けばとりあえず話は聞けるだろ。それで何かわかればいいけどな」
「事件があってからすでに五日は経っているから、魔術的な残滓が残っている可能性も低いわね」
ため息をつきながらの言葉にそうだな、と頷き返しながらも、ゼノはそういった残滓にはどちらかといえば疎い。瘴気や気配、魔族の気ならばわかるが、魔術的な何かといわれるとからっきしだ。
記憶を探ってみても「黒い何か」というものが現れた事件は、ゼノの知る限りなかったように思う。
ならば二百年の間に初めて起こった事象だと考えて問題ないだろう。
そんな事を考えながら、三人はようやくレーヴェンシェルツギルド本部に戻ってきた。叩き出されてから実に六日目だ。一日一盗賊団を捕縛出来たのならなかなかいいペースだったろう。それぞれがそう離れていない場所を根城にしていたことも大きい。
「ふむ。戻ったかね」
「やっぱりいた」
ギルドで出迎えたハインリヒに、リタが渋面でさすがストーカーと呟けば、すぐさま頭をぐりぐりとされて悲鳴を上げた。
「やめてよ、ほんとに!!」
「君こそいい加減弁えたまえ」
ベアトリーチェの眦が釣り上がったが、さすがにハインリヒに何かを言う勇気はないらしい。そのあたりの判断はさすがギルド職員というべきか。
「それで、あれから何もないのか」
二人のいつものやりとりをスルーしてゼノが問えば、ハインリヒは頷きながらギルドの奥に誘った。
「件の牢については、ギルドのクラスS魔法士とリーリア嬢にも見てもらったが、魔術が起動した気配はないということだった」
「リーリアにも見てもらったの?」
「彼女は魔塔の魔術師だ。専門は異なっても魔法士よりも魔術には詳しいだろう」
「確かにその通りね」
リタやゼノが現場を見るより、よほど頼りになるだろう。
「お疲れさん。五つの盗賊団を五日で捕縛して帰ってくるとはさすがだね。リーチェもご苦労だったね」
廊下を歩きながら話していたゼノ達の前に、そう労いながら現れたのはギルド長だ。後ろにはドリトスも控えている。
「リタ殿は流石でした」
キリッと表情を整えて、報告と言うよりは感想と言った方がよい言葉を返すベアトリーチェに、二人が軽く頷いて返したのは、それを聞いてからでないと他の事は話さないということがわかっているからだ。
「そうかい。クラスA冒険者に剣聖がひっついてれば、相手になる者の方が少ないだろうさ。それで、現場ではどうだった?」
「残念ながら、変わった事と言えば剣聖が言っていた異質な気配と、後はひょっとしたら腕にマークがあったかも、ということです」
「ふむ。マークとは?」
ベアトリーチェの言葉に反応したのはハインリヒだ。マークについては初耳だからだろう。
「関係あるかどうかはわからないわ。ただ、頭領の右腕に刺青に似たマークがあったの。それが少し魔力を帯びている気がしたのよ」
改めてハインリヒに問い返されると、リタも少々自信がなくなる。ああいった連中だ。ただの刺青だったかもしれないし、たとえ本当に魔力を帯びていたとしても、今回の件とはまったく関係ないかもしれない。
「なるほど。違和感というのはいかに些細なことでも大事な手がかりだ。聖女である君がまず気になったのならば、無視すべきではない」
そうハインリヒに肯定されると、なんだか面映ゆい。あまりハインリヒから褒められることがなかったせいかもしれない。
リタの様子にベアトリーチェが眉間に皺を寄せてハインリヒを睨み付けたが、そんなものはハインリヒが気にするわけもない。
「ゼノはそのマークは?」
「記憶にねえ」
「ふむ。本当に見えていなかった可能性もあるか」
「ああ?」
どういうことだ?と首を傾げれば、可能性のひとつだと答えてそのまま牢のある地下に足を進める。
ゼノとリタは顔を見合わせてハインリヒの後に続いた。その後をギルド長、ドリトス、ベアトリーチェと続く。
ギルドの地下には、昨日ゼノ達が送還した盗賊達がいるだけで、それまでに捕縛した盗賊達は既に場所を移動させられたようだ。
彼らがいる牢を通り過ぎると、誰も近づけないように柵をした牢が見えてきた。
「何があったかを目にしたのは、ここで一緒に捕まっていた盗賊達だけだ。そのうち頭領のすぐ側にいた五人のうち四人が正気を失った。それ以外は酷く怯えていたが、意識は保っている」
頭領のすぐ側、という事は「黒い何か」をすぐ側で見た者ということか。
ドリトスが皆を追い抜き、柵を一部撤去すると牢の鍵を開けた。牢の中はもちろん今は誰もいない。
ゼノは牢の中に入るとぐるりと周囲を見回した。リタも続いて中に入る。
「……何も感じねえな」
「そうね。特段変わった事はないように見えるわ」
注意深く牢の隅々に目をやる二人の言葉に、あまり期待はしていなかったのか、やはりなと三人が肩をすくめた。
事が起こった直後ならともかく、すでに五日も経過している。それにリーリアやギルドの魔法士でも痕跡を見つけられなかったのだ。二人に分からなくても無理はない。
「突然現れたって事は、盟主と同様に空間移動か」
「中にいた魔術師の話によると空間が歪んで亀裂が入り、そこから黒い物が零れるように現れて、頭領を見つけると丸呑みしたらしい」
「空間の亀裂……」
思わずゼノが顔をしかめたのは、二百年前にアーシェ達が呪いを受けた時にも亀裂が関係していたからだ。あの時は亀裂から瘴気が漏れていたため、すぐにそれと気付いた。
だが、ここには瘴気は感じられないし、空間に亀裂も見られない。
「瘴気はねえ。なら、魔族じゃないってことか」
「ギルドには魔族が入ってこれないよう防御結界が張ってある。第三ならともかく、このルクシリア皇国で上位の魔族というのも考えられないね」
腕組みしながらのギルド長の言葉に、確かになとゼノも頷き返した。
ここがルクシリア皇国という時点で、高位魔族の線は消える。
第三盟主の領域を荒らすような魔族がいるとは考えにくい。第一盟主は元より、第二盟主もこんな手の込んだことはしない。
「魔族以外ってことか?」
魔族以外なら何なのか。そもそも「黒い何か」とはなんだ。
「呑まれた頭領の様子はどうだったの? その黒い何かを知ってる感じ?」
リタの言葉に、ドリトスが頭を振った。
「いや。黒い何かは転移陣の上空の歪みから現れた。現れてすぐ、頭領の上に落ちてきたらしい。迷いなく頭領を呑み込み、その後、まるで匂いを嗅ぐように周囲の者に近寄ると、そのまま元の歪みに姿を消したようだ。狙いは頭領だけだったようだな」
その黒い物に匂いを嗅がれた連中が正気を失ったらしい。
「近づくだけでか。ヤバいな、それは」
「なら頭領も無事ではないですね」
折角生け捕りにしたのに、と悔しそうなのはベアトリーチェだ。
「ふむ……やはり口封じの線を捨てるのは早急に過ぎるか」
口封じなら人の仕業になる。
ハインリヒの言葉にギルドの職員は皆一様に苦い顔をした。
もしもそうなら、人を狂わせるほどの危険なものを作り出した者が存在するということだ。それなら魔族の仕業と言われた方がいくらかマシだ。
「人の仕業なら、魔塔になるかい?」
「決めつけるのは危険だな。だが、魔塔でなければ同等かそれ以上の力を持っている者の仕業には違いないだろう」
苦い顔をして額を押さえながらのギルド長の言葉を、ハインリヒが忠告しつつも嫌な可能性を示唆してくる。
どことなく重い空気が漂った中、リタがぽんと手を打った。
「ヘスがやらかしてたとかは? ヘスが捕まって、野放しになってしまった物とか」
「ヘスか……否定しきれぬのが辛いところだな。リーリア嬢が何か知らぬか確認してみよう」
「優しくよ」
「心得ている」
絶対よ、と念押しするリタを五月蠅そうに手で払うと、これ以上この場でわかることはないだろうと、地下を後にした。
「最初の盗賊団の面々は、この地下じゃなく皇国騎士団に引き渡しておいた。明日にでも直接話を聞くかい?」
ギルド長の言葉に、リタが頷いた。
「ええ。頭領の腕のマークについて聞いてみたいわ。彼らなら何か知っているかも」
「それがいい。この件に関係あるなしに関わらず確認しておけばスッキリするだろうさ」
「その時はゼノも同席したまえ——他に何か気付く事もあるかもしれない」
三人の会話に、ギルド長がベアトリーチェを振り返った。
「リーチェ。なら明日一番に騎士団に連絡をいれておきな」
「承知しました。私も同行いたします」
すかさず自分も行くことを申告するベアトリーチェに、ギルド長が眉間に皺を寄せたが、ベアトリーチェは目も合わせない。
ギルド長相手にもコレとはなかなか豪胆だ。
好き勝手やってる嬢ちゃんだな、とゼノは苦笑しつつ、今日はこの場で解散することになった。
「ではリタ殿お疲れ様でした。明日皇城に行くときはお迎えにあがります!」
笑顔でリタに敬礼するベアトリーチェに、リタも満面の笑顔で応えた。
「リーチェもお疲れ様。久々の外での仕事は大変だったでしょう?今日はゆっくり休んでね。また明日会えるのを楽しみにしているわ」
「はい! ——剣聖殿もお疲れ様です」
ゼノにはあくまで儀礼的に、とりあえず職務上言わねばなるまい、という姿が見え見えで、その態度の一貫ぶりにはゼノも笑うしかなかった。
「おう、お前さんもお疲れさん。——的確な道案内はほんと助かったぜ」
五つの盗賊団を速やかに捕縛出来たのは、ベアトリーチェの無駄のない道案内のお陰でもある。その点は間違いなく優秀だった。
ゼノの褒め言葉に、ベアトリーチェが愕然とした表情で仰け反った。
「思っていたより大人な対応……!!」
「……いや、お前さん俺をなんだと思ってんだ……」
「くっ……流石は二百年を生きる老人。少しは評価を上方修正してあげます」
「いや、別にもういいけどな」
「でもリタ殿のことに関しては負けませんから!」
「いや、そこは勝つつもりねえから」
「次の討伐依頼の準備では負けませんから!!」
ビシッと指差し叫ぶベアトリーチェに、ゼノはげんなりとしてため息をついた。
誰も競ってねえ……
この仕事中ずっと意思表示をしたにも関わらず、悲しいかな、これっぽっちもベアトリーチェには伝わっていない。
「リーチェは本当にギルド職員の鑑ね。ゼノの言う通り、道案内も装備も完璧だったもの。次回は私もリーチェに快適に過ごしてもらえるよう、準備を怠らないわ!」
「はぅっ……!そんな、リタ殿のお褒めに与るなんて……望外の喜びです……!!」
眩しいものでも見るように顔に手をかざして、よろよろと後ずさりするベアトリーチェに、リタが笑顔でトドメを刺す。
そんな二人を呆れたように見ながら、ハインリヒはゼノを振り返った。
「君達は遊びではなく盗賊討伐に向かったので間違いないな?」
「そのはずだがな……」
むしろ今回の討伐は、討伐自体よりも道中の方が疲れたな、とゼノは独りごちた。
* * *
「お帰りなさい、おねえちゃん、ゼノさん」
「お帰り〜」
「お帰りなさ〜い!」
シグレン家に帰り着くと、皆が出迎えてくれた。
お帰りなさい、と出迎えられるのが本当に久方ぶりで、ゼノはなんだか面映ゆい。その皆の輪の中には、心配そうな顔をしたアーシェとサラがいて、ゼノも相好を崩した。
「アーシェ、サラ」
「お帰りなさい、お父さん」
「お帰りなさい。ギルドで起こった事件を聞いたの。二人は無事だったの?」
二人がこちらに駆けるようにやって来て、心配そうにゼノに問うのに頭を撫でてやりながら、不安げな面持ちでこちらに歩み寄ってきたアインスを見やる。
「お前達も聞いたのか」
「ギルドはえらい騒ぎになってたから」
一時的に建物が閉鎖され屋外に臨時受付が設置されたり、怯えた盗賊の対処や消えた頭領の捜索で、ギルドが大わらわだったので他の冒険者も知っているとアインスが話してくれた。なるほど、かなり大事になっているようだ。
「私達はその黒い物は見てないし、遭遇もしていないの」
「なら良かったです。なんだか、とても恐ろしいものだったと聞いたので」
リタの言葉にアーシェやアインスが胸を撫で下ろした。会っただけで正気を失った者がいると聞いて心配してくれていたようだ。
「それで、その黒い物はなんだかわかったのか?」
アインスの質問に、リタもゼノも頭を振った。
「今のところ手がかりなしだ。こっちはノクトアの情報待ちになるかもしれねえな」
「やっぱりお父さん達が対応しなくちゃいけないの……?」
そっとゼノの手を取りながら、不安そうにサラが問う。
「まあ……魔族だった場合は俺が相手するのが最適だしな」
「いつだってそう。みんなお父さんに、そういうの任せる……」
ぎゅっと抱きつきながらぼそりと呟いたサラの言葉は、アーシェとリタの耳にだけ届いた。
その言葉に苦笑しながら、ゼノはサラの頭を優しく撫でた。
心配してくれるのは嬉しいし、ありがたい。
だが。
「そんな危険な物とお前達が遭遇することを考えたら、何なのかは知っておきたい。倒す倒さないは別としても、知っておくことは重要だ」
「そうよ、サラ。大丈夫。私とゼノが一緒なら、大抵のことはなんとかなるわ。ゼノが怪我したって、私だったら治療も出来るしね」
大丈夫。ゼノは私が守るわよ、と笑うリタに、サラはぷくっと頬を膨らませた。
「……リタさんも怪我しちゃダメよ?お父さんは治癒出来ないから」
「私の事はゼノが守ってくれるわよ!」
「そうだぜ。リタの事は俺が守る。お前さん達は何も心配することはねえよ」
安心させるように笑うゼノとリタに、サラはそれでもまだ不安そうだったが、こくりと小さく頷いた。
何のかんの言いつつも、まだ親離れ出来ていないサラにとっては、ゼノに会えなかった五日間は寂しかったのだ。
ギルドで仕事をするのはいい。でもゼノに何日も会えないのは寂しい。
口には出さないが、アーシェだってまだ慣れない。
ゼノの顔を見てようやく落ち着いたらしい二人の様子に、アインスもホッと胸をなで下ろした。
「さあさ。では夕食にしましょうか」
場が落ち着いたとみてモーリー夫人がにこやかに告げ、皆で夕食の準備を始めた。
ゼノとリタは一旦荷物を置いてこようと、連れだって二階に上がっていった。
「確かに、何かは知っておきたいわね」
「ああ。対処が出来るだろ。明日連中に話しを聞いて手がかりになればいいけどな」
どうしても情報が集まらなければ、あいつに聞きに行く必要があるんじゃねえのか、と嫌な予感に内心ため息をつく。
そういやそろそろ相手しねえと、マズいぐらい時期が空いてねえか? そっちの引き継ぎはちゃんとクライツにやってんだろうな、ハインリヒは。
面倒な魔族の顔を思い浮かべながら部屋に入ったゼノは、大剣を壁に立てかけコートを椅子の背に掛けると、背を伸ばした。
今回の討伐は、デュティのコテージを利用したため体力的にはあまり疲れていない。地面に寝るのとソファ(ソファベッドだった)に寝るのとでは身体への負担が違う。
「あいつもあんな物があるなら、もっと前に出してくれりゃあいいのにな」
やっぱ女相手は違うってことかね、と首を回したとき、ポーチに何かが追加された感覚があった。
今度はなんだ?と追加された物を手に取る。
手紙だ。
封筒にも入れずに二つに畳まれたメモ書きのようなそれを開いたゼノは、目を見開いて固まった。
「なっ……!?」
それは、正しくデュティからの手紙だった。
あるいは、それは世間では請求書とも呼ばれる。
—— コテージに魔石使っちゃったから、ランクB以上の魔石を至急三十個用意してね
「んだそりゃーーーーーーーーーーっ!?」
ゼノの絶叫が、シグレン家に響き渡った。
しわ寄せはゼノに。
箱庭側でコテージに魔力供給で5個、外界で維持するのに1個。1回の使用で合計6個必要。
それを5回使用(1回目はすぐに解除)したので30個。




