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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(三十七)魔塔内での会談

潔く、木曜の朝8時更新は諦めた方がいいのかもしれない……

8時は無理でも、木曜中には自分のために更新は続けたい。



 城塞のように周囲を高い塀で囲まれたその建物は、四つの塔と一際目立つ中央の塔を合わせた建物で構成されていた。

 遥か昔よりどこの国にも所属せず、ひたすら魔術の発展のために研究を重ねてきた学術研究組織、魔道魔術学研究会――通称魔塔だ。

 古今東西の魔術を学び研究し、魔道具を始めとする様々な魔術を開発することに情熱を傾ける者が古より多く在籍する。

 一定レベルの魔力と魔術への素養がなければ所属することが適わないため、塔に在籍する人数はそう多くない。


「魔塔は他の街や国より強固な結界で守られ、高位魔族といえども簡単に侵入することは叶わない」 


 外部の者を易々と中に入れないため、魔塔の周囲には街が形成されている。商人や一般人など外部の者とのやり取りは、すべてこの街で行われるようになっているのだ。

 また、便利な魔道具が一番最初に流通する街でもあり、魔術師を志す者を育成する教育機関が存在する街でもあるので、街は発展していて人口も多い。魔塔ほどではないにしても、これらの街の防御結界も他に比べれば強力で、安全を求めて移り住む者が多いのも特徴だ。

 魔塔の膝下に形成された都市――エピルタの、魔塔からほど近い場所に位置する建物の一室でハインリヒはアルトと共に寛いでいた。

 窓際に配置されたテーブルの椅子に腰掛け、コーヒーを飲みながら魔塔の現状を説明するハインリヒの向かいで、アルトもテーブルに止まり窓から魔塔を見つめる。


「ふん……防御結界は随分と古い術式のようだ。稚拙だがこれを扱える者がまだ存在したか」


 アルトは魔術にも詳しいようで、都市をチラリと一瞥しただけでそう断じた。その言葉には感心よりもやや呆れが混じっているようだ。


「ふむ。古代魔術研究の権威である魔術師が、長老の一人として在籍しているな。連綿と受け継いできたのであろう」


 権威、と聞いてアルトが器用に鼻を鳴らした。


「人間は権威や地位がほとほと好きよな」

「仕方あるまい。人は魔族とは異なり魔力という一つの指標のみで優劣をつけることは出来ないのだよ。君達みたいに序列を正しく理解する能力がない者がほとんだ。長い歴史の中で数々の序列をつけることで国を作り民を支配してきた我々の(さが)とも言える」


 口許に皮肉げな笑みを履きながらアルトの言葉に応えるハインリヒに、アルトも肩をすくめてみせた。


「確かに、魔族は魔力ですべて片がつく。それがすべてだと言っても良い。――特に、色付きは別格だ」


 アルトの言葉に、ハインリヒは片眉をあげて彼を見た。

 自身が魔族であるとも違うとも返さずに、一般論を論ずるように返されるのは何度目か。


 実のところ、ここに至るまでに二人の間では微妙な会話が続いていた。

 アルトの正体や箱庭について読み取ろうとするハインリヒと、のらりくらりとかわすアルト。少なくとも、非常に用心深く抜け目のないことだけはハインリヒも早々に理解した。

 こんなのが普通にいるなら、ゼノでは核心を聞き出すどころか何が核心なのかも体よく誤魔化されてきたことだろう。


「色付きと言えば、魔族だけでなく聖女もそうであったな。白の聖女に黄金(きん)の聖女であったか。もしや、他の色付きの聖女も存在するのかね」


 時折チラリと何処かへ視線を投げながら、ハインリヒが静かにカップをテーブルの上に戻す。

 この部屋の隣室には人が控えている気配があったし、魔道具もいくつか見られる。ハインリヒの目配せひとつで動く事態もあるのだろう。

 ノクトアドゥクスの長官という立場は暇であろうはずはない。それでもわざわざアルトに付き合いここまで足を運んでいる事に、アルトは素直に感謝している。


 アルトとしても、ハインリヒとは良い関係を築いておきたいと考えていた。もしもの時が訪れた際には、この男ならば()()()役割を果たすだろう。

 そう考えて、アルトは羽を広げて体の向きを変え、ハインリヒに向き直った。


「色付きの聖女も特別だ。白は一番格が高く、次いで黒、黄金と続く。それ以下は色を纏わぬ」


 色数は少なくともその序列はやはり盟主と同じかと裏付けをとりながら、黒の聖女とは中々に酔狂なと口許を歪めた。


「それに近しい者が確かに存在するな。我々からすれば面倒な者を思い起こさせるが、()()がリタより強い力を持っているとは考えられないが」


 ふむ、と少し考えるように答えたハインリヒの思い描いた人物をどう予想したのか、アルトはそうだな、と首を傾げて頷いた。そして、躊躇うように口を開く。


「今の黒の聖女に力はない筈だ。……白の聖女に敗れたからな」


 声を潜めて呟かれた情報に、ハインリヒが眉をひそめた。


 敗れた。それも白の聖女に。

 白の聖女フィリシアに、黒の聖女は敗れた。

 ……ふむ、と小さく頷き顎に手を当て考え込む。


「聖女同士が敵対するとは考えなかったが……なれば、黄金(きん)の聖女を手に入れようとしたのにも理由がありそうだな」

「黒の聖女の思惑は知れぬ。だが、束になろうと、色付きの中でも白は別格だ。白の聖女は、女神の後継者だと言われている」


 その言葉にハインリヒは無言でアルトを見返した。


 ――女神の後継者


 ならばフィリシアは、この世界にとっては真に女神に値する存在であったか。いや、別の世界の者だと言っていたのでこの世界ではないのか。――だが、聖女よりも気になるのは。


「確かに、第一盟主のあの試練の力はただの魔族が持つものとしては強大だと、不思議に思っていたところだ。試練をクリアして得たゼノの剣が強すぎる」


 ゼノの思いのまま、斬りたいもの斬らないものを自由自在に操れるというのは、まさに剣聖と称するに相応しいと言えたが、あまりにも強い。試練という交換条件はあるものの、そのような力を与えることが出来るというのは、まさに神の所業ではないのか。

 加えて、他の盟主達と比較すれば第一盟主側の制約も厳しい。

 白の聖女が女神の後継者というならば、白を纏う第一盟主は神の――種が魔族であることを考えるならば。


「魔王になる芽があるということかね」

「いや、()()にはない」


 キッパリと断言するアルトに、片眉を上げてその意図を問えば、アルトは口籠って視線を彷徨わせた。


 ふむ。これ以上を求めるにはこちらの情報料が足りぬか。


「今は話す時ではない――だが、いずれお前には話すだろう」


 静かに目を伏せながら告げられた内容に、ハインリヒが目を細めてアルトを見つめる。その様子からはそれ以上を窺い知る事は出来なかったが、それはまだゼノにすら話していないことではないのか。


「――そのような信頼を受ける関係ではないと認識しているが、違ったかね」


 信頼、と言葉を選びながらも、そうではないとハインリヒも自覚している。ならば何か目的があるのだろう。

 アルトは信頼、と復唱して、それから得心がいったように頷いた。


「ふふふ――信頼か。言い得て妙だ。 安心するがよい。お前を信頼しているというのは偽りのない本心だ。そしてお前はそれに()()()()


 意味深な言葉に対して、ハインリヒは僅かに眉をひそめるにとどまった。

 その時、手首に軽い振動を覚え、ハインリヒは手首に嵌めた腕輪のひとつに触れると口許に寄せた。


「どうした」


 短く返せば、通信相手から簡潔な説明が返される。その内容に目を細め、口許に笑みを履いた。


「ふむ。問題ない。彼女に繋ぐように指示を。後のことはこちらに任せたまえ」


 相手が諾と返すよりも先に、通信を切る。

 内容が聞こえていたアルトも、どこか残念そうな顔を見せた。


「ヘスという魔術師はあっちか……」

「ふむ、運のない男だ。この世で一番相性の悪い男の元に自ら乗り込むとは」


 ゼノと魔術師など、話にならない。

 魔法を無効化するゼノには、盟主の攻撃魔術すら効かないのだ。いかに優れた魔術師といえども、ゼノを相手にするには分が悪すぎる。


「君が望むと望まざるとに関わらず、ゼノが始末してしまいそうだな。まあ心配はいらない。ゼノはあの男が魔塔の魔術師だと知れば命までは取るまい」


 ガッカリとした様子を隠しもしないアルトに笑んでみせながら、懐から小さな魔道具を取り出しテーブルの上にことりと置いた。それを目にしたアルトが目を瞬いてハインリヒを見上げる。


「どうやら魔塔の中を案内する用件もできたようだ。ついでに一部始終を確認しようではないか。君の知りたいヘスの事もきっと知れる」



 * * *



 魔塔長の元に副魔塔長のバートレイからその報せが入ったのは、昼前のことだ。

 ヘスが、ノクトアドゥクスと共同開発を行なっている転移魔石を持ち出し、それをあろうことか第三者に渡して剣聖を捕まえるために使用させたという。ノクトアドゥクスに知られる前に何か手を打つ必要がある、と。


 またヘスか……。


 思わず頭を抱えたのは、功績以上に問題を起こす方が多いためだ。

 どこか実力主義的な魔塔の中においては、実力とそれにより魔塔にもたらす経済的効果が大きいため、ヘスを抑えられる者がいないのが実情だ。

 その後始末はもっぱら魔塔長の役目になっている。

 だが今回の相手はこれまでとは違う。厄介さが桁違いだ。

 魔塔長は机の上をトントンと指で叩きながらしばらく考え込んだ。


 報告の中に危険な単語が三つも含まれている。

 転移魔石、第三者、剣聖。


 ヘスがあえて捕まえようとしたならば、剣聖とはハンタースではなく、伝説になっている箱庭に住んでいるという剣聖のことだろう。

 そしてその剣聖はノクトアドゥクスと親しかった筈だ。


 ――恐らく、隠し通す事は不可能だ。確実にあの男の耳に入る。


 酷薄な微笑を口許に浮かべる、冷徹な粛清者の顔を脳裏に思い浮かべながら、魔塔長は目を閉じて指で机の上をリズムよく叩き続ける。

 しばらく、指で机を叩く音のみが室内に響き渡った。

 どれほどそうしていたか、魔塔長は徐に立ち上がると壁際にある通信の魔道具に歩み寄った。


「長老会を開く。――緊急の案件だ。すぐに集まるよう伝えてくれ」


 魔塔の重要案件は、魔塔長のみで決定することは出来ない仕組みになっていて、長老と呼ばれる者達を交えて話し合う必要がある。現在魔塔には、学園の理事長、それぞれの分野で権威と呼ばれる者や、魔塔長にはなれなかったが、長く魔塔に在籍している魔術師が長老として五人君臨していた。

 研究に重きをおき政治的なことに疎い三人の長老は、魔術的な話であれば意見も色々あろうが、今回のような案件では問題はない。だが、狡猾な二人の長老とは元々意見が合わないので、彼らの納得いく形に収めるのは非常に難しいだろう。


 ――だが何よりも、あの男を納得させる形がとれるかどうかが一番の問題だな


 話すだけで緊張を強いられる男であった。

 あの男の前では余計な口を開けば開くほど墓穴を掘ることになる。

 厄介な、とため息をひとつついた時、机の下の書類入れに隠すように置いていた緑色のポーチに目が留まった。


 ――リーリア。


 今回の件が大事になれば、魔塔において彼女の立場も危うくなる。無事では済まないかもしれない。虎視眈々とリーリアの魔力と背中の魔法陣を利用しようとしている長老がいるのだ。


「……そうか」


 ふと、思い立った。

 どうせあの男には知られる。

 ならば。


 魔塔長は急ぎ続き間に移動すると、隠し扉から書類をいくつか取りだした。内容を確認しひとまとめに括ると、少し考えてメモを添える。

 それらを持ち机のところまで戻ると、ポーチにそれらを放り込み、自身の腕輪にはめ込んだリーリアの魔力を込めた魔石を利用して、ポーチのメイン使用者にリーリアを登録し直した。これで傍から見ればリーリアのポーチに見えるだろう。後で彼女の部屋からリーリアの魔術関係の仕事道具を入れておけば良い。


 そっとポーチをひとなでして、魔塔長は目を閉じた。

 瞼の裏で、はにかむように笑うリーリアの笑顔が、愛しい女性の顔に重なった。


「……ここいらが限界か」


 少し寂しげに呟くと、感傷を断ち切って緑色のポーチを自身のそれの中に仕舞い込んだ。



 * * *



 なかなか集まらない長老達がようやく集まったのは、招集をかけてから二時間も経過していた。

 すぐに、と声がけして半日もかからなかったのは喜ぶべきか、危機管理意識が低いと苦言を呈すべきか。

 自分の言葉など彼らには少しも響かないのを知りながら、それでもこの立場に甘んじていたのは、急所とも言うべきリーリアがヘスの側にいたからだ。

 集まった長老達は不満顔だ。


「急に招集とは何事だ。魔塔長といえども、我らを縛る権限などないぞ」


 若造が、と吐き捨てたのはイルデニアだ。彼は魔塔長になれなかったのがよほど悔しかったらしく、魔塔内での自身の派閥づくりに力をいれている長老で、もう一人の長老、ジストリラリウスとの権力争いに躍起になっている。


「緊急事態であれば仕方なかろうて」


 魔道学園の理事を務めるノーマンは数少ない良識派の一人だが、政治的な対応はどちらかといえば苦手にしている。


「またヘスの関係かのう。……儂は引きこもって研究に没頭したいのだが」


 大仰にため息を零したのはサリエリスだ。本人は望んでいないのに人数合わせで長老を押し付けられた研究馬鹿だ。古代魔術の権威とも呼ばれている。


「ヘスは魔石を取りに行ったのだろう?何があったというのだ」


 こちらも自身の実験を中断されて機嫌の悪い、空間魔法の権威レイシンガーだ。ノーマン、サリエリス、レイシンガーの三人は余程でなければ魔塔長側についてくれる。

 そして一番の曲者であるジストリラリウスは、感情の読めない表情で、無言で席についていた。


「忙しいところに集まってもらったのは他でもない。リンデス王国入りしたヘスが問題を起こした」


 魔塔長の言葉に、またか、と皆が嘆息する。ヘスのトラブルはこれまでにもあった事で、その度に魔塔はさまざまな手を打って騒動の鎮火に当たってきたのだ。ヘスのパトロン達に裏で手を回してもらった事もある。

 ヘスは魔塔に恵みとトラブルをもたらす頭の痛い存在だ。


「いつものようにそちらで手を打てば良かろう。我々を招集するまでもない」

「それが敵わぬ相手であるから呼ばれているのだ。それも理解出来ぬとはな」


 鼻息荒いイルデニアにジストリラリウスが失笑しながら告げれば、イルデニアが顔を真っ赤にして睨み返した。

 いつもの二人のいがみ合いに、他の長老が困ったような顔をして魔塔長に視線を寄越す。それに軽く頷き返した。


「副魔塔長よりもたらされた報せは、ノクトアドゥクスと共同開発中の転移魔石を、剣聖を捕まえるために第三者に使用させたというものだ」


 ノクトアドゥクス――その言葉に、長老達の顔色が変わった。特に、普段は表情を表に出さないジストリラリウスが驚愕に目を瞠ったのは珍しい。


「シモンのあれか! あの馬鹿が!!」

「レイシンガー!お主、ちゃんとシモンを管理しておらなんだのか!」

「うっ、いや、管理はもちろん……しておったとも!」

「小金を稼ぐために自分や他者の研究を横流ししている者もいると聞く。よもやシモンも――」

「そのような事はない! ノクトアと正式な契約書まで交わした案件だぞ!? 機密事項の取り扱いについては徹底して――」

「なら何故それが第三者の手に渡ったのだ」

「そ、それはヘスが……」

「もう良い。今は誰に責任があるのか論じるときではない。問題は、近いうちに必ずあの男の耳に入るということだ」


 醜い言い争いを終わらせるように、魔塔長が告げれば、途端に気まずい空気が流れた。


 あの男――ノクトアドゥクス長官、ハインリヒ=ロスフェルト。その恐ろしさは長老達もみな、骨身に染みている。


「……あの男に知られる前にもみ消す事は……」

「出来ると考えるのか、ノーマン。それは些か楽観が過ぎる」


 甘い認識にキツく釘を刺してやれば、がくりと肩を落とした。


「ふん。責任はすべてレイシンガーにあると見ていい。そちらで責任を取らせよ」

「何を言うか! 当事者のシモンはともかく――」


 その時、確かに掛けていた筈の鍵が解錠される音が室内に響き、皆が一斉に扉の方へ目を向けた。

 まるで最初から参加するのが当然であったかのような表情で会議室に現れたハインリヒに、魔塔長をはじめとする長老達も目を見開く。

 肩に大きな黒い鳥を乗せ、優雅にテーブルまで歩く姿は軽くこちらを威圧する気を纏っていた。


「結論はでたのかね」


 まるで、取り上げていた議題すら、この男が提示したものであるかのような物言いに、魔塔長は目を瞬かせてハインリヒを見上げた。


「……来塔の予定はなかったと記憶しているが」

「そうかね? 私と交渉すべき案件が生じた筈だが」


 その言葉に室内の者達がぐっと言葉に詰まった。


 ――なぜ


 というのは皆の共通の疑問に違いない。

 円卓の空いている席に優雅に腰掛け足を組み、テーブルにつく一同を見渡す姿は様になっていて、まさしくこの会議の――この魔塔を動かす魔塔長と長老達を従える王のようだ。


「それで君達は、どんないい声で(さえず)ってくれるのかね」


 口許に冷ややかな微笑を履いて告げられた言葉に、この男が正しく現状を把握していることを知る。

 魔塔長ですらわずか数時間前に副魔塔長から知らされた話だというのに、正確に現状を把握し、どこにいたのかは知らないが、魔塔に現れるその素早さ。おまけに管理が厳しい筈の魔塔の、しかもこの会議室に現れたという事実。

 ちょうどハインリヒへの対応を考えるための会議に、よりにもよってハインリヒの登場だ。隠蔽も口裏合わせもする間がない。


 顔色を無くした面々を楽しそうに見渡しながら、「――では、交渉を始めようかね」と宣言した男を前に、最長老のジストリラリウスはギリギリと歯噛みした。


「――これは、開発責任者であるシモンの不徳の致すところ。彼奴をノクトアドゥクスに引き渡そう」


 シモンを管理していた空間魔法の権威、レイシンガーの言葉に、ハインリヒは口許に笑みを履いたまま、視線で続きを促す。


「ランクで言えばあれもS相当の魔術師。それで補填可能な筈だ」


 魔塔長が額を押さえて項垂れるのを目の端にとめながら、ハインリヒはくつくつと声を立てて笑った。


「情報管理能力が皆無の者など、我々には砂粒ほども価値がない。それすら理解も及ばぬとは、魔術に秀でていても交渉に値しないな、君は」


 言外にこれ以上この場で口を開くなとバッサリと切り捨てて、他には?と視線で問いかける。

 もちろん皆、シモン一人程度で満足させられるとは露ほども考えてはいなかったが、こちらに考える猶予も与える気はないようだ。おまけに、下手な事を口にすればレイシンガーのように切り捨てられるだろう。


「……今回は、確かに、我々に……落ち度があろう。長官殿の怒りももっともだ」


 学園理事のノーマンが言葉をひとつひとつ選ぶように、ゆっくりと、まずはハインリヒに同意を返す。


「別に私は怒ってなどいないな。むしろ、愉快なぐらいだ」

「……っ」


 その言葉にノーマンがギョッとして口籠る。

 怒りを否定されて二の句が告げなくなり、だらだらと冷や汗を流しながら忙しなく周囲を見回すも、誰も助け船を出そうとはしなかった。


「こ、此度のことに、怒りは、ないと……ち、長官殿の心が広くて、助かります、な……」


 しどろもどろになりながら、ぼそぼそと意味のない言葉で締めくくり俯いたノーマンには、それ以上ハインリヒは視線もくれなかった。


 ――それは愉快だろう


 魔塔長は内心で独りごちる。

 そもそも彼らは転移魔石に重きを置いている訳ではない。彼らの真の目的は、それこそこの事態にあったと言っていい。

 餌に食いついた魚に笑いこそすれ怒る事などあり得ない。


 この認識ではどうやら今回もこの男の一人勝ちだな。


 周囲に気づかれないように額を押さえたまま小さく息を吐く。

 組んだ膝の上に両手をかけ、椅子の背にもたれながら、ハインリヒがふむ、と頷けば、それだけで三人の長老――レイシンガー、ノーマン、サリエリスがびくりと肩を震わせた。


「わ、我々が契約違反をしたことは理解しておる。シモンが担当であろうと、転移魔石の開発は魔塔とノクトアドゥクスの間で正式に契約を結んだ上でのことじゃ。第三者に勝手に存在を知らせ、かつ使わせるなど、申し開きもないことよ」


 古代魔術の権威、サリエリスがヤケになったように言い捨てたのを聞いて、ハインリヒは首を傾げて見せた。

 そういう問題ではないことを未だ理解していないサリエリスに魔塔長の方が冷や汗をかく。

 このままでは話が進まないとみて、魔塔長が口を開きかけた時、それを制するようにハインリヒが片手をあげた。


「ふむ。どうやら、事の本質が伝わっていないようだ。知識や思考が魔術に振り切れているのも考えものだな」


 そう言い置いてから、肘掛けに肘をつきながら全員を見渡した。


「君達の一番の問題は、あの問題児の手綱を握れていないということだ」

「……っ!」


 先にハインリヒに切り捨てられた三人が、ぐっと呻くように低い声をあげて詰まった。魔塔長達は無言のままだ。


「君達で握れないなら、あれを持つべきではない――彼は然るべき所に預けた方がよいのではないかね」

「何を勝手な!」


 叫んだのは、これまで黙って様子を窺っていたイルデニアだ。


「ヘスは魔塔所属の魔術師だ! 開発品の流用ぐらいで身分を剥奪できると思うな!」


 ヘスによってもたらされる恩恵は計り知れない。魔道具や魔術の使用権益による金銭的なものはもちろんだが、ヘスに群がるパトロン達からもたらされる様々な恩恵もあり、魔塔はヘスを手放すわけにはいかないのだ。

 だが、イルデニアの言葉をハインリヒは鼻で笑った。


「君達の頭からは、オルブライト宣誓も二八協定も抜け落ちたのかね? 魔術を用いて犯罪を犯した魔術師の身分剥奪はどこにも咎められることはない。しかも裁量権は被害を被ったこちらにある」

「そうであったとしても――身分剥奪まではやりすぎだ! ヘスの貢献度合いを考慮すれば、酌量もされる筈だ!」

「そ、そうだ! それに、その流用は――ヘスが行ったのではない!」


 イルデニアの激昂に同調するように、レイシンガーがハインリヒに向かって叫んだ。

 先程口を開くなと同義の言葉を告げられたことは理解できなかったらしい。


「あれは……外部への流出は、リーリアが唆したのだ!」


 また誰も信用しないことを口にする、と魔塔長は呆れたが、イルデニアも「そうだな。リーリアに違いない」と何も考えずに同調の意を表し、魔塔長は頭を押さえた。

 ジストリラリウスはハインリヒを無言で睨んだままだ。


「ふむ。リーリア=ニコルソン。超一級の防御結界魔術の使い手だったな。加えて、ヘスの護衛権雑用係であったか。――その彼女が、ヘスを唆した、と君たちは言うのかね」


 ハインリヒの失笑混じりの言葉に、だが二人は大きく首肯した。


「魔塔長はなかなか大変だな」


 労わりというよりは憐れみを含んだ口調で告げられ、魔塔長は顔もあげられなかった。

 このくだらない話の帰結を長老達は考えているのか。むしろ、それでこの男を納得させられると真に考えているのか問いただしたい。


 だが、これはチャンスだ。


 魔塔長は拳を握りしめてサリエリスをちらと見やり、それからハインリヒに目を向けた。


「――では、我々の契約違反の制裁措置として、リーリア=ニコルソンを魔塔から追放し、ノクトアドゥクスに引き渡す」

「なっ!?」


 魔塔長の宣言に、サリエリスが驚愕の声をあげ、ハインリヒが片眉をあげた。

 このような見え見えの責任転嫁で養女を切り捨てようとする意図を推し量るように、じっと魔塔長を見つめる。

 魔塔長は無言のまま、その意図を視線に乗せてハインリヒを睨みつけた。


「馬鹿な事を言うでない、魔塔長!気でも触れたか。リーリアはお主の養女であろうが!」

「そうだ、何も魔塔の魔術師を引き渡すほどの事態ではあるまいて!」


 先ほどシモンを引き渡すと言ったその口で、真逆の言葉を言い捨てるレイシンガーに、アルトが呆れた視線を投げたが、気づいてはいないようだ。


「機密情報の横流しがその程度との認識ならば、魔塔の倫理観の低さが窺えるな」


 ひやりとしたハインリヒの言葉に、騒ぎ立てていた長老達が押し黙った。

 ぐうの音も出ない。


「――ふむ。よかろう。魔塔長の言のとおり、()()()()()()()()()()使用された転移魔石については、リーリア=ニコルソンをノクトアドゥクスに引き渡すことを制裁措置としよう」


 記録しておきたまえ、とニヤリと笑って告げられた言葉から、上層部の与り知らぬところで他にもまだあることが窺えたが、後手に回った魔塔にはこの場ではどうにもしようがない。

 サリエリスがまだ何か言いたげにハインリヒを睨みつけ、魔塔長にも忌々しげな視線を投げてきたが魔塔長は黙殺した。


「それに――元々転移魔石で釣り上げたいのはヘスではないからな」


 ぞくりとするような冷ややかな声で告げられ、嫌な沈黙が室内に落ちた。

 それは、別で狙っている者がいることを示し、加えてヘスを断罪できる材料をこれ以外で持っている事に他ならない。


「な、ならば、ここでヘスの話なぞ……」

「聞こう。他に何をやらかした」


 何かを言いかけたノーマンを制して顔を上げて問えば、口許に笑みを浮かべたハインリヒが、懐から魔道具を取り出した。

 記録した映像を映し出す魔道具だ。

 嫌な予感しかしない。

 映し出されたそれは、魔塔長の予想通りに――いや、予想以上にヘスが隠しようもないほど大暴れをしていた映像だ。

 王国の王城で、魔族と戦っていた少女を傷つけ、かつ王国の騎士へやその場にいた少女達への攻撃。王城の一室を破壊し尽くし中央に立つ姿で終わっていた。


「魔塔と言えども、これは隠しおおせぬよ」


 もっともだ。これは難しい。


「加えるなら、彼女達は剣聖の娘達で、ルクシリア皇国皇帝の依頼により王女の護衛で王国にいたのだよ」


 ルクシリア皇国にも知れたか……!


 これはもう、隠せない。

 映像の端に映った倒れ伏すリーリアの姿にぎゅっと眉根を寄せ、感情を飲み込んだ後、周囲を見回した。

 どこか呆然と映像を見ていた長老達も、返す言葉がないようだ。流石にここまではっきりとした映像が出てくると庇う事は難しい。


「……ヘスが他国の王城で……むうっ……」

「――確かに、疑いようのない失態だ。魔塔の魔術師として許されることではない。だが、協定では少なくとも裁判は認められている。それを経ずにお前達がヘスを取り込むことは許されぬ」


 それまでずっと黙っていたジストリラリウスが重い口を開き、ハインリヒに食い下がった。


「ふむ。二八協定では、確かに裁判は認められているな」


 そこは即座に肯定し、こちらの意見に同意するも別段困った様子はない。

 裁判になれば、どちらに転ぶかはわからない。事が起こり被害を被ったのはリンデス王国だ。たとえ背後にルクシリア皇国がついていたとしても、ヘスの背後には帝国や他の国々もついているのだ。ある程度のペナルティは食らっても、ノクトアドゥクスの手にヘスが渡ることは防げるだろう。


 魔塔としての狙い目はそのあたりか。


 そう考えながらも、裁判には持ち込めないだろうとの予感が魔塔長にはあった。

 これぐらいのことは、ハインリヒなら織り込み済みだ。

 ならば彼にはもっと決定的な何かがあるはずだ。


「ところで――その魔術師が裁判に立てない状況であった場合は、本人不在のまま裁判が行われるが、その場合でもヘスの身分は魔塔所属でよいのだな」


 この場合、魔塔が損害を補償する義務が生じるが、と続いたハインリヒの言葉は耳に入ってこない。


 裁判に立てない状況。

 魔塔長も、一瞬何を言われたのかわからなかった。


「……よもや、ヘスは死んだのか?」


 まさか、とジストリラリウス以外の者が動揺を露わにハインリヒを見つめる。先程の映像ではそれほどの攻撃を受けた様子は見られなかった。

 傲岸不遜で自分勝手で自由気儘でどうしようもない男だが、それでも魔術の腕は随一だ。

 リンデス王国という小さな国に、ヘスを倒せる程の者が存在するとは思えない。

 魔塔内でも魔術でヘスに敵うものは存在しないのだ。

 それとも魔族に討たれたか。


「――剣聖か」


 短く、ジストリラリウスが呟いた。

 ハインリヒは笑みを深くして答えない。

 確かに先ほど、ヘスが傷付けた少女達は剣聖の娘だと言っていた。ならば、その剣聖の怒りに触れ、返り討ちにあったとしても不思議ではない。


 ――ノクトアは、ヘスの身柄を確保しているのか? いや、それで言うなら剣聖が確保している?


 小さく舌打ちをしながら、ジストリラリウスはハインリヒを睨みつけ「然るべき所とはどこだ」と声を絞り出した。ジストリラリウスは剣聖がヘスを倒した者だと考えているようだったが、魔塔長には信じられなかった。

 ハインリヒは「ようやく、そこかね」と呆れたように肩をすくめて


「協定でも、被害を被った者が身柄を確保した場合は、その者に裁量権が認められている――剣聖とその娘達は、箱庭に属する者だ」


 もっとも、こちらの世界の協定や条約に縛られない相手だが、と低く笑った。


「……っ!!」


 引き攣った悲鳴は誰のものだったか。

 その情報に皆が一様に恐れ戦き言葉をなくした。

 箱庭。

 そこに手を出す者は、これまでも返り討ちにあい、酷いときには命を落としている。


 ヘスもまた――


「君達やヘスのパトロンがコソコソと嗅ぎ回る事がないよう、忠告しておこうと思ってね。どのみち君達では手綱は握れないのだ。大人しく放棄するが身のためだ。――ああ、私は別段止めはしないが」


 そこで一旦言葉を切ると、円卓に座す面々を見渡した。


「取り返すために箱庭を相手取るなら、負け戦に他を巻き込むことだけは止めておきたまえ」


 宣告するように告げたハインリヒに、ジストリラリウスが拳を握りしめたまま、ぎっ、と睨み付けた。


「貴様のっ……その話が真実だと信じるには値せん」

「――君は、過去に剣聖に一敗地に塗れたことをすでに忘れたのかね?」


 口許に笑みを履いたまま、あれを忘れ去れるとは中々に幸せな頭だな、と馬鹿にするように返されて、ジストリラリウスがギリギリと歯がみする。


「そうではない……そうではない!箱庭はこれまで相手を殺す事はあっても身柄の確保などしてこなかった筈だ!貴様が都合良く――」

「間違いはない」


 ジストリラリウスの言葉を、ハインリヒでもない別の者の言葉が遮った。

 誰だ?と声のする方を見ても、そこにはハインリヒしかいない。

 いや、ハインリヒと()()()だ。

 今になって、そこに黒い鳥がいることに違和感を感じた。

 魔塔長も、長老達も今まで気にもとめなかったその黒い鳥の存在感が、今になっていや増したのは――限りなく存在を抑えていたことをやめたからだ。


「間違いない」


 ()()()()()()()()()()


「アレはゼノが取り押さえ、既に所有を示す首輪を嵌めた。――アレは()()()()で預かる」

「ひっ……!」


 気の弱いノーマンがガタリと椅子から転げ落ち、這いながら魔塔長の背後に逃げてきた。レイシンガーやイルデニア、サリエリスも今にも倒れそうなほど真っ青だ。

 魔塔長もジストリラリウスも平静を装うだけで精一杯で、それほどこの黒い鳥が放つ魔力に恐れ慄いた。


 ――アレはなんだ


 震える身体を叱咤するように拳をキツく握りしめ、両足と腹に力をいれて黒い鳥を睨み返すが、アルトは、目を細めて嗤った。

 それだけで室内に魔力での圧が勢いを増す。


 ——間違いない。これほどの魔力は人では持ち得ないものだ


「どうやら納得いただけたようだ」


 そんな中、一人涼しい顔をしたハインリヒが楽しそうに告げ、片手をあげると、途端にそれまで重苦しく部屋を支配していた圧力が消え、魔塔長をはじめとする長老達がガクリとテーブルに突っ伏した。


「心配するな。あのヘスとかいう者は、私が上手く使ってやる」


 ——もっとも、人の形を保っているかは保証しないがな


 続く言葉に全員が身震いした。

 やはり箱庭に手を出してはいけなかったのだ。

 昔からそう言われていた通り、人が敵う相手ではなかった。


「……ノクトアは、箱庭と手を結んだのか」


 絞り出すように魔塔長が問えば、ハインリヒは肩をすくめてみせた。


「今回はお互いの利害が一致したに過ぎん。君達からヘスを取り上げたい我々と、ヘスを使いたい箱庭と。残念ながら、それ以上はない」


 残念そうに話すハインリヒに、アルトがその肩でバサリと翼を広げ、それにノーマンやイルデニアがびくりと肩を跳ねさせた。


「お前と懇意にするのは愉快そうだが、組織と関わるのは我も本意ではない。——組織は、このように一枚岩でないことが多いからな」


 この場を揶揄する言葉に、ハインリヒも同意して笑う。


「ああ、君達が説明に窮すると言うのなら、私からパトロン達には説明してやっても良いが?」


 ニヤリと笑って続けられた言葉に、ジストリラリウスがテーブルを叩いて睨み返した。


「それには及ばぬ!」

「そうかね。だが、いつでも頼るといい——パトロン名簿を持って」


 どこまでも不敵な態度で円卓の面々を見渡す男に、最早返す言葉ない。

 魔塔長は静かに目を閉じて項垂れた。

 



ヘスの引き渡し場面は入れられなかった……

そして平均年齢が高い話で華も潤いもない回です……

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