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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(三十八)黒い鳥の魔術と裁定者



 それを目にした時、衝撃が走った。


 ——ついにか


 魔力量、魔術の素養、そして属性。

 失敗したとしても、成功したとしてもアルトはもちろん、他の誰も気に病む必要のない性質。


 まさに相応しい。


 正直、期待などなかった。

 これまでも、その素養を持つ者は本人がそれと気付かないだけで存在はした。だが、アルトの眼鏡に適うには、魔力量が少ないうえに魔術の知識もなさ過ぎた。

 また、扱えはしても本人にその属性がある訳ではないことが多く、試すレベルにすら至っていない者ばかりで、そろそろ真剣に別の方法を模索せねばと考えていた矢先だ。

 この巡り合わせは、鍵はゼノか、それとも黄金(きん)の聖女か。あるいは、二人揃う必要があったのか。


 なにせ、黄金(きん)は白の力を強めも弱めもする。

 白の力を喰らう黒とは異なる存在だ。 


 二百年前にも期待はあった。

 だが、元の世界との道が開かれそうになったぐらいで、この世界に関係することは動かなかったし、この二百年間何も起こらなかった。

 黄金(きん)の聖女リタがこの世に生まれ落ち、ゼノと出会った事で事態が静かに動き出すのではと期待した。


 そして、この男の存在——


 まさしく、アルトが探し求めていた素養を持つ者だ。

 この男なら試す価値がある。

 千数百年前に、()()()()()()()がために、この世界に大きな傷を残してしまった。

 それをもう一度()()()()()


 今の時代ならば、ゼノも、リタも——そして、アザレアもまだ息災だ。


 正しくピースが揃うには、まだ足りない要素があったが、それはゼノでも問題ないはずだ。いやむしろ、これをアルトが完成させれば、そのピースも自ずと現れるかもしれない。


 ——欲しい

 いや、必ず手に入れる。


 決意し、魔道具の映像から顔を上げれば、ハインリヒと視線が絡んだ。

 出会ってからあまり表情を読ませない男が、驚愕に目を見開いている。

 そこで初めて、アルトは自分の力が漏れいでていることに気づいた。勘の良いこの男は、この力が尋常ではないことに気づいたのだろう。


「——驚かせたか」


 短く問えば、我に返って目を瞬かせた。その程度で動揺を押し殺せるとは流石だと心から思う。

 この男(ハインリヒ)が存在することも、また、時は今だということを後押ししているようにアルトには思えた。


「いや……君が箱庭の者であれば驚くに値しない。驚いたように見えたのなら、私の修行不足だろう」


 すぐに口許に微笑を湛えてそう答えた男にアルトは声を立てて笑った。


「さすがに、肝が据わっている——私は、()()が欲しい。このままゼノ経由で手に入れると問題があるか」


 考えるように目を伏せたのはほんの一瞬。

 ハインリヒはすぐに視線を上げると、微笑した。


「よかろう。問題が生じないように魔塔には釘を刺しておこう」


 その答えに満足そうに頷き返し、やはりこの男は多くを語らずとも理解が早い。そして恐らく、彼が手を打つと言ったならば心配の必要はないだろう。

 アルトはすぐさま箱庭のデュティに連絡を飛ばした。




「ならばすぐに首輪を嵌めておく」


 軽くそう言ったアルトに、果たしてこの離れた場所からどうするつもりかと様子を窺っていると、しばらくして映像の中のゼノが、ポーチから正しく首輪を取りだした。

 あのポーチは確か箱庭と繋がっていた筈だ。

 ならば、アルトは動いたように見えなかったが、箱庭に連絡を取りゼノのポーチに首輪を入れさせた事になる。


 ——魔道具もなし、というのは驚異だな。箱庭と繋がっているのか


 先程見せられた力を考えれば、その程度は造作もないのは当然か。

 ハインリヒは久々に感じた背筋の凍るような力を思い返す。

 過去にデュティという管理者と相見(あいまみ)えた時にも底知れぬものを感じたが、彼より巧妙に隠されていたため、知らず力を見誤っていたようだ。


 箱庭関係は一筋の油断も許されないな。


 ヘスとゼノの戦闘と呼ぶには烏滸がましい、ヘスの一人相撲を、アルトはいやに熱心に見入っていた。恐らくヘスはこれまで考えもしなかったのだろう。魔法を無効化する人間が存在するなどと。

 実にバリエーション豊かな攻撃を披露し、ハインリヒやアルトに多くの情報を与えてくれた。

 興味深そうに見ていたアルトの空気が変わったのは、杖を用いたヘスの奥の手——ハインリヒですら実際に目にしたことのない魔術が放たれた時だ。

 発動からゼノによって消し去られるまでの僅かな時間だったが、あの魔術の禍々しさは、映像越しでも感じられた。

 それを目にした瞬間、向こうではチェシャが叫び声をあげ、ここではアルトの纏う気が変わった。


 ——あれはよほど魔族やそれに類するものの気を引いたようだ


 放っておいても盟主が近寄って来そうだが、そうなると事はさらに混迷を来たす。アルトがヘスをどうするつもりかは想像もつかないが、箱庭が取り込むなら、魔塔は元より盟主ですら手は出せないだろう。


「——これで良い。 ところで、この魔道具はあちらと直接結んでいるのか」


 ゼノが手首に嵌めたり頭に乗せてみたりと試行錯誤をしている姿を、微笑ましく見ていたアルトが——余談だが、その様子を傍から見ていたハインリヒの胸中は微妙、の一言に尽きた。鳥に()()()()()見守られているというのはなかなかにシュールだ——ようやく首に嵌めることが出来た様子に満足そうに頷き、こちらを振り返って問う。

 なんとも評しがたい感情をすぐさま横に追いやり、すまし顔で答える。


「ふむ。中継を挟んでいるかという意味ならば、直接で違いない」

「そうか。ならば、少し弄れば空間を繋げられそうだな」


 事もなげに呟かれた言葉から、アルト自身がかなり高度な魔術技能を持っていることが窺える。加えてこの世界の魔術はレベルが低く箱庭の足下にも及ばないと断じていたのだ。ならば、興味を惹かれたのはヘスの魔術レベルではなくあの魔法そのものか。

 初めて見る属性であったが、あのヘスが使ったものだ。禁忌とされている闇魔法に違いない。あの場にいた者で正しく理解出来るとするならば、同じ魔塔の魔術師リーリア=ニコルソンぐらいか。


 彼女はヘスの護衛も兼ねていたな。ならば色々知っているだろう。ヘスだけでなく彼女も確保しておくか。


 ふむ、と今後の算段をつけていたところで、アルトにじっと見つめられていることに気づいた。

 目を凝らして、何かを確認するようにハインリヒを見つめている。それは、常では目に見えるものではない何かだと気づき、目を細めてハインリヒも口許に笑みを浮かべた。


「何か面白いものが見えるのかね」


 答えを期待せずに問えば、そうだな、と頷き笑った。


「お前の魂には中々面白いものが刻まれている」


 言われて、知らず眉をひそめた。


「……まさかストーカーではあるまいな」

「うん?」

「いや、こちらの事だ。君を楽しませるような内容とは実に興味深いな」


 思わずボソリと呟いてしまった言葉を聞き返され、軽く手を振り、黄金(きん)色を頭の中から追い出す。

 魂を読むのは聖女でなくとも可能だとヒミカからも聞いている。この箱庭の鳥が読めたとしても、別段驚く事ではない。


 ——何を持って面白いと言われているのかは気になるところだが


「ふふふ……それが刻まれているがゆえ、私はお前に決めた」


 アルトは実に楽しそうに告げたが、その紫の瞳にどこか怪しい光を感じ取って、ハインリヒは身構えた。

 意味を為すかはわからないが、いつでも防御結界を張れるように左手に力を込めようとして——その手を上から()()()()。 


 ハインリヒがそのことに瞠目する間もなく、()()は起こった。


 先程感じた異質な魔力などとは比べものにならないほどの力。

 それを纏う姿は、もはや鳥ではない。

 時に盟主や知の魔族ヘルゼーエンを相手取り、数々の修羅場をくぐり抜けてきたハインリヒをもってしても、思わず膝を屈したくなるほどの圧倒的な存在感。


 ——これは……まさに……()()()()()


 そう思い至るに十分な存在感。

 覗き込むように合わせられた視線がすべてを縛り、ごくりと息を呑みこむことしか許されない。

 掴まれた左手は、まるで痺れたように熱も冷たさも感じない。

 身体の奥底で目の前の存在に対する畏れを感じても、最早震えや冷や汗などが起こる次元を越えている。


 ——これを相手には、一矢も報えまい


 ある種の覚悟を決めざるを得ない状況に、内心で臍をかむも遅きに失する。

 すいと指が額に伸ばされてくるのを避けることも出来ずに、ただただ紫の瞳から視線を逸らさずに受け容れることしか、今のハインリヒには出来なかった。


 敵ではないはずだと、どこで考えてしまったか。


 だがそれでも、目の前の存在は確かにゼノの敵ではなかったのだ。

 額に触れた指から、確かに何かが刻まれたことが()()()()


「ハインリヒ=ロスフェルト」


 力ある声に名を呼ばれ、魂が震えた。


「冷徹な粛清者にして剣聖の()()()よ。 お前にはこれから起こる事態の見届け人となってもらう」


 それは宣言。


 新たに役割を課せられたことを告げる言葉。

 同時に自分に与えられた役目を理解する。

 それは、まさしく目の前の存在を()()役割だ。

 理解し、そのことに驚いて目を見開いた。


「これにはどんな……いや、なんのためのもの(役割)か」 


 思いのほかするりと出た声は、掠れることもなく、怯えも震えも滲んでいなかったことに内心で安堵しながら、紫の瞳に問いかけた。

 目の前の存在は、瞳に楽しそうな色を浮かべてハインリヒを見返すと、笑った。


「すぐにわかる——私は、ゼノを裏切る訳にはいかぬのだ。だが、私とアレの感覚は異なる。そのための()()()だ」


 その真意を探るように紫の瞳を覗き込み、僅かに首を傾げた。


「それは、制約のためか」


 ——それとも。


「どちらの意味でもだ」


 断言され、その言葉に嘘偽りがないことを感じ取り——いや、()()()()()事に、ハインリヒは目を閉じた。

 その言葉を咀嚼するように胸に刻みつけ、次に目を開いた時には、口許に笑みを履く余裕も出来た。


「——拝命しよう」


 その応えに、紫の瞳が満足そうに笑った。



 * * *



 王都をリタと共に駆け回り、ようやくゼノと神殿長の姿を見つけた時、その人物を見掛けてクライツは足を止めた。デルに視線で先回りするように告げ、自身は物陰に隠れるように進む人物の後を追う。

 足早に喧噪から逃げるように移動する人物に背後から近づき、その肩を叩いた。


「っ……!」


 相手が驚いて振り返るのに合わせて、にこやかな笑顔を貼り付ける。


「副魔塔長のバートレイ殿ではありませんか。このような所でお一人でいかがされましたか」

「貴様は……ノクトアの……!」


 顔色を無くした様子に、どうやら転移魔石のことも承知済みかと判断して、肩を掴む手に力を入れた。


「このような所で奇遇ですね。確か魔塔は、王都に出現する魔族を撃退するために神殿に呼ばれたと聞いていましたが、魔族を放置してどちらへ?」


 笑顔を貼り付けたまま尋ねれば、副魔塔長の顔色が益々悪くなっていく。

 どうやらこのままヘスやリーリアを置いて一人先に帰る予定だったか。

 なかなか見上げた根性だ。

 視線に侮蔑を込めてやれば、タジタジと後ずさる。


「まあ、うちの長官は()()()()と仰せなので、ここで私がどうこう申し上げるつもりはありませんがね。ただ、お見かけしましたので、ご挨拶はしておかねばと思いまして」


 にこにこと笑って、既にハインリヒが把握済みであることを伝えれば、副魔塔長はびくりと肩を跳ねさせた。


「……っ、あれ、は、どうしようもないのだ! そもそも……」

「ええ、そもそもあなた達にヘスを止めることなど無理な話ですからね」

「そ、そうだとも……! あの問題児は、我々の言葉など端から聞く気がないのだ!」


 何を勘違いしたか、クライツの言葉に我が意を得たりと勢いよく畳みかけてくる副魔塔長に、こんなのでよくこの職についているなと呆れかえる。


 副魔塔長のバートレイは長老イルデニアの子飼いだったな。

 なるほど、頭の構造がよく似ている。


 冷ややかな評価を(はら)の中で下し、掴んでいた肩から手を離した。


「私はご挨拶をしたかっただけですので、お話しはどうぞ魔塔に戻って皆様にして下さい――まだ席があればですが」

「……っ!! ま、待て! 私の話を――」


 取り縋るように伸ばされた腕をするりと躱して、にこりと笑って返した。


「申し訳ございません。私もこれから王城に行かねばならず、忙しいのです。お話しを聞く時間は残念ながらありませんね」


 言外に話す意味もないと告げてやれば、さらに慌てて伸ばしてきた腕を、静かに現れたデルが掴み、同時に手首に嵌められる腕輪。

 魔力を阻害する腕輪だ。


「なっ、これは……!? なぜコレを私に……!」

「何故? 不思議な事を尋ねられる」


 はて?と笑顔のままわざと大仰に首を傾げてみせた。


「二八協定では、罪が疑われる魔術師にコレを嵌めることは認められていますので。副魔塔長の身柄はリンデス王国に引き渡しますから、交渉ならリンデス王国とお願いいたします。上手くすれば外してもらえますよ」


 この魔力を阻害する捕縛の腕輪を嵌められることは、魔術師にとって大変不名誉なことだ。コレは腕輪に登録した者の魔力がなければ外せず、嵌められた者は体内の魔力を動かせなくなる優れものだ。

 ちなみに、これは過去に魔塔に属する魔術師が作ったもので、その性能は折り紙つきだ。ヘスが今回使用した魔族の動きを封じる魔術の参考にしたのがこの捕縛の腕輪なので、それからもどれほど強力なのかが窺える。

 まだ後ろで何かを言い募る副魔塔長を王国に引き渡すようデルに指示を出したとき、ゼノ達が王城に向かっていくのが見えた。


「——やれやれ。また駆けっこか。二人とも元気だな」

「どうします?」


 副魔塔長を手早く縛り上げたデルに問われてクライツは肩をすくめた。

 あれらと一緒に動いていると、こちらが倒れてしまうな。

 リタはともかく、ゼノもなかなかに体力の化け物だ。彼は神殿長を背負って走り回り、道中で魔族を斬り伏せているのだから。

 クライツは近くにある新聞社を指さした。


「あそこで馬車を借りて、副魔塔長共々王城に行くとしよう」


 その提案に、デルも苦笑して賛成した。

 襲撃を受けて通行止めが多い王城までの道を遠回りして辿り着いた頃には、城内の魔族は粗方片付いたようだった。事情を説明して副魔塔長を騎士団に引き渡したとき、胸ポケットに入れた通信の魔道具が震えた。

 他の者から距離を取り確認すれば、ハインリヒを示す魔石が光っている。

 あまり楽しい予感はないなと通信を行えば、リーリア嬢とヘスを引き取れとの指示だ。


「リーリア嬢はともかく、ヘスもですか? あれを引き取るのはなかなか骨が折れますが」


 クライツは荒事専門職ではない。ハインリヒと一緒にされては困る。ヘスのような魔術師を取り押さえるほどの実力はないのだ。

 だが、ヘスは既にゼノによって無力化され意識がないと言われその素早さに驚く。

 ゼノが強いのはもちろん知っていたし魔術を無効化することも知っている。そうだとしても、早すぎやしないだろうか。


 ヘスも逃げるという選択をしなかったのか。


 副魔塔長とは違って逃げずに向かっていく気概は買うが、些か舐めすぎではないか。無謀を通り越して自殺行為というべきものだ。


 ——それも無知故か


 あんなのが存在するなど想像だにしていなかっただろうしな、とクライツはどこか遠い目をしながら少し前の自分を思い出していた。


 だがまあ、ヘスが無力化されているなら引き取ることも可能か。


「了解しました。ではヘスを確保したら——え?」


 聞き違いだろうか。すぐに引き取ると言われた気がする。


 思わず聞き返せば、彼にしては珍しくもう一度同じ事を繰り返し、かつ補足までくれたので、引き取ったらシュリーの映像通信の魔道具を持って機密保持可能な部屋で待機しておけというのは間違いないらしい。

 腑に落ちない点はあるものの、これ以上問い返しても意味がないので、了承して通信を終えた。


「どうでした?」

「リーリア嬢とヘスを確保しておけとのことだ」


 デルが少し眉根を寄せてその言葉に不満を示す。デルもヘスを相手取る危険性を熟知している。簡単に出来ることではない。リーリアはヘスの護衛を兼ねていたので、ヘスに関して副魔塔長よりも情報を持っていると考えたのだろう。


「ヘスは既に無力化されているので、戦闘の可能性はない。これから引き取りに行けば良い。シュリーが側にいるはずだ」

「じゃあシュリーが事の次第を長官に?」

「ああ。繋いでおけと指示を受けていた。その魔道具とヘスを回収して戻る」


 それ以上の説明はここでは控え、ヘスがいるらしい場所を二人で目指した。

 城内は想像していたほど破壊されてはいなかったが、目的の部屋に近づけば近づくほど酷い状態になっていく。

 辿り着いた先の破壊っぷりは凄まじく、これがヘスの仕業であるなら、相当だ。これっぽっちも隠す気がないらしい。


 これは魔塔ですら揉み消すのは難しいだろう。副魔塔長はリンデス王国側で魔塔との交渉に使っていただくとしよう。


 階段を上がった部屋の近くからそっと映像通信の魔道具を手にしたシュリーが現れた。表情に疲れが見えるのは、ヘスの攻撃に巻き込まれたか。


「お待ちしていました」

「大変だったみたいだな」

「……ゼノ殿があと少し遅ければ、命令違反を覚悟で娘さん達に転移魔石を使うつもりでした」


 それほど危なかったということか。


 だがそうなったとしても、きっとハインリヒも叱責はしなかっただろうとクライツは思う。


 ……あれは、うちの研究室に飛ばされるのが難点だが。


 先日ルーリィを飛ばして散々文句を言われたばかりだ。 


「師匠から、リーリア嬢とヘスを確保するよう指令がでている。こちらで取り急ぎヘスを確保しておきたい。リーリア嬢は任せていいかな」

「お任せください。——ヘスはどうなりますか」


 声に少々トゲが含まれているのは、どうやら怒っているらしい。

 ヘスはよほどの事をしたようだなと呆れ、後でこの映像を確認しておかねば今後困りそうだと首の後ろを撫でた。


「どうやらアレをご所望の方がいるらしい。そこに引き渡すことで話をつけるとのことだ」


 こちらのすべきことは、横槍が入る前に速やかにヘスを確保することだ。どこから嗅ぎつけられるか予測もつかない。


「……痛い目を見るならいいのですけれど」


 ヘスは余程怒りを買ったらしい。あまり表に感情を出さないシュリーが珍しく怒っている。

 シュリーでこれなら、リタやゼノはもっと怒っているだろうなと、クライツは少々映像を見るのが怖くなった。

 クライツが笑顔を貼り付けたまま部屋に入ろうとしたとき、ちょうどゼノがヘスの処遇について言及したところだった。


「それはこちらで引き受けましょう」


 リンデス王国側が口を挟む前に慌てて声を上げる。

 ハインリヒの言葉の感じでは、とにかくヘスが最優先でリーリア嬢はオマケ扱いだった。とにかく何が何でもヘスの身柄を、この場でクライツが確保しておかねばならない。


「魔塔と話はついていましてね。彼を欲する所に、引き渡すことが決まっています」


 実際にはまだ魔塔と話はしていないだろうが、ハインリヒがそう話をつけると言ったのだ。間違いなくそうなるだろう。それにこちらで先に確保してしまえば後はどうとでもなるのも事実だ。

 クライツはこの場では余計な情報は口にせず、最優先事項であるヘスの身柄を確保することに専念した。やはり怒っているリタの気を逸らすのにリーリア嬢の話を振ればそちらに食いついてくれた。

 なんとかヘスに捕縛の腕輪を付けたことに内心でほっと一息つき、後は誰にも邪魔される前にここを辞すだけだ。


「すみませんが、私は一度コレを引き渡してきます。デル」


 そう言ってデルにヘスを任せると、この場をシュリーに頼み、通信の魔道具を受け取ってさっさとこの場を後にする。

 途中、リンデス王国の騎士団長達から厳しい視線が飛んだが、もちろんヘスに向けられたもので、派手に怨みを買ったことが窺えた。

 周囲を警戒しながら、待たせていた新聞社の馬車に乗り込んだところで、ようやく一息ついた。


「——王国側に口を挟まれなくて助かった」

「ノクトアと魔塔で決まってると言われれば、普通は横槍は入れないのでは?」


 デルが馬車の足下にヘスを転がし、布でぐるぐる巻きにして身体を縛り上げながら楽観的に言ったが、実のところそうでもない。

 今はまだ動転してそこまで考えが及ばないだろうが、ヘスを自身の国で裁きたいと言われかねない案件だ。


 ——この国の女王は頭の切れる人だから、そんな真似はしないだろうが


 そんな事をすればヘスのパトロン達から圧力を掛けられることは間違いない。ヘスに手を出すのは非常にデリケートな問題になるのだ。


「この国のトップは面倒事を理解している。下手な手出しはしないだろうがね」


 肩をすくめて答えてやれば、デルも「その心配がありますね」と眉間にしわを寄せた。

 欲しがる者は多いだろう。あんなのでも当代きっての魔術師だ。

 だがあれの手綱を握るのは並大抵のことではない。


 師匠はどうするつもりなのか。……相応の相手でなければ逆に厄介事を抱え込むことになる。


 ——ノクトアで引き取るにはリスクが大きすぎる


 ヘス自身もそうだが、ヘスのパトロン達も厄介だ。

 その全容はまだ掴めていないが、魔塔がヘスの問題を揉み消すために力を借りたことで判明した国や有力者がいる。彼らが今回の件を嗅ぎつければなかなか事だろう。

 その程度のことはハインリヒが考えない筈はない。引き渡し先にはそういったものをねじ伏せる力があると判断したのだろう。

 いずれにせよそういった連中に見つかり奪われる前に引き渡してしまいたい。

 デルも同じ気持ちなのだろう。

 馬車にいながら絶えず周囲を警戒している。


 指定は機密保持が可能な部屋だ。宿屋という訳にはいくまい。


 頭の中でいくつかノクトア関係の建物をピックアップし、新聞社近くの隠れ家に決める。馬車を返すにもちょうど良いし、怪しまれにくい。

 隠れ家近くに着いたとき、先にデルが周囲に見つからないようにヘスを抱えて姿を消した。クライツも何食わぬ顔をして馬車を返すと、こちらに注目している者がいないことを確認して隠れ家に入る。

 隠れ家には管理人がいるので、入ってしまえば何か事が起こってもある程度の対処はしてくれる。


 誰も部屋に近づかないように言い含めて——長官案件だと伝えれば誰も否やはない——通信の魔道具で、確保完了し待機中であることを伝えてから、ようやく落ち着いてデルと共に一息ついた。


「流石に周囲が気付くには早すぎたか」


 ヘスがリンデス王国入りしてまだ二日だ。そこまでヘスの動向を追っている者がいたとしても、流石にゼノにやられたことまではまだ掴んでいるまい。


「……長官が恐ろしいです。シュリーを通じて見ていたとはいえ、こんなに素早く動くとは」


 ぶるりと腕をさすりながら周囲を未だ警戒しているのは、あるいはハインリヒの耳がここにもあるのではないかとの恐れか。

 クライツは苦笑しながら「まあ、師匠だからな」と返すに留まる。


「機を見れば素早いよ、あの人は」

「……そうでしたね」


 どこか遠い目をしたデルの気持ちは痛いほどわかる。それでいつも無茶振りされるのは、ハインリヒの子飼いの者ばかりだ。——ダントツでクライツに回って来ているとは、幸か不幸かクライツだけが知らなかったが。

 ぐるぐる巻きにしたヘスから布を取り去り、彼が万が一気づいて何かしようとした場合に、こちらがすぐわかるようにしておく。

 いつもつけているトレードマークのゴーグルもないので、パッと見にはヘスとは分からないかも知れない。

 しばらくして、通信の魔道具が震えた。


「はい——ええ、わかりました。——今、起動しました」


 ハインリヒからの通信で、映像通信魔道具を起動しろとの指示で、すぐに起ち上げる。

 これで、ハインリヒにはこちらの状況が見えるだろう。こちらからは見えないが。

 デルがヘスの身体を起こして顔が見えるようにすれば、ふむ、と聞き慣れたハインリヒの頷く声が聞こえた。


『座標が二つもあるのでわかりやすい』


 通信の魔道具から、聞いたことのない男性の声が聞こえたかと思うと、映像通信魔道具の周囲の空間が揺れた。


 ——なんだ?


 ゆらゆらと揺らめき、そこに何か別の風景がうっすらと浮かび上がるように現れ、クライツが目を凝らしたとき、一際眩しく光を放って、思わず目を閉じた。


「っ!」


 目を閉じても光の残像が瞼の裏に残る。デルが小さく息を呑む声が聞こえ——


「ふむ。本当にすぐに繋ぐのだな」


 通信の魔道具越しではない、ハインリヒの声が明瞭に聞こえてクライツは驚いて目を開けた。

 果たして、先程揺らいだ空間の先に、師匠であるハインリヒが肩に大きな黒い鳥を乗せて立っているではないか。

 その奥には魔術師の姿も見える。魔塔長の姿が見えることから、もしや魔塔かと目を瞬いた。


「……このような技術が魔塔にあったとは」


 これは転移陣より余程高度ではないか。離れた場所を、このような形で結ぶとは。

 悪用されれば非常に恐ろしい、とごくりと息を呑んだクライツに、ハインリヒが肩をすくめた。


「その言葉は背後の者達の表情を見てから言うべきだな」


 言われて背後を窺えば、顔色を無くしてこれ以上はないというくらい目を見開き、恐れおののいていた。


 魔塔の技術では、ない……?


 ならばどこの、と思った時、ハインリヒの肩にいた黒い鳥が()()()


「感心されたところで申し訳ないが、これは小さな物なら渡せるが、人が移動出来るわけではない。それが出来るようにするには、あちらにある魔道具も弄る必要があるからな」


 なるほど。彼の——箱庭の技術か。

 箱庭とは、ほとほと恐ろしいところだな。


 改めてそう認識し、クライツは黒い鳥を見遣った。


「ふむ。ならば繋いだ意味は何かね?」


 恐れも驚きも感じない、いつもの口調で黒い鳥と会話を続けるハインリヒの姿に、クライツも彼が敵ではないことを確信する。


「獲物を正しく認識することと、あちら側に入口を開くためだ」

「入口」

「そう——これだ」


 黒い鳥がそう言った瞬間、ざわりと背筋を悪寒が走った。


「——なっ……」

「これ、はっ……!」


 第二盟主と遭遇した時にも感じなかった種類の異なる恐ろしさ。

 身体が硬直し、ぴくりともこの場から動けなくなる。

 この恐ろしさの発信源を求めて視線を巡らせることしか出来ない。

 ()()は、映像通信魔道具の前、ちょうどヘスと魔道具の間にぽっかりと存在した。


 まるで切り取られたかのうような、円形のそれ。

 底どころか中もまったく見えない闇。


 それに近づくことを本能が拒否する。

 今すぐこの場から逃げ出したくなるような恐ろしさに呼吸も浅く、自らの心音が体中に響き渡るような感覚に額に汗が湧き出てくる。


「ひっ……!」

「な、なんだあれは……!?」

「や……闇、か……!?」


 あちら側でも悲鳴を上げて倒れ込む者、言葉なく蹲る者様々であったが、皆一様に驚いているのがわかった。

 耐性があるためか、はたまた繋がってはいても移動出来ない分、何かしらの隔たりがあり、この恐ろしさが緩和されているのか。

 クライツやデルのように動けない程ではないらしい。

 そんな中で、一人の老人が目を爛々と輝かせてその闇を見つめている。動けないながらに、それが非常に異様にクライツの目には映った。


「なるほど——あれが闇か」


 恐ろしく落ち着いたハインリヒの声を耳にしたとき、クライツは呪縛が解けたように、硬直していた身体から力が抜けた。

 思わずよろめいて、足を踏ん張る。

 額の汗を拭い、深く呼吸すれば、五月蠅く感じた心音も落ち着いてきたのがわかる。


 ——師匠の声で平静さを取り戻せるというのも、喜べないな


 だがあの男が常に平静なのは事実だ。それを目にすれば、これは驚くに値しないのだと、反射のようにクライツ自身も落ち着きを取り戻す。

 まだ少年だった頃より叩き込まれたそれは、クライツが望まずとも骨の髄に浸透していたようだ。

 呼吸を整えてから、ハインリヒに向き直る。


「それで——もしや、この中にヘスを入れろということでしょうか」


 多少引き攣ってはいたかもしれないが、笑顔を貼り付けられる程度は取り繕って問えば、黒い鳥が頷いたのがわかった。


「落とせ」


 短い命令に、ちらりとデルに視線を投げれば、同じようにハインリヒの声で平静を装っているのがわかった。

 さすがにその役をデル一人に押し付ける気にはなれず、クライツもデルの元に歩み寄ると、ヘスの片側に手を添えた。

 デルも同じように手を添え、二人でヘスの身体を支えると、その闇の淵まで歩み寄った。

「……」

「……っ」


 直接覗き込む事になったその闇に、またしても身体が粟立つ。


 ——正面から覗き込むんじゃないよ。闇は、横目に見るぐらいがちょうどいいのさ


 不意に、アザレアの言葉が耳に蘇る。

 それをアザレアの言葉だと認識しながら、そんな話を彼女とした事がない事実に愕然とする。


 ならば、自分が思い出したのはなんだ。


 ざわりと、今度は別の意味で背筋が震えたが、お陰で闇への恐怖は薄れたと言っていい。

 軽く息を吐き、その闇に向かってヘスの身体を滑り落とした。


 ——この闇の中に放り込まれるなんて、これ以上恐ろしいことがあるだろうか


 ヘスに同情する気持ちは微塵もないが、沈み込むように闇の中に溶けていくヘスの身体を確認し、正面に立つハインリヒを見れば、彼もじっとその闇を無表情で見つめていた。

 ヘスを呑み込み、その闇がその場から消えた途端に部屋の中の空気が軽くなり、身体のバランスを崩しそうになった。それほど重い空気がのしかかっていたということか。


「ふむ——これで、箱庭に引き渡しが完了したということでいいかね?」


 ついと顔をあげ、肩の鳥に尋ねれば、肩の鳥も大きく頷いた。


「問題ない——ここは私しか触れぬ故、誰にも邪魔はされぬ」


 そう言ってバサリと翼を広げて向きを変えた黒い鳥に、魔塔の面々が仰け反るように一歩下がった。

 あちらはあちらで散々脅された後のようだ。

 だが、先程気になったあの老人——古代魔術の権威、サリエリスだけが未だ消えた闇の後をじっと見つめていた。それをハインリヒが冷ややかに見つめている。


「ではこれで、ヘスは然るべき所に引き渡しが完了したとして片付けよう。副魔塔長はリンデス王国に引き渡している。後は君達がリンデス王国と交渉すればよい」

「待て」


 用事は終わったとばかりに、クライツ達に背を向けたハインリヒの前に進み出たのは魔塔長だ。


「これは……リーリアの身の回りの物だ。魔塔から追放するのであれば、これぐらいは本人に渡してくれ」


 そう言ってハインリヒに向けられた緑色のポーチに、その場の長老達が鋭い視線を飛ばした。


「何故そんな物を魔塔長が今持っている」

「最初から逃がす気だったのではあるまいな!」


 責めるようなジストリラリウスやサリエリスの言葉に、魔塔長が憮然とした表情を向けた。


「馬鹿を言うな。これは元々リーリアから預かっていた物だ。最近、彼女が不在の折に部屋に無断で入っている者がいるようだと相談をうけていたからな」


 サリエリスを睨み付けながらの言葉に、どうやら犯人はサリエリスやその命を受けた者の仕業らしい。

 魔塔の中でのリーリアの立場がよくわかる話だ。


「預かろう」


 そう言ってポーチに手を伸ばしたハインリヒに、魔塔長がポーチを強く掴んだまま睨み付けた。


「——預けるだけだ。渡す訳ではない」


 それはポーチの話か、リーリアの身柄の事か。

 ハインリヒは目を細めて魔塔長を見返すと、口許に笑みを履いた。


「もちろん、理解しているとも」


 その言質を取り、魔塔長はポーチから手を離したが、ハインリヒの目を睨んだまま、声に出さずに「くれぐれも」と呟いたのがクライツからも見て取れた。


「ならば、今渡してやれば良い」


 バサリと羽でクライツ達を示した黒い鳥の言葉に従い、ハインリヒが躊躇いもみせずにその空間の揺らぎにポーチを通した。

 確かに、空間からポーチのみが渡ってくる。

 それを怖々とは見られないよう受け取れば、刺すような魔塔長の視線とぶつかった。

 その目にはありありとリーリアの身を案じる心情が浮かんでいて、クライツも無言で頷き返した。


「ふむ。ならばあちらとの用は済んだな」


 ハインリヒの言葉に「そうだな」と返した黒い鳥は、最後に意味ありげにクライツに視線を投げて寄越すと、鳥の筈なのに、嗤った。


 その視線にぞくりと背筋が凍る。


 だが、その意味を探る前にその姿は揺らぎ、目の前にあったハインリヒ達の姿はかき消えるようになくなった。

 映像通信魔道具の周囲には、もう何もない。

 あの恐ろしい闇も、黒い鳥も先程まで広がっていた景色も、まるで悪い夢のようにかき消えた。


 部屋の中にはヘスを包んでいた布が落ちているのみだ。

 だが、クライツの手の中には間違いなく緑色のポーチがある。


「……」

「……」


 クライツとデルは言葉を発することなく目を見交わし——その場にへたり込んだ。


「……これ、シュリーに話しても信じないでしょうね……」

「俺だってまだ信じられない」


 ポーチを床の上に置き、座り込んで立てた膝を抱え込むようにして頭を乗せ、はあぁ、と深く大きなため息をついた。

 デルは手足を投げ出すようにして床にひっくり返っている。


「……疲れた」

「俺だってもう、膝が笑って一歩も動けません」

「王城へは明日の朝、足を運ぼう。……今日はもう、取り繕う余裕がない」

「同感です……」


 黒い鳥の最後の視線から、どうやらあれもノアを知っているらしい。

 何より——あの時頭に蘇ったアザレアの言葉はなんだ。

 どこで聞いたというのか、と考えたくもない問題に、頭を乱暴にがしがしとかいた。


 ああ、もう……色々と投げ出してしまいたい。


 クライツは大きくため息をついて項垂れた。


 

 

ハインリヒも言われ続けて少し気にしていたようですね、ストーカー。

愕然とするのは……この話で第三話が終わらなかったこと!!

まさか、あと一話を要するとは……不覚。


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