(三)お仕事に漂う不穏な気配
東大陸の南西、領域で言うなら今は主のいない第六領域に、かつてアルカントと呼ばれた国が存在したのを知るのは、歴史学者やノクトアドゥクスのような情報組織だけかもしれない。今ではその意味も知られずに、ただ『アルカントの魔女』というアザレアの呼称のみが残っているだけだ。
のどかな丘陵地帯が続く見晴らしのよい長い道を、教会のコルテリオ——教会執行機関セスパーダの影——に属するルカとその相棒のランチェスが歩いていた。
この道の続く先には、彼らが育った教会がある。いや、教会しかない、と言うべきか。この道は教会に用事のある者しか利用しない。
聖女としてリタを捕まえる仕事を、命令とは言え途中放棄する形になったルカと相棒のランチェスは、割り切れない思いを抱えたまま、コルテリオの隊長からしばらくの休暇を言い渡された。
休暇など、久しぶりすぎてどう過ごせば良いかわからないのが本音だ。だがちょうど良い機会だと、ランチェスと共に久方ぶりに古巣の教会を訪ねることにした。
彼らが育った教会は孤児院が併設された、非常に歴史の古い教会で、大昔には聖女を輩出したこともあるという、由緒正しき教会だった。
「我々は、切り捨てられたのだろうか」
ぼそりと、ランチェスが呟いた。
この旅が始まってからずっと、常の彼からは考えられないほど落ち込んで元気がなかった。ずっとだんまりだったランチェスがようやく放った言葉に、ルカはチラリと視線をやって鼻を鳴らした。
「それならこうやって自由には動けない。教会の奥に閉じ込められるか、消されるかだ。――なんだ、お前はそんな事をずっと思い悩んでいたのか」
大人しいと思ったら、と呆れたように肩をすくめてみせれば、ランチェスが慌てたようにルカを振り返った。
「し、仕方ないではないか!ルカと私が組んで任務の失敗などこれまでなかった!……失敗した私が生かされるとは……またルカと共にいられるとは思わなかったのだ……」
言葉尻がどんどん小さくなっていくのは、他のコルテリオと組んだ修道士仲間が、切り捨てられていくのを見たことがあるからだろう。
ルカとランチェスの立場は異なる。
ルカは正式なコルテリオのメンバーだが、ランチェスは違う。ランチェスはあくまでも替えのきく戦闘員だ。そういう者を教会本部の修道院では数多く育てているのだ。役立たずと判断されれば、消されるか、あるいはもっと厳しい労働に回されることになる。
ルカもそれを知らない訳ではない。だが。
「案ずるな。――私は相棒を替える気はない。お前は五月蠅いのが玉に瑕だが、私と息が合うのはお前以外にいない。――お前が消される時は私が消される時だ」
「そんな事はさせぬ!!――誰にも」
ルカの言葉を勢いよく否定するランチェスに、ルカも当然だと頷いた。
「当たり前だ。わかっているなら辛気くさい顔はやめろ。その図体で鬱陶しい」
ルカが冷たく言い捨てた言葉に、だがランチェスは照れたように笑って頭をかいた。その姿にルカが顔を顰める。
「照れるな。気持ち悪い」
「殺生な!?」
ルカの無茶ぶりにランチェスが涙目で叫んだが、それでもどこか嬉しそうな姿に、ルカは軽くため息をついてそっぽを向いた。
二人は、今から向かう教会の孤児院で出会った。
要領よく頭も運動神経も良かったルカと、身体が頑丈で力だけが強かったランチェス。性格的にも正反対で、粗暴で騒がしいランチェスを鬱陶しく思うルカと、頭がよく人を小馬鹿にしたような態度のルカを嫌うランチェスとは、最初非常に仲が悪かった。
ある時起こった町での盗難騒ぎで、真っ先に疑われたのは孤児院で乱暴者のランチェスだった。実際の犯人は町長の息子だったのだが、普段からの粗暴さと状況証拠で町の者はランチェスが犯人だと断じた。
シスターが間に入って謝罪し、教会の落ち度として町への補償を行うことで話を収め、シスターの必死の謝罪でランチェスに重い罰が与えられることはなんとか避けられたが、それでも教会孤児院への信頼は地に落ちた。
そんな時、二度目の盗難が起きた。
もちろん真っ先に疑われたのはランチェスだ。
盗人はどこまでいっても盗人だと騒ぎ立てる町人の前で、ランチェスを殴り飛ばしたのはルカだ。
「懲りないクズだな、お前は」
少年にしては非常に冷ややかな声と視線に、周囲にいた警吏や住人が驚きその雰囲気に呑まれた。
「ち、違う……!オレじゃない……!!」
真っ青になって、何もやっていない、と頭を振るランチェスの言葉など、周囲は誰も信じない。ルカもあえてランチェスが犯人であるかのように振る舞った。
「馬鹿を言うな。警吏が確固たる証拠もなくお前を犯人だと断じるわけがないだろう。証拠があるに決まっている――ですよね」
それは、どちらかと言えば証拠もなしに断じるなよ、という警吏への警告でもあったのだが、今回は状況証拠すらない状態だったので、彼らの歯切れも悪い。
盗みなど一度もしていない!とランチェスが騒ぎ町中が非難の視線を浴びせた時――まさに三度目の犯行が行われているところだった。
用心深くなった店主達が仕掛けていた防犯用の鈴が鳴ったのだ。
衆目を集める中で捕まったのは、町長の息子と手下達だった。
彼らが現行犯で捕まった事で、前の二件も彼らの仕業だと判明し、ランチェスの濡れ衣も晴れ、教会孤児院の評判も取り戻せた。
馬鹿にし油断しきった町長の息子達に、獲物と犯行時間をそれとなく誘導したのはルカだった。ランチェスがあえて町中の衆目を集める時に誘導されたことすら、彼らは気付かなかっただろう。
ルカは単に、気に食わなかっただけだ。
下げる必要もない頭を下げ、心ない誹謗中傷に晒されるシスターを見ているのが腹立たしかった。
粗暴だが根は真っ直ぐなランチェスを孤児だと馬鹿にし、さも自分達が上級な人間だと勘違いしている町長の息子達が目障りだった。
だから嵌めてやったのだ。
同じように孤児だという理由だけで、すぐに疑う町の連中の目の前で。
一度目は慎重に。二度目は慣れる。三度目ともなると警戒すら怠り舐めきっていたのだろう。ルカがちょっと方向付けをしてやるだけで簡単に引っかかった。
「これで思い知ったろうさ」
警吏や町長、町中が騒いでいる中でふん、と馬鹿にするように小さく吐き捨てた言葉を聞いていたのはランチェスだけだった。その言葉で、ルカがこの事態を引き起こし自分の無実を証明してくれたのだとランチェスは知った。
ランチェスはこの時からルカに傾倒している。
その日から鬱陶しがられながらもルカの子分よろしくつきまとい、最後にはとうとうルカが根負けした。
この盗難騒動がコルテリオの隊長の耳に入りルカは目を掛けられ、ランチェスも一緒にという条件のもと、コルテリオ入りした。
ランチェスはコルテリオには向いていないかったが、ルカの相棒となるために戒律と訓練の厳しい本部の修道院に移動したのだ。
ランチェスも望んだこととはいえ、ルカの我儘でもある。
ルカにとって相棒はランチェス以外考えられなかった。アネリーフェが自身の兄を相棒にしているように。
それが許されるほど、ルカもアネリーフェもコルテリオ内で実績を上げてきたのだ。
「おお、見えてきた!! ははは!前回訪ねた時からあまり変わらぬのではないか!?」
急に元気になったランチェスに呆れたようにため息を落とす。
「当たり前だ。三年程度で大きく変わってたまるか」
「ああ、もっと綺麗にしたいな!もっと働いて寄付をせねば!!」
「ほどほどにしておけ。下らぬ疑念を呼ぶ」
「ぐぬぬぬ。なんと難しい……!」
それに、シスターテレシアはそのような事は望んでいない筈だとルカは内心で付け加えた。
ルカにとって、育った教会孤児院のシスターテレシアこそが、聖女だった。
世で言われている浄化と癒やしの力などは持っていない。ただの治癒魔法が使えるシスターだったが、聡明で慈悲深く、慈愛に満ちた女性で、世間を斜に構えて見ていたルカですら、心から敬愛できるシスターだった。
ソリタルア神は、なぜ彼女にこそ聖女の力を与えなかったのか。
そう考えて怒りを覚えるほど、ルカの中でシスターテレシアへの尊敬の念は強い。故に、彼にとって聖女とはテレシアのみで、それ以外はただの道具だ。
ルカにはテレシア以外を聖女として扱ってやる気など毛頭ない。
それがささやかな、ソリタルア神への報復であったのかもしれない。
そのルカの思いを、教皇は否定しなかった。
本来であれば叱られ、諭されるべきことを、黒の教皇——セスパーダが実質的に崇め仕える教皇は、それを良しとした。
故にルカは教皇に忠誠を誓っている。
教会へ辿り着き古びた木製の扉を静かに開ければ、そこは小さいながらも静謐な空間の広がる礼拝堂だ。
ソリタルア神像と、その手前にある祭壇には神火が厳かに灯り、礼拝堂内を優しく照らしていた。
二人は緩やかな足取りで祭壇まで歩み寄ると、膝をつき祈りを捧げた。
この教会に身を寄せてから、毎日何度も行ってきたソリタルア神への祈り。
この教会の祭壇に祈りを捧げる行為こそが、ルカにとっては一番敬虔な祈りだ。そして、身寄りのない二人にとって、この教会こそが故郷と言える場所でもあった。
しばらく無言で祈りを捧げていた二人は、扉の開く微かな音にゆっくりと立ち上がった。礼拝堂の横手にある扉から、年配のシスターが顔を覗かせている。
「まあ、ルカ様、ランチェス殿。お戻りでしたの?」
「はい。しばらくこちらに滞在出来ればと思います。シスターテレシアはお元気ですか」
にこにこと笑顔を浮かべる馴染みのシスターノリアに、ルカも穏やかな笑みを浮かべて問いかけた。
「もちろんですとも。お二人のお帰りをお喜びになるでしょう。ほほほ。お二人ともお元気そうで安心いたしましたわ。どうぞこちらへ」
「おお!!シスターノリアもお元気そうでなによりです!」
人一倍大きな声のランチェスの様子にも穏やかな笑みを浮かべ、二人をテレシアの元に案内する。
「今教会には、とても珍しいお客様がおいでになっていて、テレシア様もとてもお喜びですの」
「珍しい客?」
初めて聞く言葉に首を傾げる。
「ええ。お二人は初めて会うのではないかしら。彼の方は滅多に立ち寄られませんし、前回お見えになった時には、お二人は本部に移られた後でしたもの」
どういった人物か想像も出来ずに、ランチェスと視線を見交わす。
シスターテレシアが会って喜ぶ相手など、ルカの記憶では確かにいなかった。——もっとも、ここのシスターは皆穏やかでいつも笑顔を湛えているので、特別に喜ぶ姿はあまり思い浮かばない。
「テレシア様。ノリアです」
「どうぞ」
教会の執務室の扉をノリアが軽くノックすれば、テレシアの返事が返ってきて、三人は執務室に足を踏み入れた。
応接セットには、ルカやランチェスにとって懐かしいテレシアが、確かに初めて見る女性と向かい合って座っていた。
腰まで届く藍色の波打つ髪に、大きな水色の石がついたイヤリングが目を引いた。年の頃は二十代半ばに見えたが、纏う空気は歴戦のそれだ。
コルテリオとして過ごすルカは、瞬時にこの女がただ者ではないことを悟った。
警戒した様子のルカに、女はくっと低く笑った。
「まあ、ルカ、ランチェス。二人がここに帰ってくるなんて何年ぶりかしら。まあまあ。変わりはない?元気そうで良かったわ」
ソファから立ち上がり、シスターテレシアが相好を崩して二人に歩み寄る。
「もっと顔をよく見せてちょうだい。二人とも立派にお勤めをしているのでしょうけれど、便りもないのだもの」
「ご無沙汰をしております。シスターテレシア」
「うおお!!テレシア様もお元気そうでなによりです!」
女に対しての警戒心を瞬時に隠し、テレシアに頭を下げるルカと相変わらず大声で騒ぐランチェスに、テレシアは穏やかな笑みを浮かべた。
「まあまあ。ランチェスも元気そうで安心しました。移動した修道院は非常に戒律の厳しいところでしょう?辛くなればいつでもこの教会に戻ってきても良いのですからね」
「なんの辛いことなどありましょうか!あれぐらい厳しい方が粗忽者の私には丁度良いのです!ルカとも会う機会が持てますし!!」
「まあまあ。二人が相変わらず仲が良くて安心だわ」
にこにこと笑って告げられて、ルカも苦笑しつつ頭を下げた。
「ところで、お客様との歓談を邪魔してしまいましたか」
チラリとソファに座りこちらの様子を見ている女に視線を投げれば、テレシアは、そうだったわ、と軽く手を叩いた。
「あなた達は会うのは初めてでしたね。こちらはアザレア様。アルカントの聖女、アザレア様よ」
——アルカントの聖女、アザレア
ルカの知っているアザレアの呼称とは異なる。
微かに眉宇を顰めたルカにくくくっと低く笑ったのはアザレアだ。
「およし、テレシア。あたしの事はアルカントの『魔女』と言われた方が理解出来るだろうさ」
「まあ、またそんな事をおっしゃる」
アザレアのどこか自嘲するような言葉にテレシアが眉宇を顰めて、咎めるように言った。
「聖女——ですか」
「元、ね。今じゃ浄化の力も喪った、ただの死に損ないさ」
「すぐにそのようにご自身を貶めるような事をおっしゃるのだから」
テレシアはアザレアの物言いが気に入らないようだったが、ルカの知るアルカントの魔女は、齢五百年にはなろうかという古の魔術師だ。少なくとも、元聖女であったという情報は初めて聞く。
「アザレア様は、こちらの教会にいらっしゃった折りに聖女の力を顕現なさったのよ。その力でこの地域をはじめとする多くの人々を魔族から救ってくださったの」
この教会は古くから存在する由緒正しい教会で、大昔に聖女を輩出したとも言われている。その聖女がアザレアの事だったのか。元はシスターであったのかもしれない彼女は、だが今はその名残は微塵も見られない。
魔女、と言われた方が納得出来る装いと雰囲気だ。
「今もこうして定期的にこちらを訪れて、結界を張り直してくださるの。お陰でこの地域は魔族被害がないのよ」
「……そうでしたか」
確かに不思議ではあったのだ。田舎でありながら、魔族はもちろん魔獣すら現れない平和なこの地が。それが魔女の——元聖女の施した魔術のお陰だったとは。
「ただ——故郷と呼ばれる場所を喪いたくないとあがいているだけさ。あたしの勝手な都合だよ」
目を伏せて告げられたその言葉は彼女の本心なのだろう。長く生きるアザレアにとっても、この教会は奇しくもルカ達と同じ、故郷になっていたのだ。
「わたくしは、アザレア様とお会いできるのは嬉しゅうございますので、もっとお立ち寄り下さりませ」
「あたしがあまり立ち寄ると、本部から睨まれるだろうさ。頭の固い爺どもはヒヨリが掌握してしまったようだが、あれはあれで心配さ。——ここが巻き込まれないことをあたしは願う」
そう言って一瞬鋭い視線をルカ達に投げたのは、彼女はルカ達の正体に勘づいているからだろう。
——元聖女だけあって、教会内部には詳しいということか
油断ならないなと警戒する一方で、本部とアザレアの関係がどうなっているのかを性急に知る必要があるなと思った。
ルカとて、この教会が騒動に巻き込まれるのは御免だ。シスターテレシアにはいつまでも心穏やかにこの地で過ごしてもらいたい。
ここが平和であれば、どのような苦行も苦難も耐えられる。
そこだけは、このアルカントの魔女と共通する気持ちなのかもしれなかった。
* * *
「信じられません……っ!なんですの、それは!?」
ゼノ達は、ハインリヒによって回された盗賊退治を早急に片付けるべく、最速を目指して事にあたっていた。
一つ目の盗賊団を潰しちょうど攫われて来た女性達を町に送り届けたため、その日は町に宿をとったが、二つ目の盗賊団を潰し、三つ目の盗賊団退治に向かう道中は、森の中での野宿となった。
その野宿を準備している最中の、ベアトリーチェの叫び声だ。
「いや、何って言われてもな……俺だってわからねえよ」
そう微妙な顔でゼノが呟いたのにも理由がある。
事の起こりは、野宿の準備にベアトリーチェが披露した野宿セットだ。
「リタ殿を汚い所で眠らせる訳には参りません」
と彼女が魔法鞄から取りだしたテントと寝袋は、貴族も使うという非常に上等な品で、寝袋も上質な生地で出来ていてふかふかだった。
「こんなのもあるのね」
感心したようなリタの言葉に、ベアトリーチェは得意顔だ。
「リタ殿には快適に過ごしていただかなくてはなりませんから」
いそいそと取りだした食材もなかなか豪勢だ。
よくやるなぁ、と他人事のように見ていたゼノのポーチに異変が起こったのはその時だ。
何かが投入された感覚に、何の気なしにそれを取りだしたゼノは首を傾げた。
「魔法陣……?」
「どうしたの、ゼノ」
「いやあ、なんかデュティから送られてきたみてえなんだがな」
なんの魔法陣だ??と首を傾げつつ添えられたメモを見れば、五メートル四方以上開けた場所で魔石を投げ込めとあり、木々を切り倒して確保した場所に魔法陣を置いて魔石を放り投げた。
——そうして現れたのがこのコテージだ。
ゼノにだってもう意味がわからない。
「これは……転移陣だったのかしら?」
コテージをぐるりと外から確認して、首を傾げつつドアを開けて中に入ったリタは、中に二段ベッドとソファ、テーブルセットがあるのに目を剥いた。奥に扉も見えるのはもしやシャワー室か。
手狭だが色々揃ってる。
「——なに、これ」
「あいつ、何考えてるんだ?」
こんな物をポーチに忍ばせてどういうつもりか。
しかもベッドはカーテン付きだ。おまけに道具箱があるのは、もしや箱庭と繋がっているのか。
ゼノとリタには箱庭は割と何でもありだとの認識だが、初めて見るベアトリーチェにとってはそうでもない。
それ故の冒頭の驚きであったわけだが、どういうつもりでデュティがこんな物を用意したのかゼノにだってわからない。
「箱庭関連では驚いた方が負けなのよ、リーチェ。それに、これだけしっかりとした建物だったら、リーチェに疲れもでなくていいんじゃないかしら」
「そ、それは……そうかもしれませんが……」
リタのために用意した最高級寝袋を抱きしめながら、ベアトリーチェは納得のいかない顔をしている。
ぐぬぬぬ、と厳しい顔をしてキッとゼノを睨み付けた。
「——負けません!こんなことでリタ殿の点数を稼いだと思ったら大間違いですから!」
「……いや、なんで俺がリタの点数稼ぎをしなくちゃならねえんだよ」
それにやったのはゼノでなくデュティである。
「リタ殿のお仕事のサポートは、私が完璧にこなしてみせますから!」
「へーへー」
もう好きにしてくれ、とコテージの奥に進めば、部屋の壁に魔石が埋め込まれているのに気付いた。
リタも気付いて壁を覗き込む。
「この魔石の力でコテージを維持しているのかしら?」
「どうだろ?外してみるか」
「え!? ちょっと!」
どれ、とリタが止める間もなくゼノが壁に埋まっている魔石を取り外せば、コテージが瞬く間に消えて、地面には魔法陣が記された魔紙だけが残された。
全員普通に立っていたお陰か、ゼノ達には特に影響はなかった。
「……どういう原理?」
「……わからん」
魔石は消えたな、と再度ポーチを漁って魔石を取りだしたゼノは、二人を下がらせて再度魔石を魔法陣に放り込む。するとまたコテージが現れた。
「……なんて画期的な……!!」
ベアトリーチェは衝撃を受けたようだが、ゼノとリタは微妙な気持ちだった。
なにせあのデュティだ。何が出来ても不思議ではない。不思議ではないが、このような物を見るのも使うのもゼノも初めてだ。
なんで急に……?と首を傾げれば、ゼノの横には悔しがるベアトリーチェが佇んでいる。
まさか、コイツに対抗したって訳じゃあねえよな……?
まさかな、とガシガシと頭をかきながらリタ達に続いてコテージに入った。
コテージの中をチェックするためベアトリーチェとリタが動き始めた横で、ゼノもコテージ備え付けの道具箱を開ければ、そこからは焼きたてのパンが姿を現した。
「……」
「あら、それ!ジェニーのところのパンじゃない?」
確かに箱庭ではジェニーのところのパンを食していたので、リタが言い当てるのは当然だが、なんだか複雑だ。
ならば次に出てきた鍋は、カレンの食堂の物かもしれない。
正直、ここまで直接的な食事が出てくるのは珍しい。
アザレアと一緒の時だって、スープ類は出てこなかった。
ほかほか焼きたてのパンとスープに、ベアトリーチェの頬が引き攣るのを見て、ゼノはそっと視線を逸らした。
なんだかこれ以上道具箱を漁るのが怖い。
そっと道具箱から離れれば、まったく気にしないリタが構わず手を突っ込んでは色々な物を取り出していく。
「へえ〜こうなってるのね……あら、他にもあるわ」
と、次々出してきたのはメインディッシュにデザートだ。
間違いなく、カレンの食堂の料理だろう。
出前かよ、とゼノが内心でツッコミを入れたのは仕方ない。
「へえ〜!凄いわね、このコテージ。ささ、リーチェもテーブルについて」
ウキウキとリタがテーブルをセッティングしていくのを、ベアトリーチェが複雑な顔で見つめている。
ゼノは何も言わずにテーブルについた。
人数まで分かってるようで、ちゃんと三人分だ。ベッドは恐らくこれ以上入らなかったので、ゼノはソファに寝ろとのことだろうが、野宿なのに建物で過ごせるだけでも身体への負担がかなり違う。
「リーチェも今日はご苦労さま。慣れない行程は疲れたんじゃないの?大丈夫?」
「は、はい。これぐらいどうってことありません!」
普段はギルドで仕事をする彼女だ。元は冒険者といえども、リタとしては出来るなら野宿よりも宿をとってやりたかった。
だが、盗賊団を急いで駆逐してしまいたかったのも本音だ。そこはベアトリーチェの言葉に甘えて野宿を選択させてもらった。だから、デュティのこの心遣いはリタにとっては非常にありがたい。
「これならリーチェにも快適に過ごしてもらえそうだわ。デュティは本当に女性に優しいわね。流石だわ」
満足そうに頷くリタに、ベアトリーチェは悔しそうな顔をして、キッとゼノを恨みがましそうに睨み付けた。
とんだとばっちりだ。
な〜んで俺が睨まれるかね。
理不尽じゃねえか?
とのゼノの心を理解してくれるのは恐らくアインスしかいないだろうが、残念ながらここにはいない。
「相変わらずカレンの食堂の食事は美味しいわ。ふふ、焼きたてパンやシャーベットなんてデザートがこんな森の中で食べられるなんて幸せだわ」
「そうですね……美味しいです」
リタに笑顔で言われればベアトリーチェもほわ、と笑顔で答えた。リタが笑顔ならそれはそれでいいのだ。自分がこの笑顔を引き出せなかったのは悔しいが、それはそれだ。
「私も色々準備はしてきたのですが……」
「それはいざという時にとっておいて。何が起こるかわからないのがこのお仕事でしょう?」
常にデュティのコテージが利用出来るとは限らない。
クラスA冒険者らしいリタの言葉に、ベアトリーチェも大きく頷いた。
「わかりました。お任せください!」
どうやらそれでベアトリーチェの機嫌は直ったらしい。現金なものだ。
まあ、女の機嫌がいいにこしたことはねえよな、とはゼノの経験則だ。
どうなるかと思った夕食は、幸いにも和やかに終了した。
食後には、ベアトリーチェが持参したお薦めのお茶をいただいて寛ぐ時間さえあった。
なんだか調子が狂うよな、と呑気にゼノが考えていたその時、ベアトリーチェの通信用魔道具が震えた。
「はい。——ええ、そうですね。はい、はい——は?なんですって!?」
緊迫したベアトリーチェの様子に、寛いでいたリタとゼノが素早く身構える。
「消えた?消えたとはどういうことです?寝ぼけるには早いんじゃないですか」
誰が相手だか知らないが、なかなか辛辣な言葉を返している。
「——ちょっと待ってください」
そう断ると、ベアトリーチェがゼノとリタを見た。
「先日捕まえてギルドに送還した、盗賊団の頭領が姿を消しました」
先日、ということは一番最初の盗賊団か。確かゼノが右腕を斬り落とした筈だ。
「そいつだけが?牢から逃げたの?」
「同じ牢にいた連中の証言では——黒い何かが突然現れて、頭領を呑み込み姿を消したというのです」
黒い何か。なんだそれは。
「ただ……その場にいた者たちの怯えが尋常でなく、正気を失う者まで出る異常事態だというのです。——お二人に何か心当たりはありますか?」
そう問われてゼノとリタも顔を見合わせた。
盗賊達が怯えて正気を失うほどの黒い何か。
それだけでは何も言えない。
「その場に何か力の残滓みたいなものは残っているのかしら」
「わからないそうです」
困惑したようなベアトリーチェに、リタも口許に手をあて考え込む。
唐突に、ゼノは思い出した。
あの時感じた異質なもの。
魔族や盟主とも異なる何か。
結局あの場では見つけられなかったが、もしそれがそうであれば?
——だがなんでギルドに?
「実際に見てみねえとわからねえな」
断じるには情報が足りない。
「そうね。ギルドの牢に入り込めるなんて危険な存在だわ」
魔族には確かにそういった移動を得意とする者が存在する。第三盟主のように。だがそれだけで正気を失うだろうか。
「それが現れたのは昨日のことだそうです。送還されてきたのをギルドの者が確認し、諸々の手続きのために一時間ほど放置していた間の出来事だと。ギルドではその騒ぎを収めるのに今までかかっていたようです」
他の盗賊達の怯えがあまりに酷くて落ち着かせるのが大変だったこと、また本当に逃げだしたのではないのかとの確認を行うのに時間がかかったらしい。
「それで? ギルドの判断は?」
現場確認のために戻ってこいとの指示か、あるいは。
「……長官殿は、このまま続行しろとのことです。今日送った頭領には今の所まだ何も起こっていないようですが、別の盗賊団の頭領が送還されてきた時に同様のことが起こるのか確認したいと」
「妥当だな。戻ったところで魔術的な残滓なら既に消えてる可能性もある」
「そうね。次の頭領にも同じ事が起きれば相手の狙いもわかるもの」
ゼノの言葉にリタも頷き返す。だが少し考えて、ベアトリーチェを見遣った。
「ハインリヒに伝えてくれ。確たる証拠はねえが、消えた頭領がいた根城で異質な何かを感じた。それが何かは俺にもわからねえし、今回の件に関連があるかもわからねえが、一瞬感じたそれは異質だった。注意しろと」
険しい表情で告げられた内容に、リタもベアトリーチェも神妙に頷き返し、ベアトリーチェはその忠告を通信相手に伝えた。
「いつ感じたの?」
リタが眉根を寄せてゼノに問う。少なくともリタはそんなもの感じなかった。
「下山する時、ほんの一瞬だ。注意して探ってみたが、その一瞬だけで後はわからなかった。気のせいかとも思ったんだが……何かがいたのは確かかもしれねえな」
ゼノでも一瞬しか感じ取れなかったのならば、相当の手練れだ。
見た者の「黒い何か」という証言も気にかかる。
どうやらただの盗賊退治では収まりそうもないなと、ゼノは難しい顔をして頭をかいた。
「そっちがそうなら、ぼくはこれ!」とリーチェに対抗してノリノリで用意してみたデュティ。
迷惑を被るのはゼノで。




