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ユーティリシアの箱庭  作者: 村上いつき
第二章

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(三十六)一夜明けて



 一夜明けて、城内は幾分落ち着きを取り戻したようだ。

 ここしばらくクストーディオの襲撃に備え緊張を強いられてきた王国としては、その心配事がなくなり、マリノア女王としてもルイーシャリアについての心配事が片付いたことにようやく安堵し、穏やかな朝を迎えていた。


 バルコニーから外へでて、朝の新鮮な空気を身体一杯に吸い込む。

 バルコニーから見下ろす庭には、すでに庭師をはじめ城勤めの者達が忙しなく動き回り昨日の後片付けを行っていた。


 ルイーシャリアをどこの国に嫁がせることになるのか、その国がリンデス王国や友好国であるルクシリア皇国と現在どのような関係にあるのかも気になるところではあったが、第四盟主の意向であれば、政治的な問題もある程度解決しやすいのも事実であった。


 ――剣聖殿が来てくれなければ、ルイーシャリアの命はなかった


 あの時、現れた瞬間にもルイーシャリアは命を落としていた筈だ。

 こちらが何かを持ちかける間など、僅かすら存在しなかった。

 その時の事を思い出せば今でも身が竦む。

 彼でなければ、王女の命はなかった。あるいは、その怒りのままに国すら滅んだかもしれない。

 剣聖と呼ばれ、二百年を生きていたというのは強さもその人脈も伊達ではないということだろう。

 噂も、根拠のないことだと神殿長の言葉で証明された。


「ルードヴィヒ皇帝にはお礼を伝えなければいけないわね」


 口許に穏やかな微笑を浮かべて、そう呟いた。



 * * *



「これを消すのにゃ!!」


 ゼノ達が部屋で朝食後にのんびりとしていた時、語気荒く部屋に飛び込んできたのは侍女服に身を包んだチェシャだ。

 ぐっと左腕をサラの前に突き出し、魔女の契約書によって刻まれた文字を見せつけた。


「なんだよ、藪から棒に」


 頭をガシガシとかきながら呆れたようなゼノと、サラの髪をいじっていたリタがひょいと突き出された腕を覗き込む。


「腕に何か書いてあるわね……『武器庫からゼノに好きな剣をあげる』? なあに、これ?」

「剣? チェシャが溜め込んでる剣か?」


 途端にキラリ、と目を輝かせてゼノがチェシャの元にいそいそとやって来た。


「約束したの。お姉ちゃんが交渉したんだよ、チェシャさんと。第四盟主とお話しをする報酬」

「マジか!? でかした、アーシェ!!」

「チェシャさんには二百年前?から貸しがあるから。これを機に払って貰おうと思って。今度は逃げられないように、サラに『魔女の契約書』で刻んでもらったの」

「サラもでかした!」


 ゼノが本当に嬉しそうにアーシェとサラを褒めると、二人ともはにかんだような笑顔を浮かべた。チェシャだけが一人苦い顔だ。


「とにかくこれをさっさと消すにゃ! さっきのぞきに来たシニストロに思い切り馬鹿にされたのにゃ!」


 があっと吠えるチェシャに、ゼノがすっと手を差し出す。


「ならお前さんの武器庫を覗かせろよ。アザレアの契約書なら、刻まれた言葉に従えば消えるだろ」


 ほれ、さっさと剣を見せろと笑顔で詰め寄るゼノを、チェシャはぐぬぬぬぬ、と悔しそうに睨み付けてしばらく悶えていたが、やがて諦めたのか、大きなため息をひとつついてがくりと肩を落とした。


「ばっくれられないなら仕方ないにゃ……」

「最初から逃げるつもりだったんですね」


 なるほどとシュリーが苦笑する。アーシェ達が先手を打って契約書を刻むわけだ。最初からわかっていたのだろう。

 リーリアも『魔女の契約書』の言葉に興味をそそられたか、怖々とチェシャに近寄り、その腕に刻まれた魔術による文字を見て目を見開いた。


「魔女の契約書……これ、古代魔術ではないですか? 今では扱える人が限られている筈です」


 流石は魔塔に属する魔術師だ。魔術に対する造形は深い。魔術に明るくないゼノやアーシェはもちろん、アザレアに教わり使っているはずのサラも、笑顔を浮かべたままきょとんと首を傾げた。


「古代魔術?」

「ええと……今の魔術は、魔法陣を使用しない詠唱魔術が基本です。冒険者が使うのがそうですね。攻撃魔法や日常魔法も詠唱により発動します」

「そうね。日常魔法なら詠唱破棄して使うことも出来るし、手練れなら攻撃魔法も詠唱破棄して使うわね」


 リタも頷く。

 もっとも、リタの場合は攻撃魔法を使えないので、詠唱して魔法を使用したことはないのだが。

 身体強化は魔力を操る魔法なので、少々異なるのだ。


「ですが、転移魔法や魔道具に使用する補助魔法は魔法陣が絶対に必要で、これらが古代魔術の流れを汲む魔法です。古代魔術の方が魔法陣が複雑で、その代わりに細やかに色々出来ると聞いています」


 リーリアの防御結界にも古代魔術の魔法陣を参考にしたものがいくつかある。ヘスに使用していた常時発動の防御魔法などもその一例だ。

 発動の魔力を魔石で代用して長時間発動出来るのが特徴だ。ただ、その方法だと今は強度が弱く、リーリアもより良い魔法陣の構築について研究を重ねているところだ。


「ふ~ん。じゃあアザレアは古代魔術の使い手ってことか。攻撃魔法陣は主流じゃなくなったとしか聞いてねえから、あれが古代魔術だとは知らなかったな」

「えと……もしよければ、どれかひとつでいいので攻撃魔法陣を見せていただけませんか?」


 うずうずと身体が前のめりになっているリーリアに、リタがくすりと笑った。こういうところは流石は魔術師だ。


「そいつは魔塔の魔術師にゃ。怪しい奴に見せてやる必要はないにゃ」


 機嫌が悪いことも手伝って、チェシャからは意地悪な言葉が飛ぶ。リーリアへの警戒も未だ薄れていないのだろう。


「そ、それは……」


 チェシャにキツく言われてしょぼんと肩を落としたリーリアに、サラはポーチから雷撃の魔法陣を取りだし、テーブルの上に広げて見せた。


「私はこのお姉さんと魔術のお話ししてるから、チェシャさんはさっさとお父さんに武器庫を見せたらいいの!」

「にゃにゃ!? サラがそんな事言うなんて……!」

「サラは魔術に関しては勉強熱心だから。アザレアさん以外の人と魔法陣の話が出来るのが嬉しいんだと思う」

「攻撃魔法陣は廃れてますものね」


 シュリーも同意して、サラが広げた魔法陣を覗き込んだ。

 ぐぬぅ、と呻いたチェシャの肩を、ゼノが後ろからがしっと掴んだ。


「なら、お前さんはこっちで話そうか。アーシェも来いよ。一緒に剣を選ぼう」

「はい!チェシャさんの武器庫は面白いから楽しみ!」


 チェシャからすれば扱いの難しいアーシェと、力では絶対に敵わないゼノに逃げ場を奪われて、ずるずると引きずられるようにテーブルから部屋の広い所に連れられていった。

 サラとチェシャのどちらが有用な情報になるだろうかと一瞬迷ったシュリーだったが、サラ達を優先することにした。クライツかデルがいてくれたら良かったのに、と思ったが二人からの連絡はあれから一度もない。

 逆にそれが何やら厄介な相手と会っている証拠のように思えて、盟主やベルガントに会うのとどちらがマシだったのだろうと、昨夜密かに考えたのは秘密だ。


「……これは、私が知っている古代魔術よりも、かなり複雑……ひょっとして喪われた時代以前のもの?でも、そんなの魔塔にも文献はなかったし……」

「喪われた時代?」


 熱心に魔法陣を覗き込んでぶつぶつと呟くリーリアの言葉に、初めて聞く単語が含まれていてシュリーが疑問を返せば、リーリアがはい、と頷き返した。


「魔術の歴史で記録がごっそりと抜け落ちた時代があって、その時に魔法陣に関する技術の多くが喪われ、魔法陣を用いた魔術は完全に喪われたのだと教わりました。その後の時代で詠唱を魔法陣に書き換える研究が進められて、辛うじて残っているのが今の魔法陣だと言われています。元々詠唱魔法を書き換えた物だったので使い勝手と威力が釣り合わず、攻撃魔法陣は廃れてゆき、今では使用出来る人が限られます。魔塔では、その喪われた時代以後の魔法陣を古代魔術と呼び、復興させることに尽力している人もいます——ですが、この魔法陣は……その古代魔術とも違う……」


 古代魔術の研究者は何人もいるが、それを上手く改良して実用に値する形に変えたのも、悲しいかなヘスなのだ。


 ――あの男は本当に、人格さえ良ければ魔塔どころかこの世界に優れた魔術師として歴史に名を刻むほどの大魔術師なんだがな……


 ヘスの事はこれっぽっちも、欠片ほども好意は持てないが、悔しいが実力だけは本物だ。研究熱心さと発想力と魔力は、本当の本当に魔塔随一なのだ。

 魔術師として、人格だけが大きくマイナスに振り切れている。

 どこに引き渡されたのだろうと気にはなるが、向かいでサラの横に立ちテーブルを覗き込んでいるシュリーが教えてくれることはないだろう。


 シュリーはといえば、リーリアにチラリと見られたことに気づかないフリをして魔法陣を見つめたまま、ノクトアドゥクスに『喪われた時代』について記録が残っているのか調べなくては、と考えていた。


「この魔法陣は、私のお師匠様に教えてもらったもの。お師匠様は、『アルカントの魔女』って呼ばれてるの」

「アルカントの魔女でしたか。――なら、魔女は古代魔術を……それも喪われた時代以前の魔術を知っている?一体どうやって?」

「アザレアさんは、今いくつなの?」


 ぶつぶつと呟きながら考え込むリーリアをよそに、リタはサラに問いかけた。ゼノは五百年だか六百年だか言っていたがあやふやだった。まあ、五百年も六百年もリタ達からすれば大差はないのだが。


「お師匠様ですか?ええと……あれから二百年は経ってるなら五百歳?は、いってるかなぁ??六百だったかな?」


 顎に指をたてて斜め上を見ながらう~ん、と思い出すように呟くサラも自信はなさそうだ。


「リーリアさんの言う喪われた時代というのはどれぐらい前のことですか?」

「今から千数百年以上は前の話です」


 アザレアの年齢をゆうに超えるほど昔だ。ならばアザレアも五百年の間に誰かから教わったか、今はなくても当時は何か文献でも残っていたか。

 だがリタはふと、その年数に引っかかりを覚えた。

 デュティは確かに言っていた。

 フィリシアは千数百年以上をこの世界で生きている、と。

 あまりにざっくりとした数字だが、重なっているのが気にかかる。


 ――その時に、なにかあった?


 リタの知る世界史では、別段気になることは起こっていない筈だ。だが、魔術の世界では何かが起こり『喪われた時代』と呼ばれるに至っている。

 フィリシアとアザレアは仲良しだともデュティは言っていた。そしてアザレアは秘密主義だとも。


 もしもアザレアが同じようにそれぐらい生きていたとしても、その事実はそれこそ誰にもわからないのでは?


 ――まあ、もしそうだとしても、本当の年齢を隠す意味はわからないし、確かめようもないことね。


 そうリタが結論づけた時、「んにゃあああああ! なんでよりによってそれを選ぶのにゃ!?」というチェシャの悲鳴が室内に響き渡った。

 ゼノ達の方に目を向ければ、満足そうに双剣を手にして振り回すゼノと、がっくりと膝をついて、だんだんだん!と床を叩いて悔しがるチェシャ、しゃがみ込んでチェシャの肩を叩くアーシェの姿があった。

 どうやらゼノが得た剣はなかなかの値打ちものらしい。


「いや~、まさかお前さんがシャムシールガルを持っているとはなぁ。これにするわ。さっすが、武器コレクター。良い品揃えだ」

「んにゃあああ!! おみゃあにやるために集めてる訳じゃないにゃあああ!!」

「だったらお父さんに借りなんか作らなければいいんですよ」


 簡単な事ですよね?と笑顔で告げるアーシェがなかなか極悪に映る。まあ、了承したのはチェシャだし、最初から逃げるつもりで適当なことを言い続けてきたのもチェシャだ。


「よりにもよって、よりにもよって~~!!」


 と、よほどお気に入りの剣だったのか、しつこく床を叩いて悔しがっているが、自業自得なので誰も同情はしない。


「ゼノが双剣って珍しいわね?」

「そうでもないぜ? 魔族の群に突っ込む時は二刀で戦う時もあるしな」


 確かに振り回す姿は様になっていて、一刀でも二刀でも変わりはなさそうだ。

 剣聖に剣の事で心配する必要など、それこそある訳がないのだが。


「お父さんが満足のいく剣をもらえたなら、腕の文字も消えたと思うけど、どうなのかな」


 サラが床に張り付いているチェシャに問えば、アーシェが左腕を見て頷いた。


「うん、綺麗に消えてる。よかったですね、チェシャさん。これでチャラです」

「チャラっていうより、あたしの方がっ、損してる感じにゃ……!」

「そうですか?」


 しつこく床に張り付いて文句を言い続けるチェシャに、アーシェがことんと首を傾げる。サラも呆れたように頬を膨らませた。


「王女さまの命がその剣より安いの?」


 ぴたり、と。


 ぐじぐじと文句を言っていたチェシャが止まった。

 ついでぴょん、と勢いよく立ち上がった。


「それはないにゃ。ルイの方が大事にゃ」


 きっぱりと迷いなく言い切ったチェシャに、アーシェがにっこりと笑って頷く。


「なら問題ないですよね」

「ないにゃ」


 アーシェの言葉に、今度は素直に頷き返した。


「さすが、ルイーシャリア王女の侍女ね」


 王女を引き合いにだされてのチェシャの言葉にリタが褒め称えるように告げたが、リタを振り返ったチェシャの顔は眉間に皺が寄っていた。


「お前は黙るにゃ」

「どうして!?」

「やっぱり聖女は嫌いにゃ。気に食わないにゃ。見たくないのにゃ!」

「ええっ! どうして!? 昨日は気に入ったって言ってくれたじゃない!!」


 いや、魔族に気に入られてどうすんだよ、とゼノが呆れたように呟いていたがスルーされた。


「やっぱりよく見たらその金髪も気に入らないし、聖女だし、主さまに失礼なこと言ったし、何より主さまに気に入られたのが気に入らないのにゃ!!」


 ほとんど言いがかりのようなものだが、魔族とはこういうものだ。

 女の子であるチェシャにキッパリと気に入らないと言い切られて、ショックを隠そうともしないリタにゼノは呆れた顔をしたが、アーシェやサラ、シュリーは苦笑を返した。


「あ~、ほらほら。もう用が済んだなら行けよ。王女を一人にしてんだろ?」

「ゼノが言うなにゃ! ――もう隠す必要もないので、ルイにはあたしの眷属をつけてるから大丈夫にゃ。でもまぁ、左腕の文字は消えたからもういいのにゃ」


 尻尾をぱったんぱったんと叩きつけるように左右に振っていて未だ機嫌が悪そうだが、これ以上はゴネても仕方ないと思ったか、最後に八つ当たりのようにリタにべっ、と舌を出してから部屋を出ていった。


「えええ……嫌われた!?」

「からかわれているだけだと思うな。リタさんがいちいち反応してくれるから」


 サラが大丈夫、と言ってくれたがリタはショックを受けたままだ。


「魔族なんてその時の気分で意見がころころ変わりますから。あんまり言葉に惑わされないほうがいいですよ」


 とは、アーシェの言葉だ。どこか冷めた口調に、リタよりも魔族との付き合いの長さが窺えた。

 それは確かだけれど、と思いながらもショックは隠せない。

 リタの様子にやれやれと肩をすくめて、ゼノは手に入れた双剣をポーチに仕舞いながらソファに座り直した。

 アーシェもサラ達の元に移動してサラの隣に腰を下ろした時、今度はコンコンと扉をノックする音が響いた。


「失礼致します。剣聖殿にお客様がお見えです」


 そういって侍女が案内してきたのはクライツとデルだった。

 二人の姿を認めて、シュリーがほっと安堵の息を吐く。


「おはようございます。お寛ぎ中でしたか」


 微笑を浮かべて部屋に入ってくるクライツの手には革製のポーチがひとつ。

 だがそれよりも、そのどこか疲れた表情にゼノが眉をひそめた。


「何かあったか?」

「――いえ? 何もありませんが」


 ゼノを正面から見据えて、一呼吸おいてから返された言葉と表情からは、それ以上読み取ることは出来ない。

 だが、ゼノはこの表情に見覚えがある。

 それはもちろん、クライツではなくノアのもの(表情)にであったが、アザレアから太鼓判を押された勘の良さだ。数年共に活動しているシュリーよりも、ノアと長い付き合いのあったゼノの方がわかった。


 この表情をする時は、かなり動揺している。

 そしてハインリヒもそうだが、これ以上突っ込んで聞いても何かが返ってくることはない。


 聞き出したければ、的確な質問でなければ難しいこともよく知っている。


「それで、あの野郎の件は片付いたのか」


 今はこれ以上質問することを諦め、ゼノはガシガシと頭をかいてクライツに尋ねた。


「はい。無事に先方に引き渡しました。それで、これはリーリア嬢にお渡しするようにと、魔塔長から預かってきました」

「え?」


 ヘスを連れていったクライツが現れたことで緊張していたリーリアは、突然に名を呼ばれてびくりとして立ち上がった。あわあわとクライツの顔と、突き出されたポーチを何度か見て固まる。


 クライツが手にしていたのは、魔法鞄だ。独特の深い緑色をした上質な革製で、羽根飾りがアクセントにつけられている。いくつか小さな傷も見えるが、経年変化で革独特の艶もでていて、丁寧に手入れされているのが窺える。

 リーリアにはとても見覚えのあるそれに、足元から力が抜け落ちるような感覚に襲われ、ぶるぶると震える両手で、そのポーチに触れた。


「こ、これを……魔塔長、さま、が……?」

「ええ。そうです、が……? リーリア嬢?」


 尋常でないリーリアの様子に、クライツが戸惑ったようにその顔を覗き込む。


「リーリア?どうしたの?」


 リタもその様子に気づいて、気遣うように肩に触れようとした時――


「あ、ああああああ、ああああああ!」


 ぎゅうっとポーチを抱きかかえ、突然叫び声を上げてその場に(くずお)れた。


「どうして……!? わた、わたし、捨てられた……!? どうして、養父さま……!!」


 うああああああ!とポーチを抱きしめて慟哭するリーリアの姿に、時がとまったように誰も声をかけられなかった。

 すぐにリタが我に返って、リーリアを抱きしめる。


「落ち着いて、リーリア! 一人で泣かないで!」


 リーリアの頭を抱え込むようにして、落ち着かせるように背を撫でる。


「養父さま……! わ、私が、ちゃんとできなかった、から……?あああああああっ……!」

「リーリア、大丈夫よ。私がついてるわ!」


 リタはリーリアを抱きしめたまま、「何か聞いてるの?」とじろりとクライツを睨み付ければ、クライツも唖然とした表情のまま、慌てて頭を振った。


「落ち着いて。どうしてポーチを渡されたことで捨てられたと思ったの?」


 泣きじゃくるリーリアを宥めながら、声が届くように必死で呼びかけるリタを遠巻きに見つめ、ゼノもクライツに視線で問う。だが、クライツも訳が分からず、頭を振るだけだ。


「こ、これは……わ、わたし、が……作ったもの、で……」

「ええ、ええ。リーリアが作ったものなのね」


 リーリアが紡ぐ言葉を繰り返しながら、リタは優しく落ち着かせるように背を撫で続ける。ゆっくりと、落ち着くように。

 大丈夫よ、と心を落ち着かせるように。


「とても素敵なポーチね。これはリーリアのポーチ(魔法鞄)で、それをクライツが届けてくれた訳ではないの?」


 優しく問えば、胸の中でリーリアが激しく頭を振った。


「ち、ちがっ……これ、は……私がっ、養父さまに……養父さまのためにっ、作って、養父様に……あげたもの……!そ、それを、突き返され……うううう」


 話していてまた悲しくなったのか、リーリアは先程のような激しい泣き方ではなく、声を抑えてむせび泣いた。


「そう……」


 短く呟き、リタは優しく背を撫で続けた。

 室内にはリーリアの嗚咽が静かに響き渡る。

 リタも今はそれ以上の言葉をかけられない。リーリアの想像どおりなのか、まったく違うのかがこれだけではわからないからだ。

 チラリと再びクライツを見上げれば、クライツはああ、とどこか納得したように頷き、リーリアの側に膝をついた。


「そういう心配であれば、違うと思いますよ、リーリア嬢」


 存外に優しい口調で、クライツが告げた言葉にリーリアの肩が揺れる。


「ポーチを渡される現場を私も見ていましたが、魔塔長はポーチは元々リーリア嬢の物で、生活に必要な物が入っているとおっしゃっていました。それが本来は魔塔長がお使いの物だというならば、あなたに何かを渡したかったのではないでしょうか」


 リーリアがそろりと顔をあげ、言葉の真偽を確かめるようにクライツを見つめた。泣き腫らした顔で見つめられて、クライツも安心させるように頷いて見せる。


「そのポーチには恐らく——あなたの身を守るために、我々ノクトアドゥクスが欲しがる情報が入っている筈です。その場にいた長老達に不審を抱かせないために、あなたの魔力を纏ったそのポーチを利用したのでしょう。あなたが心配するような意図はないはずですよ」


 目を零れんばかりに見開き、告げられた言葉を理解しようと口の中で繰り返す。


「わたしを、守る、ため……?」

「そうよ、リーリア。心配するのは当たり前よ。だって、ヘスと一緒に捕まってしまったんだもの。あんなのと一緒に捕まったら、どんな目にあわされるかと親なら心配するに決まってるわ」


 リタが肩を抱きながらやさしく告げれば、ゼノも頭をガシガシとかきながら「そうだな」と同意する。


「俺も、あの野郎の味方の立場で娘が捕まったら気が気じゃねえな。おまけに、その後連絡も取れてねえんだろ?例え保護という名目だとしても、親なら娘の身を心配して何か手を打ちたくなるさ」


 アーシェやサラの肩を抱きながらのゼノの言葉に、リーリアもようやくクライツの言葉を信じる気になれたようで、抱きしめたポーチに目を落とした。


「ポーチの状態からも、大事に使われてきたことがわかるわ。リーリアが心配するようなことはないはずよ」


 ゼノ達の言葉を裏付けるようにリタがポーチを示せば、リーリアも胸に抱いたポーチをマジマジと見つめ手でそっと撫でた。

 確かに、丁寧に扱われていたことをリーリアはちゃんと見てきた。

 これを渡したとき、養父は表情こそ変わらなかったが「大事にする」と言ってくれたのだ。

 人前で使用している姿は見られなかったが、養父のポーチの中に常にリーリアが作ったこのポーチが入っているのをリーリアは知っていた。

 ならば本当に、自分を切り捨てたために突き返されたのではないのか。


「……養父さま……」

「中に入っている物を確認されてはどうですか? ひょっとすると、魔塔長からの手紙もあるかもしれません」


 クライツの言葉にハッと顔をあげ、恐る恐るリーリアはポーチに触れた。

 本来ならば、使用登録をした者以外はそのポーチを使えない。

 このポーチは確かに養父である魔塔長の魔力登録をしていて、リーリアの魔力は登録していない。

 だが今、ポーチはリーリアを受け容れた。

 このポーチには二人分の魔力が登録されているのがわかった。養父の魔力は登録されたまま、新たにリーリアの魔力を登録したのだろう。

 その事実に少し安堵して中を探れば、そこにはリーリアの研究していた魔術関係の書類や愛用の文具、リーリアが持っていた以上の魔石、加えて養父の作成した魔法陣などリーリア以外の物がいくつかと、明らかに他とは異なる見慣れない書類の束——それをそっとポーチから取りだした。

 そこには走り書きでメモが一枚。


 ——これを交渉材料に使え


 見慣れた養父の字に間違いなかった。

 そのメモを認めて、やはりなとクライツが目を細めた。


「なるほど——なるほど。確かにそうね。クライツの言うとおり。ならばリーリア。交渉は私と一緒に頑張りましょう!」


 キラリ、と目を鋭く光らせたリタに、ゼノがうへえ、と引き攣った声をあげた。クライツも内心、リタの前で言うことじゃなかったか……とハインリヒの冷ややかな目が脳裏に浮かび、思わず遠い目をした。


 だがクライツとてリーリアがこんなに狼狽えるとは思わなかったのだ。

 魔塔長は不器用ながらリーリアを大事にしている、というのは魔塔内では認知されていることだったし、あの場を見たクライツもそういう印象を受けた。だが肝心のリーリアにその想いが正しく伝わっていないとは考えてもいなかったのだ。


 養女という立場はどれだけ愛情を注がれていても、やはり不安に思うということか。


 そっとサラを盗み見たが、いや、魔塔長もリーリアも不器用であったということかもしれないなとクライツは頭を振った。


「リーリア嬢の誤解が解けたなら良かったです。まあ、交渉は師匠の元で行いたいと思いますので、今はそれは仕舞っておいてください」


 そう言われて、リーリアは涙を拭ってこくりと頷き、書類の束をポーチに仕舞い込んだ。——ただ、養父の走り書きのメモを大事そうに何度も何度も読み返し、ぎゅっと胸の前で抱きしめる姿は、魔塔でのリーリアの立場を知るクライツの憐憫の情を誘った。

 きっと魔塔長は、リーリア嬢を魔塔から逃す良い機会だと捉えたのだろう。

 今回ヘスが捕まった件で、魔塔内では副魔塔長とリーリアに責任が科せられた筈だ。副魔塔長はともかく、リーリアはこれで二度目の失態となる。今度ばかりは魔塔長といえども助けられなかっただろう。


 ——魔塔と外では考え方が異なるからな


 そんな思いでリーリアを見つめていたクライツは、シュリーの躊躇うような視線を感じてそちらに目をやった。

 心配そうな表情に、問題ないと頷いてみせる。


「あ〜、まあ、これで大体問題は片付いたってことでいいのか?」

「そうですね。ゼノには皇国に帰る前にクレイム殿に話をしていただきたいんですが」

「クレイム? 誰だ、それ」

「正神殿のテコ入れで、神殿や教会の歴史や魔族について、確認できた事実のみを資料としてまとめている部署だそうで、そこに属する者はすべて『クレイム=ゾルデン』と名乗ることになっているそうです。リンデス王国のクレイム殿がゼノにぜひ正しい話を聞かせていただきたい、と言っておりまして」

「ふ〜ん」


 懐疑的な表情なのは仕方ない。

 何度真実を伝えたとしても、自分達の都合のいいように解釈してきた連中だ。今更そう言われても、というのがゼノの正直な気持ちだろう。


「特にリンデス王国のクレイム殿は、ニダ神殿長から神殿がゼノに為したことをまとめて、後世に誤解が生じないようにするよう勅命を受けているそうです。なのでぜひゼノの話を聞きたいと言うことですよ」

「神殿長さまは真実をご存じだったじゃない。だったら、一度話してみたら?お父さん」


 アーシェに腕を引かれながら言われて、ん〜、と眉根を寄せて考えるように首を傾げ、ため息をついてから「わかった」と返した。


「じゃあ帰る前に神殿に寄る」

「ああ、いえ。神殿じゃなく、クレイム殿が神殿に隠れて利用している作業部屋がありますので、そちらにご案内します。」

「なんだ、それなら早く言えよ。神殿はどうも落ち着かねえからな」


 それが例え正神殿でも、過去にカグヅチに閉じ込められた経験のあるゼノとしては、あまり立ち寄りたい場所ではない。ましてや通常の神殿は敵対しているところがほとんどだ。


「では、マリノア女王に挨拶を済ませたら出ましょうか。ここに長居する必要もないでしょうから。——ああ、王国との報酬交渉はもう少し王国が落ち着いてから行うつもりですが、それでよろしいですか」


 問題ねえ、と返してゼノは大きく息を吐いた。

 これでようやく皇国に帰れる。アーシェ達との日常に戻れるのだ。

 そう考えると、なんだか急にそわそわと心が落ち着かなくなるゼノだった。



 * * *



「それで君達は、どんないい声で(さえず)ってくれるのかね」


 大きな黒い鳥を肩に乗せたまま優雅に足を組み、顔色をなくした魔塔長や長老達を前に、まるで彼こそがこの塔の王であるかのように冷ややかな微笑を浮かべてこちらを見下ろす男。


 導きの梟――ノクトアドゥクスの現長官、ハインリヒ=ロスフェルト。

 沈着冷静、神算鬼謀とこの男を形容する言葉は情報機関の長らしいものが多い。また、彼が長官に上り詰めるまでは冷酷無比とも言われていたが、今は彼の立場から冷徹な粛清者と言われるに至っている。


 その男が、よりにもよってこのタイミングで魔塔に現れるとは。


 ()()()()


 千里眼、と呼ばれるのも納得だが、魔塔にとっては喜べない事態だ。

 彼を前に、背筋に嫌な汗が流れる。

 叶うならば、ここから叩き出してやりたい所だが、実力的にも政治的にも不可能であることは()()()()()()()()

 魔塔最長老のジストリラリウスは、眉根を寄せ拳を握りしめて、この場に君臨するハインリヒを睨みつけた。

 そんな彼らを視線だけで見渡し、その男は言い放った。


「——では、交渉を始めようかね」

 


  

 

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